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かつて年末の風物詩だったもの
2013年までは毎年そうだった
昨日は仕事が休みでしたので、
おうちのことをしながらテレビを見たり、YouTubeを見たり、noteを開いたり、色々と用事を済ませたりしていたんです。
またまた、入っていたのが「徹子の部屋」。
年内最後の放送だったようで、ゲストが
タモリさんでした!
なんと8年ぶりの出演だったことにビックリしました!なぜなら、タモリさんと徹子の部屋は切っても切れない縁がある番組であることは、
たくさんの人が知っていると思うからです。
8年前、2013年。
それはタモリが司会を務めていた、あの長寿番組「笑っていいとも」が終わる前の年の末のこと。
タモリさんは徹子の部屋の年内最後のゲストでいつも出演していたんです。
それが2013年だったことに驚いたんです。
つまり、「笑っていいとも」が終わってから、
昨日のまでの間、タモリさんは徹子の部屋に出演していなかったんです!
笑っていいともの後番組はバイキングmoreで、
つい先日終了が発表されたことが、何かの因果かもしれないと思ってしまうタイミング。
個人的には、再び「笑っていいとも」のようなバラエティ帯番組が始まってくれたらいいなぁ~と思っているからです。
タモリさんの年齢のことを考えれば、ずっと司会というのはしんどいかもしれませんので、名誉司会として来たいときだけやっちゃうみたいな予定不調和なのでもいいので、見てみたいと思うんですよね。
テレホンショッキングって、なんか他にはない特別なコーナーだったと思うんですよね!
そう!このテレホンショッキングの最長記録を30年もの間、保持していたのが黒柳徹子さんだったわけです。(番組終了の2014年にとんねるずに抜かれるまでの間)
こういう点でもお二人には、特別な関わりがあるんですよね。
そして、このお二人の間を繋いだのが、
赤塚不二夫さんです。
タモリさんがテレビの世界にやってくるきっかけを作った人、タモリさんの恩人になるわけです。(これは赤塚不二夫さんの弔辞をタモリさんが読まれているということが物語っています)
(↑こちらにタモリと赤塚不二夫さん、弔辞について書いてますので、よろしければ。)
「赤塚不二夫ショー」、これがタモリさんが初めてテレビで世に出た番組で、その次に出た番組が徹子の部屋の前身番組の「13時ショー」になります。
それは赤塚不二夫ショーを見ていた黒柳徹子さんが赤塚不二夫さんに電話して、「今、番組に出ていたのは誰?」と問い合わせ、以前から話していた森田という男だと。
そのやりとりの先が13時ショーへの出演になるわけです。それが1975年のことです。
それから、1978年から2013年までの
長きにわたり、タモリさんと徹子の部屋の繋がりがあったわけです。
これは年末の風物詩といっても、過言ではないですよね。
それが8年ぶりに見ることが出来て、よかったです。
話があっちこっちといってしまいましたが、
結論、この瞬間を見れてよかった~!
ということなんです。
それを書きたいというだけにこの記事を
書きました(笑)
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
それでは。
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