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ニートが親戚の集まり行ってきた

中学生の頃に学校でいじめられたいな、と思ったことがある。その願いは達成されてしまったのだが、絶望感と同時に少しだけ私は嬉しくなってしまった。ようやくみんなに理解される不幸が訪れたって。

そうして、私は段々と不幸の道を転がり落ちていった。高校を一年で退学した後は、バイトを始めたり辞めたりを繰り返してニートになった。
ニートの多くはは世の中を恨んだりするんだろうか。でも何故か、私はどこか心の隅でこのことを望んでいたかのように思ったのである。
インターネットにはたくさんのニートがいて、その一員であることが社会のどの場所にいるよりも、心地がよかったからである。
中学生の時にいじめられる事を願った時のように、私はニートになる前からニートになることを望んでいたような気さえするのです。

元旦なので親戚の集まりに行った。毎年、祖母の家に集まって、みんなで食事をするのだけど、私がニートなことには誰一人として触れない。
むかしは小さかった従妹は私の身長を抜かして高校生や大学生になり、部活や恋人を作ったりして青春を満喫しているらしい。彼等の模範的な学生の姿は、祖母からみても"理想的なの孫の成長"そのものだったであろう。
私は、精神的な病気の人と思われるのが嫌なので、人前では明るく振る舞う。実際に明るく見えるかは分からないが……。
テーブルをみんなで囲んで夕食を過ごした。こんなことを言っては悪いが、大人数で集まって食べる食事ってクソつまんね~と思った。お寿司とおせちを食べたけど、インターネットを見ながら一人で食べてる半額のパンのがよっぽど楽しい。

夕食が終わると部屋の隅っこの方で読書をしていた。ここまで気分が乗らないと、途中までは面白かった本までつまらなくなってくる。そういう時は、アマゾンで星1のレビューを見る。そうすると、この本の事を全部信じなくてもいいんだ!と嬉しくなるんですよね。
この世界には、どれだけ素晴らしいものにも、とても醜いものにも、2通りの評価がある。だからこそ救いなんだと思った。

子供が2人いるおじさんが、親戚に子供みたいだね~といじられていた。どう考えても本当に子供なのは、子供部屋でニートをしている私の方なのにね。
ああこの感情は、教室で自分がいじめの対象にならないかなって思っていた中学生の頃の私と一緒だ、と思った。



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