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無名人インタビュー:元バーテンダーの小説家志望の人

小説家志望の人のインタビューは何人目でしょう? 3人目? 5人目? けっしてすくなくないよ。私も小説家志望だ。
noteという場所がそうさせてるのかもしれないし、実際いまアマチュア小説家または小説家志望の人は増えているのかもしれない。あるいは、単にSNSで自分を他人と差別化するためなのかもしれない。
わかりやすい差別化をしないとわかってくれない人が多いなら、それを減らすのが無名人インタビューですからね。あーまた自分の話をしてしまった。
つまり、今回のインタビューもお楽しみくださいー!

今回ご参加いただいたのは 水叉直 さんです!
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1、良い人

qbc:どんなところに興味持っていただいた感じですか?

水叉:自分の活動を広めていこうと思ったときに、インタビューって方法をしようって考えてたところでだったんですよ。
なので、参考にちょっと参加してみようかなと。

qbc:なるほど。それでは、どんなインタビューにしていきましょうか。

水叉:今、言葉を使って活動しているんですけど、これからどうなりたいかということを話していきたいです。
23歳になるんですが、大阪生まれ大阪育ち、今も大阪に在住しております。小中高大と、ほんとつつがなく学業を進めて、就職活動することになりました。
で、今思うとなんですが、僕は結構自分の言葉を押し殺して生きてきたんですよね。
世間で言うところの、いい子ちゃんです。

qbc:はいはい。

水叉: 先生からしたらかなり扱いやすかったと思います。友人関係もそんなに悪くない。そんなに大きな失敗だったりもしない。起伏のない生き方です。
でも、僕は心からそうしたいと思ってしてたわけじゃなかったんですよ。なんとなく小さい頃からこうしていった方が正しいんだよ、こうしていくべきなんだよ、っていうのが刷りこまれていってて。自分の言葉を出すっていうのが、なんとなくできなくなっていたんです。一種の呪いみたいな。
で、大阪の建築系の大学に行って、様々な人がいるってことや、自分の気持ちを押し殺さなくていいんだってことに気づいて、そこで呪いが解けたんですね。

qbc:なるほどねえ。就職はどうしたの?

水叉:就職は愛媛県でしました。愛媛県にしかない会社っていうのがありまして、そこに入りたいっていう一心で決断をしました。
呪いの他にずっと心の中にあったのが「方向性の正しい努力ってのは自分を裏切らない。」っていう言葉で。しっかり努力してきた自分を僕自身もきっと裏切らないっていうのを何となく信じてまして。部活動も他の競技とかに比べて才能より努力が占めてる割合が大きいなって思って長距離競技を選びました。方向性の正しい努力さえしておけば何かにはどんどん近づいていけるって思うんですよね。

qbc:はい。

水叉: そこの就職の門を突破して入社したんですが、入ってから即戦力を求められるっていう企業体制だったんですね。新入社員さんによくあるような研修もあんまり無くて、お客様の前に立ってやりながら学んでいくという形でした。色々聞いたり調べたりしながら必死にやっていって、その中で本当にありがたいことに3件のお家のご契約をいただんですよ。

qbc:ハウスメーカーなんですか?

水叉: 住宅の設計事務所の方が近いですかね。設計と営業どっちも、で仕事と並行しながら2級建築士の資格も取得したんですけど、3件のご契約と二級建築士の資格持った状態で会社を半年で退職しました。

qbc:どうして? なんで辞めちゃったの?

水叉: 一番の理由っていうのが社内の人間関係なんですよ。陰口も横行していて。一番嫌だったのが「ありがとう」が無くて。最初は嫌だったのに少しづつ慣れていってる自分も嫌いになって。ここにいてもあまりプラスにならないと思って辞める決断をしました。
でも仕事中、お客様と話すこともあって、その中で言葉っていうのは人に希望を与えたり、反対に騙したりできることも改めて学びました。

qbc:はいはい。

水叉: 自分を責めることはまだありますし、続けてたらどうなっただろうっていう後悔とかあります。ただ続けてたら心的か肉体的か分からないですけど、多分死ぬに近いような感情にはなっていたと思うんで。がんばったからいいかなって自分を褒めてあげることしかできないなって思って今はなんとか割り切れてます。

qbc:まー今は大きい問題かと思いますけど、傍から見る限りではどっちでもいいと思いますよ。

水叉: 本当ですか?

qbc:うん。全然。どっちでもいいと思います。今現在どんな人かということと、過去の自分なんて比較できない。

水叉:それで辞めた後っていうのは半月ぐらい放心状態になって、その間に本当に生きていくって、これまでどうして生きていきたんやろう? ってのを色々考える時間が取れたんですね。
給料自体は正直悪くはなかったんですよ、ただそんな環境やったからこそお金じゃないなって改めて思えて。いくら稼いどったとしても自分が生きたい生き方やったり、やりたくない考え方を矯正しないと生きていけないんやったらあんまり意味がないかなって思って。その時に本当にやりたいことを見つめ直したんです。

2、小説

水叉:それが物書きとしてなんとか生計を立てていこうっていう現在の活動に繋がる形になります。これが今年の12月までのお話ですね。

qbc:なるほどね。

水叉: そこから半月ちょっと体制整えながら12月5日に大阪戻って本格的に色々動き始めました。

qbc:じゃあ、今年色々ありましたね、就職して試験受かって、自分の営業で物を買ってくれて。コロナもあってね。忙しかったでしょう精神的にね。

水叉: でも結構忙しかったりしんどかったりしてるほうが、変に生き生きしてたりはするなって。

qbc:パワフル!

水叉: ていう形で物書きとしてやっていくために賞に応募したり。noteもそれで始めて。
これからどうしていけば知名度が上がるのか、生きていく上で必要な収益を得れるのか、本当に手探りの状態なので不安はずっと付きまといますね、ただお金の生み出し方とかお金がどうやって生まれているかとかを深く考えたことがこれまでなかったんで、今いい機会やなと思えてます。

qbc:本は小さいときから読まれていたのですか? 

水叉:本は小さい頃から好きでした。最初は絵本から始まって、次に覚えているのは国語の教科書とかですね。小学校一年生とかの教科書のお話も今も覚えてたりしますし。授業中暇やったら誰かとしゃべるってよりは教科書読んでたんですね。誰かと喋るのは僕の中ではいけないことだったので。そういうのは誰かのせいでそんな考え方になったっていうよりは自分で知らず知らずのうちに負荷かけていったんかなって今になったら思いますね。

qbc:どんな内容のものが好きだったんですか。

水叉:僕の中で一番刺さったのは、村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』ですね。

qbc:あーインタビュー参加者の中で言うと、村上龍が好きで薬で捕まっちゃった人いた。
村上龍の好きなところは?

水叉:憧れが一番強いのかなって。読んだのが大学生のころになるんですけど、きっと呪いを解くきっかけになった本でもあると思うんですよ。今までの価値観とかひっくり返って、あ、こんなにも生き方っていっぱいあるんやっていうのをこの本で知らされたのかな。

qbc:なるほど。子供のころって確か、典型的良い子っておっしゃってましたっけ?

水叉:賢い子というよりは小賢しい子という方が似合うかもしれないですね。
めちゃくちゃ学力高いわけではないんですけれども。

qbc:建築はどうして目指したんですか?

水叉:きっかけとしては東京スカイツリーに影響されて。それを見て、あ、人間ってあんなもんもできるんかって衝撃を受けて。
高校3年時までは、数学とか物理好きやから理系にいってたんですね。

qbc:なるほど。

水叉:進路を決めるときに学業が高校の中で学年二番だったりしたので、推薦が選び放題だったんです。で、近畿大学建築学部っていうのが推薦できて。そこを選んだんです。

qbc:なるほどね。

水叉:陸上競技にすごい力を入れたかったので、受験勉強全然できないってのは最初から分かってました。なので高校一年時から定期テストの点はしっかり取って、内心点は上げておいて。で、推薦で大学に行くってもう決めてたので、思った通りに進んだんですね。そういう小賢しさとか今もまだ残ってるのかなっていう。

qbc:そうですねー。どんな作品を書きたいですか?

水叉:さっきの好きな作品とは別物になるんですけど。好きな世界観は有川浩さんです。温かみだったりちょっとくすぐったくなるっていうのが好みなので、そのような文章を書いていけたらなと。
もう一つ、自分の中に秘めた熱量を伝えることで誰かを救うことができるような文章も書いていけたらなと。

qbc:なるほど。今は実家に住んでるんですか?

水叉:大阪に戻ってきまして、友人の家に居候させていただいてます。全然金銭的に余裕がないので、単純に甘えてるっていう形になります。

qbc:なんも甘えじゃないですよ。逆にそういう友達がいるって恵まれてると思います。水叉さんの財産ですよ。

水叉:かなり恵まれてるんですよ、本当に。これまで自分に関わってくださった人達っていうのが軒並みいい人たちなんですね。何かあったら力になるよって言ってくる人達ばっかりで、本当に力になってくれたりしますし。
そんなにも心の綺麗な素敵な人たちが自分の回りにいてくれてるって言うのはqbcさんもおっしゃっいましたけど、本当に僕の財産だなって。

qbc:ご本人の中の努力っていうのは傍から見たら分からないですけれども、この人は何やってもとんとん拍子にうまく行くようなタイプだな、て思ってます。

水叉:本当に色んな人に言っていただけるんですよ。「多分何をしてもうまく行くって」

qbc:出ちゃってるよね、人のよさ。

水叉:なるほど。イマイチずっと信じられてなかったですけどその言葉を。そうなのかなって。

3、バーテンダー

qbc:この先、3年、5年、10年、50年の未来ってどう考えていますか?

水叉:そうですね。まずはここ2年の間に文字を書くことで生計を立てる形を作りだす。これを目標にしてます。

qbc:すごいね。

水叉:で、5年以内に小説すばる新人賞を目標に書き続けます。その先10年経って33歳になった時には、いっぱしの作家、小説家としてどこに名を連ねても恥ずかしくないような人間に成長してるっていうこと。

qbc:はい

水叉:50年後、73歳の時ですね、そのころにはあたたかい可愛い孫の顔が見たいですね。
で、死んで行く時にはまた別のできなかったことを後悔して死んでいきたいです。世捨て人にも憧れたりするんですけれどやっぱり家庭が持ちたいなって思うので、その辺りのバランスです。ただ直近5年とかは、執筆活動に集中できるような体制を言葉・文字で構築するっていうのが目標ですね。

qbc:なるほど。っていうか小説自体を書き始めたのはいつ?

水叉:完成してなくてもいいんだったら5月ぐらいからあります。

qbc:何で書き始めたんです?

水叉:えっと、大学2年生の時に大阪の日本橋にあったビリヤードのプールバーとダーツバーをくっつけたようなお店でバイトをしてたんですね。

qbc:あー。

水叉:一枚板のカウンターもあって、ちょっとオーセンティックな感じも出てるようなお店だったんですけれども。生活したら絶対会わような人たちがすっごい楽しそうに遊んでるんですよ。そんな空間がすごいあったかくてすごい好きでして。そこで二年ほど働かせてもらったんですけども。僕が卒業する1月前にお店のオーナーが事故に遭って、お店はたたむことになったんです。
オーナーと一つ年上の女性の店長と僕の三人で店を回していたのでちょっと存続不可能になってしまって。去年の2月にお店は閉店したんですけれども、そういうあったかい空間があったお店が存在したんやっていうのを、多くの人に伝えたいって思ったのがきっかけです。

qbc:でも、何でそれが小説? 映像でもいいじゃない?

水叉:確かに。

qbc:そこはなぜ?

水叉:そうですね。正直何で小説やったかって言われたらぱっと出てこないですね。

qbc:身近なものが小説だったとか?

水叉:そんなきっかけやと思います。自分が表現できるものとして一番手元にあったのが小説だったのかもしれない。

qbc:どういう話? もうバーの話をそのまま書きたいなっていう?

水叉:その空間をモチーフとして。あとはほとんどフィクションでいきたいなって。オーナーがいてて、女の店長がいてて、あと一人バイトがいてっていう図式と登場人物は変わらないんですけど。
その中で起きる出来事だったり、あとは店を閉めるきっかけだったりとかいう部分はちょっといじっていこうかなって。

qbc:建築やるくらいだから物語の構成みたいなのは好きなのかな?

水叉:そうですね。組み立てたりだとか。図面も描いたり、間取りも作ったりするんですけども。
でも、働いていた時、お客様の前で話して競合他社と競い合って契約していただくような、営業色がけっこう強かったんですよ。その中で話の組み立て方や相手に響く言葉選びだったり。建築よりは、働いてた間に学ん多彩な言葉の使い方として自分の中に残ったっていうのが得たものとして大きいかもしれない。

qbc:なるほど。あー。じゃあ、今までした一番悪いことって何ですか?

水叉:(笑)なんですかね。会社を飛んだことですかね。

qbc:あ、辞めるときに連絡しなかった?

水叉:結局連絡はして、ちゃんと離職届もいただいてっていう感じで、正式な手続きは踏んだんです。けど、先に伝えてから辞めるって言うよりは、退職届を机に置いて辞めました。

qbc:大人しいと言っても、活動的と言えば活動的だと思います。

水叉:そうですね、気になることがあったら飛びこんでみたいなっていう。それきっかけでビリヤードとかにもハマって。あのバイト生活で色んな人がいるってのも知りました。ある種、友達のようにお客さんも話しかけてくれて、表面上じゃない大人とかを知れたのもそのときでした。
そこで得た価値観がきっかけで、愛媛県のあの会社に挑戦してみようって思いました。タイミングタイミングで自分がどんどん成長していって、その結果今一人で物書きとして活動するっていうことに繋がってるって感じですね。全然すごい人間じゃないんですけれども、随所随所挑戦したり、ふんばったりしてちょっとずつ大きくなってるって感じですかね。


qbc:お話おうかがいしてて、物静かだけど淡々とご自身の物語を歩んでるような感じがします。今、手応えみたいのは感じてますか?

水叉:全く感じてないです。

qbc:焦りみたいのは?

水叉:焦りはすごいありますね。一つ物買うのでもどんどん躊躇していってます。

qbc:アルバイトはしてるでしょ。

水叉:今はしてないです。

qbc:アルバイトもせずに? そりゃすごい。

qbc:この無名人インタビューに期待していたことって、あったんですか?

水叉:それはもう正直な話、少しでも自分の名が広まってくれたらいいなって。あと、自分の考え方を改めてまとめたり。qbcさんとお話して思ったんですけど、なんで僕がそのお店のことを書く時に小説だったのかって、考えてもこなかったことだったんで。
そういう自分じゃ思いつかなかった疑問とかを投げかけてもらえて、とてもありがたいなと。

qbc:23歳とは正直思えない、しっかりした方だなって思ってますよ。他に23歳家もいたけど、彼もしっかりはしてたけど、起業家なんてすげー悩んでたね。「うまくいくんですかねーこれ」みたいな。

水叉:不安ってずっとありますよね。

qbc:不安は消えないでしょ。人間のセンサーだもん。逆に不安がないと危険につっこんでばっかりになったりするでしょ。ただ、不安に鈍感になったりはするよね。

水叉:なるほど。

qbc:人間が認知症になるのは、死の恐怖と不安をまぎらわせるためだ、なんて言ったりね。子供返りして病院を学校、看護士さんを先生とか思っちゃうのは、自分がいちばん幸せだった時代に行こうとするからだって。

水叉:怖いものから逃げたくなるんですね。

qbc:最後に、これだけは伝えたいことがありましたらどうぞ。

水叉:これからの抱負みたいなことでもいいです?

qbc:全然いいですよ。

水叉:これから、自分を成長させていきながら多くの人の目に自分の言葉が触れるようになっていきたいって思っているんですけれども、その中で絶対に忘れないでおこうって思うことが、ありきたりなんですけども感謝です。人に対しての感謝、「ありがとう」って言葉は一生忘れずに生きていきたいなっていう風に思います。

qbc:ありがとうございます。ほんと、応援したくなるタイプの方ですね!

水叉:ありがとうございます! 照れますね(笑)

qbc:バーテンダーとかも向いてたでしょ。よくおごってもらってたんじゃないの?

水叉:すごいかわいがっていただいてました。

qbc:やっぱりね! 今日はありがとうございました。

水叉:こちらこそありがとうございました!

あとがき

ほんと良い人ですわねと思いました。良い人の特徴というのは、自分の悩みを素直に言えるってことなんじゃないだろうか。
世の中、一部の人は誰にも言えない悪意を胸に秘めて生きていて、苦しんでいる中、太陽の下を大手を振って歩いている印象がありました。
なんてね。
そういうことをなかなか聞きだせなかったインタビューだったのかな、なんて思ったインタビューでしたわ。

編集協力:有島緋ナさん 5周年さん

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