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人と仲良くしないといけないとか愛想はよくないといけないとか明るくいないといけないとか、そういう考え方を自分の中で壊したパーソナルトレーナーの人

「人間とは何か?」。それは無名人インタビューのテーマの中で、もっとも大きいもののひとつ。
結論から言えば、インタビュー終盤でする「もしもの未来の質問」は、その人の”普通”を灰燼せしめ、本来の人間性を浮かびあがらせるための砲弾です。白煙の中に浮かびあがるその人自身を見ると。
また、何回も何回も何回も言ってるけどなかなか浸透しない「無名人インタビュー」の「名」も知名度って意味だけじゃなくて、その人の持っている性別や肩書などの属性も含むし、常識やその時代固有の考え方、マスターナラティブも含むんだよ、って。
という意味で今回のインタビューはめちゃめちゃこの「無名人インタビュー」の活動に補助線を引いてくれるものとなりました。
いやだー、なんか自分勝手。我田引水じゃない? まあいいか。
自分というもの、人間という存在、考えることについて考えるインタビューだったと思います。
今回のインタビューもお楽しみあれ!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのは アグリ さんです!

現在:”普通じゃない”パーソナルトレーナー

toki:今、何をされている方ですか?

アグリ:今はパーソナルトレーナーですね。
1対1でお客様に対してトレーニングを指導していくと。いろいろトレーナーごとに対象となる人って違うと思うんですけども、僕の場合は、例えばどこかに痛みを抱えてる人とか、あとは姿勢を改善したいとか、体の動きを改善したいっていう人が多いので、いわゆるムキムキになりたいとかっていう人とはちょっと違ったりしますね。

toki:なるほど。パーソナルトレーナーの対象って、ムキムキになりたい人だけではないんですね。

アグリ:だけではないですね。

toki:なぜターゲットをムキムキになりたい層ではないところに設定されたんでしょうか。

アグリ:まあ、単純に僕がムキムキになるのが、嫌だっていうのがあるんですよね。結局、ムキムキになりたい人っていうのは、トレーナー自身もやっぱりある程度トレーニングしとかないといけないんですよ。
ただトレーニング、僕自身そんなに好きじゃないので。そもそもきついことはしたくないじゃないですか。

toki:そうですね。

アグリ:きついことはしたくないので。というのも、自分があんまり体格が良くないからですね。
元々パーソナルトレーニングジムで働いてたんですね、今独立してますけど。そこに来る方が、例えば病院でリハビリを受けたけど、良くならなかった人とか、あとはスポーツやってた人で、何かしらの診断を受けて「もうスポーツやめてください」と言われてしまって、でもスポーツはやりたいわけですよ。

toki:ほうほう。

アグリ:ただ病院に行くとやめてくださいと言われるし、病院から診断を受けるとリハビリに回されて、そのリハビリも基本的にスポーツをやらせるためのリハビリではないわけですね。今ある痛みを取り除くとか、悪くならないようにとかっていうリハビリをしていくわけです。
そういう方が来てた、そういうジムで働いてたわけですね、僕は。そうするとやっぱりどうしても、疾患は抱えているけどスポーツはしたいっていう人と関わっていくうちに、まあ僕ができていくのは、ムキムキの人を対象にするんじゃなくて、そういう人を、簡単なあれですけども、救っていくのが一番いいのかなと思ったんですね。

toki:なるほど。ありがとうございます。ちなみに、ご自身の肩書きに「普通じゃないパーソナルトレーナー」とありますよね。その「普通じゃない」の部分についてお伺いしてもよろしいですか?

アグリ:いいですよ。理由と、後からいくらでもつけられるんですけど、例えば、世間的なイメージで言うとムキムキっていう感じじゃないですか、トレーナーって。

toki:私もそのイメージがありました。

アグリ:そう考えると、例えばトレーニングが別にそんなにもうすごい好きってわけじゃない僕は、まあ普通じゃないっていうふうになりますよね。それは今適当に考えた理由の一つなんですけども。

toki:なるほど。

アグリ:他には例えば、僕自身トレーニングというか、お客さんに対して指導する上で、大事にしてることっていうのが、「人間とは何か」というところなんですよ。
当たり前ですけど、対人の仕事なので、その人を知っておかないといけないわけですよね。はい。そう考えると、人というのは、トレーナーが勉強する範疇では絶対に賄いきれない部分があるわけですよ。
世の中に人間というものを説いてる学問、たくさんある中で、その中で、トレーナーというのはトレーニングにまつわることとか、筋肉にまつわることとか、体の中身に関することとかっていうのを勉強するわけですけども。それを勉強したからといって、今目の前にいるお客さんを本当に理解できるのかっていうと、わかることができるのかっていうと難しいと。

toki:ほうほう。

アグリ:そうやって考えていくうちに、勉強する幅というのがものすごく広がっていくわけですね。
例えば、僕が関心のあるところで言うと、「オートポイエーシス」という理論というか、概念というか、そういうのがあるんです。これがどういうものかっていうのは、説明するのはちょっと長くなるのであれですけども、例えばそういうオートポイエーシスなんていうのは、いわゆる普通のトレーナーが、関与する部分ではないわけですね。そういうのを僕はよく勉強してるんですけど。
で、トレーナー陣で集まって話をすることっていうのがあるわけですよ。そうすると、周りのトレーナーはやれ神経だとかね、やれトレーニング内容がとかっていう話をするんですけども、僕がそのオートポイエーシスなんていう話をすると、周りからするとそれがマニアックだねとかっていう話になるわけですね。

toki:はい。

アグリ:で、マニアックなトレーナーっていうふうに名乗ってしまうと、ちょっと違うと。僕自身はマニアックとは思ってないわけで。
そう考えると、変人って言われることもあるんで変人にしようかなってなると、変人トレーナーに依頼したくないじゃないですか。何人も候補がある時に、変人って書いてある人は、1対1のトレーニングで申し込みづらいと。
それだったら「普通じゃない」ってのが一番しっくりくるのかなと。っていうふうに、普通じゃないというふうにしたわけですね。理由はいくつもあります。考えようと思えばいくらでも考えられるっていうところです。

toki:なるほど。お仕事以外に、趣味や、やっていて楽しいことなどは、何かありますか?

アグリ:読書、映画鑑賞、散歩。この3つは好きですね。

toki:ご自身の中では、仕事とプライベート、どちらに軸を置きたい、どちらを大切にしたいみたいなものはありますか?

アグリ:分かれてない、っていうのはありますよ。僕自身の中で。
今フリーで仕事をやってるわけですよ。どこかに勤めているわけじゃないので、ずっと僕自身でいられるというか、仕事だけど仕事じゃないっていう感じはあるし、プライベートな時間でも別に仕事のことを考えるってのはできるわけで。そこは分けてはないですね。いわゆる、自分の時間を大切にしてるっていうか。仕事のことも考えられるし、自分のやりたいこともできるしという自分の時間が一番大事かなという。

toki:なるほど。そうすると、毎日の生活の満足度と言いますか、自分の理想の生活を100%中何%くらい送れているなと感じますか?

アグリ:80%くらいじゃないですか。

toki:どうしたら100%にいけそうですかね。

アグリ:まあ…宝くじが当たるとかですかね。つまり、その生活を一生続けていられるだけの金銭的余裕が出ると、20%ってのは来るわけですよね。
例えば、フリーですから、波があるわけです、仕事の。給料面とかね。そうすると、確実に、自分のペースを崩してでも頑張らないといけないときがきたりしちゃうので、そういう意味では、例えば手元にポンと3億が入りましただと、この感覚のまま一生仕事ができるということになるので、そうすれば100%になるんじゃないかなと思ったりします。

toki:なるほど。金銭的に安定しないことで、自分の思いをどうしても少しは曲げないといけない場面が出てくるということなんですね。

アグリ:そうなんですよ。僕、トレーニングも、さっき言ったように、頑張るっていうのがあんまり好きじゃなくて。
怠惰っていうわけではないですよ。怠惰っていうわけじゃなくて、なんていうんですかね…力を抜いておきたいっていうのがある。その力を抜いておきたいところを、ちょっとギアを入れ替えて本気を出さないといけない場面っていうのがあると、少し疲れちゃうんで。
まあそういう時に、変動が大きい仕事ですから、ギアを入れないといけないとか、そういうのがあると、ちょっと大変ですよねというところです。

toki:なるほど。ありがとうございます。
少し話題は変わりますが、アグリさんは周りの人からはどんな人だと言われることが多いですか?

アグリ:変わってるねと言われますよ。もうそればっかです。

toki:変わってるねと言われることに対して、ご自身ではどう思いますか。

アグリ:まさにそうですよーというところですね。まあでも、いいと思うんですよね。嬉しいですよね。
人と同じって嫌じゃないですか。だから、変わってるって言われるってことは人と同じじゃないってことで。言ってみたら、その人の独自のポジショニングを形成できてることになるので。それはやっぱりいいですよね、変わってるねって言われるのは。
変わって、自分が思うように生きられてる証拠かなと思いますよ。

toki:アグリさんご自身は、自分のことをどういう人だと思いますか。

アグリ:変わってますって言いますね。
例えば、僕サッカーをしてたわけです。高校のとき。中高やってたんですけどね。多分そういう光景をご覧になったことあると思うんですけども、部活の練習前に、 メンバーで2列に並んでグラウンドを走るみたいな、声かけながら1234みたいな。そうすると3年生が1番前で、2年生が真ん中で、1年生が1番後ろみたいな感じになるわけです。大抵は。
でも僕は人と一緒に走るのが嫌なので。人と一緒に走るってことは、その人のペースに合わせないといけない。それはもう絶対したくなかったので、列からポツンと1人離れて後ろの方をたらたら走ってたとか。
そういうのも多分、変わってるねって言われるところだと思うんですよ。人と同じが嫌なので。何から何まで人と同じっていうのが好きじゃないってことですね。

過去:みんなと同じになりたいけど、自分だけ違うものも持っていたい

toki:小さい頃はどんなお子さんでしたか。

アグリ:多分ね、小さい頃は普通だったと思うんですよ。ただ二つの側面っていうのがあって。自分の中で。
僕、5人兄弟の末っ子として生まれたんですけども、そうなると、基本的に全部おさがりが回ってくるわけです。何から何まで。
これnoteの方にも書いてあるんですけども、例えば小学生のときって、大抵新品を与えられるわけじゃないですか。

toki:そうですね。

アグリ:ただ僕の場合、ほとんどおさがりだったんですね。例えば、裁縫セットみたいな、皆用意しますよね。で、友達のやつを見ると、なんか竜のデザインがあったり、アディダスとかプーマだったりするわけですよ。でも僕のやつは、タマ&フレンズ。昭和のやつなわけですよ。みんな新しいのに、僕だけちょっと色が黄ばんだやつで。
で、パカって開けてみると、みんな当たり前で新品だから、揃ってると。僕のやつ全然、縫い針に糸を通すやつとかなかったんですね。自力で先っぽを舐めてやるみたいなことをしていたわけですけど。
だから、そういう意味で、普通にみんなと同じになりたいっていうのを抱えてた側面があるわけで。

toki:あー、なるほど。

アグリ:みんなと違う、僕だけ違うものを持ってしまってると。だからみんなと同じものを持ちたいっていう側面が、あった。
リコーダーもそうですね。みんな黒いリコーダーだったんですけども、僕だけ白いリコーダーで。演奏会みたいなので、僕だけ目立ったりするんですね。いいなみんな、うらやましいなと思いながら見てた。

toki:はい。

アグリ:ただね、家に帰ってみると、5人兄弟なので、おさがりが与えられるでしょう。そうすると、「僕だけ違うものを持ちたい」という側面もあったわけです。つまり、僕、オリジナルというか、はい、僕だけに与えられるものってなかったわけですよ、基本的に。 誰かのものが回ってくるとかね。
そうなると、家の中では自分だけの物が欲しい。でも外に出ると、例えば小学校のときでは、みんなと同じものが欲しい。みんなと同じようになりたい。っていうこの2つの側面があって。

toki:なるほど。

アグリ:だから、どっちかというと、自分の性格、キャラクターっていうのは、社会的な場で形成されるというか、社会的な場でうつるものが大抵を占めると思うんですよ。小学校の頃なんてほとんどずっと外で活動してるばっかりですからね。
だから、そういう意味では小学校の頃の自分というのは、普通。みんなと同じようなことをしたいとか、みんなと同じになりたいとかっていう普通の子供だったってことですね。
まあ、中学校ぐらいからですね、そこが変わってきたのは。

toki:中学生になってどのように変わっていったのでしょうか。

アグリ:まずね、一つね、僕ものすごく小学校の頃、サラサラな髪だったんですけども。中学校の、いまだに覚えてますよね、梅雨時期。音楽の時間、移動して、トイレに行って鏡を見たらものすごい髪がうねってたんですよ。
もう今まで自慢のサラサラヘアーだったのが、びっくりするぐらいうねってて。ここは一つのきっかけ。あれ、なんだ、みんなと違くない?みたいな。
ものすごい天パでですね。そこはすごく大きかったですね、みんなと違う感じがするねえっていうのがあって。

toki:はいはい。

アグリ:あとサッカーをね、そこで始めたんですけども。小学校の頃はソフトボールをやってて、ソフトボールは野球とほとんど一緒なんですけども、基本的にバッターボックスに立ったら監督の指示が、サインが出るわけですね。で、ヒットを打って塁にでたら、また監督からサインが出ると。守備に立ったら、状況に合わせてどこに投げるかもあらかじめ決まっていると。
そうすると、やらなきゃいけないこと、やることっていうのは基本的に誰かに決められる。でもサッカーでいざグラウンドに立つと、もう監督は関与できないんですね。いくら指示が出ても、自分のやりたいようにできる。
そういう自由を得たというか、自分を表現できる場を得たというか。

toki:なるほど。

アグリ:髪がうねったことで人と違うというところがフォーカスされたっていうのと、サッカーで自分のしたいことが表現できるなっていうことと。あとは僕、左ききなんですけど、この左きき、別に普通だと思ってたんですけど、よく考えたら左利きって周りあんまりいないなって思ったことと。そういうのがあって、僕自身変わってるなあと思ってきたくらいですね。中学生の頃はね。

toki:髪がうねうねになっているということに気づいた時は、どんな感情だったんでしょうか。

アグリ:これはねえ、コンプレックスでした、やっぱり。
こんなに?と思ったんですよね。うねり方も、人それぞれあると思うんですけど、すごく3 D にうねっていたというか。なんていうんですかね、突起になるというか。髪がうねりすぎて。そんな感じのうねりだったので、これは、思春期ってのもありますしね、これはちょっと嫌だなあってのはありましたね。肯定的に捉えることはできなかったと思いますね。

toki:なるほど。小学生のときは結構みんなと同じになりたいっていう欲求があったのが、だんだん「みんなと違う」ということに気づき始めたわけですよね。当時、違うということ自体はどういうふうに捉えていらっしゃったんでしょうか。

アグリ:でもね、割とすんなり。少しずつ家の中の自分っていうのが、表面に出てき始めた頃じゃないかなと。
家の中で、兄弟とは違うものが持ちたいとか、兄弟の1人ではなくて、確固たる自分として評価して欲しい。やっぱ末っ子だからね、評価されないわけですよね。だから表向きには、多分ね中学生って、誰かに認めて欲しいみたいなそんな時期だと思うんですね。その時期と、「自分」として扱ってほしい。「末っ子」じゃなくて。1人の確固たる「人」として扱って欲しいっていうのが合わさってきて、人と違うっていうのが、ポジティブな感情になっていたんじゃないかなと思いますよ。

toki:なるほど。そうだったんですね。

アグリ:中学校の時のことを思い出したんですけど、中学校1年のときですね、僕自転車通学だったんですけども、その中学校が、自転車通学の子は裏門から入っていくんですね。で、裏門に至るまでの道がちょっと狭い。人が2人並んで歩けるか歩けないかぐらいのところで。そこの脇には、大きな用水路が流れてるわけです。
で、帰ってるときですかね。テスト前だったので、先生から言われた通り教科書類をバックに詰めて、前かごに入れて、帰ろうと。そのときに狭いもんですから、めちゃくちゃ渋滞ができるわけですね。だから、チャリにまたがってはいるけれども、ゆっくり歩くような感じで。

toki:はい。

アグリ:そしたら、その重さにやられまして。バランスを崩しまして。そしたら、その脇にある用水路に落ちたんですね。みんなが見てる中でね。どうしたんだ、大丈夫かなんて話になって、助けてくれて。僕を引き上げてくれてね。

toki:(笑)

アグリ:その学校が、100何十年ぐらいの割と歴史のある中学校で、僕がそこに転落して初めてその用水路と小道の間に、柵ができた。僕が落ちるまで柵がなかったんですよ。
ということは、おそらく誰も落ちてなかったんじゃないかと。今までの歴史上。

toki:おお。

アグリ:そこに柵ができたことで、自分だけの何かを勝ち得たような気がしたんですね。自分だけじゃないですか、そこに落ちたっていうのは。ああこれはオリジナルなものができたなっていうのを、当時感じましたね。

toki:へえ〜なるほど。面白いですね、落ちた出来事をそういうふうに捉えていらっしゃるっていうのは。

アグリ:やっぱでもね100年の歴史あって、僕が落ちたことで柵ができるって結構大きな変化ですよね。

toki:その後、高校に進学してからパーソナルトレーナになるまでの経緯についてもお伺いしてもよろしいですか。

アグリ:はい。僕は高校卒業して、普通に就職したんですよ。兄弟が上にいるもんで、その兄弟たちが、言ったらあれですけどまともな職に就いてなかったんですね、そんときね。
そうすると僕がちょっと助けてやらなきゃということで、高校卒業してすぐ就職したんですけどね。それでちょっと失敗しちゃって。病んでしまってですね、精神を。そっから2年間ぐらいは、外に出ることもできなかったんですね。犬の散歩ぐらい。

toki:そうだったんですね。

アグリ:で、ある日ふと、チラシをちらっと見たらですね「パーソナルトレーナーの養成」っていうのがあって。職業訓練校ですね。
それをぱっと見て、多分ちょうど2年ぐらい何もできずに、時間が過ぎて、何かしないといけないなと思ったのかもしんないですけども、本当にタイミングですかね。そのチラシを調べてみて、もう翌日にはハローワークに行ってたんですね。2年間どこにもいけなかったのに。

toki:翌日!

アグリ:で、手続きをしに、2,3回くらいハローワーク行ったりして、で、訓練校にも顔出しに行かないといけないなんていうところがなぜかできちゃって。
そっからパーソナルトレーナーの養成校に入って、半年で卒業して、パーソナルトレーニングジムというところに就職して。で、そのパーソナルトレーニングジムも、入って2ヶ月くらいで店長になっちゃったんですね。

toki:え、2ヶ月で!

アグリ:やめちゃって、前の店長が。常駐できるスタッフが僕しかいなくてですね、勝手に店長になっちゃってですね。21くらいの時ですね。
そん時なんかは住む家がなかったですね。実家は違うところにあって、で、電車で通ってたんですけど、終電をすぎちゃうんです、店を閉める時間が。でも店長だから店を閉めないといけない。店を閉めてたら家に帰れないんです。だからジムで寝泊まりしてました。
で、そこ半年くらいで潰れちゃったので、一緒にやってる責任者みたいなトレーナーが1人いたんですね。その人と2人でまた新しくお店を作って、そこで8,9年ぐらいやって、独立して今に至るっていう。

toki:独立しようと思ったのはなぜだったのでしょうか。

アグリ:僕あの、職場結婚をしたんですね。事務職の方ですね。奥さんが、キツくなってきたんですよね、そこで働くのが。でも性格上やめるって言えない人なので、じゃあ一緒にやめようかっていうことで、やめたって感じです。

未来:”普通じゃなさ”に磨きをかけていきたい

toki:◯年後でも、死ぬ時までにでもいつでも良いのですが、これから先、こうなっていたい、これをやりたいというものがあれば、ぜひ教えてください。

アグリ:こうなっていたい…そうですね、一度でいいので、街中で「あ、あの人!」っていうふうに言われてみたいですね。「あの人、〇〇じゃない?」って言われてみたいですね。
それはまさに、僕が小学生くらいから感じてきたというか、自分だけのものの極みだと思うんです。つまり自分というものが、独立して認知されてるから、「あ、あの人!」っていうふうになるわけですよね。そういうふうになってみたいなって思いますけど、とはいえ人前に出るのが好きじゃないので…まあ矛盾してますよね。

toki:なるほど。

アグリ:ちょっとね今ね、あれなんですよ。知り合いから、スカウトをされて。これからこういう仕事、こういう事業をやるんだけども、一緒にやりませんかみたいなふうに言われてしまってですね、まだ答えを出していないんですけど、それによって多分5年10年先、変わるんですよね。でもただ…今のこの感じのまま、いたいですよね。疲れてなかったらいいなと思います。いろんなところでね。

toki:自分らしく、無理をしないことをこれからも大切にされていきたい?

アグリ:そうですね。で、さらにその自分らしさが洗練されてるといいなと思いますよ。
最近「普通じゃない」っていうのを名乗るようになってから、SNSにも、取り組めるようになってきたというか、今までほとんどやったことはなかったんですよね、SNSとかって。で、そこで表現する自分は、なんとなく自分と周りと一緒の感じを出してしまっていたんですけど、「普通じゃない」っていうのを名乗るようになってから、少しずつなんとなく、そこも本当の自分的な態度で挑めてますよね。
なので、そういうのを活用していくようになると思うので、これからも。ちょっと遅いんですけど本当はね。より自分らしく…っていうとちょっと違うなあ…普通じゃなさ?その普通じゃなさに磨きがかかるんじゃないかなと。そういうふうに思います。

toki:普通じゃなさに磨きがかかる…。これをより言語化していくと、アグリさんにとっての普通じゃなさって、どういうものになるんでしょうかね。

アグリ:僕にとっての普通じゃなさ、ですか。なんでしょうね…。まあ見た人が、そう捉えるものだと思うんですけどね。
僕自身は、僕の思うようにやってるだけで、それを見てる人が、おそらく普通じゃないというふうに判断していくと思うんですよ。つまり、僕が僕の思うようにいろいろやることで、周りからすると、どんどんどんどん「この人は変なことやってるな」というふうに思うようになる。そうするとそこで「普通じゃなさに磨きがかかる」という事態になるんじゃないかな思うんですけどね。

toki:ああーなるほど。

アグリ:だから、普通じゃなくやろう、と思ってやっているわけじゃないですよ。当たり前ですけど。
ちょっとした僕の中の、夢というか目標というか、そんな大それたことじゃないですけど、和服を着たいんですよ。和装。私服が和服だったらいいなと思って。

toki:和服ですか。

アグリ:それ、結構勇気がいるじゃないですか。絶対に。もう洋服が当たり前の時代ですし。和装がしたくて。これができるかできないかが、僕の中の、いわゆる「普通じゃなさに磨きがかかってるかどうか」ってところですよね。

toki:なるほど!

アグリ:まだ、世間の目というところを気にしちゃってる自分がいるというか、多分和装して家をでた初日は顔が真っ赤になると思うんですよね。それが、真っ赤じゃなくて普通に和装で出かけられる、それが僕の当たり前ですよって言えちゃうと、普通じゃないっていうふうになりますよね。だって和装でトレーニング指導してるって考えたらおかしいじゃないですか。

toki:そうですね。見たことないですね。

アグリ:でも、もしそれをしている人がいるとすると、周りからするとなんか普通じゃないよねってなりますよね。それは多分、磨きがかかっている状態です。だから5年10年後、平気で和装ができて、そこでトレーニング指導してたりすると、磨きがかかってるなと。そういうことになるんだと思いますよ。

toki:なるほど。とてもよくわかりました。ありがとうございます。
パーソナルトレーナーのお仕事は、精神を病んで2年間外に出られなかった時に、たまたま養成所のチラシがきたという、偶然の出会いだったわけですよね。
偶然出会ったパーソナルトレーナーという職業に就いて、いかがですか。

アグリ:面白いですよ。
さっき言ったように、僕「人間とは」っていうところが、すごく大事になっていると。おそらくこれがトレーナーだから、というところじゃなかったんじゃないかなと思うんですよ。そういう探究心というのが、少なからずあったんじゃないかなと思って。
それが顕在化したのが、トレーナーになっているところだと思うんで、本当偶然ですけど、そういう自分が持っていた考え方、そういうところに、非常にマッチした仕事かなと思いますね。

toki:うーん、なるほど。

アグリ:さっき責任者がいて、その人と一緒に仕事を始めたなんてことを言いましたけど、一番最初に就職した、このスポーツパーソナルトレーニングジムの責任者で、僕の師匠みたいな人がいるんですね。その人も全く同じ考え方だったんですよ。
だから、すごく運が良かったなと。違うところで就職してたらパーソナルトレーナーもやめてたのかもしんないですよね。偶然に偶然が重なった感じ。今はもう、楽しくできている。

toki:トレーナーが良かったというよりは、「人間とは」という、自分の興味を探求できる仕事だから良かったということですね。

アグリ:そういうことですね。

toki:アグリさんが、これから一番楽しみなことはなんでしょうか?

アグリ:これから一番楽しみなこと…なんだろうなあ…。逆に聞きますが、tokiさんが1番楽しみなことはなんですか?

toki:私のですか?そうですね…自分は今大学生なんですけれども、自分が将来どういう仕事をしているのかなっていうのが楽しみかなと思います

アグリ:やっぱそういうことですよね。楽しみなことって、自分の見えない部分ってところじゃないですか。自分がどうなるのか楽しみじゃないですか。
僕は、ちょっと頭の中でイメージしてほしいんですけども、例えば、今自分が進んでる道があったとしてですよ。道が先の方に見えるかっていうとそうじゃなくて、先の方に道がバーっとあって、色々枝分かれしていて、どこにするのが楽しいんだろうっていう感じではないんですよ。常に、道の先端にいる感じ。まだ何もできてない感じですね。そこに行ってみて、振り返ってみたらそこが道だったなんていうのが、楽しくて。常に先端で色々開かれている感じ。それが楽しいので。

toki:なるほど。

アグリ:でも、そんなこと言いつつ、子供ができたら楽しいですよね。少しずつ、子供ができるのもいいのかなと思い始めている。これからの楽しみと言えば、子供がいる生活ができたら、楽しいなと思いますけどね。
とはいえ、そこは夫婦の仲の話で。自分自身でいうと、やっぱり道の先端にいて、どうなるのかわからない、常にサイコロを振っているような感覚、それが楽しいので、今この一瞬もそうですし、これから先もそうですし、常に楽しんでいきたいですね。

toki:ありがとうございます。毎回インタビューでもしもの質問っていうのをしているんですけれども。
もしも、2年間外に出られなかった期間に、パーソナルトレーナーの養成所の知らせが来ていなかったとしたら、アグリさんの人生はどうなっていたと思いますか。

アグリ:うーん…。もしも、トレーナーになってなかったらってことですよね。どうだろうなあ、全く見えないですね…。なんかどこかで、普通の生活をしてたんじゃないですかね。どこかに勤めて、お給料をもらって。そんなような生活をしていたんじゃないですかね。

toki:なるほど、ありがとうございます。
最後に何か言い残したことや、話し足りなかったところなどあれば、お伺いしております。

アグリ:やっぱりね、2年間ニートをしていたわけですよ。おそらく、この経験っていうのがものすごく役に立ったというか。
精神を病んで、そしてニートになった。ここが非常に僕の中で、考え方を構築する上で、一個ターニングポイントになったんじゃないかなと。そこはもうちょっと話せばよかったなんて思ったり。

toki:そうですよね、私もお聞きすればよかった…。

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…というわけで、60分間のインタビュー終了後、アグリさんのターニングポイントとなった2年間について、追加でお話を伺いました。

余白:決まりごとを守る必要はないと気づいた

toki:精神を病んで、外に出られなくなった当時のことについて、教えてください。

アグリ:精神を病むっていうのは、僕の場合はその打ちのめされたというかですね。小中高とずっとスポーツをやってきたので、怒られるのには慣れてたわけです。みんな怒るときには怒鳴ってくるわけですよね、スポーツだと。
でも社会に出て初めての叱責というのは、突き放されるというかですね。「なんでこんなこともわかんないの?」みたいな、上司がそういう人だったんですね。そこですごく病んでしまってですね。どうも馴染めなくて、やめてしまって、そっから、今思えば鬱状態でしたよね。当時の自分は全然そんなこと思ってなかったですけどね。

toki:そうなんですね。

アグリ:でもそこで、考え方がまるっきり変わったというか。特に中高くらいの僕なんかはですね、自分の中では、割と明るいキャラクターだった。でも、自分の中で、この明るいキャラクターっていうのは、無理をしてたんじゃないかなっていうのがあった。その、精神を病んだときに気づいたというか。

toki:はい。

アグリ:もしこの明るいキャラクターをこれから続けると、またこういうことが起きるんじゃないかなっていうふうに思うようになったんですね。例えば人とか、グループで2,3人会話していると。そういうときに、別に会話に加わる必要はない。特に中高では、人を笑わせるタイプではあったんですけれども、わざわざそれをする必要はない。いわゆる人のために何かこうする必要はないんじゃないかなと。そういうふうに思ったのが一つ。

toki:そういった気づきがあったんですね。

アグリ:あと、これはちょっと専門的な話になるんですけれども、グレゴリー・ベイトソンという学者がいましてね。この人の中で”学習”という理論がありまして。学習には、学習1・学習2・学習3、学習4とかってあったりするんですけども。学習3の段階になると、今まで自分の中で持っていた理論、考え方、パラダイムとか言ったりしますけど、これが壊れる必要があると。そしてこれは、可能性としてはいいことに進むこともあれば悪いことに進む可能性もあると。

toki:ほうほう。

アグリ:で僕は、さっき言ったように考え方が壊れたわけです、気を病んだことで。
気を病んでしまって、今まで自分が持ってたその考え方、例えば人と仲良くしないといけないとか、愛想はよくないといけないとか、明るくいないといけないとか、そういう考え方を自分の中で壊したという。そうすると、新たなものが見えてくる、なんてものが学習3だったりするんです。
そこで見えてきたものというのが、「人間とは何か」っていう部分に関わってくるんですけれども、いわゆる1人の人間そのものだけで、世界は作られていないと。人間というのは、地球にいて、その地球との関わり合いによって、できている。

toki:はい。

アグリ:そう考えると、前に話したように、トレーナーとして考えないといけないことっていうのは、ものすごく増えるわけですね。やっぱり、トレーナーというのは人間のことを考えないといけないですよね。
で、人間とは何かって言うときに、人間を人間そのものに限定してしまってるっていうのが、僕のトレーナーに対しての危惧というか。人間とは何かを考える上で、地球規模って言うとちょっと大げさになっちゃうんですけども、環境とかね、もっと哲学的なところまで考えなきゃいけない、と考えるようになった。
つまり、気を病んで、人のああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないっていう決まりに対して疑問に思うようになった。それを疑問に思うと、それは別の世界でも適用されるようになったわけです。例えば、トレーナーの決まりごととしては、体や筋肉の勉強が必要であるという、それに対して、何か違うんじゃないのと。それだけじゃないんじゃない?それだけで答えを出すのはおかしいんじゃない?と考えるようになったと。

toki:ほう、なるほど。

アグリ:それがまさに僕の中で、ベイトソンという人の本をね、読んだときに、学習3に当たるんじゃないかなと。こういうことをしないといけないと、うっすらとある決まりごと。その決まりごとに対して、それを守る必要はないと。その、決まりを守る必要はないという感じが、トレーナーの中でも生かされてる。だからこそ、それがトレーニングの勉強だけにとどまらないというところもあるわけですね。

toki:なるほど。詳しく教えていただきありがとうございます…!

あとがき

5人兄弟の末っ子だったがゆえに、持ち物がおさがりばかりだったアグリさん。
学校では、みんなと持ち物が違うことが嫌で「普通」でありたかったけれど、家族の中では自分だけのものが欲しい、「特別」でありたいと思う。
5人兄弟の末っ子という1つの境遇が、全く異なる2つの側面をアグリさんの中に生み出した、というお話はとても興味深かったです。

普通って、なんとも取り扱いの難しい言葉ですよね。
言い換えれば、ありきたり?当たり前?
普通であることを嫌がる人もいるし、むしろ普通であることを望む人もいる。

普通の暮らし、普通の人、普通の人生。
なんとなくイメージは浮かぶけれど、はっきり言葉にしろと言われると何と言えば良いかわからない。

そもそも”普通”とは、人によって定義が変わってくるわけです。
その人の普通は、その人が育った環境や、関わってきた集団や人によって形作られる。
自分が思っている普通と、相手が思っている普通は違う。
自分にとっての普通さえ、たった一つの出来事で簡単に壊されたり、変化したり。
絶対的な”普通”など存在しない。

そう考えると、”普通”というのはおばけのようなものですね。
概念として存在しているけど、実体はない。

と普通についてだらだら持論を述べてしまいましたが。
普通とは、そんなふわふわしたおばけみたいなものなのだから、普通だとか普通じゃないとか、そんなことはさして大きな問題ではないはずなのです。

誰かと違うとか同じとか、そんなことは構わずみんながみんな、自分の思う通りに生きる。
みんながいわゆる”普通じゃない”状態である、それが”普通”である世の中になったら素敵だなと思ったり。

「決まりごと」に囚われず、自分ならではのオリジナルの人生を歩んでいくことをとにかく楽しんでいる、そんな輝く大人に出会えた回でした!

次回のインタビューもお楽しみに〜

インタビュー担当:toki

編集協力:mii

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #パーソナルトレーナー #人間

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