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めでたしめでたし

この数年、いわゆる「推し」のアーティストがいる。

小林私(オフィシャルウェブサイト)というシンガーソングライターさん。
誰っ?と思われた方もおられるかもしれません。大丈夫です。まだそこまで有名じゃないから。

私自身、音楽に明るくないので、今年でデビュー4年?ぐらいになる彼がどの程度売れてるのかは全然わからない。
チャートの何位にいるのかいないのかもまったく知らないし関心もない。
どんなオーディエンスに彼がどのように評価されていてもされていなくても、正直どうでもいいです。

私はただただ彼の声が好きで、作品が好きで、パフォーマンスが好きなのだ。
聴いていてこの上なく心地よく、清々しく、胸がじーんと震え出すような、身体の中から何かが抜け出して軽くなっていくようなえもいわれぬ独特の感覚。
それをずっと感じていたいと思っているだけなのだ。

↑は自宅の自録りだがちゃんとMVも何本も出てます。個人的に↓のなんかオシャレだと思う。

とはいえ最初からこんなだったわけではなく、私がどハマりし始めたころは↓のような感じだった。

うん、いまみても面白い。サイコー。聴いてて気持ちいい。

私が彼と彼の音楽を好きになって、ずっと大好きなのには数限りなく理由があるのだが、あえてそれを細かくここで述べようとは思わない。
なんだかそういうのって惚気話みたいでキモくないですか?

例えば私は玉ねぎが大好物だし好きな理由はいっぱいあるけど、玉ねぎが大嫌いという人もいればどうだっていいという人もいるだろう。
そこで「理由」なんか何にも意味なくないですか。

そんなこといっちゃえば身も蓋もないじゃないか。
それはそうです。確かにそうです。

だからひとつだけ、誰にでもわかる理由を挙げます。
これはもういつも何度でも「やっぱりそこだよな」と力強く感じる点だから間違いないです。

同族のかほりが強烈にする。

親近感というほどなまあったかいやつじゃないです。
どっちかというと居心地の悪さすら漂う、同族嫌悪と表裏一体の「ニオイ」に近い。

それがいつも、彼自身と、彼の作品からぶわーーーっと襲ってくる感じがするのだ。
襲われてるのに、ふーっといろんなものが私の中から抜け出して溶け出して昇華されていく。

小林私は1999年生まれだから私とは世代が全然違うし、都内出身だから地元も違う。
共通点といえば、幼いころから読書好き、水泳を習ってた、部活が家庭科部だった、美術大学で学んでた、そして極めつけがオタクだ、というところだろうか。

オタクといっても生半可なオタクじゃない。と思う。
彼の漫画やアニメやゲームの知識量は半端じゃなくて、彼が怒涛のようにそれら趣味の話を捲し立て始めると、ぶっちゃけ私は完全に置き去りにされてしまう。
いまの私は漫画やアニメやゲームとはほぼほぼ無関係な生活を送っているから、彼が愛してやまないオタク文化には何の理解ももてない。申し訳ないけど。

だけどその暑苦しい語り口調を耳にするたびに、子どものころ、友だちや家族に読んだ小説や新聞の話をして聞かせていた私自身のことを思い出す。
聞いている方がどう思ってるかはどうでもよくて、単に自分が喋ってるのが気持ちいいだけで喋り続けてた女の子。普段はどちらかというと暗くて無愛想なくせに、話を聞いてくれる人がいればいくらでも喋ってしまう、変わった子だった。
仲のいい友だちは少なくて、いじめられて孤独だった時期もあった。
親にさえ(ものを知りすぎていて)「気味が悪い」とまでいわれたことすらあった。

小林私がオタク趣味のことだけでなく、文学や音楽についても全力で持論を披瀝しているとき、それをインターネットのチャット画面にいるオーディエンスやライブハウスの聴衆が楽しげに聞いているとき、私は、あのころの自分にそっと囁いてあげたくなる。

大丈夫。
いくらお喋りなキモオタでも、こうしてたくさんの人を楽しませ、ハッピーにして輝いているアーティストが現れる未来が実在する。
好きなものは好きでいい。
自分を否定したりしなくていいんだよ。そのままでいいんだよ。

こういう感じ方はもしかしたらとんでもない勘違いなのかもしれないけど、それだっていいじゃないかと私は思う。
勘違いは勘違いのままでいい。
だって好きな理由なんて人それぞれなんだから。

私は私。あなたはあなた。小林私は小林私。

これからも元気で、いい作品をつくって、ときどきライブに出て、年1回ぐらいアルバムをつくってくれるといい。
それ以上の何も、私は望まない。

だって音楽なんてそれがすべてでいいじゃありませんか。

だめ?


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