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ビジョンデザイナーとは? #120

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前回の記事で、ビジョンデザイナーについて触れました。

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経済産業省が公表している「⾼度デザイン⼈材育成ガイドライン」にて、私が学んでいるパーソンズ美術大学のTransdisciplinary Designでは「ビジョンデザイナー」になるスキルを学べるとされています。ただ、試しに英語で「Vision Designer」で検索すると、どうやら「眼鏡の見え方?をデザインする人」を意味するようでした。もしかして和製英語なのでしょうか?ビジョンデザイナーという肩書は、日本語でも英語でもまだまだ人口に膾炙しているとは言えなさそうです。

とはいえ、デザイナーと名の付く他の仕事内容を見てもしっくりくるものはなく、たしかに「ビジョンデザイナー」なる肩書が私が学んでいることに一番近そうです。ということで、私の暫定的な将来像を「ビジョンデザイナー」と設定し、ビジョンデザイナーとは何かについてもう少し考えてみることにしました。


未来をデザインするために

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先ほどのガイドラインでは、ビジョンデザイナーはアートやデザイン哲学の視点を持ち、最も未来を見据えたデザイナーであるとされています。そして、「スペキュラティブデザインやトランジションデザインなど変化のスピードの速い過渡的な世界におけるデザインの取り組みやケーススタディーの理解」が必要なのだそうです。これらのデザインの詳細は専門家に譲るとしますが、ザックリ言うと「今の世界の延長線上にはない別の未来をデザインする」ことを目指します。

未来を予測するというとトレンドを理解することとほとんど同義に聞こえますが、現状をどれだけ理解しても未来は予測できないものです。21世紀はVUCAの時代で将来が読めないなんて言いますが、「来年の事を言えば鬼が笑う」ということわざがあるように、いつの時代も将来のことなんてわかりません。

それでも、もし私がビジョンデザイナーとして未来を予測しろと言われたならば、過去をどこまでも遡って調べるでしょう。なぜなら、古典を読んでみると、人間が悩むことは数千年前から変わっていないことがわかるからです。たとえば、ローマ皇帝だったマルクスアウレリウスが記した「自省録」では、朝起きるのが辛いという悩みが吐露されています。きっと未来の人間も、紀元前に生きた人にも共通する「あるある」な悩みを抱え続けているはずです。これが現時点で可能な最も確実な未来予測ではないでしょうか。

表面的な現象は変わったように見えても、人間の本質はずっと変わっていません。たしかにこの世界は諸行無常で、全ては移り変わります。でも、諸行無常という真理自体は変わりません。たとえば、仏教は2500年以上にもわたって受け継がれていく過程で、様々な宗派に分かれました。諸行無常を唱えた仏教自体も変わっていったというのが、諸行無常の正しさを証明しています。

仏教は色々な宗派に分かれながら様々なアプローチで幸せに生きる方法を唱え続けているにもかかわらず、2500年以上経った今でも人間は幸せにならず、昔と同じ苦しみから逃れられずにいます。人間の悩みというのは解決しないということが本質です。

ビジョンデザイナーとして何をインプットしていくのかと問われたならば、不変的な知識を意識すると答えます。最新のトレンドはあくまでも人の話を理解するために知っておき、自分の思考の軸としては不変の真理と思われる知識を採用します。また、人の心にまつわる知識も重点的に学びます。どれだけ未来の話だとしても、人間の心自体は変わらないはずですから。こうしたアプローチによって、遠くの未来を「予測できる」デザイナーになれると考えています。


メタ視点のプロ

ガイドラインに「いま現在の世の中の価値観、信念、考え方にとらわれず様々なオルタナティブな選択肢の可能性を思索・実験していく」という役割が指摘されているように、ビジョンデザイナーは最もメタ視点を備えた存在・最も広い視野を求められる立場とも言えるでしょう。もし、ある企業にビジョンデザイナーがいるとしたら、その企業の存在意義自体を疑うかもしれません。「なぜ働いているの?」「なぜ利益を上げたいの?」「この会社は何を目指しているの?」こうした答えのない哲学的とすら言える問いを投げかけることでしょう。

そんなことをするビジョンデザイナーは、効率化を進めたい会社ではきっと疎まれます。それでも、「悪魔の代弁者」として企業、さらにはこの世界が囚われている構造を暴くことを使命とします。既存のシステムの中で生産性を追い求める人たちの中で、「そもそもこの生産性はどこに向かっているの?」と問います。

「入社した暁には、御社の企業理念を批判します」なんて宣言する人を雇ってくれる会社はあるはずがないです。そこまであからさまでなくとも、ビジョンデザイナーの役目は現状の当たり前を疑うこと。その会社の意見と対立するようなアイデアを考えることこそが仕事です。よほど懐の深い会社でなければ、ビジョンデザイナーを採用しないでしょう。「あ、だからCDO(Chief Design Officer)の協力が必要と『⾼度デザイン⼈材育成ガイドライン』に書いてあったのか」とようやく納得しました。いやはや、ビジョンデザイナーの道はいばらの道なのかもしれません。

さらに、このメタ視点はデザイン自身にも向けられます。「デザインをデザインする」という入れ子構造であったり、「そもそもデザインを使う必要なくない?」とちゃぶ台返しをしたりするかもしれません。「デザインは全てを解決する」という盲信を避けさせるために、デザイナーでありながらデザインを最も疑う。まるで現代アートが従来のアートの概念を覆して新たなアートを生むように、新たなデザインを模索する役目も担います。


それでも、人間は美しい

デザインの目的と言えば問題解決ですが、そもそも問題が解決するなんてことはあるのでしょうか?「デザイン」という言葉がない時代から、人間は幸せになるための最善を尽くしてきました。それでも、新たな問題が発生し続けてきて今日に至ります。

人間はいつの時代も同じ悩みを繰り返します。幸せとは何かを知らず、人間関係などに悩み、老いや病を嫌い、死を恐れ続けます。でも、そんな存在だからこそ愛おしい。人間の強さも弱さも全部ひっくるめて認める。究極的にはこの感覚を持ちながら人間賛歌を謳う人をビジョンデザイナーと呼ぶのかもしれません。ならば、デザイナーが意識するべきなのは「『問題は解決できる』というのは幻想であり、むしろ問題と共存するという覚悟を持つこと」というのが、今の私の仮説です。

ビジョンデザイナーなんて仕事はないのかもしれません。それでも、私はこの仕事の存在を信じてみることにします。人間の生きる希望をデザインするのが、ビジョンデザイナーなのだと信じて。人間は希望なくしては生きていけませんからね。

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