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数に惑わされない目がほしい

今は、とかく簡単に数で判断基準が示されてしまう。

Twitterでは、フォロワー数で大人気ないやりとりが発生しているところを見かけるし、実際にフォロワー数にこだわりを持っているアカウントを運営している人だっているでしょう。

リツイートが増えたら「バズった」と言われ、内容によっては時の人のようになることだってあります。

このnoteだって、フォロワー数はTwitterに比べて読み手側に与える印象は強くないものの、いいねの数は瞬時にわかる仕様になっています。


ものを買うときに、レビューの評価だけではなく、その数も参考にする人も多いのだろうし、判断材料として求めている人が多いのだろうから、仕方がない流れなのでしょう。

別に、数を求めることをどうこう言いたいわけではありません。より多くの人に届けたければ、数を増やすことはどうしても必要なことだからです。

ただ、受け手として、集まった数だけを見て「これはいいものだ」と思い込んでしまうかもしれないことは、怖いことだなあと思う。

フォロワー数が多いインフルエンサーが、みんな人間的に優れているわけではないように(増やし方はそれぞれですし、人間としての価値についているわけではないですよね)、いいねがたくさん集まっているものが、必ずしもいいものだとは限らないのですよね。当たり前ですが。


いいねを押す人の中には、いいねが多い内容のものに反射的に押す人だっているし、著名人のものなら何でもかんでも押す人だっているでしょう。

だから、それが本当に自分にとって「いいね」なのかは、客観的に触れてみなければわからないのです。

みんなが「いいね」をつけているものが「いいね」と思えなくても、それは別におかしくないし、「いいね」が少ないものを「いいね」と思ったことは、先見の明がある可能性だってある。


数はわかりやす過ぎるから、安易に判断の基準にしてしまいがちです。でも、名作の中に当時は多くの目が見過ごしてきたものがあるように、自分の目と感覚を研ぎ澄ませて、自分の中で本当に「いいね」と思えるものを見つけられるようになりたい。


本心からの「いいね」を積み重ねていくことは、わたしの輪郭をはっきりさせることに繋がると思うのです。



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