くじらぐも

二匹のリクガメと暮らす、ゆるふわ葬儀屋さん。四六時中食べもののことを考えています。無名…

くじらぐも

二匹のリクガメと暮らす、ゆるふわ葬儀屋さん。四六時中食べもののことを考えています。無名人インタビューのインタビュアーです☁️

最近の記事

えこばーちゃん

正しくは、瑛子 それが祖母の名前だったけど、 私が名前を覚え始めたころ、言い易いように えこばーちゃん、と呼ばせたらしい。 えこばーちゃんは、去年の10月30日に突然逝去した。満89歳。 えこばーちゃんは昭和8年生まれ、私は平成8年生まれで、「お揃いだァ」と喜んでたなぁ。 正直に言えば、私はえこばーちゃんのことが、心の底から大好きなわけではなかった。 でも、えこばーちゃんが私のことを心の底から愛してくれていて、生き甲斐であることは十分すぎるくらい感じていた。 油絵が得

    • 帰省

      2年ぶりにまともに帰省した。 私の家族はあんまり変わっていなかった。 相変わらず愛猫には嫌われた。 大晦日の過ごし方は少し変わった。 今年はガキ使がなかった。 いつもはユニバースのオードブルだけど、今年は鍋だった。 年越しそばの上には海老天が鉄板だったけど、今年は売り切れていたので代わりにエビフライだった。 母方の祖母は入院していて、会えなかった。 日本酒に呑まれて、気付いたら年越ししていた。 一日に父方の実家に遊びに行くことはいつも通りだった。 おじさんおばさんの白髪

      • よく、就活とかで 「家族で大事にしていた価値観はなんでしたか」 「親から教えられた価値観はなんですか」 と聞かれることがあって、 これまで全然思い当たらなかったのだけれど、 やっと一個見つけた、という話。 それは、LINEで母親に会社の愚痴を言っていたとき。 「社長がほんとにトンチンカンで〜、最低なんだよね〜」と愚痴ったら、 「イヤなやつにもヨイショできる根性が必要なのが会社員。私はそれができない人間だったから、あなたにはできてほしいです。」 という返信がかえってきた。

        • ノスタルジー

          わたしの会社には、感謝の気持ちをカードに書いて送り合う文化がある。 今日、先輩から突然もらった一枚のカードで、不覚にも涙が出てきた。 「裏の駐車場にスムーズに停めてるの見た! めちゃめちゃ成長しましたね(T T)✨ 一緒に運転練習や教習行ったのがなつかしいね…! 運転ニガテな後輩が入ってきたら今度は大西さんが教えてあげてね!」 自分でも、どうして涙が出てくるのかよくわからなかった。なので分析してみた。 ・このカードをくれた先輩が12月に辞めてしまうので、寂しいから ・

          葬儀屋の3.11

          今日、会社の偉い人が東日本大震災のボランティアをしたときの写真を見せてくれた。 うちの会社が震災ボランティアをしていたことは就活の時から知っていたが、それがどんなボランティアだったのかを初めて知ったことと、改めて震災の経験は人それぞれなのだなぁと感じたので、書き残しておこうと思う。 そのボランティアの内容とは、「火葬」だった。 わたしはびっくりしてしまった。よく考えたら、いつまでもお身体をそのままにしておくわけにもいかないのだから、誰かが荼毘に付さなければいけないのは当然

          葬儀屋の3.11

          搬送

          おととい、病院で亡くなった方を式場や自宅にお連れする「搬送」の仕事に初めて同行させてもらった。 搬送は、わたしの会社では男性の仕事とされていて、わたしはとても悔しかった。わたしの知らないところでわたしの知らない仕事が起こっていて、それで会社が回っているのが悔しかった。 だからこれまで、「わたしも搬送やりたいやりたいやりたい」と上司に駄々をこねてきて、やっと実現したのだ。 まず白衣を着て、病院の霊安室で待機した。わたしは刑事ドラマでしか霊安室を見たことがなかったので、暗い

          お天気

          いま、会社のコミュニケーションルームでお昼ごはんを食べていたら、おばさん社員とおじいさん社員が、 「気温はまだまだだけど、もう空気が秋だよね〜」 「そうだよねぇ、天高くだよねぇ」 とお話していて、とっても和みました。 ここのところは日々の忙しさで、そういう感覚を使ってなかったなぁと思いました。 会社の裏倉庫に鈴虫が入り込んで鳴いているので、秋の訪れに気づいたくらい。 でも、元々はそういう季節を感じるのが大好きだったんだよなぁ〜、特に秋。 秋の朝のキリッと寒くて冴え

          尊厳

          本人の依頼で患者を殺めた医師の事件を受けて、こんなツイートが回ってきた。 わたしは、あんまり同意できないなと思った。 「どんなことがあっても障害者が生きることを否定してはいけない」 これはもう、いうまでもないことだ。 でも、尊厳が失われていると感じている人が「死にたい」と言うのを、否定できるものか? その気持ちを理解できない人たちだけで議論して、何の意味があるのか? そもそも死ぬことは不幸なのか?不幸を感じるのは一体誰だ? 「死ぬ権利を認めること」と「生きる権利を

          大人

          最近、仕事中でもプライベートでも「仕事に影響が出るかどうか」という基準で判断しているなぁ、とふと思いました。そして、少し大人になった気がしました。 なにかにつけて仕事のことを考えるようになってから起こった大きな変化を2つ挙げます。 ①落ち込まなくなった まず、仕事でミスしても落ち込まなくなりました。 社長が心酔している(そして社員に半強制的に押し付けてくる)自己啓発セミナーの中で「落ち込むという行動を選択しているのも自分」という内容があって、わたしは全く信じていませんでし

          おばあちゃん

          ご高齢の故人様に「おばあちゃんちょっと失礼しますよ〜」と話しかける人は多い。 わたしの尊敬する先輩もそうしている。 けれどわたしはそれを見て、 「故人様がどういう人だったかもわからないのに、一様におばあちゃんって呼ぶの、変じゃね?」 と思っていた。 もし故人様と実際にお話しすることができたとしたら、「◯◯様 本日はわたしが担当させていただきます よろしくお願いいたします」と言うだろう。 はじめから親しげに「おばあちゃん、ちょっと顔触りますよ」とはならない。 だからわ

          おばあちゃん

          モノ扱い

          朝出勤してわたしは、同期に前日の夜の話をした。 「胎児棺(胎児のために小さく作られた棺)でググったら、実際のご遺体の写真が出てきたんだよ、酷くない?!」 そうしたら同期にこう返された。 「そんなことないよ。(わたし)ちゃんはご遺体をモノ扱いしているんだよ。」 わたしは正直、彼女の言っている意味がよくわからなかった。むしろわたしは、胎児のご遺体がモノ扱いされていることに怒っているつもりだったからだ。 ご遺体をモノ扱いすることは絶対にしたくないという想いをわたしも持ってい