30歳女の恋愛感情に蓋をした理由
恋愛感情がわかなくなってしまったことを人に話していた時、「"好き"の副産物のネガティブ要素」が関係している可能性が浮上した。
それを受け、恋愛感情を抑制しているネガティブ要素の「副産物」についてじっくり考えることにした。
・副産物①好きでいると嫌われる
私の母は感情の激しい人だった。激高したり優しかったり気まぐれだった。
さっきまで楽しく話をしていたのに、急に怒って過去のことを蒸し返されて叱責される。母は急変する空模様のようで読めなくて恐かった。そんな母のことを「母」と思えないこともしばしばあった。
一方で父は、ずっと「父」だった。世界中の人が私のことを嫌いになっても父は味方でいてくれるような、絶対的な安心感がある。
父は、デリカシーはないし、人の話は聞いてないし、自画自賛するし、おやじギャグがうっとうしいし、何かにつけて私をからかうけど、私を大切に想ってくれていたし、大切に育ててもらった。私はそんな父を尊敬しているし、大好きだ。
私と父、母の間に大きな溝ができたきっかけがある。
祖母が数年前に亡くなり、母の精神が不安定になった時期がある。家事をしてくれていた祖母に代わり、晩ごはんは私が作ることにした。
料理は慣れなくて、最初は微妙な出来上がりになることが多かった。
母は、私の料理が気に入らないと私を叱責した。関係ない過去のことまで蒸し返され1時間以上叱責されたこともある。
私はある日限界をむかえ、母に感情をあらわにして言い返した。
「もうお母さんには二度と作らん!」
その日から私は、私と父の二人分の晩ごはんしか用意しなくなった。
私と父、母といった感じで別れて生活していた。シェアハウスのようだった。
顔を合わせれば母にまた叱責されると思って、徹底的に避けた。
母から隠れるように父と接していた。
私が父と仲良くしていることを、母は面白く思わないからだ。母は母で、父を好きだったと思うから。
母が私を「女」として敵視しているように感じることもあった。
そんな時の母は、私のことが本当に邪魔で仕方がないといった「目」をしていた。娘に向けるものでは、とてもなかった。
あの「目」を向けられるたびに、母の目の前から早く消えてあげなければと思っていた。
父を大好きなことが、ずっと母に後ろめたかった。
母に嫌われていることが、母を嫌いでいることが、母を避けなければいけないことが、辛かった。
「父を好きでいると母に嫌われる」
これが刷り込みのようになってしまい、恋愛感情を抑制する原因の1つとなっている。
・副産物②母のようになりたくない
ヒステリーを起こす母の姿が、未来の私かもしれないとゾッとすることがあった。
母は更年期障害の影響で感情をコントロールできず、元々感情の激しい方だったため、ヒステリーを起こすと大変だった。とりわけ父によく激高していた。父は、母からの理不尽な長時間に渡る叱責に手もあげず、言い返さず、じっと耐えていた。
父に、どうして耐えられたのか尋ねたことがある。
「お前がいなかったらとっくに出て行ってる。」と、父は言った。
その後私は実家を出て、今は父と母の二人になったが、父は母を置いて出て行かない。母を好きだった昔の記憶が、父を繋ぎとめるのだろうか。
父は母を捨てきれないと言う。
好き同士結ばれて結婚した末路がこれなのか。
私は母の子なんだな、と実感することがある。怒りに支配され、母のように感情をあらわにしてしまいそうになることがある。
好きな人が出来ても、コントロールできない激しい感情で傷つけるかもしれない。結婚しても父と母のような末路になるかもしれない。子どもができても、母にされたように子どもを傷つけるかもしれない。周りの人を不幸にするかもしれない。
恋愛感情を抱くと「女」に近づいてしまう。
そして「女」に近づくほど、私は母のようになってしまうかもしれない。
気が付けば髪形や服装も「女」からは遠ざかっている。
私は「女」になるのが恐い。
これが恋愛感情を抑制するものの、2つ目の正体だ。
・副産物③性交渉
性交渉は私を「女」と決定づける行為だと思う。
前述のとおり「女」になりたくない私にとって、とてつもなく恐怖を感じる。
実体験に基づかないが、恐らく恋愛に始まり、交際に至り、そこに性交渉も含まれることが一般的なのだと思っている。
つまり、交際には性交渉が付き物だと認識している。
これまでに誰かと恋愛や交際に発展しそうな機会はあった。
「男性」とこまめに連絡を取る、会う。そういった目を向けられる。自分が「女」だと認識されている。その度に強烈な嫌悪感があった。
自分の性別がそれで決定されてしまうことが嫌だった。
だから誰とも交際しなかった。
恋愛感情を抑制するには十分すぎる原因だと思う。
・男にもなれなければ、女でいたくもない
私が2歳くらいの時、兄と風呂に入っていた際に自分に男性器がないことに衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。
成長するにつれ自分が「女」だと認識させられる度に嫌な気持ちになっていた。「男」に生まれていたらどうなっていたかなと、未だに想像してしまう。
自分の性別に納得がいかないとかではない。自分の性別は女だ。でも、それで良かったかと自分に問うと、はっきり答えが見つからない。
男にもなれなければ、女でいたくもない。
中間があるならそれでいたい。
ところで、自分は以前にこんなことを書いている。
恋愛感情に蓋をしたのは「母のようになりたくない」という潜在的な恐怖を基に、自分が「女」に近づくことを拒絶した結果なのだと思う。
では、その上でどうするか。
やっぱり恋愛は気が進まない。どうしても億劫だ。それが正直な気持ちだ。
学生の頃は人を好きになれていたと思っていたが、やっぱりそうでもなかったような気がしている。結局「好きな人」とはほとんど接してこなかった。関係を深めようともしなかった。いつも妄想で終わっていた。現実にちゃんと人を好きになったことは、実は一度もなかったかもしれない。
人とちゃんと向き合えない自分の余裕のなさ、未熟さ。恋愛をしようと思うと越えなければならないハードルがたくさんあると感じるし、頑張って乗り越えよう!みたいな意気込みもない。
世間の大多数の人はこんなに難しいことを普通にできていて不思議だ。普通にできたら、楽しいことだったんだろうか。
ここまで長々と語っておきながら、何かに言い訳をしているのではないか、簡単な問題を複雑にして悦に入ってるのではないか、自分を疑わずにはいられない。
いつかこんな考えが覆ってしまうような出会いがあるのだろうか。
そんなあるかもわからない奇跡をまた妄想しながら。
「素敵な出会いがあるといいな」
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