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ルールは誰のため?

先週の週末は沢山のお客さんがバスを利用していた。以前は夜になると出歩く人はまばらだったが、先週末は夜になっても人があふれていた。

お客さんの顔も、穏やかだったと思う。約1年半前から4回の緊急事態宣言が発出された。今後また状況が一変するかもしれないが、今やっと状況が落ち着いてきたことに、解放された気分になるのだろう。

緊急事態宣言が発出されている時は、お客さんの雰囲気はピリピリしていた。コロナ禍になりバス利用時にお客さんにお願いしていた事は以下のようなことだ。

車内におけるマスク着用のお願い。
会話は控えめに。
混雑時間帯を避けて利用するようにお願い。
手洗い・咳エチケットのお願い。
窓を開けて換気のお願い。

このようにコロナ禍で守らなければならないルールが一気に増えたのだ。特に「会話は控えめに。」というのは、どのぐらいまでならOKで、どこからがNGなのか、判断基準が人それぞれなので、トラブルになりやすい。特に高齢者は大きな声になりやすく、高齢者同士が会話をしていると、他のお客さんが、あきらかに不快な顔をしていたこともあった。

また、バス停で先に列に並んでいたお客さんが、後ろのお客さんに割り込みされたとのことで、トラブルになったケースもある。片方のお客さんが怒鳴り声をあげて怒っていたが、コロナ禍で利用者も少なく、バスの座席は余裕で空いているに、正直そこまで怒らなくてもいいのにと思ったことがある。

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とにかく日本人はルールに敏感でルールから逸脱してはいけない雰囲気が強いと思う。バスの運転士は道路交通法というルールを守らなければならない。ルールを守ることは当然なのだが、時としてルール通りにいかない事もある。

例えば始発のバス停で車いすをご利用のお客さんがバス停で待っていた時、先に車いすのお客さんにご乗車いただくことが多い。「バスは先着順でご乗車いただく」というルールに厳密には違反しているが、乗車したお客さんに席を移動していただいたり、スペースを作るために周辺のお客さんに一度降りていただいたりする手間が省けるため、このことに異論をはさむ人はいない。

緊急車両が停車しているなどの理由でバス停の真横にバスを止められない場合もある。その場合、バス停近くの安全な場所でバスを停車させてお客さんの乗降を行うこともある。これも「バス停以外の場所でお客さんの乗降をしてはならない」というルールに厳密には違反しているが、駐車車両がいなくなるのを待っていては日が暮れてしまうので、このことに異論をはさむ人はいない。

このようにバスの運転1つとっても、状況に応じて柔軟に判断しなければならないケースはいくらでもあるのだ。

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ルールは人が生活しやすいように設定されている。しかし、ルールは時に牙をむく。厚生労働省はバスの運転士に関する労働時間に関する基準、いわゆる「改善基準告示」を公表している。この告示には、バス運転士に関する以下のようなことが基準、つまり一般的に守るべきルールとして示されている。

拘束時間・休息時間
運転時間の限度
時間外労働及び休日労働の限度 

この中の「拘束時間・休息時間」では、バス運転士の1日の休息時間が示されてる。これは勤務と次の勤務の間の時間をいい、バス運転士が睡眠や・食事など自由に使える時間だ。これが告示では8時間以上と示されている。8時間の中には、勤務先と自宅の往復時間も含まれてる。片道1時間かかる人は、往復で2時間なので、自由に使える時間は6時間だ。この6時間でお風呂や食事をとると、睡眠時間は何時間とれるのだろうか。正直きついのではないか。この8時間以上というルールがあるおかげで、次の勤務まで8時間しか空いていなくても会社はルールを守っているので問題ないという態度をとるだろう。運転士にとってのルールのはずが、運転士にとってきついルールになっている。この告示は1997年に改定されて以来、24年間も変更されていない。はたしてこのルールは妥当なのだろうか。

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ルールを守ることに真面目な日本人。そのこと自体はいいことのはずなのにルールを守ってさえいればよいという発想になっていないか。

ルールは人が生活しやすくするために存在するはずだ。

ルールは人が守るために存在するのではない。

そのルールが人の生活しやすいものとかけ離れていれば、ルールを変更したり、ルール以外の行動を取ってもいいのではないか。

タッピーは日本人が時々ルールに操られているように感じる。


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