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死にたいっていうのは死に祈りを捧げてるだけかもしれない

こんにちウ~!
私も、まあかなり明るく振舞ってはいるが、時には将来の不安や現状を見つめて、死を考えたりもしみるのだが、みなさんはどうか?

死ぬのは難しい!とにかく今の日本は、戦争もないし、飢餓もないし、とにかく人間を生かして生かして死なないように、ギリギリ搾取するシステムに特化している。
お腹がすいたら、狩りに行き、食べ物を食べて、寝るという時代だったら、どれほど楽だったか。まあ、その場合ウみたいなのは飢死してたかもしれないが……。

今の時代はインターネットで全ての人間が繋がって、彼らの生活の殆どを覗いて疑似体験出来るようになってしまった。それは、絶対的な幸福そのものが、失われた事に尽きる。例えば、小学生なら足が速い奴が一番凄いしモテるのだからシンプルだ。足が速くなるように鍛えればいい。マンモスを狩ってた時代もシンプルだ。一番でかい獲物を狩ればいい。

港区女子は素晴らしい。金持ちでリッチな男を探し求める彼女達は、縄文時代から続く人間の真理をついている。強い遺伝子を追い求める生き方は、シンプルだからいい。

とにかく、今は多様性の時代だ。誰もがそれぞれの生き方をしても素晴らしいなんて言われてしまう。本当はこれは資本主義に限界が来ていて、新しい産業を産むために言ってるだけじゃないかと思う。SDGsも同様に、新しいルールを作ってしまえば、そのルールに最初からいる人間が得をするから、彼らは協力しているだけに過ぎないんじゃないか。そしてルールに違反するものは排除していく、と。
ゲームの環境や調整のアップデートが入ったようなもんで、別に平等なんてものではない。

最近は小学生のなりたい職業ランキングにyoutuberが入るが、youtuberになりたくない小学生は汚れている。親に騙されている。後悔する事になる。我々はyoutuberになれないから仕方なく働いてるだけに過ぎない。仕事終わりに、90%の人間がyoutuberを見ているのに。労働者になって日本のしょぼい企業で働いて賃金を搾取されるより、youtuberとしてGoogleに金を搾取されて活動してお金を稼ぐ方がいいに決まっている。一目瞭然だ。私達大人は嘘をついている。フルタイムの労働がいかにクソかをちゃんと伝えるべきだ。

結局何が言いたいか、というと価値観は時代によって変わってくるという単純な話です。そしてユートピアは絶対に訪れないということですね。
だからこそ、みんな"死"という絶対的に平等に誰もが訪れものを信仰している。死にたい死にたいというメッセージは、本質的には"死"という平等で不変的な概念に対する祈りなのだと思う。
二次元のイラストの美少女や美少年も同様だ。彼らは向こうから私達に話しかけてくることがない死体だから、信仰の対象になっている。二次元のイラストは、どんなに見た目が悪くて金がなくて性格が悪くて倫理がなくて能力がなくても、平等に微笑むから。

マンモスを狩ってた時代にようにシンプルに考えればいい。今の時代は自分から、死ににいかないと、めったに死なない。死に向かって時間だけがゆったりと流れるだけ。そう考えると、くだらない悩みは減っていく。
他人にどう思われるとどうかか、社会でどう思われてるかとか、無駄な悩みとしか思えない。そいつに嫌われた所で死なないし、殺してもくれないんだろうな、としか思わない。親は究極的に言うと愛情なんてなくて、「子供に死んで欲しくない」という気持ちがあるだけだ。

私の中にあるのは究極的に我儘なエゴだけだ。ウは自分の事が、とっても、大好き……。


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