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芸術を体感できるMuseum MACAN ②JKT

Mucan MUSEUM を訪れた。MACANはインドネシア語で「とら」という意味らしい。何か親近感が湧く。
貧富の差を外を歩けば体感するインドネシア。物乞いをしている人がたくさんいる国で芸術に力を入れてるのか?と美術館にはそれほど期待していなかった。
だが、Googleマップには草間彌生や世界でも名のしれたアーティストの展示の写真が載っていたので少し楽しみではあった。

誰でも参加できるワークショップ

とても広い空間で大きな作品が並んでいたが、ひとまず右手にある部屋が気になったので入ってみることにする。イスラームの布を纏った女性2人に「あなたたちも作りますか?」と声をかけられた。壁にびっしりと段ボールのようなもので作られた作品が並んでいた。どうやら、靴の箱を使って家を作るらしい。そこからみんな1時間ほど熱中した。僕も無心で創作活動を行なった。


無心だったが、意識はアートの可能性と子どもたちに行っていた。街を歩けば物乞いをする子どもたちが沢山集ってくる。路上で寝ている子どもたちもいる。聞いた話では、泣かないように子どもに睡眠剤を飲ませて物乞いをしている母親もいるそうだ。そんな、教育やアートなんて二の次で日銭を稼ぐことに走っている子どもたちがたくさんいる。僕は日本で子どもたちとアート活動を行っているが、この国で子どもたちに芸術教育なんてものは意味がないのではないか?それで子どもたちの未来はよくなるのだろうか?なんていう自分の信じるものと、目にした現状があまりにも違いすぎて自分の信じているものが半信半疑になっていた。

ワークショップを終え展示を見る

どうやら、僕らがシューズケースで家を作ったのは今回の展示アーティストのテーマでもあるらしい。とても大きな段ボールでできた作品が出てきた。夫婦の作品のようだ。

Exhibition
Isabel & Alfredo Aquilizan: Somewhere, Elsewhere, Nowhere

歯ブラシや包丁やサンダルを使った作品がたくさん出てきた。とても圧倒された。
廃材を使ったアート作品を見るとき、僕は満足できないことが多い。廃材を使うという活動の社会性が強いためにどこかそこに満足してアーティストの真の魂を感じ取れないときがほとんどである。

でも、今回は見終わった瞬間にどっと疲れた。無意識に魂で対話していたのだと思う。圧倒的で、廃材それぞれのストーリーも問題提起してくる。とても見応えのある作品たちだった。

入り込める美術館

美術館を出て気付いた。最初にワークショップをしていたからより、展示が楽しかったのだと。多くの美術館で僕は受け身になるがMuseum MACAN では、自分も作品に自然と入り込んでいた。日本で展示会のテーマに沿ってワークショップができる場所はあまり体験したことがない。美術館が見るだけではなくみんなのアトリエでありコミュニティスペースであるような感覚だった。

入場料はが約900円だった。でも僕らの経験したワークショップはタダでもできる。これが、物乞いをして学校に行けない子どもたちに行き届けばどれだけの子どもにチャンスを提供できるだろう。一流のアーティストの思考やコンセプトをそのままに、無料でも行き届く芸術教育をすべての子どもたちに届けたい。そんなことを強く思った。

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