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2024年4月26日 さついのはどうにめざめた

朝、カーテンから漏れる光で、今日も晴れである事がわかります。
よしよし、今日も天気はいいようです。
天気が良ければ、気分が随分変わります。
朝の支度をしながら、「野菜たちに水をやらねば!」と思いたち、
野菜苗を植えた鉢の元へうきうきと向かいます。

晴れた朝の光を浴びている野菜の苗を眺めることは、存外に楽しいものなのです。
野菜の葉の、元気な、濃い緑色を眺めます。
葉の上には、水滴がいくつか載っているものもありました。
どうやら夜のうちに、少しだけ雨が降ったようです。
土を触ってみても、しっとりしています。
もしかすると、水はいらないかもしれません。
水をやろうか、やるまいか、悩みながら、野菜の苗を眺めていると、あることに気づきました。
野菜の苗のひとつ、ナスの葉っぱの一枚がボロボロと穴があき、虫食いになっています。
苗にしては比較的大きな、手のひらくらいの葉っぱだったのですが、いくつか大きな穴が空いています。
これは、どう言うことでしょう。しげしげと、葉っぱを見返してみると、その中央には、小さな三日月型があります。
ベージュのボディに日本の黒い線が入っていて、小指の爪ほどの大きさです。何となく、そいつのいるあたりは、粘ついた何かで葉っぱが光っています。カタツムリみたいだな…と思いました。
いいえ、違います。これは、…なめくじです!!
そうでした。
なめくじというやつは、園芸家の敵なのでした。
そう認識した瞬間、「さついのはどうにめざめた」のです。
食べられた葉を根本からおり、そいつを地面に転がします。
スマホで、対策を検索、今すぐできそうなものは、「熱湯をぶっかける」という中世の拷問のような手段しかありません。
考える前に、電気ポットに水を入れ、お湯を沸かします。
お湯を沸かしながら、敵について検索します。
花も食べるけれども、野菜苗も食べるようです。食べるものの項目に、「ナス」はありました。
日当たりの悪いところに、梅雨時期に発生する、
ジメジメしたところに鉢を置くのが良くない、水捌けをきっちりした方が良い、
土に卵が埋まっている事がある、
1匹みたら複数いると思え、などの敵の情報を貪るように読みます。

ということは、先ほど発見したのは1匹だったけれど、もっといるはずです。

野菜の苗を奴らのサラダバーにする気はないので、
お湯が沸騰すると、即、反撃に向かいます。
今度は複数いるものとして、索敵です。
います。鉢の間、近くの壁を登ってきているものなどを発見しました。
野菜苗の安全を確保しながら、熱湯で攻撃を開始です。
とりあえず、索敵できた目標を殲滅しました。
侵入経路と思われる部分にも、熱湯を注ぎます。

ここまでの間、5分ほどです。
自分の中には全くの容赦がありませんでした。
まさしく、「さついのはどうがめざめた」のです。
日頃、どちらかといえば生き物には親和性が高い方だと自己認識していました。
人間に対して腹を立てることはよくありますが、生き物は好きだ、と思っていたのです。
ひっくり返っているセミは助けるし、
迷い込んだカメムシもできるだけ窓の外に無傷で返すようにしているし、「自分は生き物フレンドリー」と思っていたのです。
それは完全な思い込みでした。
自分や自分の身内・財産を害しない限りの「生き物フレンドリー」であったのです。
育て始めて1週間も経っていないわけですが、
ナスはすでに「自分」もしくは「自分の身内・財産」になっていたわけです。
自分の中に、身内・財産が蹂躙されたことへの根源的な怒りが瞬間的に湧き上がり、
生き物への攻撃を始めたことに、衝撃を受けました。
それは、思考というよりは本能の反応のように感じました。
自分の意識のコントロール下にはない部分が反応したような感じだったのです。
数週間前、NHKの海外ドキュメンタリーで、蟻を特集しており、その時、複数のありに囲まれて、捕食されるなめくじに
「ライオンに襲われる草食動物みたい。かわいそう」などと思っていた自分が
いかに偽善的だったかに気付かされます。
自分の脳内にも伊藤計劃の言うところの「虐殺の文法」は深く深く刻まれているのです。
なすの苗の葉っぱ1枚でこれほど、
すばやく「さついのはどうがめざめた」のなら、
自分の家族、大切な人が害された時も、奪われた時、必ず、「めざめる」ことでしょう。

人は容易に暴力的になれるのです。
自分にも確かにその機能が、埋まっていました。
野菜の苗は100円から200円ほどの安価なものです。ですから、値段の問題ではないのです。
「自分のものを食い荒らされた」ということがトリガーになった気がします。
「火垂るの墓」の西宮のおばさんの気持ちの解像度が上がりました。
どれだけ文明人ぶっていても、
自分のもの、特に、食べ物を誰かに食い荒らされると本能的に反応してしまうのだと思います。
自分も飢えていれば、なお、そうでしょう。
戦争や災害では、こういうモードが日常となるのだと思います。
人間性は、認識している以上に儚いものなのでふ。

蚊を一匹殺しただけでも地獄行きだと、水木しげる大先生の御本に、書いてあった気がしますから、今日で地獄行きは決定です。
とはいえ、やつらを野放しにして、野菜苗サラダバーを開放するつもりはありません。
植えたからには、収穫を得たいですし、
何より「うちのこ」を守らねばなりません。
その後、再度確認すると、最初に見かけたサイズの5倍はある大物がのっそりと這っていました。
時間がなかったので、このビックサイズは遠ざけることしかできませんでした。
今後も、野菜苗の危機は続きそうです。

家庭菜園をやるということは、生命を奪って生きている自分、そういうやり取りの繰り返しの中にいる自分を意識することでもあるのだ、と感じました。
日頃食べている食品だって、ほとんどは生きているものですし、
生産されるまでに多くの生命を奪っているわけですが、
買って消費するだけなら、そういうやり取りをあまり見ないで済んでいるのでしょう。

仕事終わりに買うもののメモに
「なめくじ駆除の薬」を書き加えました。
自分の暗い本能に驚きながらも、この戦いには勝ちたいと思っています。
良い対策をご存知の方は教えてください。
ドリップコーヒーを飲んでそのコーヒーカスをまくこともやってみる予定です。


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