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「ママだから」と言わないで

アトピー性皮膚炎の長男がいる。

新生児の頃からずっと肌が弱くて、皮膚科通いを続けてきた。今は市立病院に通っている。

薬を飲んで塗ればよくなるのに、少しましになった途端、塗らずに(シャワーすら浴びようとせずに)寝ようとする長男に、もうずっと疲れている。

また少し、悪化してしまった。再来週が通院日なのだけれど、今すでに憂鬱だ。きちんと塗れていないと、母親の責任にされるから。

本人には、何度も薬の必要性を説明している。なのに、次男を見ているすきに勝手に寝に入る長男に、わたしはどうするのが正解なのかわからないのだ。


「ママだからね。がんばらなきゃ」「お母さんの責任だよ」といわれ続けている。身内にも、学童の先生にも。学童の先生にいわれたのはつい最近のことで、わたしはその瞬間、先生に対して、シャッターが一気に落ちたのを感じた。

一気に鼻の裏が熱くなり、涙が溢れそうになるのを止めた。すでに外は真っ暗だったから、きっと先生にはバレていない。


せめて「親の」といってほしい。責任は、母親だけにあるわけではない。それなのに、子どもに何かあると、いつも責められるのは母親だ。夫はその場にすらいないから、責められる機会すらないのだけれど。

「ママの」「母親の」といわれるのが、思っている以上につらい。削り節を削るように、どんどん薄く、ぺらぺらになっていく自分を感じる。

あまりにも長男が算数についていけていなくて、さすがに心配になったから、ある夜、夫に共有しようとした。彼は、「大丈夫やろ」と言って、そのまま話は終わった。

前向きな「大丈夫」には感じられなかった。考えた末の「大丈夫」ではなかったのだろう。救いになる「大丈夫」もあるけれど、このときの「大丈夫」は、他人事の「大丈夫」に感じた。なんだかんだで、彼は彼のことでいっぱいで、自分のことでずっと悩んでいるから。

正直いうと、いい身分だなと思った。自分のことばかりで、いいね、と。

子どものことで、「ああしてあげよう」「これしなきゃ」と考えて悩んでいるのは、我が家ではわたしだけ。夫は一歩離れたところにいる。仕事の都合上、物理的に子育てにあまりあたれないのだから、せめて一緒に悩み考えてくれたらいいのに、どう現状の辛さを伝えても、うまくいかない。

基本的には、わたしも仕事をしているため、満足いくほど子どもと密に関われているわけではない。だから、別に夫にも多くを求めたいわけでもない。なのに、その「わずか」さえ父親として夫に求められないのは、なんだかとても虚しくなる。

土日祝が憂鬱だ。夜にゲームを元気にやっていて、日中は寝室から出てこない夫に、どうしたってイライラするから。

昨日も1日中寝室から出てこなかった。寝たり起きたりしていたらしく、子どもが寝室に行くことはあるにはあったのだけれど、要望はすべてわたしに伝えてくる。「パパは言ってもムダ」だと思っていることが、長男の言葉からわかる。

「パパは寝てるかゲームしてるか」と言っていた長男の発言を伝えても、彼は変わらない。「それでいいの?」と思う。いつか父親になるかもしれない息子にとって、そんな父親でいいの?と。

正しい父親なんてないし、立派な父親を求めてもいない。いないのだけれどなあ。

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