【舞台】来た、見た、書いた5

5月もいくつか舞台を見た。それについて書き記しておく記事です。
ネタバレかもしれないようなことも気にせず書いています。



悪童会議第2回公演 ミュージカル「夜曲〜ノクターン〜」


品川プリンスホテル、ステラボールにて。告知のビジュアルを見ても全く内容が想像つかないまま、どうせならなんの予備知識もない状態でいくことにした。今回はじめてステラボールの二階席に座ったが、椅子が座りやすく、ステージも近くに見えるので思いのほか快適だった。

赤い壁に白黒ポスターが映える



客席に入ると、古い幼稚園の立派なセットが構えている。開演までしばらくの間、その木造の建物や錆びた遊具をながめることになるわけだが、多分それも演出に組み込まれていた。開演して早々に火をつけられ、幼稚園は焼け落ちる。ちゃんとした幼稚園の外観は開演前くらいしか見られないのだ。思った以上にしっかり焼け崩れるので度肝を抜かれる。

ツトムの無気力感や無責任感は生々しい。過程をスキップして充実感を得たい、自分が役に立った実感を得たいという欲求はたぶんいつの時代にもあって、近年ではそれはインターネットという手段が与えられたことで顕在化しやすくなっている気がする。地道な努力や知識の下支えがなくても一発逆転ができてしまえる(ように錯覚してしまう)ことで、よりわかりやすく可視化されるようになっている。ツトムの放火はSNSでの誹謗中傷とか、陰謀論への傾倒とかに近い。
本来世界は複雑であり、誰が正義で誰が悪かは明確に切り分けられない。十五たちを通して描かれているのはつまりそういうことなのだろう。それぞれの人物について語られていないことが多すぎて、なぜその行動をとったのか、が見ていてなかなか理解できない(わたしだけかもしれないが)。だが、そもそもそんな2時間やそこらでひとりの人間のことをわかった気になるほうがむしろ危険だ。第二幕での裏切りの畳み掛けは、そうした安易な理解への警鐘とも言えるかもしれない。そう思ってから、なぜサヨちゃんはああいう行動をとったのかとか、なぜ黒百合は……とか、あまりそういうことを考えるのをやめた。彼らはそこでそうして生きた、という、それを自分で勝手に脚色せずにそのまま受け入れるほうが、この作品の見方としては正解のような気がした。

ずっと薄暗いシーンが続くので、ミュージカル化したことで華やかな見どころが多くなっていてよかった。玉野尾と眷属たちのシーンは華やかで美しく、強く印象に残っている。

ご宴席扱いになるんだ


舞台「歌舞伎町シャーロック」


面白そうだから1回くらい行こうかな、で見に行ったら大変面白かった。それが公演の前半で、これはたぶんもっと面白くなりそう、という予感があって、急遽チケットを追加。ということで二度見た。
上演されたIMMシアターは後方席でもステージがかなり近くに見える。傾斜もしっかりあるし、席の前の空間にも余裕があって快適だった。今回一般席で入ったので前方の様子はわからないが、すごくいい劇場だな、という印象。お手洗いの動線もすばらしい。

PPVV3で初めて元吉さんの演出する舞台を見て、今回が2作目。舞台のいろいろなところで人物の行動が同時並行する、それによる雑然とした生々しい感じ、世界に奥行きが出る感じ。2作に共通して感じたことなので、もしかしたら演出の特徴なんだろうか。6月にまた元吉さん演出の舞台を見に行く予定なので、そのへんもまた理解が深まるといいなと思う。

パルクールで場面転換をするというのはたぶん事前に告知されていた気がするのだが、本当にずっと縦横無尽に人とセットが動いていた。たぶん、完全な暗転は一度もなかった気がする。
演劇として、やっぱりいろんなものが舞台上で動いてくれたほうが見ている方は楽しいというのはある。しかしそれは情報量が増えるということであり、それによってストーリーがわかりにくくなってしまう場合もあるように思うのだが、キャラクターも多いのに今回それが全然なかった。
シーンが切り替わった、時間が経過した、というのが一瞬でわかるのは、鈴木裕樹さん演じるワトソンのモノローグの凄さだ。舞台で鈴木さんを拝見するのは3作目だが、どの作品でも地面にしっかり足をつけて立っている印象がある。ブレがないのだ。今回も、周りのセットやキャラクターが常に身軽に動いている中でワトソンだけがぶれない。もともと観客寄りの視点をもつキャラクターということもあるが、ストーリーとしても、舞台としても見やすいのは彼が中心に立っているからなのだと思う。ふたつめの事件解決の心温まるシーンから急にシリアスな雰囲気に切り替わるところ、完全にワトソンの芝居だけでステージの空気が変わった。あの一瞬で劇場の温度が下がった気すらした。
新木宏典さんのシャーロックで印象的なのはやっぱりクライマックスの落語。高座での推理落語との差がたまらない。いいシーンだったなあ。そしてみんな絶賛するだろう、中村泰仁さん演じるマキちゃん。かわいいし、よく見るとずっと身のこなしがレベチだ。ほかのキャラクターも、書ききれないがみんな生き生きして魅力的だった。

当初やたら小さいポスターが掲示されていたが、公演期間の途中で差し代わったらしくてよかった



ROCK MUSICAL BLEACH Arrancar the Beginning


天王洲銀河劇場にて。見たことのある役者さんも多かったので一度くらい見てみたいなとチケットをとった。
席の位置もあってか歌詞がなかなか聞き取れなかったのだが、べつにしっかり聞き取れずとも話はわかる。というか、あれだけ有名な作品、かつアランカル編、ということで、BLEACHを全く知らないで劇場に来る人なんてたぶんごく少数なのだ。みんな話はもう知っている。キャラクター同士の関係性も、それぞれの内面の葛藤も知っている。となれば、たぶん観客の大半はストーリーを見たいというより「あのシーンが見たい」「あのキャラが見たい」という気持ちを強くもって劇場に訪れたのではないかと思う。

1部2部ともとても楽しく見た。全体的に、演劇というよりイメージビデオとかショーに近い印象。これは批判ではなくて、前述したニーズを形にした結果だと思う。漫画のコマがそのままスクリーンに投影されるのも、技名が文字で表示されるのもそうなのだが、とにかくこのシーンかっこよかったよね! この技かっこいいよね! というのを劇場の全員で共有する場になっていた感じがする。
かっこいいシーン、印象的なシーン、颯爽と現れる魅力的で洗練されたキャラクター、それが見たい。連載当時わたしはそんな感じでBLEACHを読んでいたけれど、その気持ちをそのまま具現化したみたいな舞台だった。こういう振り切り方もあるのだというのは衝撃だったが、結果、めちゃくちゃ楽しかった。景気よく卍解しまくる。それでいいのだ。
一護役の木原さん、アクのない芝居が一護らしくてハマっていた。兼ね役が非常に多いのも見どころだと思う。みんな、自分が好きなキャラクターを見たい気持ちがある。ほんの一瞬でも、かんぺきなビジュアルでかっこよく登場してくれるのは嬉しいことだ。
印象的なのはグリムジョー。前述のとおり名シーン集のような構成になっている中で、一作品を通して最も内面が語られたのは結果的に彼だったような気がする。


登場キャラクター数、ポスターの倍はいた

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