美的デザイン&倫理的デザインの先へ。 #317
前回の記事では、Spirituality Designという用語を紹介しながら、「なぜ生きるのか?」という問いに向き合う実存的なデザインについて考えてみた。
今回はこの実存主義的デザインと従来のデザインとの関係性を整理してみる。参考にするのは、キルケゴールの実存の三段階だ。
キルケゴールの実存の三段階
キルケゴールは、実存には美的、倫理的、宗教的の三段階があると提案した。専門家ではないので解説は控えるが、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典を参照すると、以下のような説明がなされている。
美的実存とは、いわゆる多くの人が過ごしている状態。美味しいものを食べて欲しいものが手に入れば幸せというような価値観に基づいている。実存主義の哲学者として挙げられるニーチェやハイデガーなどは、こうした美的実存における退屈さや不安から議論を始める。
この状態に嫌気がさした人の一部は「幸せとは何か?」という問いに向き合うようになり、より良い生き方を模索して他者への貢献などを頼りに自らの存在理由を求める倫理的実存になる。しかし、他者を助けることを通して自分が幸せになろうとしているエゴの存在に悩むようにもなる。
この倫理的実存を克服した状態が宗教的実存である。なお、キルケゴールは敬虔なキリスト教徒だったため、いかにキリスト教を信じるのか、神の存在を実感できるのかという話になっていく。この部分は後の哲学者によって、キリスト教以外の宗教や宗教以外の拠り所を見つけていくことも宗教的実存の一種として解釈される場合もあるようだ(つまり、有神論的実存主義と無神論的実存主義の違いへと発展していくのだが、キルケゴールから離れていくのでここまでにする)。
キルケゴールはこのような三段階を設定したうえで、最終的には宗教的実存に至ることが望ましいとしている。美的実存の段階にとどまって目先の快楽を追って暇つぶしをする人生から脱して、宗教的実存(キルケゴール的にはキリスト教を心から信じる状態)にまで到達することこそが「より良い」生き方ということらしい。
余談ではあるが、ブッダの生涯で言えば、29歳までの王子様としての生活は美的実存、35歳までの苦行を続けていた状態が倫理的実存で、35歳に悟りを開いた後は宗教的実存だったと言えるのかもしれない。とするならば、宗教的実存に至れば「悟り・涅槃」という一切の苦しみから解放された幸福な状態になるということだから、「より良い」生き方というのもあながち間違いではないのかもしれない。
デザインの流れにも当てはまる?
さて、人間の生き方を整理した実存の三段階をデザインに当てはめるとどのように解釈できるだろうか。まず、狭義のデザインや意匠のデザインを美的デザインとしてみよう。ウィリアムモリスのアーツアンドクラフツ運動を起源とするデザインは、機械による大量生産でもいかに美しいモノが作れるのかを追求する営みだった。
こうした美的デザインは、次第に倫理的デザインへと移り変わっていく。この傾向はグッドデザイン賞の変革からも読み取れる。日本のグッドデザイン賞はMoMAで開催された「グッド・デザイン・プログラム」という機能的なデザインが見た目も美しいことを示す展示会を起源にしているが、今では社会善(social good)を指標に良いデザインかどうかが評価されるようになっている。
キルケゴールの実存の三段階をデザインにも当てはめるならば、次世代のデザインは宗教的になるのかもしれない。ここでの宗教的とは特定の宗教を布教するという意味ではなく、生きる意味や生きている実感をどのようにデザインできるかという意味である。システミックデザインを提唱するクリステル・ファン・アール氏の言うSpirituality Designは、宗教的デザインともいえる次世代のデザインを見据えているようにも思える。
ちなみに、私のパーソンズ美術大学・Transdisciplinary Designにおける卒業制作の過程もこの三段階で説明ができそうだ。私は従来の美的デザインについて疑問を抱いた。そこで、禅というある種の宗教(厳密には哲学)を参考にしながら生きる意味のデザインを模索したが、現在のデザインとの乖離が大きすぎて手に負えなかったので、資本主義における倫理的なデザインをテーマに設定した。つまり、美的デザインからいきなり宗教的デザインに飛び移るのは難しかったので、倫理的デザインという段階を踏んだと言うこともできるだろう。
まとめ
今回はキルケゴールの実存の三段階を参考にしながら、デザインのあり方を考えてみた。美的デザインに加えて倫理的デザインが登場しているのが現状だとすると、その先にあるのは宗教的デザインなのかもしれないという予測もしてみた。
宗教的という言葉は非科学的で怪しいというニュアンスを感じる人もいるため、宗教的デザインという名前で普及することはないだろう。それでも、一人ひとりの生きる意味や生きている実感がデザインの対象となる時代はいずれ来るはずだ。いや、まだ体系化されておらず人目に触れる状態にないだけで、すでに取り組んでいる人たちも現れ始めているのかもしれない。そのシグナルを見逃さないようにしたい。
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