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昔の素直すぎる自分のような誰かの意見に左右されてばっかりの子どもを作りたくないなと思っている京大卒の教育関係者の人

「就活」げにおそろしき。なんかないほうが良くない? てほどにお悩みお困りごと多いみたいですね就職活動に。
無名人インタビューは記事を見て応募いただくことが多いので(そらそうよ)、ここ最近就活界隈≒大学生の方が多かったのですが、ほんとねえ、なんだかねえ、大変よねえ。
サラリーマン仕事から見たらただの人数合わせに見えるし、OB訪問とか性犯罪起きてるし、就活うつしちゃう人だっているし、なんか重すぎない? って。長いものには巻かれロってことですかね。はははん。(ひょっとしてこれは就職氷河期支援サイトを利用できる世代の私だから感じること? そんなことはぬわあい!)
といつも以上にキモチワルイ始まり方をしてしまってすみません。これは呪い? それとも? わからんです。ともあれ、私も今子どもと一緒に生活をしていて、ほんとうに子どもの頭は柔らかいなと思うし、身近にいる人の影響をものすごく受けるんだな、ということを強く感じます。
教育、子育て。というテーマについて話していただいたインタビューかと思います!
今日の無名人インタビューも、よろしくてね!(主催:qbc)

今回ご参加いただいたのはでまちさんです!

現在:若者が自己決定できる環境をつくりたい

ナカザワ:今日は、どんなインタビューにされたいと思って参加されましたか? 

でまち:そこまでは考えてなかったですね。普段、スポットライトが当たらないような個人に焦点を当てるっていう企画にすごく共感して、自分もインタビューされる側になってみたいと思ってという程度でした。

ナカザワ:「無名人インタビュー」そのものに、興味を持っていただいたっていうことですね。
まず、でまちさんご自身は、今、何をされている方ですか? 

でまち:現在社会人2年目で、とある学校法人に勤務しております。仕事内容としては、専門学校の入学募集に関わる全てで、そのためのマーケティング戦略の立案から入学にいたるまでのイベントなどの企画、高校生の進路相談といった業務を中心に行っています。

ナカザワ:noteでも教育関係の発信をされていますね!

でまち:基本、noteを週1ぐらいのペースで更新して、主に教育について発信しています。教育といっても、大人の方に向けて、子育てや教育をする側の人間に情報を届けたいなという思いで記事を書いています。

ナカザワ:今のお仕事では、どちらかというと学生さんと関わることの方が多いんですか? 

でまち:学生の方が多いですけど、進路相談とかは高校生と保護者で来られる方が多いので。40代ぐらいのお父様、お母様と接触する機会もあります。

ナカザワ:なるほど。新卒から今のお仕事ですか? 

でまち:新卒から始めて、ちょうど1年とちょっとというところです。

ナカザワ:この4月で2年目に入ったということですね。1年やってみて感じる仕事の面白さはどんなことを感じますか? 

でまち:自分は、本当に生き生きしながら働かせていただいてるなと思っています。
もともと、自分には特に目標だったり夢だったりっていうのが大学時代になかったのですが、そうではなくて、しっかり目標を見定めて動こうとしてる人たちを支援したいという思いで教育業界に入ったんです。それは実際に叶えられてる。
自分の存在によって、誰かの夢の後押し、目標の実現へ近づけられているっていう実感が得られているっていうのは、そのように働けている原因かなと思っております。

ナカザワ:大人になってからの意思決定や進路決定に関わる意味での専門学校だったわけなんでしょうか? 

でまち:そうですね。
就職活動をしていた当時は、ある程度大人になって、進路を狭めていくような段階、重要な選択をする段階に関わりたいと思ったので、専門学校を選びましたね。

ナカザワ:今は変わってきていますか? 

でまち:今は、専門学生に関わりたいというよりも、保護者の方に何か影響を与えていきたいと思うようになってきました。
普段から高校生や専門学生と接触はしてるんですけど、彼ら自身の自己決定で進路を決められる場合もあれば、保護者の意見っていうのが、そこに大きくのしかかってくる場合もあるんですね。その保護者の方の考え方が、時代に合った真っ当な考え方であればそれはいいと思うんですけど。
専門学校より大学の方が優れているから大学へ行った方がいいとか、夢を見るのではなくて現実をもっと見た方がいいという考え方をされる保護者様って、まだやっぱり少なくないんです。

ナカザワ:うんうん。

でまち:そうではなくて、今後の時代に合った生き方っていうのは、自分の強みを伸ばしていくことだとか、時代に合った生き方とか、これからの時代の流れとかを、保護者様にしっかり伝えることが、長期的な視点で、多くの高校生や子どもたちの幸せをアシストできると思っているので、最近は、大人の方へのアプローチっていうのが、ちょっとできるようになってきたなと思うようになりましたね。

ナカザワ:1年やってみてそういう見方になってきたんでしょうか? 

でまち:そうですね。教育は、やはり教育者だけが子どもに行うのではなくて、保護者と教育者の両者が正しい情報を持って子どもと向き合っていくものだなっていうように考え方が変わってきました。保護者側に焦点を当てたいなっていうのが、この1年、仕事を通じて思うようになったことですね。

ナカザワ:なるほど。
ちなみに、その変化は、積み重なって自然にそうなったものなのか、それとも、何かきっかけがあったんでしょうか? 

でまち:どちらかというと積み重ねですかね。大きな転換点があったというよりは、1年間、いろんな学生や保護者の方と接してきたこと、教育についての学びを深めてきたことによって、考え方が徐々に変わっていったという感じです。

ナカザワ:専門学校を受ける生徒さんだと高校生、きっと10代ですもんね。本人もそうですけど、周りの親というか、環境も結構重要ですね。
社会人になって、考え方はどう変わりましたか? 

でまち:やはり、仕事が生活の中心になってくる中で、自分の中での幸せの源泉といいますか、自分が本当に大事にしなきゃいけないものの比重っていうのは、大学生のときに思い描いていたものとは、大きく変わってきたかなとは思います。さっきまでの話とは、ちょっとずれてしまうんですけど。

ナカザワ:比重が変わった、というと? 

でまち:大学生のころは、教育っていう仕事はようやく見つけられた道で、天職だっていう感じだった。そこで誰かの意思決定に関わり続ける、誰かの幸せに貢献し続けられれば自分は幸せだっていうような安直な考え方だったんですけど、それだけじゃなくて、自分が自分らしく幸せでいることが、周りの学生たちにいい影響を与えられると実感をするようになりました。
影響を与えようとする前に、まず自分の幸福を考えるようにしようと思うようになったことで、生活の中で重きを置く部分の比重っていうのが、少し変わってきたかな。

過去:自分の人生じゃなくて、誰かの人生を生きてるような気がした

ナカザワ:なるほど。よく言う言葉だと、ワークライフバランスとかでしょうか。
先ほど大学生のときは目標がなかったって仰ってましたもんね。

でまち:そうなんですよ。就活期まで本当に目標がなくてですね。就活中も目標はなかなか見つからなくて、本当に取り繕ったような志望動機で、いろんな企業を受けていたんですけど。最終的に、この教育業界っていうのにたどり着いたんです。
自分の幸福より他者の幸福に貢献してやるぞっていう気持ちが、当時は強かったんですね。今もその気持ちは変わりはしないんですけど、そうして、かなり仕事に打ち込む中で、それによって自分の心が満たされていないと、いい教育は他の人に提供できないといいますか。
教育者として、自身の幸福を満たしていることが前提なんだなって思うようになったんで、比重が変わっていったっていう感じです。

ナカザワ:極端に言えば、我慢して相手を幸せにしよう、じゃなくなったんですね。
やりたいことが見つからないっていう中で、教育が天職だっていうのは、いろんな会社を受けながら、自然に見つかったんでしょうか? 

でまち:自分で言うのも何ですけど、結構学歴がある方でして。それだと、他の周囲の人とかに合わせて一流企業、いわゆる有名企業に行くっていうのが通常のルートなんですよ。なので、やりたいことなんて特に考えなくても普通に進んで行けばいいんですけど、どうしても、そこにもどかしさを感じながら生きてたんですよ。
そんなときに、自分の今あるものっていうのを取っ払って考えてみるっていうのを、就活の終盤でやってみたんです。周りの目とか、他者からの評価、一般的な、この大学だったらこれくらいの企業だろうっていう思い込みとか、そういったいろいろな考えを取っ払ったときにようやく見えてきたのが、教育業界だったんです。
就活を1年くらいやってましたけど、1年ぐらいかけてたどり着いた業界だったので、当時は本当に天職だと思いました。

ナカザワ:このぐらいでいいや、って就職する道もきっとあったと思うんですけど。

でまち:それだと、自分の人生じゃなくて、誰かの人生を生きてるような気がしてきたんですよ。
常識に囚われて、敷かれたレールの上を歩くような気がしてしまって。今のうちに逸れておかないと、取り返しがつかなくなるような気がしてしまったんですよね。

ナカザワ:面白いですね。子どものころとか大学生になるまでの間も、そういったレールの上に乗っていたとか、そういう自覚はありますか? 

でまち:ありますね。大学を選んだのも、先生に勧められたからだとか。自分のしたいことというよりも、学歴がある方がいいだろうとか。選んだ学部に関しても、一番潰しがききそうだなとか。
何をやるにも、誰かの意見に左右されてきた。自分がしたいという思いではなくて、誰かの意見やアドバイスの影響を大きく受けて選択してきたなっていうのがありますね。

ナカザワ:それって、本当に小さいときから、言われると素直に聞いちゃうタイプだったんでしょうか。

でまち:ほんと小さいときから、言われると素直に聞いちゃうタイプでしたね。(笑)
誰の意見でも、素直に受け入れちゃう。特に良し悪しも考えずに、受け入れちゃうっていうのは、本当に小さいころからの自分の傾向かなっていうのは思います。

ナカザワ:聞けない人もいますからね。

でまち:でも、聞けない方が自分らしい生き方をできていてある意味いいだろうなと思います。

ナカザワ:聞けない方が自分らしい、なるほど。

でまち:今は、人は他者の意見を無理に聞かなくてもいいんだと思います。

ナカザワ:素直に聞いちゃったなあって、後から思うのか、それとも、特に疑問を持たずに、うんうんって聞いちゃう感じですか? 

でまち:当時は、本当に何も疑問に思ってなかったです。けど、就活期ぐらいになって自分を見つめ直し始めたときに、ようやく気づいたんです。
当時は疑問を持っていなかったけど、誰かの意見を素直に受け入れすぎていたなって。数年越しで気づくわけですね。

ナカザワ:じゃあ、大学を選ぶときも、そのときはそれが良いこととか悪いこととかじゃなくて、迷わず話を聞いてそこへ向かって行った。

でまち:はい。今の自分からすると、信じられないですけど。

ナカザワ:学歴が高いって仰ってたんで、従うにしても、勉強はしなきゃいけないと思うんですけど、余裕で入れるところだったんですか? 

でまち:余裕ではなかったですね。結構ギリギリで入学してるんですけど、頑張れば目指せるぐらいのところ。

ナカザワ:頑張れちゃったんですね。

でまち:頑張れちゃいましたね。(笑)

ナカザワ:それはそれで、すごいですね。

でまち:やれと言われたり、頑張れと言われたことに対しても、特に疑問を持たないので、頑張れちゃうタイプだったんですよね。
自分でもびっくりするぐらい、素直に生きてきたなーって思います。
確かに、ある意味すごいと思うんですけど、全く良いことではなかったなと。

ナカザワ:ちなみに、そんな素直なでまちさんに対して、周りの人はどう思ってたんでしょうか?

でまち:よく友達から言われたのは、「純粋だね」とか言われていたなーっていうのは、就活期に振り返ってみて思いました。

ナカザワ:あ、「純粋だね」って言われても、そんなもんかって思ってたっていうことですね。

でまち:そうかってぐらいですね。

ナカザワ:すごい素直(笑)
じゃあ、本当に就活のときに、あれ、これでいいのかなって思わなければ、そのまま素直に生きてたかもしれないんですね。

でまち:かもしれないですね。
正直に言うと、就活がうまくいかなかったんで、こういう今のような自分になったっていうのはあります。
就活をやりながら、疑問を感じつつはあったんですけど。結局、変に素直だったから、無理に作った志望動機で話して面接を勝ち抜くっていうのは苦手だったんですよ。
だからこそ、ちょっと立ち止まって、全部捨てて考えてみるっていうのができたっていうのがありますね。

ナカザワ:就活って、うまくやる人はうまくやりますからね。

でまち:ある意味少しくらいずる賢い人の方がうまくいくんですよ。

ナカザワ:まあ、そういう面も否めないですね。でも、昔はそんなことはわかってなかったっていうことですよね。

でまち:昔は全く思わなくて。今は、昔の素直すぎる自分のような、誰かの意見に左右されてばっかりの子どもを作りたくないなって思います。

ナカザワ:あー、なるほど。そこと、保護者に働きかけたいとかがつながって。

でまち:はい。自分の中ではつながってるんですけど、どうしても言葉で自分のこうした考えを発する機会が少ないんで、やっとつなげられました。
素直でもいいとは思うんですけど、自分の意思をしっかり持つための教育はしてあげないといけないのかな。そこが欠けていたがために、素直っていう一見いい部分であるものが、僕には悪影響を及ぼしてしまったんで。
人の言葉をアドバイスとして受け入れた上で、自分の意思も反映して選択してこられたら一番良かったと思います。そうなっていたら、全く別の人生になっていたのかもしれないなって、今振り返ってみると思いますし。
そういった子どもにするのは、保護者だったり教員だったり、大人の働きかけ方が大事になってくるのかなと思って。

ナカザワ:意志を持つっていうのは難しいですよね。

でまち:そうですね。学校では学校側から何かを与えられて子どもたちがするっていう様式が生まれちゃうんで、どうしても子どもって、受動的な態度や姿勢を養ってしまうんですよね。子どもが自分の意見を持つっていうのは難しいですし、実際に持てない子っていうのが一定数いると思うんですよ。でもそれだと、これからの時代、かなり辛いなと思いまして。
昭和とかだと、それでも問題なかったんだと思うんですよ。

ナカザワ:うんうん。

でまち:実際に、1つの企業に入って、そこで定年まで働かせてもらえるような時代だったかもしれないですけども。今からの時代って違うじゃないですか。
人生100年時代と言われて、転職も当たり前。自分のスキルがないと、会社から見放される可能性があるような社会で、自分の意志が持てないって、もう生き地獄だと思うんですよ。

ナカザワ:教育制度ができたころの時代に合わせたまま、教育制度が回ってしまっているという面があるんですね。

でまち:時代は変わってるのに、教育制度は変わっていない。多少は変わっているんですけど、どうしても学校教育自体はそもそも止められないものなんで、完全に変えるのって難しい。
学校の制度とかを完全に変えてしまうっていうのは、動きっぱなしの車を修理するようなものだと何かの本で見ました。それでも、やっぱり、その時代に合わせた学校教育が提供されていないと。それによって、時代に合った考え方ができていない僕みたいな子どもが増えている。
そういう人たちを少しでも減らして、自分の意志を持っている人を増やしていきたいよねって僕は思ってるんです。だから、こういう仕事をしてますし、保護者様に何か情報を届けられたらいいよねっていう思いで発信をしています。

ナカザワ:今、そういうふうに自分の意志を持った方がいいとか、発信していきたいと思っていますけど、大学生より前のときって、きっと思わなかったことなんじゃないかなと思ったんですけど、その変化に対して、周りの方から、何か言われたりすることはありますか? 

でまち:友人だったり恋人だったりからは、自分らしくなったねっていうのは、すごく言われますね。

ナカザワ:自分らしくなった? 

でまち:やっぱり、こういう考え方をする前、みんなの目にはすごく周りの目を気にしているような人間に映ってたみたいなんですよ。それが、徐々にこういう考え方ができるようになってきて、やっぱり印象は変わったみたいで。自分の考え方、自分の考えを持つようになったよねとかは、言われますね。

ナカザワ:自分らしい。ちょっといじわるかもしれないんですけど、それまであまり自分で選択せずに生きてきたっていうことだと、何が自分らしさかっていう判断が難しいのかなって思ったんですけど。自分らしく生きてるよねって言われるっていうのは、どんな感覚ですか? 

でまち:うーん、自分という人間の特性だったり考え方を把握して、それを出しながら行動できるようになったっていうのが、自分らしく生きているようになったっていう感じですかね。

ナカザワ:自分で決めてるっていうこと? 

でまち:自分で決めてるとか、自分の責任で、自分の考えを言うとか、そういうことだと思います。
これまで自分の判断に、他の人の意見を用いてきたっていうのもありますし、当時は気づいてなかったんですけど、話し合いをする際も、誰かの意見のイエスマンみたいな感じでした。自分の考えを言うというよりは、誰かの意見にいいねって同調するような感じのタイプの人間だったみたいで。
そうじゃなくて、自分は何をいいと思うのかっていうのを言ってくれるようになったっていうふうに、友人なんかは思ってくれてる感じですかね。

ナカザワ:今までは周りのみんなが「こっちがいいよね」って言ったものに、自分がいいよねって思ってなくても「いいよね」って流していたってことですかね? 

でまち:うーん、というよりは、特に誰かの意見を批判的に見ずに、良し悪しを考えるまでもなく「いいよね」って言ってた。自分の意見を、考える前に、もうそれも正解だろうっていうことにしてしまうといいますか。

ナカザワ:判断をしてない状態っていうことですね。

未来:自分の人生を歩めている幸せ

ナカザワ:結構お若いと思うんですが、例えば、5年後、10年後、どんな人になりたいですか? 

でまち:多くの人に、今の自分の思い・考え方を伝えて、少しでもこれからの時代を幸せに生き抜ける子どもを増やしたいっていう思いは、ずっと持ったうえで、一番大事な自分の幸福、そして、自分を大切にしてくれる、本当に身近な人を大切にしながら生きていたいっていう感じですかね。
自分と自分の周囲の本当に大切な人を真っ先に優先しつつ、いろんな人を幸せにしながら生きていきたい。なんか、まとまりのない頭の悪そうな回答になってしまったんですけど(笑)

ナカザワ:どういうときに、幸せって思いますか?自分で意思決定をする瞬間の方が、やっぱり幸せですか? 

でまち:だと思いますね。今23歳なんですけど、自分の人生を歩めているっていう感覚は、これまで21年ぐらいは味わってなかったことですからね。ここ2年で味わえるようになったその瞬間っていうのは、やっぱり幸せですよね。

ナカザワ:やっと最近になって味わえるようになった、なるほど。
もし、今戻れるなら、どの段階から意志を持って生きたかったと思いますか? 

でまち:遅くても高校3年生ですかね。今、選んできた道に不満があるわけではないんですけど、別の選択肢を検討するっていう機会を、高3のときに設けられたら良かったなって。人生で戻りたい瞬間があるならって聞かれると、その時期を答えます。

ナカザワ:高校卒業後の進路は、違うところを選んだと思いますか?それとも、選択肢があることが大事なのか。

でまち:本当にその通りだと思っていて。もし考えたとしても、たぶん今の道を選んでたとは思うんですよ。でも、そこに自分の意志が入るのと、誰かの意見によって決めたのとで、その後の時間の使い方って、たぶん変わってくるんだと思うんですけど。

ナカザワ:確かに。

でまち:そう思ってくると、高校卒業後の道が同じだったとしても、違うルートになってたかもしれない。もし戻れるなら、その選択の機会をしっかり持てるようにしたいですね。

ナカザワ:選択っていうキーワードだったりとかね、自分らしさとか、いろいろ聞いてきましたね。

でまち:今、そういうのを学生たちに教えて行きたいですし、自分が生きていく上でも何か狭い視野で見るのではなくて、広い視野で無限の可能性の中から選択していくような考え方を持って、人生設計していくようには意識してますね。

ナカザワ:与えたいものっていうと、選択肢だったり、選択できる環境でしょうか? 

でまち:だったり、選択できる力。

ナカザワ:なるほど、選択できる力って、どうしたら身につくんでしょう。

でまち:どうしても学校教育がそれに適応してないんで、なかなか難しくはあるんですけど。子どもと接する身近な大人だけでも、自分で選択してる姿を見せるっていうのが大事だと思っています。それに加えて、押し付けるばかりではなくて、自分で考えさせる。選択しようっていう思いを持たせるようにアドバイスする感じで、子どものアシストができるようになっていけば、少なくとも僕のような人は減るのかなと思います。

ナカザワ:もし、例えばその手段が学校教育じゃないかもって思ったら、別の方へ道を変えたりする可能性はあるんですかね? 

でまち:ありますね。現状に疑問を感じれば、どんどん環境を変えて行くべきだと思ってるんで。
今の段階で行うべきなのは、この学校で働き続けて学生に影響を与えることだって考えているので、当分はこのお仕事を続けるつもりではいますけど。もし自分の考え方が変わって、学校外において、学校外の組織の中で、もしくは個人で影響を与えて行きたいとなれば、そっちの道を選択します。

ナカザワ:選択の機会を持っていなかったという過去がなかったら、今のような生き方もないという。偶然の賜物ですよね。

でまち:結局、全てがつながってるんで、今のところ人生結果オーライになってるんですけど。

ナカザワ:結果オーライにして行けてるっていうのは、自分でそう思えるのも、またいいですよね。

でまち:結果オーライにしてるっていうのは、確かに表現として合ってるかもしれないですね。過ぎ去ったものは変えられないんですけど、その捉え方だけは変えられるんで、そっちを変えていこうというような生き方をしていきたいですね。

ナカザワ:ありがとうございます。すごい、若くてしっかりされている方だなと思いました。

でまち:こうして誰かに自分の考えを話すっていうのは久しぶりだったので、まとまりのない話をしてしまったなあと思ってるんですけど大丈夫でした?(笑)

ナカザワ:何か言い残したことはありますか?

でまち:僕は今、子どもがしっかり自分の意志を持って、自分らしく幸せに生きていくためには、身近な大人の影響力がすごく大きいと思っています。ですので、その身近な大人が、なんとなくの感覚的な教育ではなくて、正しい根拠を持った、これからの時代に合ったような生き方を体現しなきゃいけないし、そうした内容を子どもたちに提供していくような教育、子育てをしていってほしいなって思います。そういった方を増やせるように、今後も発信を続けていきたいと思います。

ナカザワ:とても立派な思いだと思います。立派って言われてうれしいかはわからないですけど。

でまち:うれしいですよ、ありがとうございます。

ナカザワ:今日は、本当にありがとうございました。

あとがき

とてもやわらかくて芯が強そうな印象のでまちさんでした。グラスファイバーの傘の骨のような、軽やかさと強さが共存しているような。
今回は意志決定が重要なキーワード。
目に入ってくる情報量がとにかく多い現代社会では、ときどき選ぶことを強いられているような息苦しさを感じてしまいますが、それはつまり、生きることは意志決定し続けることだという事実の証明なのかもしれません。
今回のお話、(自力で)選ぶ力を身につけて自分らしさをつかみ取ったという事実がすばらしいのはもちろんのこと、
何より、自分で選んでいないと認めつつも、「これまでの人生の選択は結果オーライだったと言い切れる生き方をしてきたこと」こそがでまちさんの底力であり魅力なのではなかろうかとしみじみしてしまいました。
選択がきちんと行動の過程になる生き方、いいですね。

インタビュー担当:ナカザワアヤミ

編集協力:有島緋ナ

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