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Speculative Designの役割とは? #144

パーソンズ美術大学にて、Speculative Designというデザインについて学んでいます。Speculative Designでは「あり得る未来を想像し、想像した未来に存在するはずの物を現在に出現させ、未来の物を見ることをきっかけにより良い未来を考えさせる」ことを目指します。

春学期後半の課題に取り組む前に、これまでSupeculative Designを学んできた中で抱いた質問を聞ける機会が設けられました。今回は、そこで得た学びをまとめてみます。


未完成でも見せていこう!

まずは、makingとは何かについて。デザインを考えるうえで、makingは欠かせません。でも、そもそもデザインはなぜmakingを重視するのかというそもそも論について議論になりました。ここでのmakingには、文字を書くこと、2次元の写真や動画、3次元の作品、パフォーマンスなどの全ての創作行為を含んでいます。

"making as proess"という言葉がヒントになるかもしれません。通常の考え方では、「makingとはアイデアが固まった後の最終段階の工程である」と思われます。でも、実際に手を動かすことで気づくことや、誰かに見せてみることで得られることもある。だから、頭の中で考えるだけでなくて、つくることをデザインでは推奨されるようです。

そうすると、「自分の中で中途半端な状態のアウトプットを他人に見せることに抵抗感がある」という意見もありました。それに対するアドバイスは、「アウトプットと自分を切り分ける」ということ。アウトプットに対する批評はあくまでもアウトプットに対してであって、個人の人格やセンスについてではないというマインドセットを持つべし、ということでした。この辺りの話は、creative confidenceや心理的安全性といったキーワードが近いと思いました。



遊びとしてのデザイン

また、"playfulness"というキーワードも出ました。ビジネス的な視点では、「ある目標があって、それに向けて最適な手段を取る」という論理性が求められます。でも、デザインの視点では、「今やっていることがどういう結果につながるかはわからないけれど、面白そうだからやってみる」というのが重要なのだそうです。

歴史家のヨハン・ホイジンガは、「人間は遊ぶ存在である」として人間を「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と呼ぶことを唱えました。概要は以下の動画を参照してみてください。現代社会に足りないのは遊び心なのかもしれません。


「私の頭の中の未来」を見て

構造主義の考え方はSpeculative Designにも影響しているように感じます。つまり、「人によって見えている世界が違う」ということを前提にしているということです。構造主義的・相対主義的に言えば、個人の解釈に「正しい」答えはなくて、そこにはただ違いがあるだけ。どちらが正しくてどちらが間違っているという話ではありません。

そこで、同じ視点を共有しようとする試みをスペキュラティブ・デザインと呼ぶのかもしれません。「私はこう考えているんだけど、あなたはどう思う?」と社会に投げかける営みです。答えや解決策を提示するところまでは重視しないという点では、デザインというよりはアートに近い感じもします。

また、"making as questions, not demo"とも言われました。つまり、デザイナーの頭の中が共有できるレベルの完成度ならば、最終成果物が「完成品」にまで磨き上げられている必要はないということです("making as precess"でも同様の結論)。スペキュラティブ・デザインは、あくまでもデザイナーの世界観を共有するためのメディアやインタフェースであるという解釈です。この話題の時に、以下の2つの作品を紹介していました。

どちらも「洗練された」見た目というわけではないかもしれませんが、真面目な人や権力側(国や大企業)から怒られそうなところを攻めるという「いたずら心」が感じられる作品で、社会へのメッセージ性は十分感じられます。


Speculative Designは何を目指す?

では、Speculative Designの「成功」とは何を意味するのか?それは、社会に何かしらの変化が起きた場合だそうです。社会の変化は「バタフライエフェクト」や"ripple effect(波紋効果)"のように小さなことから生じるかもしれない。だから、スペキュラティブ・デザインによって未来を変えられるのだという論理です。

また、ターゲットとして理想的なのは、力を持った人(政治家や大企業の社長などの「偉い人」)だそうです。なぜなら、彼らの決断は社会の変化に直結するからです。でも、「偉い人」をターゲットにすると、「現状を疑う作品を提示しながら、現状を代表する人に響いてもらいたい」というジレンマに陥ってしまいます。この点を乗り越えられるかどうかは、デザイナーの腕次第といったところでしょう。

ちなみに、『人新世の「資本論」』という本には、3%の人の意識が変われば社会は変わるという話も載っていました。きっと社会が変化するのは、トップダウン、ボトムアップの両方からがあり得ます。どちらにせよ、スペキュラティブ・デザインの作品をきっかけに社会に何かしらの変化を及ぼせたときに、デザイナーは「いいデザインができたなぁ」と感じるのでしょう。


まとめ

遊びには「社会のルールの境界を知る」という役割があります。スペキュラティブ・デザインという名の「遊び」を社会の中で行うことで、社会が当たり前だと思い込んでいる「構造(ルール)」が浮かび上がってくる。これにより、新たな構造に移行するきっかけをデザインする。これがスペキュラティブ・デザインの役割であるというのが、現時点での私の解釈です。

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