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自分で考えて自分で決めて自分で選び取る人生が楽しい人

わっったっしっのパピプペポ。欲・し・い・のって-言-う-の-な-ら! ステキなプレゼント、すーることねー。
はい、というわけで、今日も始まりましたー、qbcポエム!
おうね、もうね、好き放題やらせていただいているわけですわ。
うんうん。
それにしても私はね、ストレングス・ファインダーとか、そういう性格類型好きなんですよ。ヒトゲノム研究所とかね。やりまくりです。で、そういう中で、血液型占いというのがありますね、日本には古来から。古来というか、、昭和の日本にはありました。でもね、実はうちの6歳の子供の血液型、わかんないんですよ。こ! っ! わ! と思ったんですが、なんか血液型変わる? らしいし? 輸血の必要がなければ? 別に? いいし? みたいな? ということで新生児のタイミングで調べないみたいですね。
まじかよ変わるのかよ。わっかりましたー、ということで。時代は変わるんだなあと思いました。血液型選手権、なくなるよね、そしたらさ。あーあ。昭和モニュメントだったんだね血液型占い。ベストセラーB型のトリセツも、、、。
かくいう私はA型なのですが、調べたわけではないのでほんとかどうかわかりません。そして昔、献血したんでその時調べてくれたからA型で間違ってないはず。
と思ってたんだけど、でも献血の時にショックで貧血になってたんで、ほんともうちゃんと調べてなかったかもしれない? まあ、わからないことはわからないまま、未明の時間帯みたいな雰囲気でね。
やったー! ありがとうー!!! というわけで無名人インタビューで火中の栗を拾おう!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは ゆかねぇ さんです!


現在:いろんな意味で、見た目だけじゃない、行動とか生き方とか、全部ひっくるめて「シュッとしてる」んじゃないかなと思ってます。

toki:ゆかねぇさんは、今何をしていらっしゃる方ですか。

ゆかねぇ:今はですね、一つは社会保険労務士の仕事をしています。
社会保険労務士って、例えば会社とかで顧問になって、労務的なことを見たり、給与計算とか各種手続きをしたり、社長さんや、労務に関する人の悩みを聞いて、それに対してアドバイスをしたり、就業規則を変えたり、そういったお仕事がメインなんですけど。私は実はそういったこと一切していなくって。

社労士っていう資格は持ってるんですけど、その社労士の本業的なことはせずに、その肩書きを使ってコーチングをメインにやっています。

ストレングスファインダーっていうツールがあるんですけど、ご存知ですか?

toki:はい。存じております。

ゆかねぇ:ストレングスファインダーっていうのは、自分の強みが分かるオンラインの診断なんですけど。ただ、それを受けただけでは、じゃあ結局、その自分の強みってどうやって生かしていったらいいのかとか、全然分からないんですね実は。私も自分が受けた時そうだったんですけど。

その人の持ってる強みって、その人にしかないものなので。その人に1人1人に合った強みを見つけ出してじゃあどう生かしていくかっていうのを一緒に探っていくっていうのが私がやってるコーチングです。

で、そっちのコーチングが私の中ではメインやし、それがずっとやりたいと思ってやっている。でも、社労士としても、まあ顧問業務とかは全然やってないんですけど、年金の相談員をしたりとか、あとはいわゆる社労士試験の予備校ですね。そこで講師をしたりしてます。
一応、社労士の資格を使ってはいるんだけれども、実際やってることってのは、コーチング。コーチングも社労士の方は結構来て下さります。もちろんそれ以外の方もいらっしゃるんですけど。そんな感じでやってます。

toki:ちなみに、社労士の資格を取ったのと、コーチングを始められたのは、それぞれいつ頃ですか?

ゆかねぇ:社労士になったのが2019年の10月なんです。で、コーチングは、2020年の2月に研修を受けて3月からやってるので。ほぼほぼ同じぐらいですね。
ただ、社労士は合格したのは2018年の11月なので。試験受かっただけでは、社労士になれないんですよ。条件があって、私その条件を満たしてなかったんで、1年間講習みたいなのを受けて。実際に社労士としてやり出したのは、2019年の10月から。

toki:今ゆかねぇさんが持っている全部の時間を10とすると、お仕事や、それ以外のもの、どんなことにどれくらい時間を使っていらっしゃいますか?

ゆかねぇ:感覚値で言うと、個人事業主なので、なんか365日仕事のことを考えている気はします。感覚で言うと仕事10です。
ただまあ、実際私は家族がいるので、主人と出かけたりももちろんするし、もちろん家事とか全般やるので。現実の比率でいうと仕事7、家のこと3。家族とのいろんなことを含む、7:3ぐらいですかね。気持ちは仕事10ですね。

toki:「仕事10」の生活に対しては、ご自身ではどう感じられてますか?

ゆかねぇ:あー全然その方が良くて。やるって決めたらとことんやりたいので。
今みたいに、例えば労働基準法で1日8時間とかですね、残業は規制されるとかそういうのはすごく嫌なんですよ。やるんやったら朝から晩まで働きたいし、24時間というか土日も関係なく仕事がしたいんですね。
しかも自分のペースでやりたいので。他人と一緒に働くとかっていうと、実は邪魔なんですよ、他人が。なので、いつでも仕事のことを考えていて、どこでも常に仕事ができる態勢で。なんかあったら仕事のヒントにしようみたいなぐらいがちょうどいい。

toki:最近のお仕事の調子はいかがですかね?

ゆかねぇ:直近では4月はちょっとよくないんですよね。何となく私の運気があんま良くないっていうのもあるんですけど。
今年に入ってから、3月ぐらいまでは結構絶好調で。社労士のお仕事とか、コーチの仕事とかもそうやし、あとなんか執筆の依頼とか、執筆っていうかWebでちょっと書いてくれっていう依頼とか。ホームページにブログを書いてたので、最近はちょっと止まってるんですけど。昔は労務に関することとかいろいろ書いてたのもあって、たまにそこからお声がけをいただくとかもあるので、そんなお仕事もあったりとか。
なんやかんや忙しかったんですけど、4月はちょっと今、小休止みたいな感じで。

toki:そうなんですね。ゆかねぇさんはどういう時に楽しさを感じることが多いですか?

ゆかねぇ:没頭してる時ですね。仕事でも何でもいいんですけど。私、本当に没頭しちゃうといろんなことがおろそかになるんです。食べることとか寝ることとか。でも、それぐらい没頭できてる時がいいですかね。

toki:最近、没頭したことでいうと、何かありますか?

ゆかねぇ:没頭したこと、実はピアノを始めまして。これ突然、2週間ぐらい前なんですけど。あっピアノ弾きたいなと思って。30分後にはAmazonでもう買ってて。次の日に届いて、電子ピアノですけどね。それと同時に楽譜も欲しいなと思ってそのまま買って。で、届いたらすぐ弾こかってなって。瞬発力も私の強さなんですけど、結局そっから毎日練習してるんですよね。

基本はめちゃくちゃ飽き性なんで、大体3ヶ月スパンで飽きるんです、いろんなことを。3ヶ月持ったら上等なぐらいになって、その3ヶ月間は多分ズボッとはまるんで。だから今すっごい面白くて毎日毎日弾いてて。で、あんまりやり過ぎると仕事がおろそかになるんで、あー仕事しようと思うんですけど。そんな感じに今ピアノにはまってます。

toki:なるほど。そういう風に、思い立ったらすぐ行動するというのは結構よくある話なんですか?

ゆかねぇ:多分それが出来る時が調子がいいというか。変にこう足踏みしたりとかうーとかあーとか考え事をしてたりじっとしてる時は大体自分の調子が悪い時で。自分でも、あっなんか動けるって時は、いい感じっていうか。

toki:ほうほう。楽しいものについてお聞きしましたが、逆に、嫌いなものやことって何かありますか?

ゆかねぇ:嫌いなもの。それ何でもいいんですかね? 

toki:何でもいいです。これは許せないとかそういうものでも。

ゆかねぇ:あー、自由を奪われるのはすごく嫌ですね。だから多分、会社に勤めるとかも、ある程度自分のいろんなことを拘束されるじゃないですか。時間とか仕事の内容とか。だから嫌なんだと思うけど。
何かを制限されるとか、束縛されるとかそういうのはすごく嫌いです。

toki:なるほど。ありがとうございます。
ゆかねぇさんは、周りの人からはどういう人だと言われることが多いですか? 

ゆかねぇ:どう言われるんでしょうね。とりあえず、さっぱりしてる竹を割ったようとかはよく言われますけど。なんでしょうね。なんか声がでかいとか姿勢がいいとか、シュッとしてるとかね。
シュッとしてるはめっちゃ言われますね。立ち姿なのか行動なのか、分かんないですけど、なんかシュッとしてるらしいです。

toki:いかがですか? シュッとしてると言われて。

ゆかねぇ:嬉しいです。
シュッとしてるって多分関西の褒め言葉なんだと思うんですけど。「あのお兄さんシュッとしてるわ」みたいなやつなんですけど。多分、髪の毛今も、本当にベリーベリーショートぐらいなんで。
あと、思ったことバチバチ言うんで、あんまりこう、何て言うんですかね、遠慮しないし、はっきり言うので。
だからその何やろ。羨ましいと思ってる人も多いんだと思うんですけど。そんなちゃきちゃき行動できない人も多いから。でもそのちんたらしてるのすごい嫌いなんで。ダラダラダラダラすんのとか、うじうじ悩むのとか嫌いなんで。人から見たら羨ましいのかもしれないですね。

toki:いろんな意味が込められてるんですね、シュッとしている。

ゆかねぇ:そうそう。いろんな意味で、見た目だけじゃない、行動とか生き方とか、全部ひっくるめて「シュッとしてる」んじゃないかなと思ってます。

過去:真っ暗闇の中を生きてるみたいな感覚で。もう生きてる感覚がなかったですね、記憶もないですし。でも、その時に「自分を守れるのは自分しかいないし、誰も私のことを守ってくれないし。世界中の誰もが私のことを嫌いになっても、私だけは自分のことを好きでいよう」と思ったんです。死ぬまで一緒なのは私だけやから。

toki:ゆかねぇさんは、小さい頃はどんなお子さんでしたか?

ゆかねぇ:これがすっごいおとなしかったらしいんですよね。
私も今の自分から想像できないんですけど、本当に恥ずかしがり屋で。全然、人と喋れないというか、もじもじしてる。友達も、今も少ないけど、昔はそのもじもじしてる意味で少なくて。
だから本当、家でおままごとしてるような、んで本読むとかじゃなくて。家にいたわけでもないのになんかすごいおとなしかったらしいんですよ。

ただ、幼稚園の時とか、幼稚園ってまあ普通親に連れられて行くじゃないですか。でも幼稚園児のくせに1人で行くって言い張って、幼稚園に1人で行って先生めっちゃびっくりさせたっていうところで、お母さん何があったんですかみたいな話があったりとか。自分でもその時1人で行ったことを覚えてて、そういう意味では、もしかしたらすごく自立心が強かった。誰かを頼りたくないって思いは、その頃からあったのかなって今になって思います。

toki:おとなしかったとのことですが、大体いつ頃ぐらいまでか覚えていますか?

ゆかねぇ:多分小学校に入ってもずっとおとなしくて。まあ高学年ぐらいからは何となくちょっと変わってきたんですけど、中学に入ったときに、吹奏楽部に入ったんですね。なんで入ったかって、小学校の夏休みのときに、中学校の吹奏楽部が演奏会に来てくれたんです。それを見てめっちゃ入りたいと思って。
私、あんまり自分の意思も親に言わない子だったらしくて。我慢してたんです、我慢する子やったんです、すっごい。親の前で泣いたりもせえへんし。親に何々したいとか何が欲しいとかも絶対言わん子やったんですね。
でもその時は行きたいって思って。どうしても入りたいって言って入って。今思えばですね、その辺から変わりだしたのかなと。吹奏楽やったら、演奏するってことは人前で吹いたり、自分で表現していかないといけないから。

でその辺から変わり出して、そのまま高校も吹奏楽やりたいって言って。
で、学力的には、ちょっと申し訳ないけど、私の学力じゃもったいないぐらいの学校やったんですけど、すごい強い吹奏楽部だったんで、どうしても行きたいと思って。
あと、私、生まれが京都なんですけど、京都のすっごい真ん中の方の生まれなので閉鎖的で、周りの目が気になってあんまりできない、動けないみたいなところがあったんですね。自分のしたいようにできない。結局その束縛とか制限がすごいかかってるような環境で。それが嫌やったのもすごいあって。
でもその高校は、京都の私立の学校やけど、京都のだいぶ外れにあって、結構近畿圏のいろんなところから来てて。あちこちからいろんな子が来てたんです。
部活はめちゃくちゃしんどかった。でも多分、その辺から一気に開花したような気がします。

小学校の時はすごくおとなしくて、地味で、しかも太ってたからコンプレックスもあったし。勉強はできたけど、見てくれはブッサイクやった、自分で見てもブッサイクやったから。だから、自分が嫌いでもあったんだけど。
でも、だんだん中学、高校ってなるにつれて、どんどん「おとなしい」から前に出るとか、人前でなんかするとかが増えて。中学の時は副部長やって、高校の時もドラムメジャーをやったんです。ドラムメジャーって分かります?

toki:あれですよね、マーチングの時に、隊列の先頭でバトンを回して、全体の指揮をとる人ですよね。一つのバンドに一人しかいない。

ゆかねぇ:そうそうそう。一番前にいる人。
そこの高校はマーチングが全国レベルで、毎年全国大会に行くようなとこで。それで私は、その一番前に立ってやる人間やったんですね。そう、なので、それで自分みんなを引っ張っていかないといけないから必死になったり。
あと、すごい失礼なんですけど、学力はそんなに高くない学校だったんで。みんな思ったこと口にするんですよ。なんか相手のことをこう思い合ってどうのこうのではなくて、喧嘩する時は喧嘩するんで。しかも女子高やったし。もう言いたいことは全部言うし、喧嘩する時は喧嘩するし、みたいな、なんかそういう脳みそ垂れ流しみたいな学校やって。

でも私は、さっき言ったみたいに、子供の頃はすごい我慢する子やったんで。だから自分が何がしたいとかもわからんかったんです、今思えば。その「おとなしい」というのは、自分の意思がなかったというか。
でも高校のとき、なんかもうすごい環境で、もうしょっちゅうしょっちゅう喧嘩したり、話し合いしたり、先輩に裏呼び出されたり、そんなことばっかりしてるうちに、自分の思ってることを言わないと、なんか埋もれる、負ける。それに、「言うた方が楽やな」って思って。自分も楽になる。我慢するより100%楽やなと思って。実際そんな友達とばっかりいたんで。

高校ぐらいから、一匹狼感はすごい出てたし、言うたら幼稚園に1人で行ったのもそうかもしれないけど、多分高校ぐらいで、今の私の自立、独立して、誰からも邪魔されたくない、みたいなのは作られて、その辺でおとなしいのは脱却したのかもしれない。

toki:なるほど。吹奏楽が大きなきっかけだったんですね。
ちなみに楽器は何をやられてたんですか?

ゆかねぇ:あんまり知ってる人が少ないんですけど、ファゴットっていう楽器で。知ってはります?

toki:あっはい。知ってます。

ゆかねぇ:ファゴットって、中学の時は超レア楽器で、高校もレア楽器だったんですけど。中学でそれに当たってしまったがために、ずっとやってました。好きでしたけど、結構。

toki:小さい頃我慢する子供だったというお話でしたけど、何が子供の頃のゆかねぇさんに我慢をさせていたんですかね?

ゆかねぇ:厳しい家やったからですね、多分ね。

toki:厳しいというのは。

ゆかねぇ:めっちゃ厳しい家やったんです。おじいちゃんがいわゆる大正の家長というか、いわゆる。もうおじいちゃんが一番風呂。おじいちゃんの言うことが絶対、みたいな。で、ご飯の時はテレビはつけへん、黙って食えみたいな感じで。
家族全員が結構そのおじいちゃんびびってたというか。私はすごいかわいがってもらったんですけど。でもやっぱその、子供がわがまま言うたらアカン空気がめちゃくちゃあって。
だから、何が欲しいとか何がしたいっていうのも自然と我慢して。結局父親も母親もおじいちゃんのことびびってるんで。その顔色見たら、私、なんか言うわけにもいかへんし。

で、なんて言うかな。ピエロになるほどではなかったですけど。まあ自分の思いとは裏腹なことをしたりはしてましたね。結局、自分の思いを封印してたから、一時期、その反動か、大学行ったぐらいでもう自分が何考えてるか全然わかんなくなって、立ち止まってしまったこともありましたね。うん。

toki:高校卒業後はどういった考えで、どんな進路を歩まれたんでしょう?

ゆかねぇ:あー私、普通に大学行って、吹奏楽やるつもりだったんですけど。高校の時の先生がですね、すごいなんかめちゃくちゃ熱い先生が2年生の時に、国語の先生で。転任してきはって。一応特進コースにいたんですけど、別に学力的にはなんてことない高校に私みたいなんがいたので、とにかく「お前を磨かせてくれ」って言われて。
で、「京大を受けろ」と言われたんです。で、そんなん無理やって思って、私別に吹奏楽やりたいから、関関同立レベルの、吹奏楽の有名なところでええと思ってたんですけど、すんごいんですよ。

しかも、部活がやりたいから勉強そんなにしたくないんですよ。だけど、「とにかく今しかないからやれ」とか「お前は行けるから」とかそんなことを言われてですね。
だから高3の時に渋々休部をして、で、その京大を目指すんですけど、当然学力はそこまで足りてないから落ちるんです1回。で、関学(関西学院大学)は受かってたんですけど、当時、受験をもう1年やれって言われて。
で、もう親も納得してくれて、一浪させてもらって。京大コースみたいなとこ行ったんですけど、私別に京大行きたくないんですよ。行きたくないけど、でもまあ、この環境どうしようもないわと思って1年間、それでも勉強して。受かったらすごいなと思いながら勉強してましたけど、やっぱり駄目で。
結局、もう1回1浪した時に関学受けて、それで関学に受かって。

toki:ほうほう。

ゆかねぇ:で私、大学云々よりも早く家を出たかったんです。もう1日でも早く家を出たくて。京大やったら私京都なんで、家近所だから出られへんやんぐらい思ってて。関学も通えなくはなかったんですけど、行ったら家出られる。だから、とりあえず出たい出たい出さしてくれって言ってお願いして。一人暮らしを始めて、そっからもう二度と帰らないつもりでもうずっといて大学行って。
で、大学でも半年だけ吹奏楽やったんですけど。やっぱなんか1年間浪人してその、何て言うんだろうな、やっぱ吹奏楽馬鹿だったんで吹奏楽以外の世界を見てしまうと、吹奏楽馬鹿に戻れなくて。で、違和感を感じて半年で辞めちゃって。
そっからは超モラトリアム。もうなんか駄目駄目で、学校行ったり行かんかったり。2年生の時は、学校行ってもほとんど誰とも喋らずに、最低限授業を受けて帰ってきてバイトして終わりみたいな。私って何やろ、生きるって何やろみたいなことを考えてて。

で、3年の時にバイトを始めたんです、焼き鳥屋で。
その時はちょっと司法試験を受けようと思って、勉強してたんですけど、親にお金を頼りたくなかったので、バイトをして貯めようと思って。勉強の合間に、夜にできる居酒屋バイトと思って、焼き鳥屋で働き出したら、それがめっちゃ楽しくて。接客の楽しさとかに目覚めてしまって。そのうち勉強やめてバイトどっぷり浸かって学校に行かんくなって。でもう、そのまま焼き鳥屋に就職したんです。
そうそう。結局私、面白いと思うと、自分の人生まで変えられるぐらい没頭しちゃうんです。「関学出て、焼き鳥屋?」ってめっちゃ言われましたけど。それはどうなんって親もなんかいろいろやいやい言いましたし、あらゆるところから、友達もみんな言ったけど、私はそれがすっごい楽しくてすっごいやりがいがあってめちゃくちゃやりたかったから。知らんわと思ってそのまま就職して。
多分人生ずっとそうやってやってきてる、ここまで来ている感じですね。

toki:就職を決めるほど没頭されていたんですね。
ゆかねぇさんが没頭するものと、しないもの。何が違うんですかね?

ゆかねぇ:そうですね。なんだろう。私の中ではその直感的にいいと思ったもの、「これや」と思ったものに没頭するんですけど。
今思ったらそこに人がいますよね。たくさんの人と関わってるなって思いました。いやでも、それだけじゃないんですけど。没頭、没頭……。なんやろ。いろいろ没頭してきたけど。なんやろう。ほんまやなあ。
ああ、あと30代ぐらいの時に広島カープの応援にめちゃめちゃ熱狂してた時があって。もう毎週末応援行って、遠征とか行って。大阪やから甲子園で試合ある時はとにかく全試合行ってみたいな、毎日野球の結果めっちゃチェックして、稼いだお金全部野球に突っ込むぐらいやってて。そんときもめちゃくちゃ没頭してたんですけど、そこにも人がいたなと思って。

でも私、別にそんな人と一緒につるむの好きじゃないんですよね、実は。実際は一匹狼なんですよ。あのなんかこう、一緒にどこどこ行こうとか大っ嫌いなんですよ。その場所で出会うのはいいんですけど。だから1人の方が気楽だし、ええわと思ってたんですけど。
でも今、没頭しているものって全部人めっちゃおるやんと思って。野球場めっちゃ人いるでしょ。私、そこで友達がどんどんどんどん増えていって、応援する選手がいっぱいいて、焼き鳥屋だってお客さんいっぱい来るし、スタッフいっぱいいるし。吹奏楽部もめっちゃ人いるし。あれっと思って。
私大人になってから、大勢だいぶ苦手なはずなんですけど、今矛盾してるなって自分で考えて混乱してます。

toki:混乱してますか(笑)。でも不思議ですよね。
そしたら一旦、焼き鳥屋に就職した後のことも、お伺いしていきましょうか。

ゆかねぇ:はい。で、そうそう。焼き鳥屋でめっちゃ楽しくやってたんですけど、3年ぐらいしてから店長になって。しかも2店舗任されて。
私はプレーヤータイプなんで、店長の力量全くなかったんです、自分でも分かってたんですけど。それでもやらされて、必死でやってるけど全然うまくいかなくて、人に教えを請うこともできなくて。
で、半年で降格になったんですね、あっという間に。その後、もう私っていう人間は駄目なんだーと思って。坂道を転げ落ちるようにもうメンタルを病んでしまって。今うつ病とか云々かんぬん、さらっとみんななりますけど。当時はまだそこまでじゃない、まだそんなに有名じゃなかった。病名として認知されなかった頃に、うつ病とパニック障害になって。

仕事は辞めませんでした。実はその社長も同じ病気やったんですね。うつ病だったんですよ。隠しとったんですけど。で、一応現場離れて事務職とかにしてもらって、2年ぐらいやったんですけどやっぱ無理でもう辞めることにはなったんですけど。
結構その、うつ病パニック障害で3年ぐらいはほんまもう、なんて言うんだろう。真っ暗闇の中を生きてるみたいな感覚で。もう生きてる感覚がなかったですね、記憶もないですし。

でも、その時に「自分を守れるのは自分しかいないし、誰も私のことを守ってくれないし。世界中の誰もが私のことを嫌いになっても、私だけは自分のことを好きでいよう」と思ったんです。死ぬまで一緒なのは私だけやから。だから、私だけは自分を守り抜こうと決めて。多分、そこも一つの転換点ではありました。

toki:なるほど。「自分を守れるのは自分しかいない」というその思考には、どうやってたどり着いたんですか?

ゆかねぇ:ずっとどん底で。毎日、寝て起きて、部屋の隅でうずくまって、みたいな生活をずっとしてて。仕事をやろうにも、もう基本うつなんで続かないし、一応最低限行くけどやっぱり駄目で。もう家でずっと死んでるみたいになってて。
私何してんやろ、何して生きてるんやろ、なんでこんなことやってんだろう、みたいなことをずーっとずーっとずーっとやって。そんで、もう最後お金なくなったから実家に帰るしかなくて。でも実家でも毎日毎日同じことですよね。家にいるのは申し訳ないから散歩に出てずーっと。ずーっとずーっとずーっとそんなことをやってて。
でも這い上がれなかったんですね、世界に戻れなくて。

闇の世界にずーっといて、それをずーっとずーっとやってある時あっもういいかみたいなのがふっと来たときがあったんです。這い上がろうと思った時に、闇の世界から明るい世界に戻る時に、ああ自分を守るのは自分だけって思って。
結局、焼き鳥屋の時も誰も守ってくれなかったわけなんで。その渦中にいた時は、私が100%悪いと思って責めてたんですけど。そうでもなかったよね、私が悪かったわけじゃないっていうことも、その時はまだ気付けてなかったかもしれないけど。
だからあらゆることを考えて、自分を守るっていう考えに辿り着いたから戻ってこれた感じ。

toki:そうなんですね。そうやって、自分を守るのは自分しかいないということにに気がついてからは、その後いかがでしたか?

ゆかねぇ:あっでも全然駄目だったんですよ。実際はその、一応現世に戻ってきたんですけど。でもやっぱりなんかね、なんかあったらすぐメンタル落ちるようなんがずっと続いてて。薬はそんなに飲んでなかったんですけど。30代、あんまりうまくいってないですね。

で、35ぐらいの時に、今の主人と知り合って。そんで大阪で結婚して。だから、多分それぐらい、今の主人と知り合ってからぐらいですね。主人は本当に、根拠もないけど自分のことをめちゃくちゃ信じている人で。びっくりするんですけど、友達全然いないんですよ。友達なんかいなくても、自分1人で全部完結できる人。遊びとか。で、本当に自分に自信を持ってる人なんですよ。
でも、私はそうではなかった。自信を持ってる風に見えるんですけど全然自信がなくて。なんか怖くて人にどう思われるかがすごく実は気になってて。まあ、だからうつ病とかになったと思うんですよね。降格したっていうのが、他人から見てどう思われるんやろ、私駄目なやつって思われてんちゃうかなっていうのが怖くて病気になったところがあるので。で、その主人の根拠のない自信がよくわからなかったんですけど。

一緒にいる間、最初の頃はいろいろ話し合って、お互いを理解するのに結構必死やったんですけど。そうこうしてるうちに、2017年かな、今住んでる愛知に引っ越したんです。主人が、愛知の今住んでるとこの生まれで。お父様倒れはったんで、帰るってなって帰ってきて。
こっちに帰ってきてから結局いろいろ文化も違うし、なんだろう。関西人みたいな、いらついた人がいないんですごいペースが遅いし。何もかもが違った。私ほんま何て言うのかな、ホームシックではなくて、ノイローゼみたいになったんですよ。あんまりにもここの場所が合わなくて。で、仕事をしようにもええ仕事もひとつもないし。だから社労士目指したんですね。社労士になったら独立開業ができると思って。で、そうやって開業して。

で、特に私が今本当にメンタル的に安定したのは、ストレングスファインダーのコーチになってからですね。
自分の強みって、他の人とは誰とも違っていて。その人にしかなくて。その強みを生かせば誰でも、本当に自分の望むような人生が作れるっていうのを。もちろんコーチングしながらクライアントにも言うんですけど、自分自身も自分の強みをうまく使いこなすっていうことを常に意識しながら生活するようになって。
やっぱ強みも、使い方を間違うと弱みになるんですよね。例えば、慎重だから、いろんなことをすごい慎重に物事を考えるから、自信を持って前に進めるっていう人もいるけど、その人があまりにも慎重になりすぎるともう動けなくなるんですよ。この感覚はわかりますよね、多分。

toki:はい。

ゆかねぇ:だから、同じ慎重でもうまくいけば、慎重だから慎重に全部いろんなことを考えて考えて考え抜いて、じゃあ行動しようと思ったらすごい前向きに行動ができるんだけど。石橋を叩いて壊すみたいなこともやっちゃいかねない。それをうまくコントロールしていかないと本当の意味で強みって活かせない。
私も、自分を見て、強みって1個だけじゃないから、いろんな強みをいろんな風に組み合わせて、自分の中で。毎日毎日それを試行錯誤しながら、どういう風にやっていったらいいのかっていうのを、ずーっとコーチになってから、もうやってて。
うまくいかない時もあれば、うまくいく時もあるみたいなのをずっとやってるうちに、もうそのうつ的な仕事のメンタル落ちることもほとんどなくなって。基本どんなことがあっても自分を信じられるようになったというか。

もちろんやっていたのはコーチングだけじゃないですよ。個人事業主で1人いる時間が長かったんで、いろんな本も読みましたし、メンタル系の本とか。だから多分、こっちに引っ越してきて1人でやるようになってから、やたらめったら本も読んで、ある意味スピリチュアルな方に走ったりとかもした時もあったし。
どうやったら自分が自分らしく生きれるか。強みを生かして自分らしく生きてほしいっていうのが伝えたい思いとしてあるので。その前にまず、自分がどうやったら自分らしく生きられるんだろう、自分らしくって何やろうみたいなことをずっと考えてたんで。
愛知に行ってもう6、7年になりますけど。結果的にその引越しっていうのが転機になって。友達もほとんど会えなくなったので。自分でなんかするしかなくなっちゃったのが、結果的には良かったんだと思います。で、今に至るって感じです。

toki:ちなみに、そもそもどういうきっかけでストレングスファインダーと出会われたんですか?

ゆかねぇ:あっえっとね。最初は2017年なんですけど、当時は今と違うブログをやってたんです。ミニマリストのブログをやってて。ブロガー全盛期だったんですよ。イケダハヤトさんとか、ブログ界隈が賑わってた頃で。で、その時にストレングスファインダーっていうのがあるらしいと。そんで初めて受けて、その時は意味がわかんなくて。

で、その次、社労士になる前に、社労士って1人1人自分の強み活かさなあかんわな、と思って受け直して。でもやっぱ意味わかんなくて。
で、社労士なってから、社労士って登録日があるんですけど、私は2019年の10月1日なんです。でもその2日前にお義父さんさんが亡くなったんですよ。さあいよいよ開業っていうその2日前にね。だから、開業日はお通夜だったんです。で、その後2週間ぐらいして今度うちの結構近い親戚が亡くなったんです。これから意気揚々と開業しようとしてるのになんでやねんと思ったんですよ。本当のこと言うと。多分不謹慎やと思いながらも。だいぶ自暴自棄になって、まだその頃は全然そのメンタルコントロールできなかったんで。

なんで私がこんな目に遭わなあかんのやろう?と思ってたときに、ある方にストレングスファインダーのコーチがいるよって教えてもらったんです。コーチングを受けてみたらって言われて。で、東京でやってらっしゃってその方は。で、ああ東京かと思ったんですけどその当時は藁にも縋る思いだったんで、このタイミングはなんかあるかもしれへんと思って東京までわざわざ行って。

そしたらもう、頭ん中ひっくり返ったっていうか、えーっこんな考え方あるんかと思って。で、そこでコーチングを受けながら、私もコーチになりたいなと思ったんですよ。自分らしく生きるっていうのは、自分もそうだし、誰かに伝えたいテーマでもあったので。
だから社労士になったけど、別に社労士がやりたかったわけではやっぱりなかったんです、その頃から。
だけど、どんな形でもいいから自分のやりたいことやって、自分らしく生きるのがいいよね、じゃあどうすればいいんだろう。でも私はそれを伝えていきたいみたいなところで悶々としたちょうどその時期やったんで、強みを生かせばそれができるやんって思ったんですよ。

でもコーチになるための研修は4日半、それで費用が100万円するんです。さすがに少し躊躇したんですけど、今しかないと思ってそれを受けて。そうそうそう。だから、自分がコーチになったのは、コーチングを受けたからコーチになったって感じ。私もなりたいと思って。

toki:はあ〜、研修にそんなにお金がかかるとは知りませんでした。

ゆかねぇ:どこのコーチングを受けるにも、その研修費用って結構かかるんです。アメリカから来てるもんなんで、わりかしかかる。日本のやつでも結構かかるけど。
最初目ん玉飛び出ましたけど、たまたま開業資金を持ってたんですよね。ちょうど社労士開業した時やったから。これはもう、多分私に受けろって言ってるみたいな。こじつけでも何でも。でも、本当それで私人生変わったんで、受けて良かったですけど。

未来:そうじゃなくて自分で選び取る。自分で考えて自分で決めて自分で選び取るっていう人生は、責任は伴うけど、楽しいんですよ、やっぱり。だから、「みんなこっちにおいで」って思ってる。

toki:1年後や2年後、5年後10年後でも、何年後でも構わないんですけれども。こういうことがしたいとか、どうなっていたいとか、未来に対するイメージって何か今お持ちですか。

ゆかねぇ:今ちょうど喋ったところなんですけど、強みを生かして自分らしく生きる人を1人でも増やしたいんですよね、私。
別にストレングスファインダーも関係なくてもいいんですけど、自分がそういう風に生きれなくてずっと苦しんでたっていうのがあって。多分子供の頃、我慢し続けてたとか、そっから抜け出るのは結局すごい時間かかってるし、大学の時のモラトリアムな期間もあって、で病気になって、それでも全然抜けれなくて、本当40歳超えて、コーチになってからやっと自分らしく生きられるようになったみたいな感覚があるんで。
もっといろんな意味でしんどい思いしてる人、多いと思うんですけど、私は私でしんどい思いをしてきて、同じように今悶々としてる方たくさんいると思うんですよ。自分らしく生きれてない時ってすごい緊張してて息が苦しいと思うんです。そういう方たちが、1人でも、どこのどの場所で何をしてもいいんだけど、自分らしく生きれるように、もっと自然に、楽に、自分のやりたいことやって、笑顔で楽しく生きれるようにしたいと思ってて。

その一つはまあコーチングだし。あと社労士試験の講師やってるのも、社労士になりたいって、自分で意思を持ってそれをやりたいと思って行動されてるわけじゃないですか。そこは誰かにはやらされてるわけではないから、それを応援したいってのもあるんですね。やっぱ社労士になったら、あれがしたいこれがしたいってみんな思って、夢見て、忙しい仕事の合間縫って日曜日とかにみんな来はるわけですよ。それでも受かりたいと思ってやってる人の応援をして、その人たちが自分らしく生きれるようにしたいっていう意味でやってるのもあるし。

そういう形で、我慢せずに自分らしく。自分が何をしたいかって分からないぐらい、みんないろんなことに洗脳されてると思うので。そうじゃなくて、もっと自分の心の声を聞いて、自分が本当に何をしたいのか、情報とかテレビだネットだ、他人のなんだとか言うのじゃなくて、自分はこの一生で何したいのかっていうのをちゃんと見せて、それで自分らしく生きれるように、他人の声に惑わされないように、他人と比較しないような生き方ができるようにっていうのを、どんな形でもいいから伝えていきたいし、そういう人を1人でも増やしていきたいと思います。

toki:「自分らしく」という言葉が出てきましたが、ゆかねぇさんは、ご自身のどんなところが「自分らしさ」だなと思われますか?

ゆかねぇ:まあ我慢はしてないですよね。やりたいことをやってます。やりたくないことはやってないし、会いたくない人と会ってないし。だから仕事は全部やりたい仕事しかしてない。あーちょっとこれやったらお金稼げるしなとか、小遣い稼ぎになるしなとかはしない。自分が本当にやりたいと思って、それが一緒にやりたい人といられるなら、やるみたいな選択肢が取れるようにはなってる。
あと他人の声に惑わされなくなりました。うちテレビもないし、新聞もとってないし。なんでしょうね、基本的に情報っていうのはほとんどないんですよ。まあ、どうでもいい人とは付き合わないし。そういう意味で私1人の方が楽なんですけど。

結局、自分が何を考えてどうしたいのかみたいなのを常に自分に問うようにしてるので。さっきみたいに、あーこれやっといたら後々に繋がるかなとかよりも、何となくこれはあかん気がするとか、合わん気がするとか。そっち行ったら違う気がするみたいな感覚の方を大事にしてるので。
うそーもったいないやんとか言われても、いやこれは違うとかいうのは平気でやるので。だって、当たるから、そう。こういう言い方してるのも自分らしいのかなと思います。

toki:なるほど。ありがとうございます。
どんなことをやりたいかをお聞きしましたが、どんな人間になっていきたいか、そういった内面の部分での理想って何かありますか?

ゆかねぇ:もっと尖っていきたいですね、今でも多分だいぶ尖ってるかもしれないですけど、そんなことないと思うんですよ、普通やと思うんですよ、全然。
もっとその、別におかしな人間になりたいというわけではなくて。まだ多分何かの時には、遠慮したり、我慢したり、こんなことやったら誰かなんか思うかなとか、やっぱりSNSで発信する時とかも、やっぱり自分はこう思ってんねんけどちょっと躊躇したりするのは、まだ自分でもあるんですよね。炎上したことはないですし、別に炎上させたいわけでもないですけど、これはこう思うっていう意見をまだちゃんと言えなかったりするので。
そこをビビらずに出せるように、行動でも言葉でも強くなりたいですかね、これからとしては。まだまだ弱いなと思います、私。

toki:自分をもっと強く出せるようになるって意味で、尖っていきたいんですね。

ゆかねぇ:そうですね。強みって1人1人違うから。それをもっともっと磨いていけば結果的には尖っていくとは思ってるんですけど。でも私が尖っていかないと、みんなに普通やんって言われたら、ねえ、示しつかないからね。で、楽しくないし。みんなと一緒は嫌いなんで、って言うんやったら、それだけのことを自分で覚悟を持ってやらんとあかんしそうなりたいなと思う。

toki:20年後とか30年後とか、もっと遠い未来、何をやってたらいいなとか、こうなってたらいいなということはありますか?

ゆかねぇ:あー死ぬまで働きたいです、うん。そのために自営業を選んでるんで。
まあでも、どんな形であっても、ずっと仕事して、ずっと勉強してたいですね。学んでいきたいですね。常になんか新しいものを仕入れて、自分で成長していきたい。
だけども仕事も遊びも、一緒に引っくるめて、仕事10なんで。全部一緒くたなんですよね、いうたら。そんな中で、成長して学んで、結果的にそれをずっと一生やることになるし、やってたいなと思いますね。

toki:これから新しく挑戦したいことってありますか?

ゆかねぇ:挑戦したいことか。本当は本が書きたいんですよ、実は。
ただ、出版って商業出版は難しいとか、いろいろ企画が通らんとあかんとか、そんなことを散々言われて。で、飽き性なんで、続けれないっていうのもあるんですけど、社労士なった時にいつか出版したいなとその時から思ってて。だからブログとかもずっと書いてたんですけど、書く仕事は本当はもっと増やしたいです。はい、どんな形であれ、別にブログとかWebのなんかとかでも、最終的に本が目標ですけど。書き仕事をやりたいですね。

toki:では、死ぬまでにやっておきたいことはありますか?

ゆかねぇ:あっ別に明日死んでもいいです、私(即答)。

toki:おお。

ゆかねぇ:そういう生き方をしようと、それもうつ病になった時決めたんですよ。絶対後悔しない、今日を後悔しない生き方しようと思って決めたんで。別にインタビューが終わった後、なんかがあって死んでも、別に後悔ない。

toki:後悔ないですか。

ゆかねぇ:はい。

toki:そうしたら、自分が死んだ時、お葬式に来た人にはどういう人だったねっていう風に言われたいですか?

ゆかねぇ:かっこよかったねって言われたいですね。うん、かっこいい生き方やったねって言われたい。

toki:ほうほう。今までの自分の生き方は、自己評価でどれくらいかっこいいと思いますか?

ゆかねぇ:100点です。100点中100点(即答)。
めちゃくちゃしんどかったけど、でも私、多分もう1回生まれてきたとしても同じ人生やると思うんですよ。泥臭いのとかも、つまずいたんとかも、ぐちゃぐちゃなったんとか全部。それでも今こうやって生きてる。私はかっこいいと思ってます。

toki:はあ〜素敵ですね。差し支えなければご年齢教えていただいてもいいですか?

ゆかねぇ:今46です。

toki:46年間生きてきての、一番の学びって何ですか?

ゆかねぇ:一番の学び。46年間生きてきて一番の学び。

toki:例えばですが、今日、このインタビューが終わった後、何か1つこの世に置いていけるものがあるとしたら、どんな言葉を残されるのかなと思って。

ゆかねぇ:私が学んできたこと。後世に伝えたいことみたいな感じですか?

toki:それでもいいですし、純粋に、生きてきた中で一番の学びだと思うことでも大丈夫です。

ゆかねぇ:ちょっとお待ちくださいね、一番の学び……。人生思った通りになる、ですかね。あーちょっと違うかな。でも結局思った通りになってるんですよね、いろんなことが。というのが一つあるんですけど。ちょっと違うな。
「やりたいことやったもん勝ち」ですかね。そっちかな、うん。これは学びになるのか分からないですけど。やりたいことやらんで後悔するの最悪じゃないですか。どうせやったら、他人に嫌われようが、何しようが、やりたいもんやって、あー楽しかったねって死にたいですよね。私はそう思ってるので。
お金がすってんてんになってもいいし、でも、結局やりたいこと我慢してると楽しくなさそうですし。何だかんだでやりたいことやってる人めっちゃ楽しそうやし、結局うまくいってるんですねその人ね。いわゆる楽しそう、成功しているレベルとかお金稼いでるとかのレベルやと思うんですけど。

やったら、本当にやりたいことをやりゃいいと思うんですよ。
私はそれは昔出来なかったけど、結果的に、吹奏楽を小学校の時に選んだところぐらいから、おとなしい子やったけど自分がやりたいって言ったことは絶対曲げへん子やったらしいんですよ。どうしてもこれだけはっていうときは、もう誰がなんて言っても絶対聞かへんかったらしいので。
そうやって今も生きてきてるし。で、実際、絶対曲げないですし。だから人生楽しいしここまで来れてるので、やりたいことやったもん勝ちですかね。
みんなも、ごちゃごちゃ言って、あれができひんこれができひん、どうだこうだ言わんと、やりたいことやって死ぬみたいなのがええんちゃうかなと思います。

toki:なるほど。ありがとうございます。
毎回、皆さんに「もしもの未来」について、質問していまして。
愛知に引っ越して、合わない土地で一人で何もかもやらなくてはいけなくなったというのが、一つの転機になったとお話されてましたよね。ではもしも、ご結婚された後もずっと京都で暮らしていたとしたら、今の人生はどういうものになっていたと思いますか?

ゆかねぇ:なんだかんだ社労士やってたかもしれないですね。結婚した時は大阪にいたんですけど、職場結婚で、結婚して二、三ヶ月で私辞めたんですよその会社。あまりにも理不尽なパワハラとかあったから。
で、辞めて、多分その辺でまたこう立ち止まる時間がちょうどあって、その後私はまた働きに出てたんですけど、結局愛知に来た流れもその、お父さん倒れたっていうのはあるんですけど、その頃私何かにとりつかれるようにいろいろなんかこう、なんやろう、「自分らしく生きる」を追い求めてた時期だったんですよ。
結果的に愛知に来ることになって、それがまあ道やったと思うんですけど、大阪に残って自分らしく生きるを模索する道を選んでたかもしれなくて、そういう人生やったかもしれないので。
だったら結局社労士にたどり着いてコーチにたどり着いて、大阪でやってたような気がします。結局は形がもしかしたらちょっと違っても、自分らしく生きるっていうことを誰かに伝える仕事をしてたような気がする。

toki:たどり着く先は今と同じだったと。

ゆかねぇ:うん。そう思います。

toki:わかりました。ありがとうございます。
そろそろインタビューも終盤になるんですけれども。最後に言い残したことや、もっと話したかったことなど、ございますか?

ゆかねぇ:そう言われたら出てこうへんような気もするけど、でも伝えたいことは言いました。自分らしく、生きた方がええでって。その方が楽やし楽しいで。
本当に思うんですよね。別に会社員であることが駄目なわけじゃなくて。でもそこで、自分は独立なんかできひんとか、そこしか選択肢がない、本当はもっとやりたかったことがあってなりたかったこともあるのに、お金稼がなあかんしとか、みんな化粧してるから化粧せなあかんし、マスクとかせなあかんしとか、こうした方がモテるからとか、こういう服が流行ってるからとか、そういう自分の意思じゃないところで動いてる人多いと思うんですよね。私も昔そうでしたから。

そうじゃなくて自分で選び取る。自分で考えて自分で決めて自分で選び取るっていう人生は、責任は伴うけど、楽しいんですよ、やっぱり。どんな形であれ、もっとそういう風にみんな生きれたらいいな、生きた方が楽しいよな、だから、「みんなこっちにおいで」って思ってる。でも私がまだそれをみんなに伝えきれてないからね。あの、あれですよ、世間体とか、周りの目を気にして、あれができないこれができないとか。こっちの人なんか特に保守的なんで、そんなんの塊ですから。こっちだけじゃない、多分日本全国そうだと思うんですけど。

私、昔坊主にしていたことがあるんですよ。ただ坊主にしたくなってね。それだけの理由でね。
それはちょっと極端な例なんですけど。まっ、別になんてことないんですよ。やってみて、あっなんかしばらく坊主にしてたら楽しかって、気持ちよかって、楽やったから坊主にしてたんですけど、普通の人できないと思います。しようと思わないかもしれないけど。
でもそん時に、やりたいんだけどできないという人やっぱりいたんです。やったらいいよなと思って。そう、したいのにできないってなんでやねんと思うんですね。やったらええやんって思うし。でもそれが、そんなことしたら誰かの周りの人がなんか言うかもしれへんしとか、陰口叩かれるかもしれへんしみたいなんで、やらないし、常識とかに囚われたりとかね。知らんがなって思って。常識なんて誰が決めてんっていう風に思う。
ルールを守らないとか犯罪を犯すとかそういうんではなくて。普通に、こうだからこうみたいな、誰が決めたかわからんようなルールにのっとってるのやったら、自分のやりたいようにやったらいいんちゃうの。一度きりの人生ですやん。人生なんて一度きりで、後悔しながら死ぬんアホらしいから。

ちょっと繰り返し言ってますけど、もっと自分の好きなように生きたらええんちゃうのっていうのはずっと思ってるし、自分はずっとそうありたいし、そのために私の前にじゃあ先達がいるかっていうと、あんまりいなくて。
私はいばらの道をかき分けて生きてる人ねってコーチに言われたんです。やろうとしてることが、あんまり前に人がいないので、私はいつもそこを血だらけになって搔き分けながら行ってる人らしいんですよ。そのつもりはなくって、私はすごく、まっすぐ走ってるつもりなんですけど、実はものすごい回り道で、しかも、ものすごいいばらの道を、それもものすごいスピードで、ずっと走ってて。めっちゃ血だらけになるんですけど。

でも、そうしたくてもできない人がきっとたくさんいるので。要するに、自分らしく生きられない人たちのためにも、私はそのいばらの道を全速力で走り続けて血だらけになってこれからも生き続けて行かないと、というか行きたいなと思うんですよね。
もっとスマートに生きれる生き方がいっぱいあると思うんですけど。自分も、もっともっと器用やと思ったけどだいぶ不器用みたいで。でも、私はこの生き方が好きなので。これからも生きてそういう姿を見せていきたいし、自分らしく生きるって、楽しいんやって、できるんやって、その後ろ姿で見せていきたいなと思ってます。そのためずっと走り続けたいなと思ってます。死ぬまで、です。

toki:最後に素敵なお話をありがとうございます。

ゆかねぇ:いえいえ、こちらこそありがとうございます。好き放題喋らせてもらいました。

toki:すごく自分のやりたいことやろうって、強く思わせていただけるインタビューだったなと思います。

ゆかねぇ:よかった、それやったらもう大、大、大成功です。

あとがき

一番最初に、ゆかねぇさんに「シュッとしている」という言葉をかけた人は、本当にそれ以外に思いつかないくらい、ぴったりで秀逸な表現をされたなあと思いました。
それくらい「シュッとしている」を絵に描いたような方で、お話しの時のスピード感、歯切れのよさは随一。
気持ちのよい人、とかってよく言いますが、ゆかねぇさんはまさにそんな方だなと思いました。

自分のこれまでの人生を、100点中100点満点で「かっこいい」と言い切れるのって、その時点でもうすでにかっこいいですよね。かっこよすぎますね。
そもそも、人に「どれくらいかっこいいと思う?」という質問をしておきながら、自分の人生を「かっこいいかどうか」という視点で見てみたことがありませんでした。
人生に「かっこよさ」を求めるかどうかは、人それぞれではあるものの、自分が目指す人生を体現できているかという意味で、「私はかっこよく生きられているのだろうか?」と思わず自分に問いかけてしまいました。

自分が苦しい思いをしたからこそ、他の人を救いたい。同じような思いを味わうことがないようにしたい。
ゆかねぇさんは、自分が経験した大きな苦しさをエネルギーに変えて、120%自分を「生きている」方だなあと思ったのですが、

私は苦しい渦中にいるときは、一生この苦しみは終わらないんじゃないか、この苦しさに飲み込まれて、いつか朽ち果ててしまうんじゃないか、とかよく思ってしまいます。
ですが、ゆかねぇさんのお話を聞いていて、今感じているこの苦しみも、いつか誰かを救うエネルギーとして生まれ変わる日がくるのかもしれないと思いました。
ただ苦しいだけじゃなんだか損した気分ですよね。この経験さえも、いつか何かの力に転換してやろうと、ちょっと乗り越えられる気概が湧いてきた気がします。

インタビュー記事の、現在、過去、未来のタイトルって、基本的にご本人の発言から切り取っているんですね。今回は、語録ができてしまうのではないかと思うくらい、特に未来のセクションで、ゆかねぇさんから力強い言葉をたくさんいただいたので、タイトルにどれを持ってこようか、選ぶのが大変でした、という裏話でした。
定期的にゆかねぇさんのお話を思い出して、うじうじした心、社会に阿ることに疲れた目を、ハッと覚まさせていきたくなるような、そんなインタビューでした。
ゆかねぇさん、ありがとうございました。

最後まで読んでくださった方、どうもありがとうございます。
次回の無名人インタビューも、どうぞお楽しみに。

【インタビュー・あとがき:toki】

【文字起こし・編集:花梨】

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