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読書記録、番外編

前に職場でランチにみんなで雑談していたときのこと。
「それとこれとは別の話ですが」と言いたい場面で、ふとうまいこと言いたくなってしまって、

「かちかち山のうさぎはかちかち山のうさぎだよ、ってやつですね」

と言ったら、場がシン……となったんです。
私は焦り、

「あ、いまのはほら、かちかち山って、うさぎがそういうこと言うじゃないですか。なので『それはそれ、これはこれ』みたいな意味で言ったんですけど」

と至急自分で解説をいれたのですが、なぜかその場はさらに「???」という空気に。

「いやごめん、なに言ってるか一個もわからん。そもそもかちかち山って、そんな話だっけ?」

と先輩が言って、今度は私がびっくりしました。かちかち山ってけっこうメジャーな話だと思っていたんですが、ちがうんでしょうか。

私のなかでは「かちかち山」はかなり印象の強いむかし話です。それこそふと会話で引用しちゃう程度には馴染み深い。(使い方はおおいに間違えましたが)

どうして印象に残るかと言うと、話が惨酷だからだと思います。

おおまかには悪い狸をうさぎがこらしめる、という流れですが、まずこの狸がむかし話界隈でもまれにみるような極悪非道。序盤でおばあさんをころしてしまいます。

この描写は絵本によって強弱があって、ころさずに怪我をさせただけにするパターンも見たことがあるのですが、たぶん本来の話でいうと、狸はころすばかりでなく「ばばあ汁」なるものをつくりおじいさんに食わせるのです。

ここのインパクトが、子どもにはちょっと強すぎるんですよね。

そんな「かちかち山」の話をどうしていましているかというと、先日我が子が学校で借りてきたからです。

わー久々に私も読みたい! と表紙を見てハッとする。

轟轟と燃える狸

これは……「ばばあ汁」がでるバージョンじゃなかろうか。

地獄の業火を背負っているかのような狸。このおどろおどろしさは絶対にそうだ。

覚悟を決めて読みだしたら、しょっぱなから狸は農作物を食い荒らす非道ぶりを見せます。そしておばあさんをころすものの、意外にもばばあ汁にはしませんでした。

ばばあ汁がなかったことで拍子抜けというか安心した気持ちになって読んでいると、これがとても良い文章の連続なんです。

うさぎの登場の様子。

うさぎが ちょこたり ちょこたり やってきたそうな。

「ちょこたり」という擬音、うさぎの歩き方の癖や可愛らしさをぴったり表していると思います。(「り」の部分が特に良い)

私がランチで引用してシン……となった部分も、

「はて たぬきどんは なに おこっている。かややまの うさぎは かややまの うさぎ。とうがらしやまの うさぎが なに しるべさ。」

記憶とは多少ちがっていたけど、きちんとありました。

さて読んでいて思ったんですが、狸は前半で極悪非道なふるまいを見せるのですが、後半ではうさぎに騙されてちょっと不憫にみえてしまうのです。

というのも狸、うさぎの言うことをよく聞いて信じてくれる。

たぬきは なるほどと だまされて、
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たぬきは また、はあて そうかなと だまされて、

こうして疑わない狸へ、うさぎの復讐は容赦がありません。

絵本には文の作者の『松谷みよ子』さんのあとがきがついていたのですが、うさぎの復讐の凄まじさについてこう書かれていました。

原始的なバイオリティとでもいいましょうか、よけいな理屈はないのです。どこまでも執拗にたぬきにせまっていく激しさです。

あとがきによると「かちかち山」は前半と後半はもとは異なる話だったという説があるそうです。たしかに前半と後半は雰囲気が違います。

もしも前半の部分がなく、うさぎが狸を追い詰める後半の部分だけだったとしたら、悪いのは完全にうさぎなのです。前半の身の毛もよだつ非道があるからこそ、うさぎの行いがギリギリ正当化されるというくらい。

この正義と悪が絶妙に拮抗する感覚は、ヒリヒリとした魅力になる気がします。

「ばばあ汁」についても松谷さんは言及していて、意図的に外したと書かれていました。

民話のなかの惨酷性については、さまざまの意見があり、わたしはむやみにそのくだりを書きかえたり、あまくする必要はない、むしろそのこと自体がまちがっていると思うのですが、かちかち山では、おばあさんがたぬきによって打ちころされたということだけでよいのではないかと思ったのです。

この部分、ほんとうに私も同意見で、最後に読んだときに感慨深い気持ちになりました。けして安易に外されたわけではなかったのです。

あとがきまで含めて大変良くてしみじみと面白いなぁと思える本でした。
絵本も、いいですね。

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