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元々は貿易会社社長のヨガレジェンド。ケン・ハラクマさんが語る、日本でどうヨガを広めたか

マインドフルネスを体現している、心豊かな人生を送っている方からまなぶシリーズ第四弾。

今回は日本でヨガを広めたレジェンドとして知られているケン・ハラクマさん(以後、ケンさん)。

元々は、貿易会社の経営者をしていて、ヨガとも縁のなかったケンさんが、35歳の時に、ヨガに衝撃を受けて、インターナショナル・ヨガ・センター(IYC)を都内に設立。その後、日本各地でヨガを教えて、日本でヨガを広めた第一人者として知られるケンさん。

このnoteを読めば、日本でどうヨガが広まったのかも分かる。ケンさんのヨガとの出会い、ヨガをどう日本で広めたのか、についてお話を伺ってきました。

プロフィール
ケン・ハラクマ
東京生まれ。大学卒業後に渡米し、カリフォルニアや台湾で過ごした後、貿易会社を経営、世界中を飛び回る生活を送る。その後、インターナショナルヨガセンター(IYC)を立ち上げ、アシュタンガヨガを中心に国内外にて幅広いヨガの指導とワークショップを行うほか、合宿・指導者養成など、ヨガの普及活動につとめている。

左:ケン・ハラクマさん、右:箕浦(弊社代表)


箕浦
 はじめまして、本日楽しみにしておりました。よろしくお願い致します!

ヨガとは縁のなかった青年・社会人の時代

箕浦 ケンさんといえば、ヨガを日本で広めたレジェンドですが、どのようにヨガをはじめられたか教えて頂いてもよろしいでしょうか?

ケンさん ヨガをはじめたのは、もう30年前になるのですが、それまではヨガとは縁のない生活を送っていました。

箕浦 ヨガをはじめる前は何をされていたのですか?

ケンさん 社会人になるまでは、大学まで東京で育って、卒業後は、ロサンゼルスでビジネスカレッジに通ったり、台湾に中国語を習いに台湾師範大学に行ったり、現地の貿易会社のお手伝いなどもしながら、ビジネスについて勉強していました。

そのあとは貿易会社で働いたりしながら、30歳の頃に、父親が貿易の会社を経営していたので、引き継ぎました。

その時代は、日米間やアジアでのモノの動きが激しかったこともあり、仕事がすごく順調にいって、多いときで月に20回ぐらい、台湾・中国・シンガポール、米ロサンゼルスなどに飛んで、仕事をしていました。

ロサンゼルスに留学していた頃のケンさん

箕浦 ビジネスを中心とした生活をされていたわけですね。

ケンさん はい、30歳から35歳までは、めちゃくちゃ働いていました。ずっと海外を飛び回って、貿易の仕事でモノを出し入れして。また、趣味のサーフィンや乗馬も仕事の合間で楽しんだり。かなりアクティブに生活していました。

ただ、忙しい生活が5年間続いて、疲れてしまいました。その頃に、ずっとこのままいくと自分はどうなるんだろうと、疑問が湧いてきました。

ケン・ハラクマさん、ついにヨガと出会う

箕浦 休むこともなく、常に動いていて、疲れてしまったわけですね。

ケンさん はい。丁度、そうやって自分の人生についてこのままでいいのかと振り返っていた時に、ヨガと出会いました。

あるきっかけで、アメリカ人の弁護士の方の奥さんがヨガの先生で、彼らが日本にきた時に、ヨガのプライベートレッスンを受けることになりました。

箕浦 そこではじめてヨガと出会ったわけですね。最初はヨガにどういった印象を受けたのですか?

ケンさん その頃はサーフィンや乗馬とかで体をよく動かしてはいたものの、柔軟性が全くなくて、ヨガのポーズ自体がとても苦しく感じました。なんでこんな苦しいことやっているんだろうとさえ、ヨガをしている最中に感じました。

ヨガのポーズの時に、呼吸をしろとか言われるけども、それさえきつくて全く出来ないのです。

まだヨガに出会っておらず、旅によく出て北極点遠征などに行かれていた時のケンさん

箕浦 意外です。最初からヨガとすごく相性が良かったのかなと、勝手ながら想像していました。

ケンさん 苦しいなと感じたものの、ヨガのクラスで、最後にシャヴァーサナといって、寝ながら力を抜いて呼吸を繰り返すポーズがよくあると思いますが、それを最後にした瞬間に、意識がスポーンってなくなったんですよね。

そして意識がまた目覚めた時には、寝起きとは全く違う、本当に頭が休まったような爽快感を感じました。たぶん5分くらいしか横になっていませんでしたが、今まで趣味のスポーツとか、何をしても取れなかった疲れが、取れた気がして衝撃を受けました。

箕浦 ついに、自分が本当に休まる方法として、ヨガの良さを知ったわけですね。

ケンさん はい。ただ、当時は今でいうヨガスタジオはありませんでした。ヨガ道場と呼ばれる場所はあったのですが、師匠がいて信者さんがいてというような、閉鎖的なものしかなく。今のような気軽にライフスタイルとして通えるような場所は皆無でした。

ただ、最初にレッスンを受けたアメリカ人の先生から学べる場所が欲しかったので、それなら自分で作ってしまおうと思って、ヨガスタジオを作りました。それが、インターナショナル・ヨガ・センターの始まりです(通称IYC。ケンさんが現在も経営するヨガスタジオ)。


日本にヨガの文化がないところからの始まり

箕浦 ヨガスタジオの立ち上げは当時どうでしたか?

ケンさん ちょうど30年前くらいになりますが、都内の荻窪につくりました。ただ、作ってから半年足らずにオウム真理教のサリン事件が起きて、”ヨガ・瞑想はカルトで危ない”と世の中から認識され、ヨガ道場と呼ばれていたものは、ほとんど潰れていった時代でした。

そんな逆風の中でも、IYC(ケンさん経営のヨガスタジオ)は、レッスンも英語でおこない、インターナショナルな雰囲気で、ニューヨーク・ロサンゼルスで流行っていたアクティブなスタイルのヨガのレッスンを提供し続けました。

箕浦 当時はどのような方がレッスンを受けにこられていましたか?

ケンさん 東京に住んでいる外国人の方だったり、英語がわかる日本人女性のOLの方が、通われていました。

今では色々なスタジオがやっていますが、週末に色んな先生をお呼びして、ヨガや瞑想のワークショップの開催とかも、当時からやっていました。

箕浦 今のヨガスタジオの基本の型を作られてきたのですね。先生含めて、ヨガをするコミュニティはどうやって広げて行かれたのですか?

ケンさん アメリカ人の先生から習いだして、しばらくしてから自分でも教えはじめました。

また、「ヨガジャーナル」という日本でも発行されているヨガの雑誌がありますが、そこのアメリカ本社主催の「ヨガカンファレンス」という、米サンフランシスコで開催されていた大きなヨガのイベントに、アメリカ人の先生に誘われて参加しました。

そこで海外の有名な先生を紹介してもらって、その方々を日本にお呼びしてワークショップを企画するようになりました。

日本でもヨガをしている人は全国にいたので、口コミで、広告宣伝費もかけずに、日本全国からヨガをする人たちが自然とIYC(ケンさん経営のヨガスタジオ)に集まってくるようになりました。

箕浦 ヨガスタジオとか今のように当たり前でない時代に、少しずつ海外の先生とかも呼んで、ヨガを教えていたのですね。

ケンさん 毎月、ワークショップとともに、みんなで食べ物やドリンクをスタジオに持ち寄ってパーティーをしたり。私自身も、調理の免許を持っているのでローフードを作って提供したりして。

教える場所や機会を提供するだけでなく、ヨガをする人のコミュニティもそうやって少しずつ広げていきました。

ライフスタイルとしてのヨガ

箕浦 なるほど。ケンさんのスタジオを中心に、まずは都内でそういったコミュニティが少しずつ出来上がってきたと。その後は、どのように全国的に広めていかれたのですか?

ケンさん まず、スポーツウェアで有名な会社が、”Slow Flow(スロー・フロー)”というヨガのウェアブランドを日本で立ち上げようとしました。

そこが、青山のベルコモンズという当時有名な商業ビルに、アパレルショップを併設したヨガスタジオを作りました。

まだ、ヨガウェアというものがなく、ジャージとかレオタードでヨガのレッスンに皆さん通われていた時代です。

箕浦 今だとヨガウェアは当たり前ですが、当時はそのブランドが日本ではじめてだったのですね。

ケンさん はい。そこのスタジオのプログラム運営を全部請け負っていました。

そして、ブランドを広めるために、名古屋、大阪、福岡など、全国各地のデパートで、新規の店舗をオープンしたり、屋上やイベントホールなどでイベントを企画したりで、私が毎月一回くらい全国各地を訪れて、ヨガを教えるということをやっていました。

より多くの人がヨガを体験できるようにワークショップなどを企画

箕浦 面白いですね。ライフスタイルとして定着させていくために、アパレルも展開してという。

ケンさん はい。ただ、ヨガをしにお客さんがきても、当時はウェア自体はあまり売れなかったんですよ。まだ早すぎたみたいで。

でも、ライフスタイルとしてのヨガというイメージで、より多くの方がイベントに来てくれましたし、10年くらいそういった全国各地でのイベントの活動をしていましたが、その間に確実にヨガは普及していきました。

そうして、この後に、ヨガスタジオも全国各地で出来てくるようになりました。

箕浦 それが今からだいたい20年くらい前ですかね、やっとここから広まっていくわけですね。

ケンさん そのあとは、「ヨガフェスタ」という3日間で5万人が集まるアジアでも最大規模のヨガイベントの日本での立ち上げに関わりました。「YOGA WORKS(ヨガワークス)」というヨガブランドの社長をやっている綿本哲さんと、その弟の綿本彰さんとはじめました。

その頃、スポーツジムでもダイエット・美容を目的としたアクティブな運動として、ヨガのクラスが提供されるようになり、そこから一気にヨガが広まっていったような気がします。

東京ドームでの大規模なイベントも開催

箕浦 なるほど。そうやって、より広くヨガがライフスタイルとして定着されるようになっていたのですね。

ケンさん はい。今も増え続けていますが、10年前頃が、ヨガ人口が最も増えていたピークでしょうか。最近は、アクティブなものだけでなく、メディテーションなども取り入れた落ち着いたスタイルも合わせて広がってきているのが、ヨガの最新動向といったところでしょうか。

今までに1万人以上の先生を輩出

箕浦 IYC(ケンさん経営のヨガスタジオ)は、今では都内に5箇所あるのですね。

ケンさん はい、荻窪に最初作ったのが、今では表参道、世田谷、神保町、九段下にもあります。

先生は60人くらいいて、コロナを機に早い段階からオンラインでも配信していたりするのですが、オンラインとリアルを合わせて、月に1,000ものクラスを提供しています。

箕浦 月に1,000クラス合わせて提供しているのは、すごいですね。どうやって管理しているのですか?

IYCのレッスンスケジュール(左がオンライン1週間分、右が荻窪スタジオの一ヶ月分。スタジオは5つあり、月に合わせて1,000クラスが提供されている)

ケンさん 各先生からは、何かある時は相談してもらっていますが、先生たちにポーズやクラスの日時まで、基本的にお任せしています。

アシュタンガヨガをメインに、陰ヨガやハタヨガなどさまざまなヨガのスタイルのクラスを開催しています。

箕浦 通常のレッスンだけではなく、講師養成の講座などもされていますよね?

ケンさん IYC(ケンさん経営のヨガスタジオ)の先生は、養成講座を卒業した方達が教えています。

地方に戻ってヨガスタジオも開かれる方などもいて、地方に行った際にはIYCでなくとも、お手伝いしていたりもします。

今までに養成講座だけで、1万人くらい先生をこれまでに輩出しています。

箕浦 1万人以上の先生ってすごいですね。30年間の積み重ねが今のヨガの広がりに繋がっているのですね。

神宮球場での大規模なイベント

ケンさん自体はどのようにヨガを深めていったのか

箕浦 今度は、ケンさん自身がどうヨガを深めていったかについてお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?

ケンさん 35歳の時にヨガを初めた時に、仕事については40で引退しようとふと思いました。

5年くらいかけて徐々に貿易の仕事も少なくして、20人くらいいた会社も整理をして、40歳の時にはヨガ中心の生活になるようシフトしていきました。

箕浦 なるほど。ケンさん自体はいつから教えるようになったんですか?

ケンさん 最初に習っていたアメリカ人の先生に、1年くらいした時に教えて良いですよ、と言われて、それからですかね。

アメリカの先生は3年で帰ってしまって、それからは自分一人で練習を続けながらわかる範囲で教えていましたが、それだと広がっていかないので、生徒で通っていた人にも、とにかく太陽礼拝でもいいから周りに教えてあげてと、教える人を育てていく、後押しするということをしていました。

箕浦 完璧になってからでないと教えないとダメだと思ってしまいがちですが、教えるところから学ぶこともあるでしょうし、素敵ですね。

ケンさん 自分でもヨガをより勉強するために、アメリカの先生が帰ってからは、アシュタンガヨガの総本山であるインドのマイソールに10年間くらい通っていました。

インドにもよくヨガの修行に行かれていた時のケンさん

箕浦 行く時はどのくらいの期間、行かれるのですか?

ケンさん 年に1,2回くらい、短い時で1ヶ月、長い時で2,3ヶ月くらいですかね。毎朝練習をして、時間が空いた時には本読んだり、瞑想をしたりという生活を送っていました。

時々、ネパールにも行って、ヒマラヤを見ながら瞑想をしたり。行っている間は、自分の代わりに、他の先生にIYC(ケンさん経営のヨガスタジオ)で教えてもらっていました。

自分に嘘をつかず誠実にいれるのがヨガ

箕浦 最後に、ケンさんはヨガをはじめて、ヨガのどういうところが一番好きか教えてもらってもいいですか?

ケンさん 嘘をつかずに、自分に正直にいられるというところでしょうか。

箕浦 嘘をつかず、正直というのはどういった意味でしょうか?

ケンさん 例えば、貿易の仕事でビジネスをしているときは、どうしても少しは嘘をついているという感覚がありました。

値切ろうとしてくる人に”これは価値が高い商品なんだ”と少し無理をして説明したり、売る商品に少し欠点があっても言えないとか。

そういうのに疲れていた時に、ありのままの自分を受け入れるというヨガの考えを知って、こんな生き方があるんだと感銘を受けました。

箕浦 ビジネスで嘘をつくということに疲れていたわけですね。

ケンさん はい。みんな、本音と建前の中で生きていると思います。ただ、ヨガを習いにくる方達は、建前とか関係なく、ヨガをやっている時はありのままに楽でいれるので、また来たいという方が多いです。

伝えている自分も、思ったことを素直に教えているので、嘘をつく必要もなく、それが楽しくて続けてきました。

箕浦 ヨガは、ありのままの自分でいられる時間でもあるのですね。

ケンさん ビジネスのためではなく、好きなことをやってて、その結果、周りも穏やかになって健康になるのが、すごいいいことだなと思っていて、仕事だと思ってやっていません。

売り上げとかビジネスの目標設定を立てたことはないですし、明日スタジオがなくなったとしても、どこかで教え続けられたらいいなという感覚でやっています。

箕浦 素敵ですね、自分も実はそういう風に生きることができたらいいなと思っています。

ケンさん 貿易の仕事をやっているときも、実は勝ち負けとか争うのが好きでありませんでした。売る側と買う側が両方ともハッピーになるようつなげるということを意識していました。

ヨガは心と体をつなげるのを呼吸やポーズを通して上手くやるという考えですが、異なるものを上手くつなげるという点で、貿易とコンセプトが同じだなとも感じます。

人生でやってきたことはずっと同じなのかもしれません。

箕浦 貿易をやられていた時から、ヨガと出会う運命にあったのかもしれないですね。今後も、ビジネスや日常生活の中で生きづらいなと感じる方に、どんどんヨガやマインドフルネスを、ケンさんにつなげていって頂きたいです。

「ケンさん、お話しさせていただけて楽しかったです。今後のご活動も楽しみにしています!」

対談を終えて

ケンさんが、ビジネスではなく、ただ好きなことをやられていて、その結果ヨガが少しずつ広まっていたこと。また、習っている方達に早い段階で周りに教えるということを後押ししていったこと。

この辺り、今後、マインドフルネス・メディテーションを少しでも知ってもらうためには大切なのかなと感じました。

マインドフルネス・メディテーションを広められたらいいなという想いはありますが、自分も目標は立てずに、ケンさんのように、好きなことの延長で、色々と面白いことを試していって、その結果として自然とそうなればいいなと感じました。

代表取締役(箕浦 慶)プロフィール
オーストラリア・パース生まれ。2015年に東京大学工学部を卒業、チームラボに入社。2016年までスマートフォンアプリのエンジニアとして開発業務に従事。2017年に米Bain&Company(戦略コンサルティングファーム、東京支社)に転職し、経営戦略の立案に従事。2021年にUpmind株式会社を設立。瞑想歴はゴア(インド)で体験してから10年以上。

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