見出し画像

自分の都合だけで世の中を見ては、正しい見解は出て来ない

流れてく時の中でも。

好きな小説家の本の中で、大好きな恋人たちが、

「最近どう?」
「んー、普通に、最悪かな」
「変わらないね」

そう、私たちの毎日はいつも、普通に最悪だ。

好きなクリエイターが、自分の日々のことを「俺の地獄」として語った。

医学部に通う彼の、「地獄」が綴られていた。

母も何故かそこに辿り着き、リンクを送ってきた。

家に帰って、
「何であのリンク送ってきたの?」
と問うと、
「いやいいこと言ってるなと思って」

苦笑いせざるを得ない。

「ハッピーな話じゃなくてさ、ああいうネガティブな話を知りたかったんだよね〜」

冷笑してしまい、母に叱られる。

東大理三に入ったその彼が、苦しんでいることが母からしたらご褒美なんだろうと思う。

普通に最悪である。

私の地獄は、
私の人生を私のせいにできないことだ。

自分に自信がない。 

その小説家は、
「誰かのせいにして人生の駒を進めると、人生で1番大切な選択を誰かに託したことを後悔する日がきっとくるだろう。」という。

私は駿台市谷に通っているただの浪人生で、周りを馬鹿にしている。 

人生を持て余して、頭がいいのに努力せずに屯っている奴ら。
 
凄そうなその塾に通うだけで満足している、他人に縋っている奴ら。

終わっている。ここもまた地獄だ。

そして馬鹿にしている私も、医者を目指すことしかできない、
他人を嘲笑うことしかできない、
他人のせいにすることしかできない、
至極無責任な人間であることは言うまでもない。

その上で、毎日通うあの校舎にいる人間達のことがこの上なく嫌いだ。

そして母のことも。  

幼稚園の将来の夢に、クラスでたった1人だけ、医者になりたいと書いたのは私だった。  

だけどあれは本当に私だったのだろうか。18年間幾度となく問い続けたきた。私は私なのだろうか。  

私の中に潜んでいるのは、紛れもなく母だった。のではないか。そう思いたいだけなのだろうか。わからない。

惜しげもなく将来の夢を描く同級生。ただただ羨ましかった。
私にとって医者は逃げだった。逃げてしまった。いつも。常に。ずっと。ずっと逃げてきた。ただ、逃げると言う事実にすら気づけなかった。気づけば医者以外の選択肢を考えたことがなく、好きなこともやりたいことも一つもないことに気づいた。

生まれた時から何になるか決まっているから。好きなものを作る必要がなかった。好きだと思ったその芽を摘んで生きてきた。好きでもこれは仕事にはできない、なぜなら私は医者になるから、と。

不幸だった。自分の人生じゃなかった。   

そんなはずはない。これは紛れもなく私の人生だ。
私は自分の人生を他人のせいにしてしまう。
他人のせいにしてしまってきた。辛い。

私は私のことが大嫌いだ。

自分のことが好きになれる人は甘えてるのだと思ってきた。

きっとそんなはずはない。
自分に厳しいから、自分のことが大好きなのだろうと思う。

私は私のことを甘やかし続けてきた。
自分の我儘にいとも簡単に屈してきた。   

「80歳をすぎた犬に引かれるなんてこと、ないでしょ。」「いいから帰りなさい」

うるさいうるさい。              

私は私でいたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?