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『マルクス 資本論』を読む。(第七章 剰余価値率) #190

前回に引き続き、『マルクス 資本論 シリーズ世界の思想』を読んでいきます。前回は「第六章 不変資本と可変資本」を読みました。今回は「第七章 剰余価値率」を読みます。この章では言葉の定義が続くのですが、ここでは必要労働と剰余労働の定義の部分を引用しておきます。

必要労働
一労働日のうちこの再生産が行われる部分を私は必要労働時間と呼び、この時間中に支出される労働を必要労働と呼ぶのである(230f)

224ページ

剰余労働
労働過程の第二の期間、すなわち労働者が必要労働の限界を越えて苦役する期間は、彼にとっては労働を、すなわち労働力の支出を必要とするには違いないが、しかし彼のためにはなんの価値も形成しない。それは、無からの創造の全魅力をもって資本家にほほえみかける剰余価値を形成する。労働日のこの部分を私は剰余労働時間と呼び、また、この時間に支出される労働を剰余労働と呼ぶ。(231)

225ページ

前章までで、労働者は自分が生きていくために必要な分(再生産費)を稼ぐために働くのに加えて、資本家が剰余価値を得るためにも働くことになることが明らかになりました。マルクスは前者の労働を必要労働、後者を剰余労働と定義します。

労働者は剰余労働という「苦役」をしなければならないということが示され、何やら不穏な空気が漂ってきました。


まとめ

以上が、「第七章 剰余価値率」の内容です。次回は「第八章 労働日」を読んでいきましょう。次の章では、剰余労働をキーワードにしながら「なぜ労働者は長時間働かされるのか」の謎を解き明かしていくことになります。

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