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【社会学インタビュー】「休学は、人生の8月31日」

割引あり

なぜ人は、大学を休学するのか。
それは、休学したいからだ!!!!!
って単純なわけでもないんだな、と休学経験者の二人のインタビューをしてみて、思った次第。とくとご覧あれ!!!!! 光あれ!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回参加いただいのたは、こちらのお二人です!


「興味のあるものに、ふらっとやってみる感じで過ごした」

qbc:
とりあえず今どういう状況なのか、というのをお話しいただきたいなと。

toki:
私は今社会人1年目で、この4月に就職しました。今、同期は社会人2年目っていうタイミングですね。

休学は、4年生の前期に半年間。

qbc:
誰絵さんはどういう状況ですかね。

一休誰絵:
私は、今年の3月に大学を卒業しました。

就職はせずにフリーランスとして働いていて、学生時代からお世話になった方々から仕事をいただきつつ、生活しています。大学を休学したのが私もtokiさんと一緒で、大学4年生に上がるタイミングで、私の場合は1年間ですね。

qbc:
休学をしたきっかけというのは?

toki:
将来やりたいことがよくわからなくなって。
休学する前、大学3年生で丸々1年ぐらいかけて就活をやっていたんです。でも、結局自分は何がしたいのかどんどん分からなくなっていって。
いろんな人に「将来こういう業界がいいよ」とか「こういうふうに考えるといいよ」みたいなことを言われすぎて、「これがやりたいかもしれない」と思い浮かんだとしても、それって本当に私の中から出てきた願望なのかなって。ほかの人が言ってたからそれがいいと思っているだけなんじゃないかって、自分が考えたことと他人が言っていたこととの分別がつかなくなってしまって。

やりたいことがわからないのに、どうやって就活を進めたらいいんだろう、みたいな感じで、もう何もわからなくなって、一旦、休んで考えようって思ったのが休学のきっかけでしたね。

qbc:
どうでしたか。

toki :
休学に関しては、良かったか悪かったかで言えば、間違いなく良い時間だったなと思いますね。
人生における選択肢が増えたっていうことと、世の中にいろんな人がいて、いろんな生き方があるんだなっていうのを見ることができたっていう点で、休学してよかったなって思います。

qbc:
休学中に、どういう行動をしてそれを知った?

toki:私は休学中は主に2つのことをしていました。地方で住み込みアルバイトと、無名人インタビュー。どっちも色んな人に出会って話を聞いて、色んな生き方を知るっていう点で共通していて、それによってさっき申し上げたようなことに気づけたなと思います。

一休誰絵:
個人的には1年間は長かったかな、と思うところがあって。私みたいに長期間の休学になると、留学だったりとか、海外のインターンシップとか、あと国内で言うと、地域おこしとかに参加することを、いろいろできたとは思ってはいたんですけど。

私の場合、その1年間という枠の中でそういった外に向けての生産活動ができたのが、そこまでなかったなっていうのがあって。そういう意味では、1年間という期間は長過ぎちゃったような気がする。その一方で、tokiさんがさっきおっしゃってた、選択肢が広がるっていう意味では、私も経験した数こそ、それほど多いわけではないけど、それでもすごく広がったとは思う。

良かったが70%、ちょっと長すぎたかなって30%、っていった感じですかね。

qbc:
具体的には何をされていた?

一休誰絵:
基本的には、家の中でずっと本の虫として、ひたすら本を読んでたっていう感じでしたね。大学3年生の頃から続けていたメディアのインターン生としても、週2、3ぐらい活動しつつ、私もtokiさんと同じように、地方のちょっとした農業体験だったりとか。あと、この頃コロナが微妙な時期ではあったんですけど、インドとか海外に行ってみたりとか。
興味のあるものに、ふらっとやってみる感じ。

qbc:
休学するきっかけは?

一休誰絵:
私も、就職活動を大学3年生の頃から少しずつやってはいました。その頃からある程度自分のやりたいことを決めてはいたんですよね。

なんですけど、いざ就職活動で面接とかああいったのを少しずつ受けていく段階で、自分の中の視野の狭さだったりを感じてしまって。

自分たちの世代って一番動きやすい大学2年生のときにコロナ渦になり、外に出られなくなっちゃった、みたいなことがあったので。そこに対する心残りみたいなものがあった。

だったら、卒業を1年引き延ばすことによって、引き出しみたいなのが増えたらいいかなと思って休学しました。将来やってみたい仕事のために、そういう意味で私は休学をしました。

あとは、大学3年までの間に、自分が専攻していた学問、数学に対してきちんと向き合えていなかったなっていうのが、負債としては大きくて。

元々、強い思いで数学を勉強しに行きたかったわけではなかったこともあって、ズルズルズルズルって何となく勉強してここまで来てしまって。大学卒業まで1年を切ったタイミングで、数学に対して、よくわからない状態でここまで来てしまったっていうのがありました。

一休誰絵:
だから、なあなあで勉強してしまったものを一旦リセットするみたいな。もう1回自分の学問に向き合ってみようっていうのが多分理由の一つだったような気はしています。

「毎日が8月31日」

qbc:
休学中は、どんな気持ちで過ごしたんですか。

一休誰絵:
やっぱり一般のレールに外れている感覚はありました。

ニートと謳っている人たちが、ネット上とかツイッターとかで「毎日が8月31日のように過ごしてる」みたいなことを書いていて。まさに、そんな感じではあったような気はしますね。

qbc:
ポジティブとネガティブって言ったらどっちの意味ですか。

一休誰絵:
どっちかっていうのは言えないような気はしますね。

8月31日って言われて、自分がまだモラトリアムを謳歌しているから、自分の興味のあることとか好きなこととかを、思うままに知見を広げることができるっていう意味ではポジティブ的な感じで捉えることもできるんですけど。

ネガティブで言うと、自分が外の世界に向けて何も生産していないような気がしている部分がどこかで感じていて。

そういう意味っていうのは、よくわからない焦りみたいなのが、常に付きまとっていたような感じはあった気はしますね。

qbc:
休学っていう決断は。何でできたんですか。
例えば、知り合いにすでに休学しているロールモデルがいて、とか。

toki:
私は休学しようって決意した決定的な出来事があって。

就活中のある日、母親と二人でサイゼリアに行ったんです。
そしたら、別に就活の話とかしてたわけじゃなかったんですけど、急に母親に「10万あげる」って言われて。本当に何に使ってもいいから、何かしてみたらいいじゃないって。きっと当時悩んで精神的に疲弊していたことに気づいていたんでしょうね。その思いがけない母の一言に背中を押されて休学しようってなりました。

qbc:
休学っていうワードは、どこから仕入れてきたんすか。

toki:
周りに休学している友達が数人いて、うっすら選択肢としては頭の中にあったんですよ。
だから、もう就活もよくわかんないし、これ以上、精神的に就活を続けていられる自信がないし、もう休むしかないのかもって。でも、休学するぞって決断するきっかけがなくて、どうしようってなっていたときに、そのサイゼリアでの出来事があって。今だ、みたいな感じでしたね。

qbc:
これって。何か理由があるとしたら何なんだろう、療養のため?

toki:
休むため? あと、よくある言葉で言えば、自分探しのためみたいな感じですかね。休んで自分の英気を養いつつ、やりたいことを見つけたいなみたいな。

qbc:
誰絵さんは?

一休誰絵:
元々大多数の人がこれを選ぶから私もこれ選ぶっていうことを、今までしたことがなかったんですよ。自分の我がかなり強い方ではあったので。
例えば、私は1年浪人してるんですけど、浪人したとき、親は反対気味だったんですよね。1年苦しむことになるけど、それでもいいの?みたいな感じで言われて。それでもやっぱり自分の納得感みたいなのがどうしても欲しくて。

休学のときもそれと同じような感じで、大学3年のときにあんまり納得のいく形で知見を広められなかったっていうのが一番大きい。

qbc:
なるほど。

一休誰絵:
大学卒業した後にも、そこの負債が一番大きくなりそうだなっていうことを思って。
そのときに、休学して何をするかっていうよりかは、卒業を1年あえて引き延ばして、学生という立場の中で得られるものはあるというか。その意味では、休学っていう選択をするのは、全然ありだなっていうのがありました。

休学っていうこと自体を何で知ってるのかっていうのは、うわーなんで知ったんだろうな。確か、大学のパンフレットをたまたま開くときがあって、そのときに休学ってワードを初めて知ったんですよ。私の大学は規模が小さいところだったので、1年に5、6人休学したら多い方かなっていうぐらい。
そのときに「こんなに少数の人しかしないのか、だったら逆にどういう感じなんだろうな」っていうところの興味が大きくなった、ですかね。

もし1年モラトリアムを作るだけなら、留年って選択肢も多分、あると思うんですけど。留年だったら、学費がかかってしまうのもあったり、なんだかんだ週最低1回ぐらいは大学で授業を受けなきゃいけないしみたいな感じだったので。大学から離れてみたかったから、留年という選択はしなかったですかね。

だから、そのタイミングで休学っていうワードがふと入ってきてて、その選択をしてしまったっていうか。復学する時は、もちろん勉強が大変ではあったけれど、

qbc:
お二人でそれぞれ聞きたいこと、あったらどうぞ。

toki:
じゃあ私から。メディアのインターンとか海外行くとか地方行くとかいろいろされたと思うんですけど、何をするかって、どういうふうに決めてたのかなっていうのが気になってて。
私の場合、半年間で大体二つ、三つぐらいのことをやったんですけど、全部最初からこれをやろうって決めてたわけじゃなくて。1個やってる間に、次何するか決まってないどうしようって常に考えてて。それこそ8月31日みたいな感じですね。その時やってることを楽しみつつ、でも次どうしよう、休学したからには何かやらないと……みたいな焦りも常にあるみたいな。
誰絵さんは、休学中「これをやろう」みたいなのを、どういうタイミングでどんな考えで決めていらっしゃったのかなっていうのが、ちょっと気になりました。

一休誰絵:
個人的には全然決めてなかったのが正直なところです。
1年間休んでいれば何かしらやってはいるだろうっていう、ちょっと希望的予測の中で休学したところはあります。

それで、私も、tokiさんと同じような感じの焦りをずっと感じていた。あのときは多分、私すごい馬鹿だったのかなと思って。その先に何が終わっているのかっていうところの期待も全然考えていなかったというか。

でも、期間中は、目の前にあるもので、できそうなものを、やればそれでいいか、みたいなところがあったので、もう全然質問の答えにはなっていないんですが。

qbc:
意外に次何やるんだろうって悩むのね。

一休誰絵:
休学を選択肢に入れてきたときに、休学するメリットデメリットについてネットで調べたことがあって、やっぱどのサイトを見ても、目的を明確にする、例えば海外インターンシップに行くとか、留学に行くとかっていうしっかりした目的を持って休学しろって書いてあるところがほとんどでした。

けど、そのとき自分のちょっとした反骨心みたいなのが働いて、確固たる目的は後で見つければいいじゃんって思って、とりあえず休んでしまった。
実際、休学明けて大学卒業して考えると、やっぱり目的はある程度視野に入れながら、休学していった方が、もしかしたら、また違った景色が見えたのかも知れない。


「就活の苦しみがあったからこそ、自分の休学はしてよかったなって」

一休誰絵:
私がtokiさんに聞いてみたかったのが、休学を明けてから、大学生の本分である、自分が専攻する勉強に対するハードルみたいなのってなかったのかなと思って。

自分の話にはなるのですが、数学を専攻していて、私の場合は結構1年ってちょっとブランクが長かったので、忘れてた記憶を呼び起こさなきゃいけないって作業がすごく大変だったのがありました。
tokiさんは、そういうことがあったのかなって、ちょっと聞いてみたいです。

toki:
私の場合、休学前に単位はほぼ取り終わっていて。あとゼミだけみたいな感じだったんですよ。ゼミも、がっつり深く学問を追求するっていう感じでもなく、休学期間も半年だったので、そこまでブランク的なものを感じることはなかったかなとは思います。

ただ、半年という微妙な機関休学をした結果、卒業論文を書くタイミングが同期とも後輩ともずれて、助け合う仲間もおらず、1人で卒論を書き上げなきゃいけない状況になったんですよね。だから、勉強についていけないみたいなのは私の場合は起こらなかったんですけど、孤独との戦いというか、1人でこの卒論を書き上げねば、みたいな苦しさはあったかなと思いますね。

一休誰絵:
tokiさんが休学したタイミングって、大学4年生に上がるタイミングだったと思うんですけど、もし今の時点でもう1回休学してみるのであれば、どのタイミングで進むのが個人的にベストだなって思いますか?

toki:自分の大4の春というタイミングはわりとよかったかなと思ってますね。
大学3年生とか4年生とか、大学生活の後半がいいかなって思います。

っていうのも、1回就活をしてから休学をしたっていうのが、自分の中で大きくて。就活をしたときに、自分ってどういう人間なのか、自分がやりたいことって何なのか、そういうことについてひたすら考えて、ものすごく悩んで。その苦しみを味わったからこそ、休学した時に、本気で道を模索できたというか。苦しい期間があったから、自分の休学は、してよかったなって思えたものになったのかなって思いましたね。

ただ、今話しながら思ったのは、就活を経験してから休学をすると、どうしても就活の価値観に縛られてしまう部分もあるなって。

例えば、ガクチカはこういうことを求められているんだとか、面接ではこういうことを聞かれるんだとか、就活における暗黙の了解ってあるんですよね。それを知ってから休学したことで、休学してる間も「これ就活で使えそう」とか、「ここ面接官につっこまれそう」とか、考えたくなくてもそういう思考に陥っちゃうことがありました。

それを踏まえると、大学1年生とか、本当にまっさらな状態で休学を経験をするのもいいかもと話しながら思ってしまいました。
逆に誰絵さんはどう思いますか。

一休誰絵:
私も、大体はtokiさんと同意見というか、一度就職活動をしていく中で、自分が世間に対して、どういう形で貢献できるかっていうのが、いつまでに考えてから休学すると、一度そういう目で自分と向き合って、手から一度自分を見つめ直すっていう意味では、就職活動を経験していた方が、「世間に対して、どう向き合っていくのか自分よ!」を考える意味では、知見の広がりやすさみたいなのはあると思う。

大学低学年に休学される方と比べると、また少し違う知見が得られるのかなと思います。
その一方で、私も休学中に「就職活動で、これはネタになりそうだな」とかを考えてしまっていた部分もあったり。

さきほど言った、8月31日の感覚みたいなのが結構より強く感じてしまっていたというか。それこそまっさらな状態だったらまた何かちょっと違う視野があったのかもしれない。
ヨーロッパとか、休学する学生さんが多い国とかだと、高校から大学に上がるタイミングで、1年間ギャップイヤーみたいな形で休む人たちが多いらしいし。

その一方で、日本の場合は大学生の間に、中途半端なタイミングで休学しているイメージ?を持っている。海外とかって見るとあんまり見かけるような感じはしない気もしていて、日本における休学みたいなのって、世界的に見ても特殊な感じではある、っていうのはちょっと思ったりしています。

toki:
確かに。私はギャップイヤーのことそんなに詳しくないんですけど、ギャップイヤーって、選択することを前提にしたお休みだと思うんですよ。休んだ後に大学入学とかが控えていて、休みを謳歌した先に何かしらの選択を迫られる。
私たちの場合も、大4という時期からみてもわかるように、休学後に大学卒業後の進路を選択するということを前提に休学をしているんですよね。

でも、例えば大学1年生とか2年生とかで休学する場合って、最悪その期間何もしなくても、一応大学生という立場には戻れるし、選択をするタイミングまで多少の猶予がありますよね。
そういう、追い詰められていない状態っていったらあれですけど、多少余裕のある状態で過ごすとどうなるのかっていうのは、ちょっと気になりますね。

一休誰絵:
もし自分が大学2年に上がるタイミングとか3年に上がるタイミングとか、まだ若い段階で休学していたとしたならば、多分、今の自分はないような気もちょっとしちゃっていて。

私が休学した4年に上がるタイミングは、大学卒業まであと1年ぐらいしかないっていう状況の中で、卒業した後に自分がどう生きていこうか、この後どう生活をしていこうかっていう選択が迫られているときだったから。

「視界が開けた感じがしたのが、休学してよかったなと思った理由かなと思います」

qbc:
結論として、自分の休学は良かったか悪かったかっていうのはどうでしたかね?

toki:
私は、休学してよかったです。
理由は、繰り返しにはなってしまうんですけど、人生の幅が広がったというか、選択肢が広がったからっていうのになりますかね。休学して、それまではやっぱり学校入って勉強して卒業していい会社に入ってっていうような人生の歩み方しか知らなかった。
でも、休学して色々やったことによって、こういうふうに生きてる人もいるんだって知ることができて。どうなってもきっと生きられるだろう、じゃないですけど、人生どうにでもなりそうって思えるようになったんですよね。

そうやって、視界が開けたことが、休学してよかった理由かなと思います。

qbc:
誰絵さんは?

一休誰絵:
結論的には、良かったのかなとは思っていますね。tokiさんと似た理由なんですけど、選択肢が広がったというか。私も休学する前は、大学卒業者がストレートに就職をしなきゃっていう固定観念から、ちょっと縛られてしまっていたところがあって。
一旦、ストレートではない方の道を行って、気ままに好きなものに、実直に動いたことを経験してみて、それはよかったと思います。

qbc:
休学のメリットデメリットって言うと、どんな感じなんですか。

toki:
デメリットは、私立だと休学するのにお金がかかる。

一休誰絵:
あと、所属している学部学科によってだいぶ左右されると思うんですけど、特に私のような数学を勉強している立場からいうと、大学の勉強には影響を受けることにはなると思います。
私が専攻した数学は、他の理系分野にも共通することだとは思いますが、学部生期間にその学問の基礎を積み上げていってはじめて、卒業時点で一つの学問を勉強したっていうことにはなるので。一旦ブランクを挟んでしまうと、戻るときのエネルギーみたいな、学問に対するエネルギーが必要でした。

一休誰絵:
学問的に言うとデメリットはあるような気はしますね。休学後に勉強に対するモチベーションは上がることには上がるのですが。

toki:
あと、これは人によると思うんですけど、誰絵さんが冒頭におっしゃっていた「生産性がない」ことに苦しみを感じないかどうか。私も自分に生産性がない、学生でも社会人でもない、何者でもない状況が結構辛かったんですよね。それに耐えうるかどうかみたいな、そのあたりがデメリットに働くこともあるかもしれないですね。

一休誰絵:
その面で言うと、休学をしていると、理由を聞かれる機会がすごく多いというか。自分は確固たる信念を持って休学したっていうわけではないというか、私の中では視野を広めるんだっていう目的で休学はしたものの、なかなかそれを理解してくれないというか……。
わざわざ空白という期間を挟んでまですることなのか、っていう目で向けられることがあったような気はしてはいるので。
休学者っていう肩書きに、私は一時期ちょっと悩んでしまったことがありましたね。

これは私が一時期就職活動をしていたときに思ったんですけど、空白期間に何かしらやっていないと、あんまり良しとされない風潮みたいなのがあるというか。思いっきり休むってことに対しての罪悪感っていうのが、意外とあるなと思ってて。空白があまり理解されにくかった。

一度面接を受けたときに、「1年休んでまで、そんなことする必要があったの」みたいなのをチクリと言われてしまったときがあって。これは私の説明が下手だったのはあるのですが、そのときに、「休む」って良しとされない考えもあるんだなっていう、自分の考えとのギャップにショックを受けてしまったことは、ありました。

toki:
目的がないと休んではいけない、みたいな、そういう雰囲気はなんとなく感じますよね。
ただ、誰絵さんの話にあった「1年休んでまで、そんなことする必要があったの」みたいなことを言ってくる人って、きっと休学したことない人なんだろうなとか思っちゃいますけどね。

一休誰絵:
そういう人たちは多分、ストレートの中で必死に走ってきてる人たちだと思います。多分、一旦立ち止まるっていう概念みたいなのはないかもしれない。ないだろうなとは思いつつ、その人たちが悪いとは絶対言えないし、走り続けることもエネルギーを必要とはするから、否定する気はサラサラないんですけど。
私も否定しないから、立ち止まることに対してはちょっと、あんまり悪くは言わないで欲しいなってちょっとチクッて思っちゃう。

toki:
そういえば、この前行った住み込みバイト先は、メンバーがほとんど大学生だったんですけど、6,,7人くらいいる中で休学してない人が1人しかいなかったんですよ。休学してる人がマジョリティーだったんです。
そういう環境にいると、休んだり立ち止まったりすることに関して、みんななんとも思っていないし、やりたいことがわからないとか、就職先が決まらないとかっていうことへの理解もあって。
休む人がマジョリティーになると、こんな世界になるのかっていうのを短期間でしたが体感したことがありました。

「その人がどう動くかわからないですけど、それなりに何かを見つけようとして、ちょっとでも行動してればきっと思いがけないことヒントが見つかるかもしれない」

qbc:
最後の質問。人に休学を勧めますか?

toki:
正直、人による、と言いたいところなのですが、それだとつまらないので。勧めるか勧めないか、どちらかを選ぶとするなら私は勧めたいと思います。

理由としては、1年間あるいは半年間、自分が自由に使うことのできる時間があるっていう状態を体験するっていうこと自体に意味があるのかなと思ったからで。
別に目的もなくていいんじゃないかなとか思ったり。目的がなかったとしても、目的なく過ごした先に、どんな未来が待っているのかを確かめてみるというか。仮に全然自律できなかったとしても、自分って完全に自由な時間を過ごすことが苦手なんだなってわかれば、それも一つの学びですし。

自由にしている期間の中で、その人がどう動くかわからないですけど、何かを見つけようとして、ちょっとでも行動してればきっと思いがけない出会いがあるだろうし。何も得られなかったということはきっとないはずで。

休学をしたから何かが良くなるっていうわけではなくて、結局そこで自分がどう考えてどう動いて、その経験をどう捉えるのかっていうのが一番大事だとは思います。ただ、大した目的がなくても、そういう空白の期間を過ごしてみると自分はどうなるのかっていうのを試してみるっていう意味では、お金と周囲の理解が得られるのであれば、休学してみてもいいんじゃないかなとは思いますね。

一休誰絵:
私も、してみたければしてみたらというか。積極的推進派ではないです、正直。一度あえて自分からブランクというか、モラトリアムを作ると、大学にも行かなくなるし、「〇〇がやっているから、私もするか」みたいな周りの影響を受けて行動する機会って、格段に減ると思うんですよ。

休学していると、他から影響を受けない環境にはなるので、自分が何をしてみたいのかっていうのを、とりあえずゴールは見ずにやってみる。そこでもしかしたら、何かが見えてくることはあるかもしれない。

自分が休学期間に何をどういった行動を起こしたのかっていうのは、周りの影響を受けずに決断したものではあるから、結構自分の中の内なる部分を見つめやすくはなる。

という意味では、すごくいい機会なのかもしれないかなと思っています。ただ、復学した後に待ち受けるいろいろなハードルはそれなりにあるとは思うので、その辺のちょっと覚悟の上で、休学してみたければ、すればっていうスタンスですね。

toki:
確かに何かそうですね、人にすすめるというよりは、したいならすればっていうニュアンス、私もしっくりきました。

一休誰絵:
みんながみんな、立ち止まりたいと思うわけではなく。空白を作るのはちょっと嫌だなっていう人も多分いると思うんですよね。だからそういう人たちに対して無理やり空白期間、モラトリアムの期間を作れっていう強いすすめは正直できない。立ち止まりたければ、立ち止まれば?っていう感じですね。


「個人っていうのは、人っていうのは、何者でもないんだよっていうことを経験してほしいなと思ってますね」

qbc:
私自身、浪人を2年して、働いていない休職期間も今までの人生の中で3、4年ぐらい累積であるんですけど。その私の経験からすると、休学のような何者でもない期間は、100%経験した方がいいですね。

toki:
ほう、その心は。

qbc:
立ち止まる立ち止まらないっていう話をされてるんですけども、そのまま永遠に走り続けるのかっていうと、ちょっとおかしいと思うんですよね。
立ち止まるっていうのは何か、っていうのを勉強してくださいってことです。個人っていうのは、人っていうのは、何者でもないんだよっていうことを経験してほしいなと思ってますね。

無名人インタビューをフォローしてくれる人の一部に、何者っていうキーワードで引っかかる人たちがいるんですよ。何者かを知りたくてインタビューを受けるっていう人もいて。まだ、自分が何者か何か決められない人たちですね。

一休誰絵:
うん。

qbc:
でも、自分が何者かっていうのは、実はどこかに所属し続けていたら、一生わかんないんですよ。所属するっていうのは、言わば自分が何者なのかをわからなくさせる呪いみたいなものだから。
なので、いったん、休学して、所属を外す。休学なんで、完全に外れたわけではないけど。その自由な状態の中でじゃないと、自分が何者か、ってのは、分かんないんです。なんでかって、何かに所属している自分というのは、その所属先がつけた名前であって、自分がつけた名前じゃないから。自分で名前つけないと、自分が何者かなんか、ゆらぐに決まってるじゃないですか。他人任せで、自分でコントロールできないんだから。
このね、成熟した、完成された社会のシステムの中では、休学する、所属から外れるっていうのは、めちゃくちゃ重要な機会です。

toki:
はい。

qbc:
今回、二人は20代前半だけど、50代で自分が何者か分からない、って言う人たちもいるんです。
50過ぎて、やっと母親の呪縛から逃れて自分の自由になれたとかね。会社辞めた後どうしようか、みたいなのも同じです。イエや会社に自分が何者かを決めてもらって、自分で自分が何者か決めてこなかったから、所属先が失われたら、人生に迷う。
そういうことなんですよ。レールに乗っかってずっと休まずやって行くなんて、運よく死ぬまでずっとそれなんて、絶対ないから。
だから100%絶対に無理やり休みをねじ込むべき。私は絶対に必要なものだと思っている。

一休誰絵:
バリバリの推進派なんですね。

qbc:
休学とか休職なんて、制度化してもいいくらいだと思ってます。
無名人インタビューは、自分の所属する社会がつけた名前から逃れるための60分だからね。何者でもない、何物にもとらわれない自分に出会うための時間なので。

「休学ってどうなんですかね?」アンケート記事

社会学インタビューという企画をやっています。
社会学を学んだことのないqbcが、これって社会学? って社会学の学部生にちらちら意見を聞きながら、アンケート&インタビューする企画でっす!

マガジンこちらにおまとめしていますので!!!!!

#無名人インタビュー #インタビュー #社会学 #休学 #大学生 #アンケート #この経験に学べ

あとがきに代えて:ChatGPTさんと雑談

※インタビュー内容は読んでもらっています。

>今回の休学インタビューは、じかんどろぼうをおもいださせました。

それは面白い関連付けですね!ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する「時間泥棒」(グレイ・ジェントルメン)は、人々から時間を盗むことで彼らの人生を空虚にしてしまうキャラクターです。この物語は、現代社会における時間の使い方と人間の本質について深く問いかけるものです。

今回の休学に関するインタビューでは、社会から離れて自分自身のために時間を使うことの重要性や、自己発見というテーマが語られています。『モモ』と同様に、時間をどのように価値あるものとして使うか、そしてその時間を通じて何を得るかが重要な問いとして提起されていると言えるでしょう。

休学という時間が、自己探求や成長の機会を提供し、個人が自身のペースで人生を歩むことを可能にする点で、『モモ』の物語と共鳴する部分があるかもしれませんね。

休学経験のある大学生たちは、しきりに、同世代との遅れ、ずれを気にしていました。
近現代的時間の中にどっぷりつかっています。

休学を経験した大学生が同世代との遅れやずれを気にするのは、社会的な期待や「通常の進路」とされる時間軸に対するプレッシャーが反映されているからかもしれません。現代社会では、教育やキャリアの進行において一定の「スケジュール」が暗黙のうちに期待されています。このスケジュールからの逸脱は、しばしば不安や孤立感を引き起こす原因になることがあります。

『モモ』で描かれるような、時間を自分の意志でコントロールしようとする試みは、この種の社会的なプレッシャーに対する一つの反抗でもあります。休学という選択が、ただ時間的な遅れを意味するのではなく、自己の内面と向き合い、より深い自己理解や成長を促す重要な期間であると捉えることができれば、それは非常に価値のある経験となります。

休学を通じて、学生たちは自分自身にとって何が本当に大切か、どのような人生を送りたいかを探求する機会を持つことができます。これは、一見すると同世代とのタイムラインからのずれと感じられるかもしれませんが、長い目で見れば自身の人生にとって必要なステップかもしれません。この期間が終わった後に、彼らがどのように成長しているか、どのように時間を有効に使っているかが、その価値を示すでしょう。

>じっさい、どっちがいいのかな?

近現代的時空間の中で、日本人は、休学したほうが得? 損?

休学が得か損かは、個々の目標、価値観、状況によって大きく異なります。日本のような社会では、特に教育とキャリアのパスが比較的厳格に定められており、一般的な進路からの逸脱は大きな決断を必要とすることが多いです。それでも、休学がもたらす潜在的な利益を考慮する価値はあります:

1. 自己発見と成長:
   - 休学は自己探求の時間を提供し、自分自身との向き合い方、真の興味や情熱を発見する機会を増やします。この期間を通じて、新たなスキルを学ぶかもしれませんし、人生の目的についての洞察を深めるかもしれません。

2. 精神的なリフレッシュ:
   - 学業や職業における燃え尽きを感じている場合、休学は心身のリフレッシュや再エネルギー化を促します。ストレスからの解放と健康の再優先が可能になります。

3. キャリアパスの再評価:
   - 定期的な教育や職業生活から離れることで、自分のキャリア目標や職業に対する真の感情を再評価する時間を持てます。

一方で、考慮すべき潜在的なリスクもあります:

1. キャリアの遅延:
   - 休学は学位取得やキャリア進行の遅延を意味することがあり、同世代と比較して「遅れ」を感じる原因となることがあります。

2. 社会的なプレッシャーと誤解:
   - 日本社会ではまだ休学が一般的な選択とは見なされていないため、家族や友人からの圧力や誤解を受ける可能性があります。

3. 経済的な影響:
   - 学費の支払いの延期、収入の損失、生活コストの増加など、休学が経済的な負担になる場合があります。

最終的には、休学が「得」か「損」かは、個人が何を価値あるものと見なし、その期間をどのように活用するかによります。自己の目標と状況を慎重に評価した上で、休学が自分にとって最良の選択かどうかを判断することが重要です。

>じゃあ、人生全体で眺めたら?

80で死ぬって仮定して、20で休学するのは?

人生全体で考えた場合、20歳での休学は非常に小さな時間の断片に過ぎないかもしれませんが、その期間が人生に与える影響は大きいと考えられます。以下の点を考慮してみると良いでしょう:

1. 人生の方向性の確立:
    - 20歳での休学は、自分自身について深く探求する絶好の機会を提供します。この若い時期に経験する新たな視点や発見は、残りの人生の方向性を形作るのに役立つ可能性があります。また、自己理解を深めることで、将来の決断に自信を持てるようになるかもしれません。

2. 経験の価値:
    - 20歳での休学を通じて得られる経験(たとえば海外旅行、ボランティア活動、アートや文化の研究など)は、人生の質を高め、幅広い視野を持つことを可能にします。これらの経験は、将来的に個人のキャリアや人間関係にも肯定的な影響を及ぼすことがあります。

3. 人間関係の発展:
    - 休学期間中に出会う新しい人々や異なる文化との交流は、人生における豊かな人間関係を築く基盤となり得ます。これらの関係は、人生のさまざまな段階で支えとなることが多いです。

4. リスクと機会:
    - 若いうちにリスクを取ることは、失敗しても回復しやすいという利点があります。20歳での休学がもし期待外れだったとしても、その経験から学び、残りの人生でそれを活かすことができます。また、新しい道を見つける機会も増えます。

5. 長期的な視点:
    - 20歳での休学が人生の後半にどのように影響を及ぼすかを考える時、若いうちに得た洞察や知識は、生涯を通じての決断や価値観に影響を与える可能性があります。また、この時期に自分自身とどのように向き合ったかが、老後の自己評価や満足度に大きく寄与するかもしれません。

総じて、20歳での休学は、単に時間を「失う」ことではなく、その後の人生において自分自身を豊かにするための投資とも言えるでしょう。重要なのは、その休学期間をどのように意味あるものにするか、どのように自己成長の機会として活用するかです。

ほら、休学のほうが得じゃない?

かわいい子には旅をさせろ、でしょ。

その通りですね!「かわいい子には旅をさせろ」ということわざが示すように、新しい経験や環境に身を置くことは、人々にとって多くの学びや成長の機会を提供します。特に若い時期に休学を利用して旅行や異文化交流、自己探求の時間を持つことは、個人の視野を広げ、新たな価値観やスキルを身につける素晴らしい機会となります。

休学が「得」と感じられるかどうかは、その期間をどのように使うか、何を経験し何を学ぶかに大きく依存しますが、一般的には、新しい挑戦と経験が自己成長を促し、人生においてプラスの影響を与えることが多いです。それが、人生の豊かさを深めることにつながるのです。

したがって、休学を利用して何か新しいことに挑戦するのは、多くの場合、非常に有益な選択と言えるでしょう。自己の可能性を広げ、未来の人生に多大な影響を与えるための重要なステップになります。

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