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大学休学中でノマドでフリーランスで海外の人

らたたたたたたたたたたたたたたたたって歌の歌いだしで何を思い出します?
私は「1/2(にぶんのいち)」ですね。知ってますか? 川本真琴さん。
なんかね、この方、だんだん表舞台からフェードアウトしてだんだん、見なくなってしまって、最近また見るようになっていて嬉しいと思うんだ。
でもね、思うんだ。
なんかね、テレビとかに出るとけっこう、人から見られるストレスがあって、なんかやりたいことやってるのになんかストレスになっちゃってできなくなる、ってショービジネスの世界だとよくあるのかなとか思うんだけど。
でも、なんかね、それってさみしいね。
でも最近はAdoとか花譜とか堂々と顔を出さなくてもいい人が増えていって、こういうメンタリティが許されていくのかな、とか思いますね。
でもね、顔を見せないとだめだ、っていう人も中にはいて。Zoomでもね。そらまあ私もいう時には言うんですけど。なんていうんですかね、ふだんはアバターで会話してるけど、リアルフェイスを見せられる関係なんていうのが出てくるんですかね。眼鏡を外した顔を知っているのはあの人だけ、みたいな感じで。どうなんだろう。
そうね、で、結局言いたかったことは、ひとつ。
めちゃくちゃ自由な時代になってきている!!!!! ってことだ!!!!!!
と思う2024年5月28日8時54分に書く無名人インタビュー781回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは ユメノ さんです!

年齢:20代前半
性別:女性
職業:学生ノマド


現在:努力や勉強を続けることで、やれることがどんどん増えていくのがすごく面白いところだなと思ってます。

さあや:
ユメノさんは、今何をしてる人ですか?

ユメノ:
今はですね、大学を休学していて。その休学期間の中でフリーランスだったりノマドだったりっていう働き方を確立していきたいなっていう期間です。学生でもありつつ、半分社会人としても働いているっていう感じです。

さあや:
休学はいつからされてるんですか?

ユメノ:
休学は2022年の4月からなので、ちょうど2年前からです。

さあや:
休学って何年ぐらいまで出来るものなんですか?

ユメノ:
私の大学だと3年できるって言われているんですけど、最初は原則2年っていうふうに書類に書いてありました。「もう1年、実は休学できるよ」っていうのを去年の年末ぐらいに学務部の人に言ってもらって。じゃあもう1年休学して、やりたいことしようかなっていうふうに思ってます。

さあや:
休学をしてフリーランスのノマドとして働かれているのは、どういう決意というか目的があるんですか?

ユメノ:
大学1年生が終わって2年生から3年生にかけてコロナで全然学校にも通えず、海外にももちろん行けず、国内もギリギリ最後の半年ぐらいは旅行できたかなみたいな感じで。自分的にすごく暗黒時代というか真っ黒な2年間っていう意識がありました。

一応、就職活動を夏のインターンに向けて3ヶ月ぐらいした中で、やりたいことがやっぱり見えてこなくて。例えば「業界はここが良い」だったり「こういう仕事がしたい、将来は何がしたい」みたいなものが見えない。
あとは、コロナで失った大学生活の2年間という時間を何とか取り戻したいっていう気持ちも強くて。やり残したことが無いって言い切れるような自分になりたいなと思って休学を決めました。
その中で、本来はカナダ留学に行く予定だったんで。ただ当時お付き合いしてた方と、私が1年半海外に行くってなるとお互いにやりたいこともたくさんある中で遠距離は難しいという結論になって。色々なことにチャレンジしていて今でも尊敬できる彼でしたが、お別れをしました。
留学がキッカケで2人の関係が終わってしまっている。そんな中留学に行って、自分は頑張れるんだろうかっていうのを考えたときに留学自体に興味がなくなってしまいました。もう一点は、それまで7カ国旅をした中で、英語が話せなくて困ったことがなかったなと思って。今は翻訳アプリも発達しているし、身振り手振りでもどうにかなる経験をしたことを思い出して、「語学ではないな」っていう結論になりました。

2020年3月。コロナ前最後の海外旅行。スペインにて。

語学っていうよりも、就職活動で見つからなかった「自分のやりたいこと探し」だったり、「世の中にはどんな仕事があって、どんな生き方があるのか」っていうところを知りたいと思いました。
海外に行くことと休学2年間ということだけを決めて、留学以外で海外にいく方法を調べてたときに、Twitterでジョージア開催の「ノマドニア」っていうワークショップをたまたま見つけて。海外移住もお試しできて、10種のITスキルを経験できるっていうところが、①海外に行きたい自分②やりたいことを見つけたい自分とっていうところにバッチリハマっていました。もう「これだ!」って感じで渡航を決めました。

さあや:
そういう海外ノマドの生活はどうですか?

ユメノ:
今年の3月1日にブラジルから帰国してから拠点は日本の実家でっていう感じなんですけど。この2年ぐらいは海外、まあほぼ1年半はジョージアとアルメニアで生活しながら、日本円で稼いで外貨に両替してっていう感じでした。

自分が海外でノマドのために頑張る期間を過ごそうと思ったきっかけが、日本にいるってなると、例えば実家の存在や、友達がたくさんいて遊びたくなってしまったりで、自分の将来をゆっくり考える時間・自分の将来のために努力するべき休学期間を、遊びに使ってしまう甘い自分であることもわかっていたので。海外の限られた人間関係の中で、自分のスキルアップ・将来のことを考えれるように、集中できる環境にわざと飛び込んでみたっていう意味でも、ジョージアで2年過ごすことを決めました。我ながら、自分の性格をよく分かったとてもいい選択だったと思います。

実は、旅をしながらのノマドの働き方は去年の12月ぐらいから始めたことであって。
それまでは定住型ノマドで、ジョージアにはいるけど自宅がある状態で日本から仕事をいただいてっていう感じでした。

1年半定住型のノマドを経験して、去年12月からアメリカ横断と中南米を旅しながらの移動型ノマドも経験しました。
どっちも経験した結果、「海外で生活しながら稼ぐ」というよりも、「場所を選ばずに自由に仕事ができる自由に稼ぐ」ってことがしたいなと思いました。海外でも、日本でも好きな場所で好きな人と好きなことで生きていきたいです。

この1年の間に自分のやりたいことも見えてきたなっていうふうには思っていて。やりたいことやいきたい場所に合わせて仕事のタイミングや内容を変えることができるようになったのがすごく嬉しいです。

2023年1月。パソコン1つで動画編集を仕事に。

さあや:
その海外ノマドで大変だったこととかはありますか?

ユメノ:
クライアントさんと対面で出会うことができないことです。例えば、SNS経由や知り合いから繋げていただくことでしか新規で出会うことが難しかったです。
あとは生活していく上で、外貨の為替とか日本円の価値に依存してしまうところがあることですかね。例えばジョージアの通貨「ラリ」だと、ウクライナとロシアの影響で価値や物価がどんどん上がる中で円安もあって。お金に対する不安定さみたいなところを感じるのも1個大変なところでしたね。

旅をしながらのノマド生活は、「電波の有無・速さ・電源の確保」などを常に心配する必要があります。日本でもテレワーク禁止のカフェなどがあり、割とサバイバル生活だなと思ってます。

さあや:
今は夢野さんは具体的にどういった仕事を受注されてるんですか?職種っていう意味では。

ユメノ:
2年間ずっと続けてきたのはAdobe Premier Proの動画編集のお仕事です。例えばYouTube動画だったり、インスタのリールだったり、TikTok、 YouTubeショートの縦動画とか。企業様の社内研修の動画を作ることもあります。
最近は、ウェディングムービー作成の仕事も積極的に受けています。新郎新婦の素敵な式を彩るお手伝いができて、いつも幸せを分けてもらっています。ありがたいことに、気づいたら映像関係でマルチに色々やらせていただけるようになっていました。もう一個プラスで、私は編集者として動画を制作する立場ではあるんですけど、その制作者自体を育てたいっていうのがあって

同じように、在宅なり好きなときに好きな場所で、副業、リモートで働きたい方がすごく増えていて。例えば「満員電車にもう乗りたくない」とか「会社に所属してると上司との人間関係が嫌だ」とか「好きなことを仕事にしたい」っていう悩みを抱えてる方からのご相談をもらうことが多々あって。そういう時に、私が渡せるスキルは編集の仕事になるので、じゃあ同じように少しでも人生が良くなるようにっていう手段の一つとして、スキルや経験をお渡しして生徒さんを育てるのをメインでやっていきたいです。

ノマドニアの卒業生として3期分の講師をやらせていただいたことも含めて、60名ぐらいに教えてきた経験があるんです。自由に働きたい人たちの力になれるように、まずは動画のスクールの立ち上げを友達と色々練っているところです。

2023年 卒業生としてノマドニアの動画制作講師を務める。ジョージアにて。

さあや:
どういう気持ちで動画編集とか、そういうお仕事はされてますか。

ユメノ:
クリエイティブっていうところが自分にすごく合っているなと思います。例えば音楽や効果音・デザイン、伝えたい内容やクライアントの要望にも合わせて、一つの作品を作っていく。そして、それに伴ってスキルが身についていくのが実感できて、自身にもツンが立っています。
プロとして、努力や勉強を続けることで、やれることがどんどん増えていくのがすごく面白いところだなと思ってます。

さあや:
どういう仕事とかどういう動画ができたときに良い仕事をしたなと思いますか?

ユメノ:
それで言うと、やっぱりウェディングムービーを制作する時が一番心がわくわくしたり幸せな気持ちになります。お相手にとっても、人生ですごく大事な機会の一部として制作させていただけるっていうところで、ヒアリングのときから密にコミュニケーションを取ってどういったものがいいのか御要望に沿いながら、自分が本当に1からデザインや構成を考えることが多いです。動画編集は素材があってそれにテロップ等を付けて作品にしていくんですけど、ウェディングムービーの場合は私自身が携われる範囲が広くて、自分のクリエイティブを活かすことができてとても楽しいです。

あとは、人生のうちの大切な作品として喜んでもらえたり感謝してもらえる度合いが大きくて、そこに対するやりがいをすごく感じてます。

2022年6月 ノマドニア卒業式。まだこの時は動画に興味がなかった。

さあや:
最近楽しかったことはなんですか?

ユメノ:
最近楽しかったこと。お仕事でっていうことですか?

さあや:いや仕事じゃなくても。

ユメノ:
去年の年末からアメリカ横断をして、ニューヨークで年越しをして、そのあと中南米をガァ〜ッと南下して3ヶ月旅をしたことです。
そんなに長期で旅に出たことが実は今まで無くて。海外には1年半いたんですけど、家があってっていう状態の海外生活でした。
なので、今回の旅が、家が無くてどんどん移動していく今までで一番大きな冒険だったように感じられます。自分にとっても、これからノマドとしてどうやっていくのかもそうですし、人生のこととか色んなことについて考える機会がたくさんありました。成長も出会いもあった旅だな~って思っています。もう本当に人生のハイライトとしてランクインした思い出です。

さあや:
これは1人で行ったんですか?

ユメノ:
アメリカ横断はキャンピングカー7人で友達とでした。それこそジョージア生活、アルメニア生活の中で出会った世界1周の人、その人が連れてきた仲間と7人で。
ニューヨークまで行った後は、別の日本人たちと合流して13〜14人ぐらいで年越しをAirbnbを借りて、タイムズスクエアで年越しをしました。
中南米はその中の仲良い子と2人で旅しました。「この国では誰々と合流して」みたいなのもたくさんありました。
さあや:
夢野さんは人から性格についてなんて言われますか?

ユメノ:
人からは「明るい」「天真爛漫」とかですかね。私すごいお喋りなので「元気」が一番多いかな〜と。あとは、初めてお会いする人から、「エネルギーをもらえました」と言っていただけることが多いのがとても嬉しいです。

さあや:
自分では自分の性格についてどう思ってますか?

ユメノ:
素直だなーと思ってます。人に言われた事はお仕事に対しても自分の性格に対しても、ポジティブなもの、愛があるものに関しては素直に受け取ったり、感情を素直に表したりすることが多いです。

もう一点は頑固ですね。自分で自分の道を選びたい。自由にやりたいことだけをやりたいとかっていう、わがままなところ。良さとして、普通だったら諦めてしまったり、考えもしないようなところを「これがやりたいんだ」ってとにかく突っ走る感じ。私、1個のことしかできないんです。何か一点にすごい集中できるっていうのは取り柄で。素直さと頑固さ、わがままさは、自分の良さとして捉えてます。

2000年2月。この時の素直さに負けないくらいこれからも素直でありたい。

過去:「たった1回の、たった数分の会話の中で、「人の記憶に残る何かがある」っていうのが自分の強みなのかも。」

さあや:
ユメノさんは子供の時、小学校とかから遡っていただいてどんな子でしたか?

ユメノ:
とにかくすごい周りに絡んでいく、変わらず元気な子だったと思います。子供の頃から周りにはすごく恵まれていました。周りにたくさんかわいがってきてもらったり目をかけてきてもらって、生かされてましたね。
変わらないのは、周りとギャンギャン絡んでいって友達をどんどん増やして、自分の人生に出てきてくれた人たちを大事にしたり、色んな話をしてっていうスタンスは今も変わってないなと思ってます。

さあや:
ユメノさんはどうして周りに恵まれてるんでしょう?

ユメノ:
周りに恵まれてる理由としては、色んなところに顔を出しに行くので出会ってる母数が多い分、自分に会う人や魅力的な人と出会えているんだと思います。
誰が来るか分からない飲み会や遊びにも全然行くんですよね。「来る?」って言われて「いや、知ってる人いないし」ってなるところにガンガン突っ込んでいって友達作ってます。出会う母数が多い中で良い人に出会う。確率がみんな一緒だとしたらやっぱ母数が高ければ高いほど人数が増えていくと思うんですけど。出会いの数が多くて、自分のことを知ってもらう機会がそもそも多いからだと思います。

2023年11月 旅やTwitterを通して繋がったみんなと「旅好き会」を共同主催。

さあや:
可愛がってもらうっていうのはどういう感じですか?

ユメノ:大学生の話になっちゃうんですけど、インカレみたいなやつに入ってて、私だけ呼んで先輩の色んな遊びに連れてってもらったりとか私がそもそも先輩誘って色んな所にいくことも多いです。「誰呼ぼうか?」ってなった時にパッと私が浮かぶっていう人がたくさんいて「こういうのあるんだけどう?」っていう気軽に言ってもらえるランキング上位だなと思います。かわいがってもらう=色んなとこで色んな経験をさせてもらえる。お誘いランキング常に上位。みたいなイメージです。

さあや:
ランキングの上位になっているのは何でなんでしょう。自分の見解としてはどうですか?

ユメノ:
例えば動画編集もそうなんですけど、動画の話が誰かに来て「自分はできないけど誰かいないかな」となったときに、パッと私が思い浮かぶっていう人が多くて。何でかなって考えた時に、アピールをずっとしてたからだと思いました。「動画あったらなんでもするんで声かけてくださいね~」とか。Twitterもそうですけど、自分の顔をよく出してて「ユメノ」という存在を忘れられないように脳内に刷り込んでいる感じですね(笑)

連絡取らないと忘れていってしまって、そういう人もいたな~みたいな感じで終わりがちです。でもSNSやインスタ、Twitterで自分をアピールしていくと覚えておいてもらえる。
頻繁に出してくことによって、脳内に残るというか、こんな子いたな~っていう刷り込みをしていて、人の印象に残れるのかなと。そこから仕事に繋がったりもします。名前も珍しいので、何をしてる子でどんな子なのかっていうことを覚えてもらいやすいですね。

よくあるのが、数年前に1回しか会ったことがない人が「こういう話があるんだけど」とか「今度こういうことしない?」って連絡をくれます。1回しか会ったことないのに、私を覚えていてくれてこんな風に声かけてくれるなんて、すごく嬉しいですね。たった1回の、たった数分の会話の中で、「人の記憶に残る何かがある」っていうのが自分の強みなのかも。

2020年8月 初めての海外旅行は海外旅好きインカレサークルのみんなとカンボジア。

さあや:
小学校とか中学校で力を入れてたこととかってありますか?

ユメノ:
小学校は友達ととにかく放課後遊びまくってました。中学では、部活動を始めたのが大きな変化でした。それまでの人生で、何かに打ち込むっていうことあんまり無くて。
吹奏楽部だったんですけど、ほぼ毎日夜遅くまで部活があって、先輩後輩という人間関係があってっていう世界に初めて飛び込みました。
クラリネットをやってたんですけど、色んなトレーニング方法を取り入れて部活っていう枠組みの中で部長も経験して、超頑張ってましたね。

さあや:
どうしてクラリネットを選んだんですか?

ユメノ:
すごいよこしまな理由なんですけど(笑)元々陸上部かバレー部が向いてるんじゃないかっておじいちゃんとかに言われてて。運動も嫌いじゃなかったんで体験入部とかは行ってたんですけど、吹奏楽部の新入生歓迎演奏会に行ったらクラリネットの先輩が超可愛くて。
その先輩みたいになりたい、仲良くなりたいっていう、すごいよこしまな理由で体験入部に行って。「もうこの先輩についてこう」みたいな感じで、憧れの気持ちがすごかったです。ちなみに高校も全く同じ理由で、今度はダンス部に入りました。超可愛い先輩がいて。

さあや:
そういう変遷を今振り返ってどう思いますか?人生の中でどういうポジションというか、意味づけになってますか?

ユメノ:
吹奏楽部を選んで本当に良かったです。卒業から何年も経った今でも仲良いくらい、仲間にすごく恵まれました。
何かに対して努力するっていう時間をガッツリ人生の中でとれたっていうのもすごく価値があったなと思っていて。
辞めようと思ったことは何十回もありましたが(笑)「上手くなりたい」という目標に対しての努力量は、今でもあのときは本当に頑張ってたなと思います。
吹奏楽をあそこまで頑張れていたことが、「私は努力できる」っていう何かに打ち込むことにおいての自信や頑張れるエネルギーにも繋がってると思いました。

2015年3月 吹奏楽部卒業公演で仲間たちと。中央の赤リボンがユメノ。

さあや:
ユメノさんはどんな環境で育ったんですか?ご家族とか。

ユメノ:
家族は普通にお父さんお母さんがいて、妹、弟がいて5人家族。お母さんは私を22ぐらいで生んだ専業主婦で、お父さんは消防士で。すごくよく喋るお母さんと全然喋らないお父さんの間に生まれました。3つ離れた妹とはめちゃくちゃ兄弟喧嘩してました。

塾とか自分のやりたい習い事、チャレンジに対しては全肯定な環境にいました。反対に、「勉強しなさい」って言われることはなかったです。
受験とか何かしら自分の将来を考えるタイミングで、どんだけ成績悪くても何も言われませんでした。でも「これから受験期だ~どうしよう~」ってなったときに「勉強しなくてもいいんだよ」って母親に言われて。「え、なんで?」って言ったら「別にしてもしなくてもママは困らないし〜♪あなたの人生だから好きに生きてね!あなたはあなたのために努力するんだよ。」正確なセリフは忘れちゃったんですけど、そんなようなことを、言われて。

「自分のために努力しなきゃいけないんだな」っていう危機感みたいなのが芽生えて、自分のために勉強して、自分のために進路を決めて、っていう。「あなたが決めるんだよ」っていう人生の舵を、ずっと握らせてくれていました。握らされてたっていうのが正しいかもしれないんですけど(笑)
だからこそ、まあ周りのおかげでもありつつも自分で未来をつかみ取ってきたな、みたいな自負や自信は両親のそういう育て方のおかげで芽生えたんじゃないかなと思います。
さあや:
そうなんですね。

ユメノ:
はい。私自身もこんなこと思ってたんだ~って思いながらいっぱい喋ってます。(笑)

5歳 幼稚園の誕生日パーティー。見つめ合うと素直におしゃべりできないタイプの両親。

さあや:
大学を卒業した後はどういう生き方を想定というか、描いてるんですか?

ユメノ:
もう、就職活動をしたくないなっていう気持ちです。社会に出る前に、フリーランスという自由を知ってしまいました。自由を愛しすぎていて、働く時間が決まってて、満員電車でオフィス出社、とかっていう働き方ができる気がしないです。超わがままですね。

就職はせずにフリーで突っ走っていけたらいいなと思っています。今と同じく動画編集だけっていうよりは、もっと色んな仕事をマルチにこなせるようなスキルをつけたり勉強したり、経験したりっていうのを増やしていきたいです。好きな人と好きな場所で生きていく生き方を、しっかりを追いかけて掴んでいけたらいいなと思ってます。

さあや:
今までのユメノさんの人生を三つの章に分けるとしたらどこに区切りが来ますか?

ユメノ:
今までを三つですよね。

さあや:
これからも含めていただいても大丈夫です。

ユメノ:
生まれてから高校3年生までが一章かな。
高3から大3までが二章、今は第三章をめっちゃ長くやろうとしてるのかな。
ジョージア行くことを決めたときからが新たなスタートだったかなっていうふうには思ってて。その延長線上が今とこれからに繋がっていったらいいなと思ってます。

さあや:
その第一章、第二章、第三章、どうしてこういう区切りにされてるんですか?

ユメノ:
第二章の高校3年生というところに関しては、そこまでのほほんと普通に生きてました。やっぱり高校3年生のときに、自分の人生をちゃんと考えて生きていかなきゃいけないなって思う出来事がありまして。高3の夏休みに、父と弟が事故で亡くなってしまったんです。

そのときに、人生いつ終わるか分からないし、自分の人生をちゃんと思考して生きないといけないと考えるようになりました。「いつかいつか」って思ってたものって「いつかは来ないかもしれないんだ」っていう脳になれましたね。そこから色んなことを考えるようになりましたし、チャレンジもそれまで以上にやりたいことに対して熱意と努力をつぎ込んで取り組めるようになれたのが第二章の始まりでした。

第三章がジョージアから始まるのは、知らない世界を知ったっていうところが区切りかなと思っていて。大学を普通に卒業して、就職をして、家庭を築いて生きていくっていう道を進もうとしていた自分が、フリーランスやノマドの「自由を追い求めて生きていく」その生き方を知ることが出来た。ここからまた章は増えていくと思うんですけど、今のところはそんな感じで考えてます。

数少ない父との写真。部分部分で、人生の目標にしています。

さあや:
今、一番大切な人は誰ですか?物とかでも大丈夫ですけども。

ユメノ:
やっぱりママかな。ちょうどこないだ母の日でしたね。まだ何もしてないんですけど。気づくのが遅くなってしまって「あ〜母の日だったんだ」みたいな感じに。
父と弟の事故の前からもそうですし、そこからもそうですけど、自分にとって最大の応援者であり、この自分を形づくってきてくれた大元の人が母ですね。

母は私以上に苦労して生きてきた中で、めっちゃ明るくて人生超楽しそうっていうところはすごいなーと。本人は何も考えてないと思うんですけど(笑)すごい感謝を伝えたい人、自分の中の人生で一番パーセンテージを担ってるのはやっぱりママかなと思います。

中南米旅のコロンビアで、パスポートの期限が足りなくて飛行機に乗れなかったことが一回あったんですよね。その極限状態、どうしようもう帰れないかもしれないみたいになったときに、パッと顔が浮かんで電話をかけたのはやっぱり母でした。一番の理解者で応援者で頼り先っていうのはお母さんだと思います。

2022年 ママ45歳のお誕生日祝い。

未来:自分の人生だからこそ自分で切り開いていかなきゃいけないなと思っていて。

さあや:
5年後とか10年後とかから死ぬときまで想像していただいて、未来についてはどういったイメージをお持ちですか?

ユメノ:
やりたいことやってるんじゃないかなと思います。それが何であるにしろ、確実に幸せに生きていると思います。金銭的な幸福感と気持ちと色んな幸福感があるとは思いますが。どんな結果になっているとしても、その後自分でどうにかしていけると思っています。
現状維持にモヤモヤしてしまう質なので、変化を求めて動いてたりっていうことは変わらずやってるんじゃないかなとは思います。

今やろうとしてる動画スクールを超えて、さらにやりたいことを見つけていて欲しいですね。既になんとなく見えているんですけど、誰かの居場所、コミュニティ作りだったり、そういう人と人を繋げて面白いことをして、面白い化学変化を起こしていきたいです。周りの人を巻き込んで、何か楽しいことを計画したり言い出したりとかしてるんじゃないかな~と思います。

さあや:
どういう気持ちでいたいですか?

ユメノ:
周りへの感謝は絶対に忘れずに、向上心と努力も忘れず、天狗にならず。
現状に満足せず、ぬるま湯にひたらず、危機感を持って「自分の人生もっと良くしよう」と頑張ってくれたらいいなとも思います。誰かの何かのきっかけ、支えになってて、たくさんの人のそういう存在になれてたらいいなと思います。おっきく出ました。(笑)

さあや:
もしもコロナが無くて「大学生活の真っ黒な2年間」って言ってたものが無かったら、どういう人生になってたと思いますか?

ユメノ:
いやあもう普通に今働いて新卒2年目、2年目でもないですね3年目の年なんですけど、多分そもそも浪人もしてないんじゃないかなと思います。ストレートで卒業して、就活して、自分の人生を歩んできた中で知った選択肢の中で動いてるんじゃないかなと思います。確かにその「もしも」は考えたことなかったですね。

さあや:
これをするまで死ねない、みたいなやりたいことありますか?

ユメノ:
これをするまで死ねない。なんだろうな~。やっぱり幸せな家庭を築きたい、まあそれが叶わなくても自分にとって絶対的に信頼できる仲間が周りにいる自分であってほしいなと思います。それって達成するというよりも今達成しちゃってるのですけどね(笑)なんだろうな死ぬときに後悔することですよね。

見たい景色は星の数ほどあります。海外もそうですけど、日本国内もとにかく色んな場所に行って足を運んだからこそ見える景色だったり、そこでの出会いとか、美味しいものとかお酒とか、そういうものをもっと自分の人生に取り込んでいきたいなと思います。
まあ旅ですね、どうしても切っても切り離せないのは。色んな旅と色んな出会いを経験したいなと思います。皆さんの回答も気になりますね、これをするまで死ねないっていう。

2023年12月 アメリカ横断中に立ち寄ったグランドキャニオンにて。

さあや:
最後に、読者向けでも自分に対する独り言でも感想でもいいんですけど、言い残したことはありますか?

ユメノ:
新しいことに挑戦したりやりたいことをやるためには、もちろん努力や勇気、時間とか色んなものが必要になると思います。それはとても大変なことだし、現状をずっと維持しようとどうしてもしちゃうところを、自分の人生だからこそ自分で切り開いていかなきゃいけないと私は思っています。やりたいことをやってる人を見てるとやっぱり「かっこいいな」と思いますし、夢をちゃんと持ってる人や語れる人と話してると、やっぱり自分も頑張ろうっていうふうに思います。

私の中での大事なキーワードが「夢」と「自由」と「好きなこと」っていう三つがあって。その「自由」っていうのが今の働き方でちょっとできてるのかな。

「やりたいこと」は、どんどんチャレンジしていく。そんなマインドを周りにうつしていく。誰かに対して刺激を与えたり「あ~私は自分の人生を考えなきゃいけないんだ」「やりたいことやりたいって言ってもいいんだ」「夢って長らく考えてなかったけど、そういえば自分は何なんだろう」っていうところを考える一つのきっかけに、まだおこがましいんですけど、そんな存在になれたらいいなと思ってます。

今まで本当に色んな方に支えていただいてきて、人生のどん底を乗り越えられたのも、今やりたいことをやれているのも、出会ってきた方々がいてこその自分だと思っています。

まだ全然自分のことしか考えられてない一匹のフリーランスではあるんですけど、もっと大きく周りを巻き込んで、出会ってくださった方に対して、みんなの人生が少しでも楽しく、自分事として進んでいけるようなきっかけを作り出せる存在になりますので、ぜひこれからもユメノと仲良くしてください。

ちょっとまとまってないんですけど、なんかそんな感じで熱く生きていけたらいいかなと思ってます。まだまだ人生続いていく予定なんですけど「好きなこと」と「夢」と「自由」とっていう三拍子揃った人生でやっていけたらきますので、よろしくお願いします!

あとがき(インタビュアー)

ユメノさん、インタビュー有難うございました。熱く生きるという言葉が印象的でした。
何をしたら熱く生きてるって言えるのか考えてたときに、知り合いの言葉を思い出しました。「やりたいと思っている時間が無駄。その時間にやればいい。」
何かをやりたいと思ったとき、実際に着手するまでのリードタイムって誰しもあると思うんですけど、リードタイムはどちらかというと温度感が低いイメージで、やりたいことをやっている時間が温度が高いイメージがあって。リードタイムが短いほうが人生を俯瞰したときに熱い印象になるのかなーなんて考えてました。
やりたいこともやっていきたいし、リードタイムもコントロールしていきたいです。

あとがき(編集者)

ユメノさん、ありがとうございました。

僕も10ヶ月だけスペインに住んでいた事があるんですけど、それこそ「誰が来るか分からない飲み会」とか「知り合いが1人くらいしかいない大勢での集まり」が本当に苦手でした。

仲良くなった人とご飯の約束なんかをすると、みんな口を揃えて「友達誘っとくから!お前も好きなだけ自分の友達呼んでくれよな!!」って言ってくれるんですよ。「いやぁ、、おれ2人でメシ食いたいんやけどなあ、、、」とよく思っていました。で、実際に伝えてみたら2人きりのご飯とかも成立したんですけど、途中で「今○○に友達たちがいるらしいんだよ!行こうぜ!!」ってなるパターンが多かったですね。

ほんで、そういう場で出会う人に限って良い人ばっかりなんですよ。ほんと優しいし日本についてあれこれ聞いてくれるし、嫌な人なんて全然いなかった。だから余計に辛かったです。「すまね〜〜、おれにはこのノリ合わないだけなんだ〜〜、みんなは何も悪くないよ〜〜」って思いながら適当な理由をつけて1人で家に帰ってました。

まあ何が言いたいかっていうと、僕もユメノさんみたいにあの文化を楽しめてたらもっとスペイン人の友達が増えてて、スペイン語も伸びてたんじゃないか!?そしたらこの前の学期末テストであんなに苦労しなかったんじゃないか!!?ってことです。半分冗談、半分本気の留学振り返りでした。

【インタビュー・編集・あとがき:さあや】

【編集:ミミハムココロ】

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