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高知県移住大作戦 2

〜心の出発編〜

私と妹は母親にいじめられて育った。
母は内向的で友達がなく、家庭内で弱い者いじめをする人だった。暴力もたびたびだったが、ネグレクトではなく、それよりも精神的なダメージを与えようとする陰湿な人だった。
褒められたことは一度もなく、良いことも悪いことも否定されるので、私の小学校低学年の通知表には「良いこと悪いことの区別がつかない」と何度も書かれた。私はもちろん悪いことをしてやろうなどとは思っていない。教わってないからわからなかったのだ。
でも子供は他の世界を知らず、いじめられてもお母さんが好きで喜んでもらいたい。それがわかっているからやるのだ。反吐が出る。
私は学校の成績は良かった。中学生になるとテストの点数だけでなく順位が出るようになり、初めての県下一斉テストでは自分の通う中学校の女子で一番だった。よその家の親は子供の成績が良いと喜ぶらしい。お母さんも喜んでくれるかと期待して結果の紙を見せたら、この紙切れで飯が食えるのかと一蹴された。私は、学校の成績は学校にいる間の自己満足で、社会で働くには関係なく、よその家の親は見栄っ張りなのだと思った。いい学校に行って有名な会社に入るのも見栄なのだと思った。そんなこと、と笑われるかもしれないが、ずーっとそういう人と暮らしてそういう人に育てられた子がそう思ったという事実だ。
高校に進学する意味はないと思っていたので行かないつもりでいたら、担任に高校は行ったほうがいいと言われ、ならば高専に行って手に職つけようとしたら普通科に行けと言われ(たぶん高専は偏差値が低いから)、じゃあどこでもいいですとがんばらなくても合格する高校しか受験しなかった。進路も決めずただ高校を卒業して、車の免許を取りトラックの運転手になった。入社試験というものを受けたこともない。

私は50代になった今までの人生で、がんばったことが一度もない。何かのためにがんばって希望を叶える、努力して達成するなど、したことがない。妹もおそらくそうだと思う。
母にそのつもりはなかっただろうが、私たちは真綿で締められるように洗脳されていたと思う。成功体験がなく、自己評価が低く、自分ががんばって何かを成し遂げようと思わない。

私は26才で実家を出た。
「お母さんのいない世界って素晴らしい!大人ってなんて素晴らしいの!」と心底思った。今でも思っている。それだけで幸せで、それだけで充実で、喜びを噛み締めている間に50代になってしまった。
子供は命さえ親に握られている。どんなに理不尽でもそこで生きるしかない。自立できる大人って、本当に素晴らしい!

洗脳を解くには洗脳された期間と同じくらいかかるという。実感としてとてもよくわかる。私は近年、母の洗脳から解けてきたと感じている。やる気が漲ってきた。

大好きな高知県に住もう。
子供のころ「大きくなったら農家になりたい」と言ったら即座に否定されたけど、やはり農業をやりたい。年齢的にちょっと遅いけど、遅いなんて言ってたら死ぬまで同じだ。私でもできる道を探そう。

理科が好きで、「体のひみつ」のような本や図鑑の類いはボロボロになっても繰り返し見ていた。全13巻の百科事典は動物・植物の巻だけが手垢で真っ黒になった。犬猫を飼わせてもらえなかった子供の頃は、それ以外の生き物を何でも拾ってきた。巣から落ちた雛や、車に轢かれた蛇、カエルやどじょうやタニシ。。ドブネズミを捕まえてきた時は猛烈に怒られたけど、これは仕方ないね(笑)
生き物のことを学んで仕事にできるなんて最高じゃないか。

二つ下の妹は一度も実家を出たことがない。
(誤解なきよう、引きこもりではなく、私より身綺麗でスラっと背が高く若々しいが、私と同じく結婚せず独身)
私が、来月高知県に行って農園の見学体験や現地滞在をしてみるから、私の今住んでるとこでなんちゃって東京一人暮らししてみる?と提案したら、ことのほか喜んでくれた。よかった、妹にもお母さんのいない世界を味わってほしい。


次号、移住に向けて動き出します。

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