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いつまでこうして私は短歌を詠んでるんだろうなって思う人

短歌は私も、「短歌と人」という連続インタビュー企画の行きがかり上、詠むことになったんですね。小学校とか中学校の授業で、作った記憶があるのですが、それ以来ぶりだと思います。カウントしたらもう30年以上ぶりとかそんな感じ。
ほら、まあ、私qbcって小説を子供のころから書いていたからね、文章には自信がある! いや自信があるというかどれくらいのものかという自分物差しみたいなのはあって、自信というかこれくらいまでは行けるぞみたいな尺度はあったんですけど、でその尺度上では、それならいに短歌作れるぞって思ってたんですけど、ぜんぜんダメでしたわー。ダメダメ。
最初に作った歌はこちらですね。
「気づいたらもう四十五びっくりだよいやほんとにさほんとにほんと」
内容が希薄だとコメントいただいたんですが、もはや短歌が、字数を産める作業なんですよね。
で、2回目。「冷凍庫カレー雪平溶かします午前とりむね削ぎ切り補充」
3回目はこれ。「昨日からシール剥がしに固執ですタロット講座を耳で聞いた」
いやなんかね、自分でも成長するもんだなと思いました。45の手習いですね。うふふ。
ということで無名人インタビューgo!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは ういなつ さんです!

https://x.com/_hatsunatsu/


現在:短歌はまだ好きなものっていうような表現しかできないんですけど、ゆくゆくはライフワークですって言えるくらいには、自分の手になじませたいなって思ってるものです。

くじらぐも:ういなつさんは今何をしている人ですか。

ういなつ:ういなつという名前では、短歌ビギナーといいますか、短歌を詠んでいる人として活動している。
それで世間一般的に言うと、一応ちょっとメンタルと体調崩してお休み中っていうような立場の人間になります。

くじらぐも:短歌はいつぐらいから始められたんですか。

ういなつ:一番最初にやってみようって思ってやったのは、たぶん1年か2年くらい前。元々ファンアートとして短い小説を書いてたんですけど、さらに短い31文字っていう縛りの中で、詩だったりとかその好きな作品の話のどこかのシーンを切り取るっていうのは、シンプルに面白いなっていう興味でやれるなら、ちょっとやってみようかなっていう風に、すごい軽い気持ちではじめたのが一番最初です。

くじらぐも:好きな作品というのはどういった作品なんでしょうか?

ういなつ:「刀剣乱舞」っていうゲームなんですけど。刀を擬人化したキャラクターが出てきて、キャラクターのモチーフになってる元の刀に歴史や物語があるんです。元は戦国大名の誰かのところにいて、今はこの美術館に所蔵されてるよとかっていうような。
そこからちょっと和風ファンタジーとして脚色されていたりだとか、キャラクター同士の繋がりが元々の主が一緒、元々の持ち主が同じ、例えば織田信長の刀だったとかっていうような繋がりがあったりとかっていうようなものがあって。
刀剣男士ってキャラクターのことを呼ぶんですけど、プレーヤーであるっていう私達が一応主であり、刀剣男士はそれに仕えてるっていう形の設定なんです。

もとはただの物言わぬものだった、刀だったっていうものが人間の姿になって話せるようになって、人間と触れ合ったときに、キャラクターたちは私達に対してどんな感情を持つのかなとかどんな反応するのかなっていうようなところからいろいろ妄想してて、それを小説にしてたのを今、ギュッと短歌の短い文章にどれだけ込められるかなと読み取ってもらえるかなって。自分の中では挑戦であるんですけど。
和風のコンテンツなので、短歌以外にも俳句や都々逸をやってる方も多いと思います。

くじらぐも:刀剣乱舞を好きになったきっかけっていうのはどんなことだったんですか。

ういなつ:好きになったきっかけかー。
他のソーシャルゲームと比較すると、特に強く課金を促すような要素もないし、人と争うようなランキングがあるような要素もなくて、自分のペースで進められるっていうとこに、まず楽だな、気が楽だなって。
争わなくていいし、ソーシャルゲームの種類によっては、課金額イコール愛情みたいな風潮がある人たちもいる中で、そういうのがないっていうのが一番ハマりやすかった要因ですかね。今となっては、もう元になっている刀の歴史であったりとか、日本史自体に興味が湧いてきて楽しんでいるんですけど。

そもそも最初は高校とか大学受験のときは、世界史専攻で日本史全然わからなくて。教科書に載ってる人の名前はわかるけど、じゃあその人が何をしましたかって聞かれたら人によっては答えられないぐらいの知識の人間だったんです。
でもやっぱり声優さんであったりキャラクターデザインであったり、シンプルにキャラクターとして、魅力的な刀がすごく多くって。
キャラクターによっては自分の元の持ち主の、例えばさっきも言ったように、俺は織田信長のところにいた刀なんだぞ、どうだすごいだろう!みたいな感じで言う子もいれば、昔のことあんまり喋りたくないですみたいな感じで、多くを語らないキャラクターもすごく多くて。
ってなると、単純にゲームを進めているだけではわからない要素が隠されているっていうのがちょっと謎解きみたいで面白くって。その流れでのめり込んでいったというか。

実際の日本史の物事であったりとか、前の持ち主って言ってる武将のエピソードであったりとかを持ってきてだからこのキャラクターはこういうようなものの言い方をするのか発言をするんだなとか、こういうセリフがあるんだなとかっていうようなのがわかっていくのが楽しくて日本史と一緒にのめり込んでいったっていう感じですかね。

くじらぐも:ういなつさんにとって、短歌っていうのはどういうものなんでしょうか?

ういなつ:最初の1年くらいは、本当に二次創作の短歌しかやってなくて、自分のただ好きな気持ちとか自分の妄想をアウトプットするための手段、道具でした。
ここ1年くらい、本当につい最近、まだういなつのアカウントを作ってたぶん1年経ってないんですけど、自分の日常であったりとか見えてるものを詠んでみようとか、自分の気持ちを詠んでみようっていうふうに切り替わったときに、結構自分を見つめ直す時間だったりとかっていうのが生まれてくるようになって。

今、短歌とはって言われたら、そっかそうだな。まだ好きなものっていうような表現しかできないんですけど、ゆくゆくはライフワークですって言えるくらいには、自分の手になじませたいなって思ってるものです

くじらぐも:短歌のどういうところが、ういなつさんをそこまで引き寄せるといいますか、夢中にさせるんでしょう。

ういなつ:ちょっとずれちゃうかもしれないんですけど、俳句など他のものよりルールや縛りみたいなものが簡単だったからなんですよね。
俳句だったら季語が必要であったりとか。学生の頃古典で学んだような活用の使い方とかに結構厳しかったり、ちょっと難易度を感じていたところに、現代短歌っていうものを知りました。結構話し言葉で書いてる人もいらっしゃるし、話し言葉で書いてるからこそ生々しさというか、詠んだ方の気持ちであったりとかその詠まれている状況が想像しやすかったりとかっていうことがあって。短歌なら意外に結構ラフな感じで詠んでも大丈夫なのかも、っていうのに気がついて。

キーワードを組み合わせていくっていう、私はそういう作り方をするんですけど、思いついた単語からそれに繋がるように、それぞれを連想ゲームみたいな形で組み立てていくのが結構楽しいし、短歌と向き合っている間は余計なことを考えなくて済むので、だんだんハマっていった感じです。

あと私、いわゆる一次創作、オリジナルでは小説を書かないんですけど。何でかっていうとそのキャラクターだったりとかの設定、どういう人物が主人公で、その主人公のバックグラウンドはどういう話でっていうのを組み立てようと思ったときに組み立てて満足しちゃう、結局小説を書かなかったり完結できない癖があって、どうしてもオリジナルで小説を書こうっていう気にはならなかったんですよね。頭の中では色々組み立てるのが好きなのに、アウトプットすることが苦手でした。

短歌はどっちかっていうとオリジナルでも割と自分自身の感情の動きだったりとか、体験に基づいて書くことが多かったのですごくアウトプットがしやすくて。
他の人の短歌を詠んでても物語調に書いている人もいれば、たぶんこの人実生活でこういうことがあったんだなって想像がつくように書いてる方もいらっしゃって、すごく何かハードルが低い割に幅が広い。なんかいろんな人がいる。いろんな詠み方をする人、いろんなものを詠んでる人がいるんだなっていうのが、すごい最近実感できててそこが面白いところですかね。

そういうのがあるからやめられないというか。結局は自分の頭の中にあるもののアウトプットの道具なんですけど。ちょっと心を病んでしまった、ちょっとメンタルの調子を崩してしまったときに、やっぱりマイナスのことしか考えない瞬間とか時間ってのがすごく長くて。
気軽にその友達に愚痴を聞いてもらうみたいなレベルじゃなくなっちゃうんですよね。落ち込み度とかによっては。
そうすると、自分の中にだけ閉じ込めておくには、もうちょっとあり余る負の感情とかをあえて短歌にのせて入れて、自分でスマホのメモ帳だったりとかに、ある程度の形としてポンと出しておくことで、自分から一旦切り離して冷静になるみたいな効果もあったりして。自分自身を見つめ直すための新しい道具を手に入れたっていう気持ちですかね、今の私だと。そんな感じですね。

くじらぐも:短歌を完成させるに至るまでってどういうふうに進んでいくんでしょうか?

ういなつ:例えば昨日も、昨日もっていうか私はいま毎日絶対1首以上詠むっていう自分ルールを作ってて
昨日たまたまちょっと外に出かける用事があって、その帰り道、家の近くまで来たら金木犀の香りがして、やっと過ごしやすい秋が来たな。金木犀の香りも好きだしその季節を感じられるものも好きなので、何て言ったらいいんだろう、嬉しさとかときめきみたいなものが、ワーッと自分の胸の中に上がってきたんですけど。数十秒後にはすれ違ったおじさんが歩きタバコをしてて、そのタバコの臭いで全部が台無しになったみたいな瞬間が昨日あって。それをもとにどうにかしてなどに関してこの悔しさを残しておきたいみたいなところから、昨日は詠んだりとかするし。

今父親と2人暮らしなんですけど、私が短歌を詠んでることを父は知っててしかも別に特に何もからかうとかそういうのもなくそういう趣味があるんだねぐらいのトーンでいてくれてるんですけど。
何にも今日の歌を今日詠むテーマとかワードが思いつかないなって思ったら何か一つ、単語とかキーワードちょうだいって言ってお題をもらっています。
この間なんかは衣替えで何か詠んでって言われて。衣替え、そっかあって言って、そっから連想ゲームが始まったりとか、自分の感情から感情を残しておきたいっていう場合と、そのシンプルに連想ゲームとして遊びの一環みたいな感じ、ちょっと頭を使う遊びの一環として使う場合とどっちかですかね、たぶん。

昨日なんかは本当にタバコの臭いで金木犀の感じが全部飛んで、うわーって思いながら家に帰ってきたので。これは何とかして残そうみたいな。嬉しい気持ちももちろん残すこともあるし、悔しい気持ちも残すしみたいな。どこかでこれを忘れちゃいけない気持ちだなみたいなのが、自分の中で無意識に選び取ってて、それを出力するかシンプルに連想ゲームで遊んでるかのどっちかですね。

くじらぐも:ういなつさんの性格についてちょっとお伺いしたいんですけれども、ういなつさんは自分は自他ともに認める何々だって言うとしたら、何々にどんな言葉が入ると思いますか。

ういなつ:変なところで真面目っていう自覚はあるし、家族からもそう言われます。初めましてぐらいの段階のお互いをよく知らない相手からは、真面目でしっかりした人だねって言われることが多いので。私的には変なところなんですけど、状況に合わせてきちっときちっとしておきたいみたいな。
ちょっと度が過ぎる几帳面さみたいなのが、こうでなきゃいけないみたいなこだわりが強いですかね。言い換えると、そのこだわりの強さが、周りの方にはプラスに受け取ってもらえて真面目だねって言われるんだと思うんですけど、こだわりが強いなって自分でも思います。

過去:結構マイペースに好きな事をしているだけのつもりが、気がついたらしっかりしてるねとかお姉さんだねって言われてた。

くじらぐも:過去ついてお話をお伺いしたいんですけれども。ういなつさんは子供の頃はどんな子でしたか。

ういなつ:あんまり私自身は覚えてないというかあんまり自覚がなかったんですけど、結構みんなのお姉さん役というか、割とみんなを引っ張ってってるっていう評価をいただいていたみたいで。私はたぶんその当時私自身の自分自身の気持ちを掘り起こすならば、目の前のことにまっしぐらっていう猪突猛進じゃないですけど、自分が好きに走ってたら周りがついてきたみたいな。
たぶん子供の頃の私に聞いたら、「別に何かしたかったわけじゃない。自分が好きにしてたら周りが一緒に付いてきて楽しいねってなってた」って返事が返ってきそうなくらいには、何か割と率先していろいろ手を挙げたりとか困ってる子の手助けをしてあげていたようなお姉さんタイプだったらしいっていう話を聞いてます。本当にあんまり自覚はないです。

くじらぐも:それは今も昔もずっと変わらない性質ですか。

ういなつ:好きなことにまっしぐらみたいなのはもう本当子供の頃からそうだったんですけど、お姉さんタイプかって言われると最近はどうだろうな。
大学では今度はお姉さんポジションからお母さんポジションみたいなみんなの事を見守っているポジションみたいなのに変わったんですけど、性質としては一緒かな。
特に何もしてなかったのに大学時代はリーダーっていうあだ名について。何でリーダーなのって聞いたら、嵐の大野くんみたいって言われて、なるほどねみたいな。
なんか引っ張っていく存在からちょっとどっしり構えてみんなのよりどころになるみたいなようなイメージでたぶんその子は言ってくれたと思うんですけど、そんなようなことがあったんであんまり変わってないのかな。

今は仕事を休んでるというか、今仕事を辞めてちょっと休養期間をガッツリ取ってる時間時期なので、あんまり同年代の人と関わったりとか、いわゆる社会での関わりっていうのから弾かれてる状況なんですけど。そういうふうになると、結構マイペースというか、自分勝手っていうとちょっとマイナスなんだけど、今は割と誰かを助けたりとかっていうよりかは、周りを見ないで自分のことをしてもある程度自分の好きなことしていても許される環境にあるので、ちょっと違うかもしれないですね。お姉さんタイプとかではない。

たぶん一人っ子っていうのもあったりとかして結構マイペースに好きな事をしているだけのつもりが、気がついたらしっかりしてるねとかお姉さんだねって言われてたので、ちょっと自分ではわかんないですね。どうなんだろう。今と昔とではたぶん違うと思います。今の方がもうちょっとわがままかな、子供っぽいというか。

くじらぐも:では、子供の頃好きだったものって覚えてますか。

ういなつ:本を読むことと、ごっこ遊びみたいなことかな。幼稚園だと大体友達と集まってセーラームーンごっこみたいなごっこ遊びの類をしていたし、あとは本を読むことは幼稚園ぐらいから結構好きで、母が結構漫画じゃなくて絵本とかだったら、児童書とかだったらすごいガンガン買い与えてくれる親だったので、読むことが好きだったので嬉しかったですね。

今全然読まなくなったというか、長いものを一気に読むっていう体力がなくなっちゃったので、あんまり読まなくなっちゃったんですけど、高校ぐらいまでは必ずカバンの中に文庫本1冊2冊入ってるみたいなぐらいには。活字と文章とか物語との距離が近かったですね。話読み聞かせを聞くのも好きだったし、自分で1人で黙々と読むのも好きだったので、そういう感じ。

くじらぐも:小学校とか、中高でも、大丈夫なんですけど、何かのめり込んだこととかってありましたか。

ういなつ:あったかな。中学高校のときは仲良くしてた子たちがいわゆるオタクグループというか、みんなそれぞれ好きな漫画がある好きなゲームがある、好きなアニメがあるみたいな人たちと仲良くしてて私自身も、どっちかって言ったらそういうタイプだったので、共通してその時期やってるアニメの話とか、一番ハマったのはクイズゲームにはまったてた時期があって。高校3年間だと思うんですけど、放課後ひたすらゲームセンターに通ってはクイズゲームに興じてた時期はあります。

知識欲じゃないですけど、結構マニアックなものからいわゆる常識問題とかあり、勉強に直結する歴史とかの問題とかもあるんですけど、結構バラエティー系の問題とかもあったりとかして、一緒に遊ぶ友達とそれぞれ得意なジャンルを絞って知識つけてゲームに挑む、みたいなことをやってた時期でした。

くじらぐも:学生時代を通じて続けていたこととかってありましたか。

ういなつ:中学卒業するかしないかぐらいから、いわゆるニ次創作っていうもの、好きな作品に登場するキャラクターについて、もしこうだったらみたいなのを物語として文章に書いていくとか。友達は絵が得意だったので私が文章を書いたものを元に漫画を描いてくれたりとかっていうようなことをし続けてたので。その文章を書くことと、物語を作ることっていうのは割と中高、大学入るくらいまでは好きで熱中し続けてやっていったかなと思います。

大学がいわゆる文芸系というか小説家を目指したりとか雑誌とか新聞社、雑誌社新聞社に入りたいみたいな子たちが集まるような学科に進学したのもあって、文章を書くことが楽しんで書けなくなっちゃった時期があって。課題として作文をひたすらするみたいなような状況が続いたときに、楽しく文章書けてたらよかったけどなんか楽しくないなって思ってしまって、結局は大学を中退したんですけど、社会人になって、文章を書くことをやめてしばらくしてから刀剣乱舞に出会って、久しぶりに書いてみようかなっていう気になったっていう感じですかね。

妄想自体は物語を作るこのキャラがこうだったら面白くないとかこのキャラがこうだったら、あのキャラはもしかしたら違う行動をとってたかも、とか。もしかしたらこの今のこのお話の裏にはこういう会話があったかもねみたいな、妄想だけはずっと続いて中学のときから変わらず、今も変わらずたぶん自分の中でしていて。
妄想っていうとちょっと言葉があんまり綺麗じゃないんだけど、想像して自分の中で好きな作品の世界を自分なりに広げてみるみたいなことはずっと続いていることですね。それを形にするかしないかを一旦置いといて。

くじらぐも:なるほど。今までの人生でターニングポイントだった出来事はありますか。

ういなつ:まさに今です
大学中退したことももしかしたらターニングポイントなのかもしれないけれど、今が一番変化してるし変化してるっていうことに気が付けているし。仕事があんまり続かなくて。

やりたかった方面の業界にも入ったことがあるし、それ以外にも普通に事務職とかあとアルバイトでテーマパークで働いたりとか、いろいろ経験してきた中でなかなか働くことが楽しいと思えずに続かなくって。
なんかここにいるのが自分じゃなくてもいいよなって思いながら働いててたのが、今年に入って体調に来てしまって。一番最初に体の方に不調をきたして結構いくつか病院回って、原因わかんないですね、体は健康そのものですねって言われて。
どうしよう。でもそれでも朝起き上がれなかったり動けなかったりするんだけどなんでだろうっていう話を家族にしたら、もしかしてメンタル方面やられてるんじゃないっていう話になって。今ちょっとメンタルクリニックに通って一旦仕事お休みしてみましょうかみたいな話に。
今の主治医の先生曰く、発達障害の疑いがあるんじゃないかっていうふうに言ってくださって。一番最初に今の状態だとあんまりいい結果が出ないからお休みしましょうってことになり、今無職っていう状況なんですけど、ようやく先月の終わりに心理検査を受けることができて今その結果を待っているっていう状況なんですね。

薄々何となく仕事がうまくいかない続いてないなって思っちゃったときにもしかしてって思ったことはもう五、六年前からあったんですけど、自分が今まで働いてたりとか、どこかの何かのタイミングでちょっとやりづらい、生きづらいって思った違和感の正体がもしかしたらわかるかもしれないっていうので今が一番ターニングポイントかなって。
あと働けてない状態の自分をようやくちょっと受け入れられるようになってきたというか。同世代は結婚して子供がいたりする人もいるし、バリバリ働いてる人の方が多いから、なんで自分は今こんな状況になってるんだろうって思ったことも、二、三ヶ月前はあったんですけど。それが今ようやく受け入れられてきて、結果次第でどうにかなるだろうっていうところにまでちょっと落ち着いてきたので、ターニングポイントがどこかって言われたら間違いなく今ですね。
たぶん今、一番自分を見つめ直す時間として、ちょっと変な言い方するとか神様とか自分の知り得ないところで力が働いて、自分を見つめ直す時間をもらったのかなって今思ってます

くじらぐも:今ターニングポイントとして過ごしている今の生活はどうですか。

ういなつ:正直楽です。働くって自分にとってはすごいしんどかったんだなって今思ってて。でも、ゆくゆくはもちろん生きていくために普通に生活していくためにお金を稼がなきゃいけない働かなきゃいけないっていうのは、もちろんわかっているんですけど。
今は落ち着いて自分と向き合ったりとか、あと短歌をやる時間があるっていうのも自分の中ではちょっとたぶん大きくて

最初の方に話した話とちょっと同じような感じになっちゃうんですけど、短歌を作っている間の時間が頭の中がすごく静かなんですね。普段だったら、友達と喋ったりとか別のことをしていても、絶対頭の中のどこかには生活今後の生活に対する不安とか、自分は今後どうなっちゃうんだろうなみたいな、漠然とした不安感みたいなのが頭の隅のどこかに絶対あるはずなのに、今短歌を詠んでる間っていうのは、結構それを忘れられる。一旦どこかに置いておけるっていうのが自分の中ですごく大きくて。
自分自身と向き合いながら、自分の感情をアウトプットすることで整理をしている時間なのかなと思って、結構嫌いじゃない。好きって言われたらちょっと違うけど嫌いじゃないし、落ち着くなと思うので悪くないなと思ってます。

未来:白紙ですね。

くじらぐも:未来についての質問をしたいのですが、これから5年後10年後、もしくは死ぬときまで想像してみたときに、未来についてどんなイメージを持たれますか。

ういなつ:全く白紙ですね。後先を全く考えてないっていうとすごいマイナスに受け取られやすい表現になるんですけど、元々座右の銘として「なんとかなる」っていうワードを自分の心のどこかには絶対に置いておいてあって。自分で何とかするっていう意味合いも含めてなんとかなるっていう自分の中で唱えてるんですけど。
結構昔も今も割と今を生きるので精一杯というか、今に全力投球したいからあんまり先のこと考えたくないなみたいなのが、たぶん元々の性格も含めてあって、未来ってこの先どうしていきたいかとか、未来ってどうなってそうですかとかって聞かれたときに、わかんないですって即答しちゃうんですよね。

今のことを考えるのでキャパがいっぱいいっぱいっていう意味もありますけど、特に深くは考えてないっていうか、どうにかなってるんじゃないかなっていう。自分への漠然とした信頼っていうとあれなんですけど、例えば明日のことは明日の私に任せたみたいな感じで、例えば5年後の私が、5年前の自分何適当なことしてるんだよって怒ったとしても、でも私ならその状況を何とかできるでしょって言うようなちょっとした期待をあんまりなくしたくなくて。そういう意味もあって白紙ですね。
未来をイメージしたときに、何か何でも描けるとか、何してもいいとか。例えば白紙っていう実際の白い紙だとして、紙飛行機ってどっかに飛ばしちゃってもいいし、どっから、どっかどこからともなくペンとか鉛筆とか出してきて何か文字を書いたり、絵を描いたりし始めてもいいしみたいな。割と何でもできるような感じでポジティブに捉えてる意味で白紙ですね

くじらぐも:白紙だからこそ、言ってみれば何をしたとしても、どんな人生も満点みたいな感じですかね。

ういなつ:満点って言ったら違うかな。あの時の私めーって今でも思うことあるし。例えばだから数日前のすごいリアルの話だと、なんでゴミの日だったのに前の日にちゃんとゴミをまとめなかったの私!みたいなところとか、その都度その都度採点してるので満点にはなかなかならないんですけど。でも後悔はしてないっていったらいいんですかね。あんまり、できるだけそのときの私がそうしたかったからとか、忘れてたっていうのももちろんあるし、そのときの自分ができることをしただけの結果が今っていうふうに思うので満点ではないんですけど。

あんまり自分を責めないようにしたいっていうのもあって。メンタル病みがちっていうか元々ちょっと根暗、自己評価が低いっていうのがあって。ずっと学生時代はちょっと何かミスったりすると、何でこんなことができないんだっていうふうに自分自身を責めるようなところがあったんですけど、今30代に入って、そこまで自分の事を厳しく扱わなくてもいいかなって。大人だからこそ。

子供の頃だったら、家族だったりとか周りの大人が褒めてくれたりとかしてくれる瞬間ってあるけど、大人になるとあんまりおおっぴらにはなかなか褒められないっていうのが、あるじゃないですか、やっぱり。いわゆるテストだったら点数で優劣がついたりとか、自分が頑張った頑張ってないかっていうのがわかりやすく出るけれども、社会人になるとそれがわかりづらくなってくる。

自分がどれだけ今、どう社会に作用できてるのかがわからないみたいなことが多い中で、だったら自分ぐらいは自分自身の味方になってあげてもいいんじゃないかなっていうふうに考え方が変わってきて。それもあって満点じゃない日もあるけど、そんときの私がそうしたかったんだからしょうがないよねみたいな。変に自分を責めたくないし、責める必要もないなと思うので、満点ではないけどそのときはそのときだったからそれでよし、これからだからみたいな感じで、最近は物事をようやく捉えられるようになってきました。

あんまりそんなにポジティブにいられないときの方が圧倒的に多いんですけど基本的にはそうですね。自分のことを信頼して、明日の私頑張れみたいな気持ちで今は過ごしてます。

くじらぐも:これから心理検査の結果なども出てくるかと思うんですけども。その後の人生こんな感じになるかなみたいな想像はありますか。

ういなつ:もちろん今も同じなんですけど、いろんな人に助けられてると思います。少なくとも1人きりではないというか、家族であったり友達であったり。私の場合は通ってる病院の主治医の先生だったり。その都度その都度振り返って話をしたり、現時点で私はこう考えてるんだけど、どう思う?みたいなその相談ができたりとかっていうする相手が、最低でも1人は絶対に身近にいると思えるので。

心理検査の結果が出てもし発達障害ですって言われてもそっかって。正直思い当たる節は結構あったからなー、みたいな。逆に完全にそうとは言えないけど、そういう傾向がありますねみたいなオチでも、一旦納得はすると思います。

大学中退してアルバイトから始まって社会人という肩書きで生活して去年とか今年ぐらいでちょうど10年ぐらいなんですけど。10年間何となくのらりくらりやってこれたっていう感覚もあって、完全におしまいになっちゃった、完全にもう駄目だってなってないから、きっと昔も今もいろんな人に助けられて、助けていただく形はたぶん相手次第で違うんでしょうけど、何かきっと自分自身でも何とかしようと思って行動してるし、その行動を支えてくれるっていう形で助けてくれる人もいるだろうし、行動しようと思ったことに対してちょっと道が違うんじゃない、方向性が違うんじゃないっていさめてくれる人もいるはずだから、そうですね。

検査の結果がどうであれ、自分自身がどう行動してもたぶんいろんな人に助けられて、自分は何となくぼんやり立ってるんだろうなって、その場に立っていられるんだろうなと思いますその場がどんな場かっていうのは、それこそ白紙のお話と一緒で、どんなところかはわからないですけど、とりあえずは、何とかなってると思います。

くじらぐも:もしういなつさんが、これまで短歌に出会うことのない人生だったとしたら、人生はどんなふうに変わっていたと思いますか。

ういなつ:たぶんこうやって無名人インタビューさんの存在を知ることもおそらくなかったです。
というのは、ニ次創作を発表したりしているアカウントのフォロワーさんに、なんで短歌始めたんですかって聞かれたときに、それに対してニ次創作の短歌があったからなんですよっていう話をしてたツイートを、たぶん無名人インタビューさんのアカウントからいいねされて、何か面白そうなことをやっている人たちがいるなみたいなところで、何となく軽い気持ちで応募したっていうのもあるんですけど。

なんて言ったらいいんだろ。短歌がなかったら、もしかしたら別の何か表現方法を探していたかも。表現方法を探して自分の気持ちと向き合ってアウトプットするようになってたかもしれないし、それすらもたぶんできてなかったらたぶんもっと鬱屈したというか、もっと精神状態がなかなか元気にならなかったかもしれないし、なんていうんでしょうね。自分の表現を自分自身を表現する一つの手段を失ってるっていうことになるので、ぱっと見はたぶん今と変わらない生活をしているけれども、自分の中身が整理がつかなくてごちゃごちゃのままだったかもしれないですね。整理がついてない。

こうやってインタビューを受けてみようかなともたぶん思わなかっただろうし、あとはやっぱり負の感情って人間の中で強いものだと思うので、すごいやっぱりマイナス思考だったり、ちょっと人に攻撃的な発言が多かったりするような人間だったかもしれないですね。
そっかそうだな。すごい端的に言うと、今より視界が狭かったと思います。それがたぶん一番しっくりくるな

くじらぐも:短歌をツイッターで投稿するときや短歌を作るときに、誰かの顔を思い浮かべたりとか、他の自分以外の存在を意識するときってあるんですか。

ういなつ:いやほとんどないです。承認欲求がないって言ったら嘘にはなります。多少はあるので、うまくできたなとか、これ見た人が誰か共感してくれる人がいいそうだなって思ったやつを中心に投稿していて、実は全然投稿してない歌いっぱいあるんですけども。特に具体的に誰かを思い浮かべたりとかは全然してなくて

あとは短歌を詠むことで自分自身の感情を自分と切り離して冷静に見るみたいなお話をちょっと最初の方にしたと思うんですけど、特にTwitterとかウェブ上に投稿することによって完全に切り離しちゃってもうさよならしてるんですよね。そのときの感情とは。
ある程度整理がついて、自分はあのときこう思ったなどとかこう考えてたんだなっていうのが自分である程度腑に落ちた段階で、もうこれTwitterに流しても大丈夫かなみたいなのとか。

あとは単純に今は本当にまだ詠み始めて、まともにちゃんと短歌ってものをやり始めて1年、2年なので。シンプルに技術を身につけたいっていうのもあって、こんなふうに表現した歌だったらどんな人が反応するんだろうとか、そういう何かある種の実験も含めてなので、見る人のこととかはあんまり全然想定してないですね。

自分では実験の場だと思って。興味を持ったらフォローするなり短歌のツイートだけをいいねするなりっていうような、人の動きがあるから、なるほどこういうのが好きな人が多いんだなとか、そういうふうに何かちょっと一歩引いてすごく冷静に自分の詠む技量を分析してる場ではありますね、ツイッターとかインターネットの世界は。
自分自身を見つめ直すだけだったら、正直、別にインターネットに出さなくてもいいんだけど、単純にやっぱり上手くなりたい、っていうのもあって、こういう表現はどうだろうとかっていう意味で載せてることが多いです。

くじらぐも:なるほど。この先短歌を詠まなくなっている自分っていうのは想像できますか。

ういなつ:できますね。たぶん満足したか、別のものに熱中しているかのどちらかですね。ちょっと飽き性なところもあって、いつまでこうして私は短歌を読んでるんだろうなって今でも正直思いますし。
具体的な目標があって始めたわけじゃなくって、人に見てもらいたいというか、見てもらうでの反応が知りたいっていうところに今ようやく自分の気持ちがたどり着いたところなので、まだまだ詠むと思うんですけど。たぶん何かのタイミングで、満足しちゃう瞬間ももしかしたらあるかなっていうのはあります。

今、実は二次創作の小説を書くのをそろそろやめようと思っていて。やりたいことはやりきったかな。自分が読みたかった話をもう大体書き切ったかなっていう意識が強くって。やっぱりキャラクター作品におけるキャラクターの人気の差とかで読んでくれる人と読んでくれる人の数がすごく増減が激しいのでそれに疲れちゃったのもあって、私が読みたい話をただただ私が書いてるだけなんだけど、キャラクターが違うだけでこんなに読む人の数が変わるんだっていう気づきを得たのもあって、別に書かなくていいかな。書きたい話ももうあらかた書き切ったしなーみたいなので。

そういう意味もあって今短歌に熱中してるっていうような部分もあるので、おそらく詠んでない未来もあると思います。もちろん詠んでいる未来もありうると思ってて、自分のことなので、ちょっと飽きっぽいというか、ある程度自分で区切りをつけて、終わり!ってしてるかもしれないですね。
すごい質問に対しての答えが毎回同じで申し訳ないんすけど、先のことは本当にわかんないです。今、今が一番大事なので、私にとっては今が一番大事なので

くじらぐも:わかりました。ありがとうございます。

ういなつ:すいません。

くじらぐも:インタビューも終わりとなりますけれども、何か言い残したことはありますか。

ういなつ:こういう面白い企画に出会わせていただいてありがとうございましたっていう感じですかね。本当に私もどちらかといえば大学の専攻の都合っていうか、文芸系に行きたかった理由って、私どっちかっていうと、インタビュアーとか編集者とか、そういうふうになりたかった人間なんですね。一回そういう業界に入ってちっちゃい編集プロダクションに入ったこともあったんですけどそのときは、週4日ぐらい終電みたいな、仕事自体も結構ギリギリ、自分の体力もギリギリみたいな生活をしていて私この業界ではやっていけないなって何となく悟ったのと、あとちょっと家の事情も重なって、結局半年ぐらいで辞めちゃったんですけど。

無名人インタビューさんはなんか面白そうなことしてる人たちがいる!っていうのが一番最初の印象で、そこに関わらせていただけたので、すごいありがたいなと思いました。
この企画が末永く面白い人を見つけて続いていくといいなとは思ってます。

くじらぐも:ありがとうございました。

ういなつ:ありがとうございます。

あとがき

このインタビューのあと、私も短歌を詠んでみたい! と取り掛かってみたのですが、見事に撃沈でした。自分の感性も錆びた機械のようにギシギシで、感性を言語化する語彙もございませんでした。
自分をまるっと見つめてみる、頭を真っ白にしてみるって、大切なことだなぁとしみじみ思いました。
もうちょっとだけ頑張ってみようかな…
ういなつさん、ありがとうございました! 

【インタビュー・あとがき:くじらぐも】

【編集:さりあ】

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