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5月17日(木)わたしにとっての「書く」は、知るための手段

長い連休があけて仕事始めの木曜日。これからいよいよ業務らしい業務が始まる。わたしはカンボジアのことをもっと知るためにインターンしたいと思って、だからこの会社ではメディア事業に関わって、そして7か月のうちには自分で英語で取材に行って記事を書けるようになると目標を決めた。そして実際、自分の興味やこれまでの経歴から、まずはウェブ関係でメディア事業の仕事ができることになった。

こういうことに取り組んでいると、よく「将来は出版とかマスコミに興味あり?」と聞かれるのだけど、たしかに興味はある、だけどそういう会社に入りたいか? と言われるとなんだかしっくりこない。

大学の講義でジャーナリズムやマスコミ関係のものをいくつか受講もしたけれど、仕事にするのはなんだかやっぱりしっくりこないと思った。

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考えてみると、わたしは「書きたい」から書いているわけではない。そこにある感情でいちばん近いのは、「知りたい」だ。「知らせたい」が先行することもあるけど、やっぱり自分の「知りたい」が中心のことのほうが多いと思う。カンボジアのことを知るために取材というチャンスを得たいし、このnoteも自分の考えや感情を知るため。(もちろんできれば見てほしいので読みやすくするための努力は最大限するが)

そして正直文章を書いている間は苦しくて仕方がない。細かい部分が気になってしまうので1,000文字程度の文章に5時間かかることもある。練習不足もあるが、あまりにもコストが大きい。

まあ、これも全部やってみなければわからなかったことだ。「やりたいことがわからない」「好きなことを仕事にしてもいいのか」って悩んでいたし今も迷っていることはあるけど、前者に関してはやってみるまでなにが楽しいのかどうかなんてわからないし、好きなことを仕事にしてダメだなって思ったらたぶんダメなんだろう。

特にわたしはシミュレーションを頭の中でしすぎるくらいして行動が伴わないタイプの人間なのだけど、上のような相談を何人かのオトナにぶつけたり本を読んだりしてたら、誰が言うにも「いま近くにあって頑張れることに力を注いでみる」「やってみないと向いてるかどうかなんてわからない」ってことらしかった。

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それでわたしもその時にできることを頑張ってみて、ちょっとでも面白そうと思ったことに首を突っ込んできたら、こんな感じになっていた。SNSの人、文章を書く人、みたいなイメージで情報が集まるし、やりたいこともいくつかできてきた。

まあ、ということで、わたしは書くということだったりを自分の目的に沿って自由に使えるなら仕事にしてもいい思っている。とすると、それで就職先を選ぶというのに引っかかってるのだろう。

だから、「将来は出版とかマスコミに興味あり?」という答えに上記の理由では不十分で、これらを「仕事にしたくない」というよりは「入りたい企業がない」というのがより近いのかな、とも思った。

もしいただけるなら......都心までの交通費にさせてください......