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ゼクシィ読んだら世界観変わった。

「ハワイで挙式」とか「ウエディングドレスの他にお色直しが・・・」
とか馬鹿だと思っていた。

結婚式なんて一瞬の出来事、その一瞬に何百万のお金をかけるなんて、全くをもって非合理な判断だと。

しかし、今僕はこう思っている
「恋人が理想の結婚式を提示してきたら、
必ずその理想の結婚式を実現しないといけない」
と。

この価値観の変容の物語です。

飲み会にて

先日、大学時代の友人(女性)とご飯会をした。
一人は結婚しており、もう一人はパートナーといつ結婚してもいいという関係性だそう。
その会話の中で私は以下のようにボケた。
「陽キャの結婚式って500人くらい呼ぶの?」
それに対してこう返答された
「お前は何も分かってない。陽キャの結婚式は数をこなす。」

そんなわけないと思った。陰キャをからかうな。
数こなすわけないだろう。いくらするイベントだと思ってんだ。
1軍しか呼ばない結婚式と2軍しか呼ばない結婚式やるんか。
そんなわけないだろ・・・
僕の結婚式への疑念は深まった。

ゼクシィ

その次の日、コンビニに立ち寄るとあの雑誌、そう
ゼクシィが売っていた。
毎月、結婚の情報を発信するおそらく唯一無二の雑誌。
その価格なんと300円。安い。
昨日の会話で突然深まった結婚式への疑念。
疑念を晴らしたい。その想いから、思わず雑誌を手に取り、
そして購入した・・・(なんか恥ずかしかった)

その内容は驚愕だった。
女性の結婚式にかける執念。
気合い、情熱、憧れ。
それまで僕が考えていたような単なる儀式としてのイベントではない。

自分に合った完璧なドレス
1年前から始まるボディメイク
自分達らしさを詰め込んだ演出
プロポーズ・前撮り・ギフト・指輪 etc
ありとあらゆる「夢」が詰め込まれていた。
結婚式、それは夢であって現実的な事象を超越した存在なのだ。

僕は理解した。
結婚式は(少なくとも一部の人にとって)、今世最大の目標であり、
その完成度が人生の完成度そのものに関わってくる。
それどころか、来世の完成度、いや因果律そのものに干渉し、前世の完成度にまで影響を及ぼしかねない、とにかく唯一一点の極地なのだと。

その人生の極北に対し、100万円など誤差にすぎない。
結婚式全体で500万程度で済むのなら安いものである。そう思ったのだ。

ちなみに結婚式の費用の相場は304万円(招待人数の平均は43人)
招待人数が増加すると必然費用は増加するが、御祝儀額も増加するので、
一概に自己負担額が増加するとは限らない。

Recruit, et al., Zexy, 228, 12 (2023) 114

ちなみに、「陽キャの結婚式は数をこなす。」はどうやら本当で、
ゼクシィには1部をハワイにて身内+ごく少数の友人で、
2部は東京で複数の知人を招いた形で実施する実例が複数掲載されていた。

筆者のつぶやき

夢を叶えるということ

同じように金がかかる話にマイホームがある。
やれ賃貸の方が得だとか、実はそうじゃないとかいろんな話があるが、
僕の中では完全に結論が出ている。
「マイホームを持つのが夢なら買うしかない」
なぜなら「夢は叶えないといけないから」だ。
夢が叶った人生か、叶わなかった人生か、二つに一つしか選べない。
ここに「賃貸の方が(経済的に)お得だから」とかそんな寝ぼけたことは絶対に言ってはいけない。そんなことを言うなら、プンパニッケルと魚肉ソーセージとプロテイン以外の食事は全て経済合理性がないから食べない方がいい。
極端なことを言えば、人生は夢を叶えるためにある。
美味しいものをいっぱい食べたいという夢。
世界中を旅してみたいという夢。
豪華客船に、スカイダイビングに、大陸横断に、個展に・・・
個人が抱く、ありとあらゆる夢は叶えないといけないのだ。

結婚式はある一定数の人類にとっての夢だ。
だから、配偶者はそれを応援する義務がある。
夢を応援できないパートナーなど、そもそも必要だろうか。否。
今すぐ別れてPairsをダウンロードすべきである。

参考資料(マイホーム論争について)


終わりに

結婚式に大金をかけるなんて無駄だというのなら、そもそも人生そのものに意味なんてない。叶わない夢を抱く人生なんて今すぐ終わってもいいのだ。

と、僕はゼクシィを読んで思った。
(んなアホな)


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