右手中指の骨折から得たもの #やってみた大賞
1、はじめに
「右手中指の骨折をやってみました!」という思い切りのある企画ではありません。そこまで、思い切りのあることをすることはできません。正確には、利き手のセンター指を骨折して使えなくなったので、「左利きの生活をやってみました!」です。
2、怪我の経緯
結論からお話すると、私は右手中指の骨折、息子は下唇がぱっくり切れ、前歯を2本無くしました。血だらけの息子に焦った私は、止血することで精一杯でどうすることもできませんでした。そのときに自分の手が折れていることすら気付きませんでした。私の不注意・・・防ぐことができた怪我でした。もう怪我をしてから3週間ほど経ちますが、今でも鮮明にそのときの記憶が蘇ってきます。
3、左手の生活がスタート
私は、小学校の教師なので、利き手を使う場面が結構あります。いやむしろ、ほとんどです。左手メインの生活になって、今までのペースで仕事が進められなくて苦しいときがありました。ただ、得るものも本当に多かったです。
この経験から学んだことは、「失うことで、得るものもある」ということでした。そんな私の経験を話させていただきます。
4、うまく操れない左手と向き合う
私は、高校まで野球をやっていたので、左手とは結構向き合ってきたつもりです。投手だったので、左手をどうやって使って体のねじれやキレを生み出すかを考えたり、バットを振る(右打ち)ときに左手の重要性は散々コーチから言われていましたので、しっかりと向き合ってきました。しかし、箸とペンは別物でした。特に「箸」は本当に難しかったです。
5、箸の苦戦と逆流性食道炎
食事のときに麺類は、うなぎのようにすり抜けて私から抜け出していきます。自分の受け持っているクラスの子が「先生、給食室からフォークもらってきましょうか。」と言ってくれるほどでした。
「ありがとう!でも、左手を上手に使えるようになりたいから頑張るね!」といって、挑戦し続けました。
私は、6年前からコーヒーの飲み過ぎと早食い+母親をガンで亡くしたときのストレスで逆流生食道炎を患っています。治療法としては、ゆっくり食事をして胃に負担をかけないことです。そのため、ゆっくり食べることができてよかったです。
ゆっくり食べることが大切なのはわかっていることなのですが、職業柄早食いになってしまうのです。早く食べて、残っている仕事を終わらせたいと思って過ごしていたら習慣になり、抜け出せなくなりました。ゆっくり食べようとしても、すぐに喉の方にいってしまうのです。でも、左手の箸はうまく掴めない+少量のため自然とゆっくり食べることができました。この3週間はゆっくり食べることができました。
6、おとなしい子とのドンじゃんけんぽん
休み時間には外に遊びに出て、おにごっこ・バスケ・一輪車や竹馬など様々な遊びをして子供たちと過ごしていますが、さすがに手が痛いので教室で過ごしていました。いつも外に遊びに行っているので、休み時間中の教室の様子はあまり知りませんでした。教室にいると、大富豪や人狼ゲームに誘われて楽しく過ごすことができました。
そんなときに、「先生、ドンじゃんけんぽん一緒にしてください!」といつも外遊びを一緒にしているおとなしめな子に言われました。(ちなみに高学年です。笑)
私:「いいけど、先生右手痛いから左手だけでいい?あと、一個突っ込んでもいいかな。手を怪我している人に誘う遊びの内容ではないだろうー!!笑」
誘った子:「たしかにそうでした!でもやってほしいです!」
周りにいた子は笑顔になっていました。
チャンスを伺って、勇気を出して誘ったんだろうなぁと思うと、とてもかわいく思えてきました。ちなみにドンじゃんけんぽん中につい癖で、右手も使ってしまい、ダメージを受けて終了・・・。
私のクラスは40人いるので、なるべく多くの子と関わろうとしていますが、毎日はやはり難しいです。でも、今回の経験からもっとたくさんの子と関わって関係を深めていきたいなと思いました。この3週間は、おとなしめな子たちとの時間を楽しめました。
7、思いの可視化
この3週間本当に多くの方に声をかけていただき、助けていただきました。6年生の道徳の授業で「心づかいと思いやり」という教材があるのですが、まさに思いが可視化された3週間でした。
あなたの〈こころ〉はどんな形ですかとひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも〈こころ〉は見えないけれど ほんとうに見えないのであろうか
確かに〈こころ〉はだれにも見えないけれど〈こころづかい〉は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから同じように胸の中の〈思い〉は見えないけれど〈思いやり〉はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだからあたたかい心が あたたかい行為になりやさしい思いが やさしい行為となるとき〈心〉も〈思い〉も 初めて美しく生きる
それは 人が人として生きることだ
引用:「行為の意味」 宮澤章二
一番嬉しかったことは、クラスの子たちは私にほとんど何もさせないように自分達で行動して頑張ってくれたことでした。私の負担を減らそうとして、必死に考えているその姿に初めて「怪我をしてよかったのかもしれない」と思うことができました。もちろん息子も怪我をしているので、よかったなんて言えません。少なくとも、怪我をした日から今までの何倍もリスク管理を徹底しているため私は成長することができたのかもしれません。
8、「失う」と「得る」は表裏一体
「失う」って言葉って結構怖いですよね。何か損をしているような気がするだけならいいですが、大切な人や物を失うのは嫌です。ただ、今回骨折を通していろいろな経験をして、思うことが
「失う」分だけ「得る」ものがある
ことです。私はこの経験から、意図的に自分の大切なものや人を失ったときのことを考えてみることにしました。
9、怒りを感謝に
私は妻と結婚して7年経ちました。付き合ってからで換算するともう14年経ちます。そんな妻は私に優しいときもあれば冷たいときもあります。妻はそんなつもりはないかもしれないけれど、何気ない一言や言い方にとても嫌な気持ちになるときがあります。人間ですからね、やはり言い方次第でこちらの思いも変わります。
私は、気持ちがマイナスになったときには言葉をあまり発さないようにしてクールダウンをします。でも、クールダウン完了までは妻に対してああだこうだ思うことがあります。もっと寛容になれればいいなぁと思いつつ、なれない私。
ただ、ここで妻を失う場面があることを想像すると、こういうやりとりも楽しかったなぁとあとで思うのかもしれない・・・・そう考えると、怒りがなくなりはじめました。怒りってやはり損だなと思います。
毎日過ごしているのが当たり前だと思っているけれど、決して当たり前の生活ではないんだから、楽しまないとですね。感謝の気持ちを伝えていかないとですね。
いつも、ありがとう!
10、おわりに
はじめてこんなに長文をnoteで書きました。目安の5000文字には届かなかったですが、これ以上続けたら読んでいただいた方に伝えたいことが伝わらなくなると思ったので、終わりにします。
みなさんも、失ったからこそ気付いたもの、得たものはありますか。私はこれからも、失うことを恐れずに、過ごしていきたいと思います。
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