親を頼らず一人で生きていきたい人を助けるためのシェアハウスをやっている人
僕の名前は鈴木。でも、みんなは僕のことを「ハウスマスター」と呼ぶ。
僕が経営するシェアハウス「自立荘」は、東京の片隅にある古い木造三階建ての建物だ。外から見ると、どこにでもありそうな古びた家だが、中に一歩足を踏み入れると、そこは別世界だ。
壁には住人たちが描いた絵が所狭しと貼られ、リビングには誰かが拾ってきた観葉植物が乱立している。キッチンからは いつも誰かの作る料理の匂いが漂ってくる。
ここに住むのは、親元を離れ、自分の足で立とうとしている若者たち。彼らは皆、それぞれの理由で「普通の家」に住めなかった人たちだ。
僕がこのシェアハウスを始めたのは5年前。当時の僕も、親に頼れず途方に暮れていた一人だった。そんな時、夢の中で亡くなった祖父が現れ、こう言ったんだ。
「お前には、人を集める力がある。その力を使いなさい」
目が覚めると、僕の枕元には一枚の鍵が置いてあった。それが、この建物の鍵だった。
自立荘の規則は簡単だ。
・お互いを尊重すること
・自分のことは自分でやること
・困ったときは助け合うこと
たったこれだけだ。
でも、これが意外と難しい。特に3つ目の規則が曲者だ。「困ったときは助け合う」というのは、「困ったときは助けを求める」ということでもある。親に頼らずに生きようとしている彼らにとって、それは高い壁だった。
ある日、一人の住人が僕に尋ねた。
「ハウスマスター、あなたはなぜこんなことをしているんですか?」
僕は少し考えてから答えた。
「それはね、僕がここにいるからだよ」
彼女は首を傾げた。僕は続けた。
「ここにいる限り、僕は誰かの役に立てる。誰かの支えになれる。それが僕の存在理由なんだ。だから、僕はここにいる」
その夜、僕は不思議な夢を見た。
自立荘が巨大な船に変わり、嵐の海を進んでいく。住人たちは必死に櫓を漕ぎ、僕は舵を取っている。そして遠くに、かすかに陸地が見えた。
目が覚めると、枕元にはまた一つ鍵が増えていた。
今日も自立荘は、誰かの新しい人生の扉を開ける準備をしている。
僕は深呼吸して、玄関のドアを開けた。
と思う2024年8月11日13時22分に書く無名人インタビュー855回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは 広河美代子 さんです!
年齢:40代前半
性別:女
職業:三足の草鞋
現在:「親に頼らず一人で生きていきたい人」を助けるためのシェアハウスをやってます
広河美代子:こんにちは、どうも広河です。
qbc:はい、栗林です。よろしくお願いします。こんなインタビューにしたいっていうイメージはありますか。
広河美代子:えーと、シェアハウスの宣伝・PRができればとは思ってるんですけれど、今現在シェアハウスは満室なんで、問い合わせがあっても入れるわけじゃないんですよ。
qbc:はい。
広河美代子:なので「家に困っていても、親から逃げることはできるんですよ」とか、私はシェアハウスとは別で自助会、アダルトチルドレンの自助会っていうのをやってまして、そういう…なんでしょうね、「逃げなくても、吐き出したら楽になるかもしれないよ」みたいな、何かそういう可能性を提示できるようなことができたらいいな、と思ってます。
qbc:なるほど。最初の質問なんですが、今、何をしている人でしょうか?
広河美代子:これって、私個人のことを言ったらいいんですかね。
qbc:どっちでもいいですよ。
広河美代子:3足のわらじを履いて、なんか好きなことをやって生きている人です。
qbc:それぞれ何をやってるんでしょうか。
広河美代子:メインとしては金融業の営業アシスタント、自営業でデザインの仕事をやってまして、一番最後にシェアハウスはスキマ時間でやってる感じです。
qbc:それぞれ、好きレベルって一緒なんですか。
広河美代子:好きでやってるのはデザインの仕事なんですけど、デザインで食っていこうと思うと…かなり力を入れないといけなくって。私は大人になってから発達障害、アスペルガーの診断がついてまして。スケジューリング能力がものすごく欠けてるんです。笑
時間の感覚がおかしいんですよ。時計を円グラフにしか捉えられてなくて。円グラフっていうのは割合を示すものじゃないですか。なのに時間をそういう捉え方をしてるんで、まぁ例えば12時を過ぎてるのに、大体12時って判断しちゃったりとか。
qbc:うん。
広河美代子:あと自分の能力から必要な時間を適切に計算できなくって、全力でやったらこの時間には終わる、っていう計算を、日常的にやってしまったりする。
qbc:うん。
広河美代子:なので、まぁちょっとその、自営業で一人でやっていくにはフォローしてもらえないことが難しくって。一時期自営業だけやってたんですけどそっちは縮小して、運よくご縁があった金融業のパートをやってて、そっちが今はメイン。ただどんな仕事であっても、私自身はやりがいとか楽しさって見出すんで、というか楽しそうだと思えない仕事ってのはそもそもやらないんで。でも同じぐらい楽しいかっていうと…やっぱり好きで自営業でやっていこうって思ったデザインに比べたら、他の仕事は後から来てますんで、そこまでじゃない。
シェアハウスに関してはやれるからやろうってことで始めたんですけれど、私は喋るのが好きなので、自分が日常、入居者さんと喋ることによって、入居者さんは何か得られるものがある、と。私は好き放題喋って、聞いてる人も生活が良くなっていくんで、そういう意味ではシェアハウスはとても楽しくやらせてもらってます。
qbc:シェアハウスっていうのは、何をやってるんでしょうか。
広河美代子:はい、うちのシェアハウスは、親に頼らず一人で生きていきたい人を助けるためのシェアハウスっていうテーマでやってます。
シェアハウスっていうのは、どこの物件もテーマがそれぞれあって、その物件のテーマと入居者さんが合うかどうかっていうのが居心地のよさに直結する部分だと思うんですけれど、その中で、うちは親にいろいろと複雑な思いを抱えていらっしゃる、いろんな経験を、いろんな仕打ちを受けてきてしんどい人が、この家なら安心して帰ってこられる、という安全圏を提供しているシェアハウスになります。
今は、ご飯の時とかに喋ったりとか、別に特にね、よっぽどじゃなければわざわざ時間作って喋ってくれとかしないんですけれど。まぁそういうごくごく普通の、家庭で当たり前の「今日こんなことがあって」「そうか大変だったね」っていう会話をただやってるだけなんですけれども。うちに来る方はそういうものを経験できなかった方が大半なので、そういう普通の夫婦、普通の親子を私達がやってますんで、私たちに触れることで、あーこういう生き方をしたいなーって思ってもらえるようやってます。
qbc:シェアハウスをやっているっていうのは、そのつまり、一軒家があるんですね?
広河美代子:あ、そうですね。うち持ち家でやってます。
qbc:一軒家があって、そこに広河さん夫妻が住んでいる。
広河美代子:はい、オーナー同居型で一軒家の、入居者は4世帯まで入れるシェアハウスです。どっちかというとイメージしやすいのは下宿ですね。ただ建築法上の他に旅館業法にも下宿っていうカテゴリーがあって、混ざってしまうので。それでシェアハウスっていう呼び方を私達はしてるんですけれど、シェアハウスっていうのは法律上、こういうものですっていう定義がないんです。
qbc:一応、契約はあるんですか。
広河美代子:うちは普通に、各お部屋の方と、それぞれ契約書を取り交わしている状態。定期借家契約だったかな、いわゆる定借って言われるんですけど。
qbc:賃貸契約ですか、そうすると。
広河美代子:細かいこと言いますが違うんですよ。賃貸契約って基本は2年契約で自動更新されるんですね。定借に関しては、決められた期間で一旦契約が終わるんですよ。で、特に支障がなければ再契約しますっていう形なんです。
通常の賃貸だと、借りてる人がすごく有利なんですね。「出て行け」って言っても「住む権利がある」って言われちゃうんですよ。定借の場合は、もう一旦契約が終わってるんで、再契約してないのに残ると違法になるので、追い出す処置が取れなくもない。基本的にはまともな方であればどんどん再契約していくんですけれど、例えば他の入居者さんに危害を与えるような方だと出ていってもらわないといけないんで、それで、こういう形の契約を取っている物件が多いです。
qbc:多分、お食事の形態もシェアハウスそれぞれだと思うんですけども、広河さんが食事を提供するっていうのもその契約に入ってる感じですか?
広河美代子:うちは食材費っていう形でいただいてます。オーナーに子供がいるので、7時台にご飯を食べます。その時間帯に手伝ってくれても良いし手伝わなくてもいいし、一緒に食べてもいいし食べなくてもいいし。自分で作りたい人は別に自分で作ればいいんで、契約時に一緒のものを食べるか食べないかだけ聞いてる感じですね。で、作っておいて一時間ぐらいたっても降りてこなかったら、ラップして勝手に冷蔵庫に入れとくから適当に食べてね、っていう感じ。
入居者さんによってそれぞれお仕事が違いますし、夜の仕事をする方だって入る可能性はありますので…帰ってきたら食べ物があるっていうだけで、ずいぶん気持ちが楽になったりするじゃないですか。それぐらいの感覚でやってます。
これが「食事提供します」になると、食品衛生系の許可が必要になってきます。なので、うちは給食という形ではないですし、提供しますとは言ってない状態ですね。
qbc:なるほど。今、何人住まれてるんですか一緒に。
広河美代子:今、満室で4人いらっしゃいます。プラス、8月退去の人がいるんですけど、今既に「親元から逃げています」っていう人から問い合わせがあったので、8月退去の人が出るまで2ヶ月ほど「子供部屋をどうぞ使ってください」っていう形で、もう一人いる状態です。
qbc:5世帯入ってて、人数的には6名いらっしゃる?
広河美代子:いや、すみません今全員で9人います。入ってる人で言うと、えっと…5名です、え、ちょっと待って。4部屋の、お子さんがいーの、受け入れで、うん6人ですね、すいません。
qbc:はい、結構大きい家ですね。
広河美代子:そうです、笑
中古でたまたまでかい家が見つかったから「やっちゃうか」みたいな。
qbc:ふうん、どれぐらいやられてるんすか。
広河美代子:今年の8月で4年目になります。
qbc:なるほどね、始めたきっかけが、大きいからやっちゃうかっていうの以外に、何かあったんですか。
元々、アダルトチルドレンの自助会をやっていた
広河美代子:今年で6年になるんですけど、元々自助会をやってまして。アダルトチルドレンの自助会です。
自助会っていうのは自分を助ける会でして、当事者が同じ場に集まって、普段外では言えないようなことを、自分の心で抱えて自分で考えてたらしんどくなってしまうので、集まってみんなで喋って、自分をこれからどうしていくかを考えていくっていうものなんです。
qbc:うん。
広河美代子:その中でもアダルトチルドレンに特化した自助会をやってます。これは関西でも数が少ないですし、日本全国でもやってらっしゃる団体さんってすごく少ないんです。
qbc:はい。
広河美代子:うちらは細々と意気投合した3人で始めたんですけど、お一人無事に遠くへ逃げられまして、今は2人体制でやってます。
qbc:うん。
広河美代子:そういう活動をやってると、やっぱり「お金がないから逃げたくても逃げられない」っていう人も結構いらっしゃるんですね。私自身も若いときそうでしたし、ただ自分は定職があったんで、いやいや住宅補助が出るから逃げた方がいいやん、ってすぐ気がついて逃げたんですけれど。
まぁその、例えば就活が失敗しちゃって固定給がないアルバイトの立場だとか、逃げるとなったら仕事が切れてしまうから逃げられないとか、いろんなしがらみがあって、本当は逃げたいけど逃げられないっていう人は結構いらっしゃる。
qbc:うん。
広河美代子:でもとりあえず住所があれば福祉を利用できますんで。無職になっても、うちに来たらいいよ、っていうのがあったらいいな、みたいなのを思ってたわけですね。先ほど話していた「無事逃げられた仲間」が、アダルトチルドレンばっかりで集まってルームシェアをしたいっていう話をしてたことがありまして。
qbc:はい。
広河美代子:ルームシェアは一つの物件を友達とかと共有して、家賃を折半して…っていう形ですね。でもまぁルームシェアってデメリットも結構大きくて、どちらかのライフスタイルや状況が変わったりすると、なかなか維持するのが難しくなってしまうんです。
とくに家賃の負担をどうするかとか、共用部分の管理をどうするかが、基本話し合いになるわけですけど、元々知り合い同士っていうのもあって、甘えが出て「これぐらい分かってくれたらいいのに」っていう不満に繋がりやすいんですね。
qbc:ええ。
広河美代子:そこら辺シェアハウスっていうのはオーナーありきなので、「私がルールだ」っていうことで、トラブルが発生しかけてもこうしましょうっていうルールの設定ができます。ということで「なるほどな、需要があるな」って思ってたところに自分たちが家買ってもいいかなって、たまたま思って。
たまたま物件出るのを待ってたら、めちゃくちゃ大当たりか、めちゃくちゃ大外れかっていうような物件が出てきまして。見に行ってみたら大当たりだったんで、これ買わなきゃあかんやろと。
「これさあ、シェアハウスやるのはどう?」って配偶者に確認したら「いいんじゃない?」と二つ返事で返ってきて、それで、今に至ります。
qbc:今、5世帯と一緒に住んでるわけじゃないすか。お子さんも含めてですけど、大丈夫っていうか、どんな感じなんですか。生活って。
広河美代子:朝起きたら「おはよう」って言って、晩に会ったら「おつかれー」って言って、それぐらいですよね。
qbc:ふうん。
広河美代子:別にそれぞれの生活に基本は干渉しないです。ただやっぱオーナーって絶対的に強いじゃないですか。なので「トラブルが発生したりしたら、入居者同士でやり取りせずに全部オーナーに言ってください」と言ってまして、オーナーの裁量でこうしたらって提案したり、ルールにしてしまいますって決めたりとかする形です。だからオーナーがいないシェアハウスよりは、トラブルは起きにくいですね。
こういうこと言うのどうかと思うんですが、私自身、結構人を見る目がある方なので、入居前に絶対面談をやってまして、遠方の方だとLINEとか通話で面談するんですけれど、そのときのやり取りで、この人ちょっとまずい人やなーとか。笑
qbc:うん。
広河美代子:仮でちょっと入居してもらったり、空室が出てるときは1泊無料のお試し宿泊ができるようにしてるんですが、そういうのを見てて、この人は今おる入居者さんと一緒だとちょっとよろしくないなっていう感じがあれば、理由付けて「よそのシェアハウスも行ってみたら」とか言うこともあります。なのでそもそも無理だなって人は入ってこない感じですね。
qbc:ありがとうございます。では、ひと区切りして、広河さんの趣味を教えてください。
広河美代子:えーっと、もの作りです。全般…何と言ったらいいか…TVボード作ったり、コスプレ衣装を作ったり、UVレジンでワークショップも昔やってて、今はちょっとやってないんですけれど。デザイン業だけ今残してますけど、元々そういうもの作り全般でお金稼げたらなって。手芸を中心に、木工と、電子工作一部って感じですね。
qbc:デザインの仕事って何をやってるんですか。
広河美代子:今は主にDTP…印刷物のデザインです。チラシを作ったり、お客様によってはウェブサイトを作らせてもらったりとかもしますけど。ただ安く作るっていう場合の選択肢としては私はありですけど、何か保守して欲しいねんっていうことであれば、ちゃんとウェブサイトを作ってる会社にお願いした方がいいですよーと、でも自分で管理はするけど最初の立ち上げだけが煩わしいねんっていうことであれば、私の方で設定します、ぐらいのゆるいウェブサイトの仕事とか。本業にしてがっつりやらなあかん内容はお断りしている感じですね。デザインとかって基本単発で入って1ヶ月以内に納品して終わりますんで。
qbc:はい。
広河美代子:今メインでお仕事いただいてるのが猫を洗う先生を育成するような団体さんで。そういった繋がりがあって、猫の関係の印刷物を作らせてもらうことが非常に多いです。
qbc:性格は、人からなんて言われます?
広河美代子:性格…自他ともに認めるフルフラットな人間ですかね。裏表がないっていうのと、竹を割ったような性格って言われます。
qbc:自分でもそう思うんですね。
広河美代子:はい。仕事だろうがなんだろうが言いたいこと言ってますし、自分の納得することしかしないですし。
qbc:ご家族…そのパートナーとか、身近な人から言われる、性格の一面ってあったりします?
広河美代子:えっ、やっぱり「裏表がないストレートな人」ですかね、全然変わらない…全然変わらないですね。自分で思ってるのと周りの評価が全く一緒です。
qbc:はい。
広河美代子:でもやっぱり身内には、親のことや何や吐き出したり頼ったりするんで、強そうに見えるけど、そう見えるだけで弱いよねっていうのは言われますね。
qbc:今、人生の充実度ってどれぐらいなんですか。
広河美代子:えっ…笑 考えたことなかったですね!
その、充実度か…60%ぐらいなのかな。なんだろうなー、生きてることに苦労はしてないですし、今すごく幸せ…だから、幸福度でいったらもう100%じゃない?ってぐらいなんですけれど。
実はあれもこれもやりたいっていう願望はあるんですけど、時間の管理が下手くそだし、子育て中なのもありますんで、やりたいこと全部できるわけじゃない。やれないことに歯ぎしりしながら、いいなーって言っちゃうこともたくさんあるんです。なので充実度って言っちゃうと、ちょっと下がっちゃいますね。
qbc:今、どんな気持ちでいらっしゃいます?
広河美代子:もうやりたいことやってて、ハッピーって感じですね。
qbc:うん、喜怒哀楽で言うとどんな感じでしょうか?
広河美代子:楽かな。楽しい。
qbc:ふうん、なるほど。いつからその状態に突入したとかってあります?
広河美代子:30歳ぐらいかな。精神的に親から完全に離れたのと、元々公務員やってたのを辞めたのもあります。
公務員といっても非正規なんで、制度が変わればいつクビになるかわからない。例えどんなに私が優秀だろうが仕事がなくなってしまう可能性がある、ってわかっていたので、好きなことやろうと思って、31歳のときにポンと全部やめちゃって。
でも自営業やってみたけど自分のできないことがはっきりしちゃって、これは無理だなと思ったりして。その辺はちょっとしんどかったんですけど、ただやっぱね、サラリーマンしかも公務員ってなると、もうやること定年までハッキリしてるじゃないですか。
qbc:うんうん。
広河美代子:そういう仕事に比べると、やっぱ民間の方が面白い。いつでも戻ろうと思えば非正規だからこそ戻れるんですけれど、戻る気になれば戻れる場所がある状態で好きなことやってるんで。
qbc:はい。
広河美代子:しんどいことはもちろんあるんですけど、基本楽しいですよね。
qbc:では、好きな食べ物を教えてください
広河美代子:食べもの食べもの…、山かけご飯?いやなんか、基本何でも好きなんですけどね。うーん、あとお刺身ですかね。何か食べるって悩んだら、なんかその二つがあるかないかまず探しに行きます。笑
過去:グループに属さない自由な子だった。誰かが仲間外れになって、嫌な思いしてるのを見るのが嫌
qbc:えっと、子供の頃のこと、過去をちょっと聞いていきますね。子供の頃はどんな?
広河美代子:元来は今のような感じですね。言いたいことをはっきり言う、女の子の特定グループに属さない、自由な子ですかね。通知表の先生からの評価に「みよこちゃんは誰とでも分け隔てなく仲良くなれるところがとても素敵なことなので、大人になっても大事にしてください」って書かれるような。
qbc:どんな遊びをしてました。
広河美代子:遊びはインドアの方が好きでしたね。一人で遊んでても全然気にならずに、本も教室で読んでたり、同じくインドア派のお友達と遊んだり。でも、仲の良い子に誘われたら全然外でドッチボールとかもしてたんですけど、自分からってなるとやっぱインドア趣味ですね。絵を描いたり本読んだり、元々手芸とか描いたりとか好きなんです。
qbc:どんなテーマっていうか、どんなものを書いたり読んだりとかしてます?
広河美代子:本は…教室においている本とかあっという間に読んでしまって、読むものがなくなっちゃうんですよ。図書室にある本とかも、ばーっと流行ってるのから読んでいって、読むペースがとにかく速いんで読む本がなくなるわけですよ。
なので、だんだん偉人の伝記ものを読んだり、小説を読んだり、でも図書館の小説ってあんまり子供向けの少ないじゃないですか。
qbc:うんうん。
広河美代子:なんでアガサクリスティとかの推理小説に。もうちょっと読みやすいのでっていうところで落語の方に行ったり、ジャンルバラバラに読み漁ってたんで、小学校では本を借りたら大体私の名前が書いてるレベルの読書家でした。中学は図書室がちっちゃくなっちゃったんで、大抵読んでたからもういいかなってなっちゃって。図書委員はやったことないんですけど、図書委員に顔を覚えられててめちゃくちゃ仲がいいっていう感じです。
qbc:中学生で、アガサクリスティ読んでたんですか。
広河美代子:親が星新一が好きで、そこから小松左京とか行ったりしてそれが小学校のとき、「活字おもろいやん」って思い始めたら、ちょっと推理もの面白くなってきたんで有名どころでアガサクリスティ。国語の先生なんかもすすめるから。でもちょっと読んだけど、私は結局SFの方が楽しかったです。
qbc:なんか今もですけど、どんな作家が好きなんですか、そうすると。
広河美代子:今はね、妊娠出産から活字が読めなくなっちゃって、ほぼ読めてないんですよ。
星新一はもう子供の頃から今も好きですね。あと小松左京さん。「日本沈没」はやっぱり素晴らしいですね。語れるほどもう覚えていないので恥ずかしいんですけれど。
qbc:何か小学校時代の人間関係、友達関係はどんな感じだったんですか。
広河美代子:グループに所属してなかったんで本当に分け隔てなく、クラスも年齢も男女も関係なく遊んでました。でも特に仲良かったのは学年トップクラスの子たちばっかりなんです。一番仲が良かった男の子、家にお邪魔して一緒に勉強するような仲だったんですけど、入学式の新入生挨拶を読み上げたりするような、要はトップで学校に入ってますよね。そういう層と仲良しでしたので、周りから見たら私もそういう頭がいい人って思われてたのかなーとは思います。
qbc:はい。
広河美代子:でも、そもそも私グループ作るの嫌いなので、同じクラスの子がいじめに遭ってたら、いじめられてる子に積極的に声をかけて一緒に帰ったりとか、遊ぶ約束取り付けたりとか。
qbc:はい、はい。
広河美代子:なんか、誰かが仲間外れになって嫌な思いしてるのを見るのが嫌なんですよね。それなら一緒に遊ぼうって言って。
自分はグループを作れない。逆にグループ作れないことを生かして、グループに属せない子たちを、私中心に遊べばいいやんって巻き込んでいく。そういう感じでした。
今もうアスペルガーってはっきりしてるんで、グループ作ることがそもそも苦手なタイプだったんですけどね。笑
新聞ざたになって「遊んではいけない家の子」って言われるようになった
qbc:なるほど、中学校とかどんな感じですか。
広河美代子:小学校の終わりごろにうちの両親、母の不倫が原因で離婚しまして、そのときにちょっといろいろトラブルがあって、うち新聞ざたになったんですよ。
で、「遊んではいけない家の子」って言われるようになりました。私はこんな感じでメンタル強いから「そりゃ常識的にそうなるわな」って思ってました。
でも、私のことを嫌いだった小学校の同級生が塾で「こんなとんでもない子がいるから気をつけて」って言いふらしたみたいで。中1のとき、ものすごい仲間外れにされました。私の性格を好きな子は関係なく声かけてくれるんですけれど、過剰にいじめを恐れる子が「みよこちゃんと遊んだら、〇〇さんもいじめられるから」みたいな感じで…よそに引っ張っていっちゃうんですよ。クラスで体育のときに2人組3人組を作れってなったら私だけが必ず残る。じゃあ先生とやろうか、みたいな感じで。靴も隠されたり。
でも私にとっては家の方が修羅場すぎて、全然気にせず学校行ってたんですけどね。
お昼一緒に食べる人もおらんし、声かけてくれようとする子がおってもすぐ別の子が声かけて連れて行っちゃうし、なんか多分この状況、死ぬ子は死んでますよね。笑
qbc:うん。
広河美代子:でも私は、家がなくなったら死ぬけど、友達いなくなっても死なんと思ってたんで。
qbc:そのときはどこで誰と暮らしてたんすか。
広河美代子:和歌山県で母と住んでました。
qbc:お父さんはどうなった?
広河美代子:父は離婚して一人に。私は父の味方だったんで、ずっと「父と住む」って言ってたんですけれど。
母があの手この手でいろんな脅迫してきて、最終的に「姉ちゃんだけ別で住んだら弟らがかわいそうやろ」って言われて、兄弟ラブだったんでそれで折れちゃって。
それで離婚の直接の原因は母なのに「子供のために」って父は家手放したりして、その手放した家に私たちがそのまま住みました。
アダルトチルドレンって機能不全家庭育ちで、心の中に子供のままの自分を抱えてる人間なんですけれど、何でそうなるかっていうと、子供の頃に早く大人にならないといけなかったからなんです。
私も小学校のときにそういうことがあって、自分のことよりも弟のことを大事にしないといけなくって。
私はメンタル強い方ですけど、もれなくアダルトチルドレンというものになってしまった感じ。
qbc:新聞ざたではお父さん実刑判決っていうか、その、どうなったんですか。
広河美代子:結局は留置場で勾留されて終わりましたね。父が包丁で刺しちゃったんですが、相手が「元ヤクザの俺が夜中に行ったら、普通の人が混乱するのは当たり前や」「俺が刺されるようなことをしてるんやから、量刑軽くしてくれ」って嘆願書を書いてくれたんです。
qbc:なるほど。
広河美代子:それで最大限罪が軽くなったんですけど、やっぱり新聞に書かれたってことで父も仕事を辞めざるを得なくなって。最終的に子供のためにと母に家を譲って父がいなくなった形ですね。
qbc:なるほど、それが中学生に入ってから起きた。
広河美代子:事件は小学校のときで。地震の影響もありまして。母が阪神淡路大震災のときに祖母を連れて帰ってきたんですけど。自分が連れて帰ってきてんのに、お母さんは性格に難のある人なので、ばあちゃんに文句を言うわけですよ。
「私ばっかり我慢してて、しんどいから、遊ばんとやってられへん」って言って不倫してて。子供から見ても、イヤイヤおかんが連れてきた自分の親やのに何言ってるの、としか思わなくって。
でもそういう感じでどんどん母の不満が炸裂していって、不倫相手が直断判にきた。
qbc:不満がきっかけで不倫が始まった?
広河美代子:いや、元々そういう性質の人が悪化した感じです。不倫はもっと前からなので、地震やその不満は直接の原因ではないんですよ。
qbc:それで中学校は、その、どんな生活だったんですかね。
広河美代子:中1から中2の1学期までは、声かけてくれる人がいなかったです。教室でひたすら寝ていたり、本読むのは一人でできることなんで本読んだり、絵を描くのが好きだったんでノートにゲームの4コマ漫画描いたりずっとしてて。
中2のクラス替えでガラッとメンバー変わったんですよね。なので主体的に私を仲間外れにする人がいなくなって。幼稚園のとき一緒やった元友達みたいなのが同じクラスになったりして。
qbc:うん。
広河美代子:あと全く別の学校から来た男子が隣の席になったんですけど、彼が私がノートに4コマ描いてるのを見て「え、すごく絵うまくない?もっと読ましてほしいんやけど」って食いついてくれたり、幼稚園のとき一緒だった子が「みよこちゃんそんなん描いてんの」「別のクラスにそのゲーム好きなやつおるけど、今度紹介するー」なんて言われて、中2でガラッとその交友関係が変わって新しい友達ができたんですよ。それから、もうオタクまっしぐらですね。笑
qbc:なるほど。
広河美代子:オタク趣味のおかげで友達ができたんで、ずっと絵を描いてましたね。
qbc:はい。
広河美代子:それまでは漫画も読むんですけど、別にそんなに熱烈にハマってるものは少なくて、セーラームーンぐらいだったんですけれど。オタク趣味に目覚めたらジャンプ読んでる子も多くて、私もそっち側に。「封神演義」とかサッカーの「ホイッスル」とか、あの辺が中高ぐらいの私の青春時代に見てた漫画ですね。
qbc:なるほど、高校は。
広河美代子:高校はオタク繋がりの友達がバンバンできて、すごい楽しかったですね。
qbc:家庭生活は?
広河美代子:まぁ…母が好きになった人と結婚できたんで、かなり落ち着いたんですよね。
相手の人も、母とお付き合いした時…私が小3~4ぐらいの頃かな、そのときはヤクザだったんですが、長く細く続いてるんですよ。その人が小5〜小6のとき乗り込んできたっていうだけの話で。
qbc:うん。
広河美代子:表向きそうですね、親の喧嘩がほぼなくなって、喧嘩しても父は母には優しかったんで、なので、まぁ中高の頃は家はそんな大変じゃなくなってて。
なんですけどやっぱモヤモヤすることを言われるよなってずっと苦しかったんですよね。
qbc:モヤモヤ?
広河美代子:えっと、具体的にはちょっとわかんないですけど、例えば何か母が怒ると3時間ぐらい平気で説教されるんですよ。折れた布団たたきや竹刀でぶたれるんですよ。
qbc:元ヤクザから?
広河美代子:いや、母です。
qbc:お母さんから。
広河美代子:そう、怒ると変なんですよね。
qbc:それも毎回だったんですか。
広河美代子:毎回とはいかないですが、昔から頻繁にです。小さい頃からそうです、父親変わって、中学高校でもやっぱりそういう感じ。別にその元ヤクザがどうとか関係ないです。母がおかしい。
qbc:お母さんは、どんな人なんですか。
広河美代子:背が高くて、世間一般的には多分美人に入ると思いますよ。でも人間性はおそらく子供の頃から変です。
qbc:変というのは?
広河美代子:他人のものを欲しがりますね。だから友達とか、自分の兄弟の彼氏を寝取ったり。うちの母はバスガイドやってたんですけど「あいつはすぐにドライバーと寝る。尻軽や」って有名やったり、それを私が今現在知ってるようなレベルですね。笑
qbc:うん。
広河美代子:父が既婚者で母は独身で、不倫略奪デキ婚で私を妊娠しまして、会社としては社内規定上、恋愛禁止やからどっちか辞めてくれとなったときに、立場が上の方が残るじゃないですか。もう母の恨みはそこからですよね。「私はまだ働きたかったのに」っていう話を3歳ぐらいのときから聞かされてるのを覚えてます。
うーん、やっぱ年取れば取るほど「社内規定ぐらい読んだらわかるやろー、うまいことやらんかった自分の問題やのに、それを父のせいっていうのはちょっとなー」みたいな。
qbc:はい。
広河美代子:なんか私自身だいぶメンタルの発達が早い方なんですけれども、小学校のときから母のそういう愚痴のゴミ箱にされてきて、そんでも「お母さん頑張ったね」とか言うんですけど、心の中では「お母さんおかしくない?」ってずっと思ってて。
qbc:うん。
広河美代子:思春期になると、その「変やろ」の気持ちがどんどん爆発していくわけですね。
qbc:はい。
広河美代子:でも母は怒りだすと物を投げるし、おねしょした弟に対してちんちん切るって脅したり、何言い出すかわからんから、心の中で反抗はしてるけれど態度として全く反抗期を出さなかったっていうタイプなんですね。
qbc:はい。
広河美代子:それが大人になってから爆発して、いやもう、もういいや、ここまで言われてお母さんと一緒に生活する必要ないやろ、って思って逃げた感じです。
qbc:高校の後はどういう進路進学に?
広河美代子:高校のときに本当は、大学行きたかったんですよね。3年間ずっと第1志望を同じ大学で出してたんですよ。なのに、高3の10月に「受験費用をお願いします」って、「申し込みしないといけないんで、お金出してください」って母に土下座したんですよ。そのときになって「女のあんたを大学にやって遊ばせるような無駄金はうちにはない」って言われたんですよ。
qbc:うん。
広河美代子:いや就活させるならさせるで高1から言ってよっていう話。三者面談でもずっとお母さんは「この子はしっかりしてるんで、この子の進路はこの子に任せてます」って言ってたんですよ。高3の10月なんて、まともな就職先あるわけないじゃないですか。
しかも就職組じゃないから面接の練習も応募の仕方も何一つやってない状態で。
当然4月から行き先ない状態で高校卒業して。そこから母の私に対する人格否定が激化しました。「お母さんの言うことに従ってれば、あんたも失敗せんかったのに」って。いや従うも何もちゃんと言わんかったやんて思うんですけど、実際進路なくなっちゃったんで、返す言葉がないわけですね。「もっとできると思ったのに、あんたもどうしようもなかったな」って言われたり、あとは独学で高校生の頃からWebサイトを作ったりしてたんですけど。
qbc:高校生の頃から。
広河美代子:コミケに行きたかったけどお金がないので、ホームページを自分で作ればタダで自分の絵を世界中に見てもらえるので、頑張ってホームページ作ったんですよ。
qbc:はい。
広河美代子:その当時、会社のホームページ作るって30万から50万して当たり前の時代なんですよ。
qbc:うん。
広河美代子:でもそういうのを、この子の才能で何かできることがないか、なんて調べてくれる親じゃなかったんです。
qbc:うん。
広河美代子:私ホームページ作れるから、これで面接行こうと思うって言ったら「あんたが独学でできることなんて、誰でもできるに決まってるやん」って言われて、とにかく私のできることを全否定ですね。
「絵が描けても1円の得もせん」「コスプレなんかお金かかるし恥ずかしい趣味、人に言えない趣味」って言われたり、もうとにかくやることなすこと全部否定です。
qbc:高校を卒業した後はどう、何をしてたんです?
広河美代子:無職です無職です。当時、就職氷河期から超氷河期になった頃で、そもそも求人がない。
qbc:うん。
広河美代子:仕事を選ばなければ何でもあるって言われましたけど、そもそも求人がない状態。なのでもう、アルバイトぐらいしかしょうがなくて。
でもそれもなんか「正社員じゃなくアルバイトなんて…」と否定ですし、「あんたやることないんやからしょうがないから家手伝い」って言われて渋々手伝ったんですけど。「家やから生活費かからへんやろお金いらんやろ、あんたの給料3万ね」って。
qbc:うん。
広河美代子:月給としてちゃんともらった上で生活費引いてってされたらまだわかるんですけど、最初っから3万しかくれないんですよね。自分で貯金しようにも貯金ができないじゃないですか3万じゃ。「お母さんが貯金しといてあげるから」みたいな感じで言われるんですけど、蓋開けたら、年金も住民税も何もかも減免申請を受けさせられとって、私の将来で損失出されてますよね。貯金してるって言ってたけど、貯金もゼロでした。
qbc:うん。
広河美代子:その後まぁ実家廃業して、夜逃げするんですけれど、夜逃げして金に困ったとたん、免許取る費用をあんたの貯金から出したからって言ったくせに「あんたの免許費返して、33万」って言われました。高校の奨学金も払えるのに受けさせられて、そこの費用をすぐ返せるように貯めてあったんですけれど、家の仕事をやるお金足りへんから貸してって言われて、責任持って親が返すからって言われてたのに、長年何の連絡もせず滞納してて、奨学金30万が60万になりました。
qbc:夜逃げしたのはいつですか。
広河美代子:夜逃げしたのは私が20歳のときですね。家を出たのは22歳です。
qbc:どうやって家を出たんですか。
広河美代子:一度ね、夜逃げしたとき、私付いて行かなかったんですよ。私だけ成人して働いてたんで、私以外の家族はみんな県超えて夜逃げしたんですね。ある年末だったかに母のとこに泊まりがけで遊びに行ったときに、母が起きてこないんですよ。
で、当時小学生だった弟に「晩御飯どうしてんの」って聞いたら、いつもお弁当お母さんのお金か、財布からお金もらって、お弁当買いに行くよーって言ってたので、今日は姉ちゃん出すから買いに行こうかって行ったんです。
そこではお弁当の金額が多分100円か200円ごとに10円値引き券もらえるんですけれど。それをお弁当屋さんのおばちゃんが「たくさん入れといたからね」って言って、海苔弁しか買ってないのに4枚ぐらい入れてくれてるんですよ。
qbc:うん。
広河美代子:ほんで帰り道小学生がニコニコして、「これ何十枚集めたらお弁当がタダでもらえるねん」って言うのを見ちゃって。
あ、あかん、私死ぬかどうか考えてたけど、弟はそれ以前にご飯で困ってる、死んでる場合じゃないってなって仕事辞めて当時の家も引き払って、親との同居を再開したんですね。
それが20から21の頃なんですけど、一緒に住んで当初は母もありがたいありがたいっていうんですけれど、当然だんだん我慢ができなくなって本性が出てくるんですね。
qbc:家を出たのはいつですかね。
広河美代子:22です。1年ぐらい同居してる間に母がどんどんまた要求がエスカレートしていって、家事全部私がやってるから、全部やれとはお母さんには言わへんから、せめて自分の食べたお皿だけ洗って、って文句を言ったと思うんですけど
qbc:実は、残り9分になってしまったんですよね。お母さんに対して文句があるっていうのは、十分わかりました。
広河美代子:はい…。笑
qbc:それを都度都度聞くことっていうのは可能なんですけど、そうすると未来がなくなるんですね。話していただく時間が。
広河美代子:いや、そんな、聞かれたから答えちゃってるだけで、過去そんな大事じゃないです。笑
未来:これからも、できることをその都度見つけてやっていくだけ
qbc:未来についてお伺いするんですけど、もう50年後。いや、30年40年生きて、自分が死ぬっていうところまでイメージしていただいて、どんな未来をイメージしてます?
広河美代子:今は、死ぬときに自分が大事だなって思ってる人が看取ってくれたら、それでいいかな、ぐらいしか思ってないですね。
qbc:うん。
広河美代子:こうしたいああしたいとか、そういう具体的なものとかはないです。今できることをやってるのと同じように、これからもできることをその都度見つけてやっていくだけなんで。
欲を言うなら、シェアハウスも何件かやれて、ちゃんと事業にできたらいいなとは思います。今は規模が小さすぎて税務上、業として認められない規模なんで、不動産業って言えるようになったら嬉しいなーとは思います。
それ以外に関しては、死ぬときにいい人生だったなって思って死ぬのが目標なので。ただ全力を尽くすだけですね。
qbc:シェアハウスっていうのは、広河さんにとって、やらなくてもいいことなんですか、やらなきゃいけないことですか。
広河美代子:どっちでもいいですね。いつ辞めても構わんし、でもおもろいから続けようかなって感じです。
qbc:「やめます」って言ったら止められるとか、
広河美代子:そうですね、他人様が住んでるんで直ちにはやめられないですけど、つまんなくなったらやめます。ただね、業としてちゃんとやれれば、私の代わりに別の人、仕事に困ってる人を「住みながら管理人やって」ってお給料渡せば良くなるわけなんで、だから業にできたらいいなー、選択肢が増えるなーっていう感じですね。
qbc:ちなみにお父さんはどうされてるんすか。
広河美代子:お父さんは別居してて、大阪で自営業やってます。超仲良しですよ。
qbc:お母さんは?
広河美代子:お母さんはね、同じ市内で猫カフェやってます。だから猫のお仕事の繋がりは、根本たどると母経由ですけど、まぁ私の人生に口を挟まれないように、壁作って生活してます。
qbc:なるほど、なんか、どんなふうに育てられたって思ってます?
広河美代子:どんなふうに、なんやろな。母も育児が何かわかってないんで、多分必死だったんだと思いますよ。
絶縁してないのがそれなんです。愛されてるってことはわかってるんで、絶縁までするのはかわいそうかなって。ですけど私の人生に指図されたかないんで距離を取る…ぐらいですね。
多分母は、子供が良い子になれば自分の評価が上がるから、自己評価を上げるために育児をしてたと思うんです。私は、そういう育児はしたくないなとは思ってます。
qbc:お母さんと絶縁しない理由って何ですか。
広河美代子:うーん…、やってもらって良かったこととかもあるわけですよ。社会的に「ちゃんとした人や」って評価される程度には、私の第一印象って良いんですけれど、それはやっぱり100%私が身につけた努力とかではなくて、親からの躾もあってのことなんで、うん。
…っていうのとやっぱりね、母は無茶苦茶なんですけど、孤独をめちゃくちゃに恐れていて、愛されたくってぐちゃぐちゃになってるのは見ててわかるわけですよ。
qbc:直接聞いたわけではなく?
広河美代子:いや聞いても、母もね、何かぐちゃぐちゃになってまとまってないんで、ドロドロになった何かしか出てこないんですよ。
qbc:なるほどね。
広河美代子:だから、もうこっちから理解してもらいたいってのも母を理解しようってのも諦めて、ただお互いおってくれてありがたいなって思えるぐらいの距離でおろうと。
qbc:もしも、もしもの未来っていうのがあったとして、魔法の温泉がありますと、そこに入ると本音が出てくる温泉です、そこに親子で入りましたと、そしたら、どんな関係性になると思います?
広河美代子:変わんないですね。だって母は自分のそのぐちゃぐちゃを本当の自分だと思ってやまないんで。
qbc:広河さんから見たお母さんの本当の姿は、どんな姿なんですか?
広河美代子:もう寂しくて寂しくて、「助けて」って泣いてる子供ですね。
qbc:うん。
広河美代子:母もそれ自体は認識してるんですよね。で、それに対してどうしたら良いかが分かってないんですよ。
qbc:うん。
広河美代子:そういう本音ってのはポロポロ出てるんですよね。
私が本当に大人になっていろんな話し方ができるようになったんで…私は最初に言った通り裏表がないんで、母にも「それはおかしいよ」ってはっきり言ってるんですよ。なので、本音で話しても何も変わらないですね。母、パーソナリティ障害なので、障害なんですよ。
qbc:うん。
広河美代子:だから理解をしようと思うと、私が深淵に引き込まれます。
qbc:広河さんの話じゃなくなっちゃうんですけど、お母さんは今なんか不幸とか、苦しんでるんですか。
広河美代子:苦しんでますね。
qbc:それは、どうやったら落ち着くというか。
広河美代子:母の執着を手放すことですね。
qbc:何の執着です?
広河美代子:お金とか人間関係とか、
qbc:はい。
広河美代子:ですけど、それは他人に言われて手放すものではないので、私から何かできることって何もないんですよ。
qbc:いや、別に広河さんに何かしてとかじゃなくて。どうやったら落ち着くと思います?その執着を捨てるしかない?
広河美代子:そうですね、で、その執着を捨てるためには底つき体験が必要で。もう人生のどん底だ、これ以上どうしようもない、もう死のうと思ったけど死ぬこともできない、だから生きていくしかない。なんというか、血反吐吐いてでも、自分を変えるんだ、って思わないと変わらない、ってこの活動してて思うんですよ。
qbc:それは、そのアダルトチルドレンのご両親の話を聞いて、
広河美代子:まぁ私自身もやっぱそういう血反吐吐く思いをして変わってきてるんで。社会に出たときに「常識おかしい」って先輩から言われまくって、私って生きてる価値がないんや、何もできない人間や、っていう底つき体験をして、その上で、もうこんな自分が嫌やから変わるしかない…って戻ってきたんですよ。
qbc:うん。
広河美代子:「こんな自分が嫌やから死ぬ」よりも、「死のうにも死なれへんかったからやっていくしかないんだ」ってのが上回らないと、自分を変えるってすごく難しいんですよね。結局、まだ母はプライドやなんやを守ってる状態なんで、変わらないなっていう感じです。
qbc:ありがとうございます、最後の質問がですね。「最後に言い残した言葉」っていうので、遺言でもいいし、インタビュー感想みたいな、読者向けメッセージでも大丈夫です。最後に言い残したことがあれば、お伺いしております。
広河美代子:時間配分間違えてすいませんでした…。えー…いやもうなんか、私はなるようにしか生きていかんので、皆さんなるようにやっていきましょう、ですかね。
qbc:ありがとうございます。
広河美代子:はい、ありがとうございます。
あとがき
世界は広いが一人じゃ歩けない。
【インタビュー・あとがき:qbc】
【編集:りな】
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