誰かに思考を委ねない
「日本人は、トップについていく気質の人が多いんだよ」
昔、そんな言葉を耳にした。この発言をしたのが父だったのか、はたまた先生だったのか、記憶は定かではない。
日本人は殿様の下に付き従ってきた時代が長いわけだけれど、そうした「絶対君主の言うことを聞く」方が、自分の頭で考えて主体的に政治に関わるよりも向いている人が多い、とこんな内容だった。
わかりやすくリーダーシップ感を醸し出す政治家が現れると、政策やら手腕やらがどうなのかはさておき、多くの人が支持を表明する様子を見て、「なるほどなあ」と思ったっけ。
答えを提示してくれたり、行き先を指し示してくれたりする存在を求める人って、思っているよりも多いんだなあ、と感じる。
マニュアルや情報商材の類が売れるのは、その表れなのだろう。
最近、有料noteではその手の話がしょっちゅう持ち上がっているけれど、「みんなそんなに買うものなの?」というのが正直なところだ。
もちろん、インプットは大切だ。学ぶ姿勢は成長のために必要不可欠だ。そうした思いで何かを買うことは有益だと思う。
けれども、ただ導いてくれる存在を求めているだけの人も少なくないのだろうと思っている。
思考や創意工夫を、どこかの誰かに委ねてしまうことは楽だ。指し示された通りに動くことは、ある程度誰だってできるから。試行錯誤の手間や時間だって削れる。
けれども、その楽さにはリスクや弊害があることをわかっておきたい。
先導者を求めるタイプの人は、言う通りにして失敗したとき、先導者のせいにする人が多いんじゃないかと思う。
本来、失敗したときには己を省みなければいけないはずなのに、文句を言うことや粗探しばかりに力を入れている人は、確かにいるから。本当は失敗したときこそが成長のチャンスなはずなのにね。
他人に責任をなすりつけるようになると、その人が何かを取り入れることはもはやインプットとは呼べないし、そもそもその人自身の人生はどこへ行ってしまったの?とも思う。思考や判断を人任せにすると、その誰かの人生をなぞるだけになりかねないのに、と。
そもそも、誰かの成功した方法が自分に適しているかどうかだって、吟味しないとわからないのにね。
自分がすべき選択を人任せにし続けていると、そのうち判断もできなくなってしまうのではないかなあ。
もちろん、何度も繰り返すけれど、理由や意思があるならば別だ。審美眼を磨くため、玉石混交したものにあえて触れたいという人だっているだろうし。
自分の判断に自覚的であれば、それでいい。だけど、なんとなく無自覚な人が多くいるなあと思うのだ。
どこかにいる「誰か」は、わたしやあなたの人生に責任を負ってはくれないよ。
神様の言うとおりにしているだけで幸せになれる世界なんて、ないんだよ。
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