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メデューサの仮面

注:このnoteは1本完結ではなく、内容が初めから続いているので、よろしければ「心の中の荷物」から読んでください。

私が育った家庭は相対的に躾に厳しく、体罰も当たり前だったことはすでに書いた。
だが私自身は、その家庭環境にとくに問題があるとはまったく思っていなかった。考えたこともなかった。
なぜならそのころは、学校でも体罰が行われていたからだ。

私はいわゆる団塊ジュニアと呼ばれる、いまも日本でもっとも人口の多い世代にあたる。
親は貧しい時代に生まれ(とりわけ私の両親の家は貧しかった)急激な経済成長の荒波を乗り越えて生き抜き、その子どもは自動的に熾烈な競争社会に放りこまれた。
少し上の世代は校内暴力が問題になっていたために生徒指導の締めつけが厳しくなったうえに超スパルタという環境下で、子どもたちのストレスの捌け口として過酷ないじめが社会問題化していた。

私もご多分に洩れず、幼いころからいじめにあっていた。
それは中学を出るまで続いた。

原因はかなりはっきりしている。

両親は子どもに日本社会に馴染んでもらいたいと考えて、朝鮮の文化や言語を家庭からなるべく排除して私たちを育てた。だから私は朝鮮語は読み書きはおろか会話もできない。おそらく親戚づきあいが密でなかったのもそういう理由が関わっているのだと思う。現在、私が身につけている在日コリアンについての知識はすべて、成人してから書籍やセミナーなどで日本語で得たものだ。
というわけで、私たちは小さいうちは自分たちが朝鮮人であることを知らなかった。
そもそも小学校低学年の児童に国籍や民族なんて概念が理解できるわけがない。

だがあるとき、よんどころない事情で私たちは自分が朝鮮人であると知ることになった。細かい経緯は本稿では省くが、両親は私たちに「このことを学校や他所の人に話してはいけない」といい含めた。「もしかしたら、あんたたちが嫌な目に遭うかもしれないから、黙っていなさい」といった。
数十年前のその会話を、私は季節から時間から場所から情景から親の表情、使った言葉のすべてを記憶している。
そのときすぐに、親がいわんとしていたことをすべて理解できていたかは自信はない。ただ、「これは他人にはいってはいけないことなのだ」ということはわかった。
もちろん私は親のいいつけをちゃんと守った。

ところがまだ小学1年生だった兄弟にはそんなことはわからなかった。
その翌日には、学校中にその話は広まっていた。
仕方がない。わかんないもんはわかんないんだし、7歳の子の口に戸は立てられない。

いじめが始まったのはそれよりも少し後だが、きっかけのひとつだったことはおそらく間違いがない。
とはいえ、他にも理由があったことも否定はできない。

まず、うちは子どもはテレビを見てはいけない家庭で、ゲームも買ってもらえなかった。その代わり本だけはいくらでも買ってもらえた。
となるとどうなるか。
同級生たちとは話があわなくなる。前日に観たテレビ番組の内容が学校の休み時間で最も重要なトピックだった時代に、テレビで流行っている歌もギャグも人気の芸能人も知らずゲームもできないのでは会話の輪にはいっていけるわけがない。
そうなると、校庭で遊んでいる子どもたちから離れて本ばかり読むようになり、さらに孤立する。

大量に本を読むために考え方や感覚の成長ばかり先行してしまったのも、同級生とあわなくなった要因のひとつだ。
学校の成績は良い方で毎年クラス委員を務め、教師や保護者のウケも良かった。同級生たちとは遊ばないのに大人には褒められるような子が、周囲からどう見えていたかは想像に難くない。

かつ、私は幼いころから病的に愛想が悪かった。
これにも明確な原因がある。

朝鮮の人が容姿の美醜にやたらこだわる傾向にあることは、おそらく周知の事実だろう。だからこそ韓国は美容整形やコスメ産業(国策だそうです) であれだけグローバルな隆盛を極めている。
在日コリアンの親族も例外なく、人の容姿をやたら大袈裟に褒めたり貶したりする人々だった。
私の母はいわゆる美人の部類に入るが、彼女の姉妹は皆、周辺で評判になるほどの美人揃いだったため、母は自分を美しいとは思っていなかったようだ。
そして私を含め子どもたちは誰も、彼女の美貌を受け継がなかった。

ある親族は、まだ物心つくかつかないかの私の顔を見ては常に「不細工だ」「母親は美人なのに」という言葉を繰り返した。
子どもだから意味なんかわからないと思っていたのかもしれないが、子どもは言葉の意味よりもそこに込められた感情を敏感に読み取る。
その人物の言葉のために、私はかなり大きくなるまで、自分は二目と見られない怪物のような顔をしているのだと思いこんでいた。

鏡も写真も大嫌いだった。いまも、鏡や写真に写るのは苦手なままだ。
誰にも顔を見られたくなくて、背中を丸めて下を向いて人と視線を合わせず、笑うこともほとんどできなかった。挨拶もろくにできなかった。
客観的には、わけもなくいつも不機嫌で異様に無愛想な子どもにしか見えない。
人によっては、「大人に褒められていい気になって他の子たちを見下している」という風に見えてもおかしくなかった。

そうして、気がついたら、学年中全員から毎日総攻撃をうけるいじめられっ子になっていた。

教師に状況を伝えられ、もっと協調性を養うように指導された両親は私に向かって「どうしてお前は他の子と同じようにできないのか」と非難した。

「どうしても何も、あんたらの子育てが他の家と違うからでしょうが」と思ったが、さすがに口には出さなかった。

私は決して頭の回る要領の良い子ではなかったが、人の図星を突けば何が起こるかぐらいの想像はできた。
我ながら、とことん嫌な子どもだったと思う。


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