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「自分の心が殺されるぐらいだったら、社会からどう思われたとしても、自分の心が生きていればそれでいいや」人

僕のお菓子、誰か食べちゃた? しらないけどさ。誰かに食べられちゃった僕のお菓子。
しらんけど。でも、誰か、お菓子食べちゃった?
知らないけどさ。
さあ、まえがきを書くか。(僕は知ってる。何を? 何もかもを。)
そうして、私はまえがきを書くことにしたのです。
知ってる? まえがきって。まえがき? まえがきなんて知らないさ。
知らないほうのが、幸せなんですよ。働くとか、ナンセンスなんです。
あけっぴろげでこれからは話しますね。話しますし、生きます。そうですよ。かたっぱしから、自分の好きな物でとりそろえていくんです。
今日の無名人インタビューも読んでね。
【まえがき:栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 一休誰絵 さんです!

現在:特に何もないけど休学した。「そういう期間があってもいいんじゃないの」っていう、一種の社会に対する訴え、って言ったらいいのかな。

toki:今、何をしている方ですか?

誰絵:数学の勉強をしている理系の女子大生なんだけど、去年の4月から1年間休学していて、あともう少しで復学しようかなと考えている段階かな。(※インタビュー実施:2023年2月)

toki:最近は1日、どんな感じで過ごしてる?

誰絵:日によって割とバラバラなんだけれど、日中は長期インターンで記事を書いていたりしてる。朝起きて、散歩して、ブログみたいなのを書いた後に、長期インターンで5時間ぐらい勤務して、夕方も散歩して、1日が終わるっていう感じ。

toki:なるほど。今長期インターンというお話が出てきたけれど、休学中にはどんなことをしていたのでしょう?

誰絵:今は長期インターン中心の生活を送ってはいるんだけれど、その途中途中で地方のインターンシップにも参加していて。農家さんの収穫のお手伝いとかしたり、1月にはインドに行って、そうやってたまにちょっとでかい旅行に行ったりとかしていて。
だから、基本的には長期インターンとアルバイトの生活をしているんだけど、たまに1週間ぐらい、そういう全く知らないところに行ったり、みたいな。

toki:長期インターンはどんなことをやってる?

誰絵:出版社が運営しているウェブサイトがあって、そこで、ガジェット機器とか、わりとお硬めのもののニュース記事を書いてるかな。

toki:最近、毎日の生活の満足度としては、100%を最高とするとどれくらい?

誰絵:50、45%ぐらいかな。っていうのも、今年入ってから、どこかに旅行に出かけるみたいなことがあんまりなくて。刺激のない毎日。だから50%ぐらいかな。

toki:誰絵さんがやっていて楽しいことってなんでしょう。

誰絵:休学している期間に面白いなって思ったのが、それこそ農家さんのお手伝いして、全然知らない町に行って、知らない人と話したりとか。
全然慣れないことをやるときが、いつも楽しいかなっていうのは思っていて。この休学していた1年間の中で一番楽しかったことを思い出すと、そうだね、インドに1週間ぐらい滞在してたときが一番楽しかった気がする。

toki:へえ〜。インドでの1週間は、どんなところが楽しかった?

誰絵:なんかまず、そもそも生活の仕方が全然違うというか。道路とか信号とか、一応あるんだけど、あって無いような感じのところで、本当にThe・発展途上国。そこで日本との違いみたいなものを感じたり。
あとは結構、インドの人とのコミュニケーションを頑張ろうとしていたんだけど、英語が全く通じなくって。英語で聞いても、向こうの人もヒンディー訛りの英語だから、何言ってんのか全然わからない。わからないけれど、まあいっか、あははーみたいな感じで。
全然答えにはなっていないけど、カルチャーショックに好奇心を抱けるところがあるから、なんかそこが一番楽しかったなと。

toki:知らない世界に触れるっていうのが楽しいんだね。

誰絵:そうそう。

toki:そうやって、新しいところに飛び込むことや、知らない場所に行ったりすることに対して、不安とか恐怖を感じることはないの?

誰絵:私、そういうことに関してすごく心配症なんだけど、でも自分の中での「心配性:好奇心」の比率が「49:51」っていうところがあって。
本当に、その「51」の「1」の部分のおかげで、何とか新しいところに飛び込めるのかなっていうのは、結構最近になって気づいたんだよね。

toki:へえ〜。ということは、一応49の不安は残っている、ということだと思うんだけど、その不安とはどういう風に向き合っているんだろう。

誰絵:そうだねー。でも、心配性の割にはすごく楽観的なところもあって。飛び込んだら何とかなるだろうって。だから、そこの不安に対しては、意外と向き合ったことがない気がする。
結構行動する前とかは、本当に49がすごく大きくて、どうしようどうしようみたいに悩むことは確かにあるけど、行ったら行ったで死ぬわけじゃないからまあいっかみたいな。

toki:なるほど。「なんとかなる」っていう楽観性が、不安の側から好奇心の方へ、ひょいっと押し出してくれるような感じなんだね。
今、楽しいと感じることについて聞いていたけれど、逆に嫌いなもの・ことは何かある?

誰絵:ちょうど1年前、普通に23卒で就活していて、そのときにすごく心がえぐられる感じがして。面接とかで、本当の自分が喋ってるつもりなのに、なんかもう1人自分じゃない自分が出来上がっていく感覚があって。
なんだろうな、他の人が見ている自分と、私自身が見ている自分のギャップを感じる瞬間。それが就活のときに多々あって、そのとき、すごく嫌だっていう感情が起きたかな。

toki:なるほど。「嫌だな」とか、違和感を感じた具体的な場面で、覚えているものってあったりする?

誰絵:それで言うとね、社会の「こうあるべき」に対して、段々疑問が出てくるようになったのがちょうど1年前で。
「絶対就活しなきゃいけない」みたいな、それに対してすごく「はあ?」って思っていたし、周りの友達が、どうして働かなきゃいけないのか、よく分からないけれど就活は進めているっていう様子を見てて、友達が感情を押し殺してるように見えて。実際に社会人として働いてる人も、それこそ自分の感性だったり感情を押し殺して働いているように見えて仕方がなかった。それで、そこに対する違和感みたいなのがどんどん出てきちゃったのかもしれない。

toki:うんうん、なるほど。ちなみに今は就活はしてる?

誰絵:してはいるんですよ。去年、私は元々出版業界を目指していたから、枠がすごく狭くて。他の業界も保険として見なきゃいけないって言われてる中で、見てはいたけど、なんか自分に響くものがないなって思ったり、自分が将来やりたいなって思ってるものがどうしてもなかったりしていて。だけど、相変わらず出版は難しいからどんどん落ちていくし、みたいなところで休学してしまったんだけど。
今も相変わらず出版とかメディア系は見ていて、それ以外の業界は見てはいない感じかな。

toki:ほうほう。さっき、周りの友達がなんで働かなきゃいけないのか、分からないまま就活をしているというお話があったけれど、誰絵さん自身は、「働く」ということを、どう捉えてる?

誰絵:なんだろうな、一言で片付けちゃうと「自己実現」。よく言われると思うんだけど、割とそれに近いのかなと思っていて。
私は、自分が思いついたものを何かを通して表現する、ってことを一生をかけてやりたいなって思っている。よく世間一般で言われる「生活費を稼ぐために働く」っていう発想ができない。生活のために稼ぐ、という理由でしっかり稼げる人は多い。だけど、そうやって割り切れない自分は、やっぱりおかしいのかなっていうのは、思う。

toki:なるほど、ありがとうございます。
ここまで、なぜ休学したのかというお話はちらほら出てきてはいたけれど、ここで改めて、休学した理由について聞いてもいいかな。

誰絵:色んな理由が積み重なってて、ちょっと話長くなるけど大丈夫?

toki:もちろん。

誰絵:まず、就活では出版業界を中心に見てはいたものの、読者や社会に対して、自分は具体的に何を伝えたいのかっていうのが全然定まっていないなっていうのに気付かされて。その引き出しを探していこう、1年間かけて作っていこうって思ったのが一つ。

あと理由というか、引き金みたいになったのは、就活する中で自分の心がどんどんえぐられていく感覚みたいなのがあって。なんかこのままいっちゃうと、体が死ぬことはないだろうけど、心が先に死んじゃう。一旦離れるのもありだなって思って。
一旦離れて、分かりやすい言葉で言うと”自分探し”みたいになっちゃうかもしれないけど、それをやってみてもいいかっていうのが理由だった気がする。

で、あとは、最近休学する学生が増えてるって、ネットニュースとかでよく見るけど、言うて休学生くらいって、全大学生の多分5%ぐらい。で、そのうちの多分4%って、休学してどっか海外とかに留学する人。残りの1%のうちの多分0.7%が、体や心に病気を抱えてしまった人で、残りの0.3%がモヤっとしてる人たちなんだと思ってるんだよね。
実際、私みたいに「特に何もないけど休学した」って人、多分そんなにいないだろうなと思ったときに、そういう経験をしてみるのもありなんじゃないかなと思って。

あとtokiさんのnoteにも少し書いてあったと思うんだけど、休学してる人って、わりとキラキラしたイメージを周囲からもたれてる。

toki:すごく分かる。

誰絵:でもそうじゃなくて、もっと自分の内側に対して向き合う時間を作っている人もいるんだよっていうのを知ってほしいというか。「そういう期間があってもいいんじゃないの」っていう、社会に対する一種の訴え、って言ったらいいのかな。それをやってみるのもありだなと思って。

toki:うんうんなるほど。同じく休学をした身として、わかるなあと思う部分がたくさんあったな。

過去:「本当はやりたいけど向いてないから文系に進んじゃおう」って思っていたら、多分、自分の一生の負債になっただろうなって。

toki:誰絵さんは小さい頃はどんなお子さんでしたか?

誰絵:すごい引っ込み思案で、ホームシックもすごかったし、幼稚園とか、学校とか、そういう集団生活をするような場所に絶対行きたくないって思いながら行ってた時代だったかな。
だから、あんまり親とか大人たちからあんまり褒められる人ではなかったかも。

toki:小さい頃はどういう遊びをすることが多かった?

誰絵:1人で絵とか書いたりとかしてることが多かったかな。
あとは、転勤族だったから、小学校の時とかは誰かと長期間にわたってすごく仲良くするということがあんまりなくて、結構1人でひたすら本読むみたいな生活をずっとしてた気はする。

toki:そうやって1人で遊ぶってことに対して、当時はどう感じていた?もっと他の人と遊びたいなって気持ちだったのか、1人も結構楽しめていたのかでいうと。

誰絵:でも、小さい頃はあんまり社交的なタイプではなかったから、いろんな子たちと遊んでる姿見て、羨ましいなって思っていた。でも自分1人の世界も全然楽しいから、それはそれでいいかみたいな感じだったかな。

toki:なるほど。ちなみに家族構成は?

誰絵:両親と妹が2人。
妹がね、今二つ下と四つ下といるんだけど、二つ下の子はもう就職して働いていて。四つ下の子は専門学生って感じかな。
二つ下の妹は私より先に就職しちゃってるから、たまに若干白い目で見られがち。現に1年間休んじゃってるし。

toki:妹さんの「白い目」にはどんな意味が込められていると思う?

誰絵:何1人で適当にほっつき歩いてるんだよ、みたいな視線を、なんとなく感じてはいて。妹も結構仕事忙しいから、八つ当たりされることもたまにあって、これは私、ニートっぽいことしてるから余計に腹立つんだろうなって、ひしひしと感じるかも。
感じるだけで特に直接言われたことは無いんだけど。

toki:ご両親はどんな方々?

誰絵:えっとね、お父さんはいやいやながら仕事する普通のサラリーマンで、今仕事の負荷があまりに多くて、すごくストレス抱えているらしい。

で、お母さんは結構淡々としてる人で。
でも、家族は基本的にみんな仲いいかな。特に両親に関しては、私が休学することに対して「別に1年間別に休んでいいんじゃない」みたいに言われて、「じゃあ休ませていただきます」って言って休ませてもらいました。

toki:ご両親からは特にお咎めもなく?

誰絵:特になかったけど、多分言ってないだけなんだろうね。
私、就活とかあんまりやってないから、本当はもうちょっと頑張ってほしいって思いは親の中であるんだろうけど、わりとじっくり見守ってくれている感じはするかな。

toki:うんうん、ありがとう。
今、小さい頃を中心にお話を聞いてきたけれど、誰絵さんのこれまでの人生をいくつかの章に
分けるとしたら、何章できて、それぞれどんな区切りになる?

誰絵:1章目が生まれてから小学校6年生まで。親の転勤で2回ぐらい引っ越したから、環境に振り回されていたのが1章で。

第2章が中学1年から浪人期間が終わるまでかな。中学生の頃、軽いいじめを受けていて。そこから、この環境から抜け出したいって思いで、勉強とか頑張ってた時期で。すごく勉強頑張って、そこそこの進学校に入ったんだけれど、そこでまた打ちのめされておちこぼれていって。そのあと浪人を1回しているから、その浪人期間が終わるまでの7年間が第2章。

toki:はい。

誰絵:第3章は大学1年から大学3年の3月まで。私、浪人も失敗して大学生になっちゃって、またゼロからのスタートみたいな感じで。いろんな自分の過去を振り返る期間も結構あったり、それと同時に、本当に興味あることだけ頑張ろうって思ってやっていた時期。
だけど、過去の第1章、第2章のときに悩んでいたものやコンプレックスがまた爆発しちゃったのが第3章の終わりかな。

で、多分休学したこの1年間が、第4章がはじまるまでの余白の部分かなって今思っていて。それまでずっと抱え続けていたコンプレックスとかを、言い方が壮大になっちゃうけど、全部精算するのがこの1年間なんだろうなとは思ってるかな。

toki:なるほど。コンプレックスと言う話が何度か出てきたけれど、どんなコンプレックスだったのか、その辺り聞いてもいいかな。

誰絵:中学1年生の頃に、思春期あるあるの軽いいじめを受けていて、当時の環境が、学級崩壊で荒れまくりのクラスで、その一環でいじめられちゃっていたってところがあって。だから、そこの環境からちょっとでも抜け出してやりたいってなって、勉強を頑張るようになって。
で、高校に入ったんだけど、中高一貫だったから、中学1年生からずっと勉強してる子たちはすごく頭がよくて、私がいくら勉強しても、その子たちに全然及ばなくて。
そこで、よくある学歴コンプレックスみたいになって、それを大学3年の3月までずっと引きずってしまっていたのかな。
多分そう、私がずっと言ってるコンプレックスは、学歴のコンプレックスだと思う。

toki:もっと学歴の高いところに行きたかったな、というような。

誰絵:そうだね。浪人の間は学歴厨みたいになっちゃっていて、本当に志望の大学に行けないと、自分は全然価値のない人間だって思っていた。
浪人の期間って、モチベーションがそれだけになっちゃっていたから失敗してしまったのかもしれない。

toki:中高も、浪人をしている時も、勉強してコンプレックスを克服しようと努力するけれど、その努力がなかなか報われないって状況だったと思うんだけど、誰絵さんはそんな状況にどう向き合っていたんだろう。

誰絵:正直、あんまり「乗り越えた」って感覚はなくて、どちらかというと、純粋に私勉強向いてない人だなっていうのがわかったから、もう別の分野で頑張ろうと思って。それで大学入っていろいろバイトしたり、興味あるところをほっつき歩いたりとか。
今もそれやっているんだけど、努力して根性論で何かを達成させることに楽しみを見出すんじゃなくて、新しいものを見たときに感じる純粋な楽しさに気づいた段階かな、今は。

toki:誰絵さんのnoteで、”元々文系だったけれど大学では理系の道を選んだ”ってお話を見かけたんだけれども、その辺りはどう? どうしてそうなった?

誰絵:それがね、元々天気とか、工業デザインとかの勉強がしたいなと思って理系を選んだけど、先天的にできないというか。文系学部出身の子たちが、よく中学までの勉強、算数すらもわかんないって言う感じで、私ももう本当に、先天的にできない人なんだっていうのを、高校生の時あたりから薄々自覚はしていた。でもそれ以上に、やりたい勉強してみたいっていう気持ちの方が強くて。

toki:へえ〜。

誰絵:そのままずっと理系へ突き進んでしまって。当然、全然得意じゃないから、いくら勉強してもずっと成績が伸びなくて、そのまま受験期突入しちゃって。
結局、大学受験はことごとく駄目で、受かった学部が今いる数学科、あと化学、土木工学だったかな。どれも自分が本当に勉強したいことではなかったから、一番つぶしがきくだろうなっていう数学を消去法で選んじゃった。

だけど、数学の勉強って、よく言われる計算とかではなくって、この論理に対してこの証明方法で合ってるかっていう、論理学の勉強にかなり近い学問。だから、めちゃくちゃ文系体質の私でも、わりと性には合っていたかもしれない。

toki:そうなんだ。ちなみに私は、理系科目ができなくて、消去法的に文系の道を選んだ人間なんだけど、誰絵さんは「できるかどうか」じゃなくて、「やりたいかどうか」っていう自分の気持ちを大事にして道を決めてるよね。そんな自分の選択について、今振り返ってみてどう思う?

誰絵:とんだ大馬鹿者だなって思ってはいるんだけど、「これガチで向いてないな」っていうことを悟る境地まで勉強できたとは思っている。
もし浪人をするタイミングとか、文系理系とかの選択の時点で、「本当はやりたいけど向いてないから文系に進んじゃおう」って思っていたら、多分、自分の一生の負債になっただろうなって。それが本当に嫌で、とりあえずやりたいことをやって、もし駄目だったら駄目だったっていうことでいこう、って思ったのが当時の気持ちだったかもな。
自分の納得感っていう意味では、今でもその選択を間違ってはいなかったかなとは思ってる。

toki:なるほど、ありがとう。
質問がガラッと変わってしまうのだけれども、これまでの人生で一番楽しかったことは何?もしくは印象に残っていることでも。

誰絵:直近にはなってしまうけど、それこそ冒頭にも話した、インドに行けたっていうのが一番楽しかったかな。自分の今までの生活圏とはもう180度違う環境に行って。なんかもう全部が新しいから、一種の興奮みたいなのがあって、それが一番楽しかった。

toki:新しいものや、自分が生きてきた世界線とは違うものに触れるのが好きって、大学生になる前からそういう傾向はあったの?

誰絵:どうなんだろうな。多分あんまりなかったかもしれないな。
それこそ新しい環境を見てみて、こんな世界があるんだって、もう本当に生まれて初めての感覚みたいなのがあったから、今までなかったかな。

でもインド行った人って、本当に好きになる人と本当に嫌いな人の真っ二つに分かれるってよく言われてて。私はすごい好きなタイプの人間になってしまった。
結構過去を振り返ったりすると、何回か転校した経験があったっていうのもあって、一つの場所にとどまるっていうことがあんまりなかった。だから、変化をわりと楽しめる方なのかなっていうのはあるのかもしれない。
多分それが、知らず知らずのうちに色々積み重なっていって、具体的なアクションとして表出したのが、インドとか地方とか、全然知らない環境に飛び込むっていうところだったのかもしれない。

toki:ほうほう。転勤の経験がそんなふうに影響してるんだ。

誰絵:そうだね。それが自分の性格というか、性質を作っているっていうか。
それでいうと、少し話がずれちゃうんだけど、今本屋でバイトしてて、バイト先の人と話してる時に、私が「東京に住むことに飽きたんですよね」って言ったら、お話相手の東京生まれ東京育ちの人に「住むことに対して飽きるって感情があるんだ」って言われて。
逆に、飽きるって感情持たない人いるんだって気づいたことがあったから。

toki:たしかに。住むことに飽きるって感覚って、転勤によって住む環境が変わった経験があるからこそ抱けるものなのかもしれない。

未来:いい意味で時代に取り残されたいというか。いい意味で落ちこぼれたいというか。

toki:5年後とか10年後とか、何年後でも構わないのですが、例えばこういうことがしたいとか、こうなっていたいとか、未来に対してどんなイメージを持ってる?

誰絵:さっきの繰り返しにはなってしまうけど、やっぱり一生をかけて自分が知らない、誰も知らない世界を体験してみたいっていうのがあって。
具体的に何かって言われたらそれは言えないんだけど、自分の持っている好奇心をずっと生かし続けていきたい。
好奇心がなくなったタイミングが、多分自分が死ぬタイミングだろうなと思っているから、好奇心を発揮できる何かはしたいかな、本当にざっくりだけど。

toki:お話聞いてると、知らない世界を体験したいっていう思いがすごく強いなと思ったんだけど、その思いの強さってどこから来ているんだろう。
知らない世界を体験することで、どうなりたいとかっていうものはある?

誰絵:単純に、なんかもうよくわからないけど知りたいなっていう感情がある。
あと、私書くこととかが結構好きで。インスタグラムとかで、自分が知った経験だったりとか、やってきたものを友達とかに話したり、文章を書いたりとかして、その反応を見るのがすごく楽しい。
自分が持っている経験で、こんなに人って笑ってくれるんだっていうのがあって、そこから来てるのかもしれない。
答えになってるのか全然わかんないけど。

toki:死ぬまでにやっておきたいことってある?

誰絵:大きく二つあって、一つがインドでヨガ留学をしたい。もう一つが南極に行きたい。
全部行きたい行きたい、だな。

toki:へえ〜。ちなみに南極はどうして?

誰絵:単純にペンギンに会いたいっていう。
何だろうな、自分の生きてる世界と、180度違うと思うんだけど、そういうところに生物がいるっていうのを見てみたいし、いろんなものと、社会から断絶された、未知の世界なのかなと勝手にイメージしてて。そういうところで1回生活してみたいかもしれない。

toki:なるほど、ありがとう。
ところで、休学してそろそろ1年経つよね。

誰絵:1年経ちます。

toki:どうですか、この1年間振り返ってみて。

誰絵:私、本が好きだったから休学中にずっと本を読み続けていたり、それこそインド行ったり、地方行ったりみたいなのをしていると、1年前の自分と比べて「こうでなきゃいけない」みたいなのがなくなったかなって思っていて。
なんかそういう意味では休学してよかったかなっていうのはあるかな。何かうまく言えないな。

toki:この1年間にタイトルをつけるとするなら、どんな1年だったと表現する?

誰絵:余白を楽しむ1年間。
今の社会では"タイムパフォーマンス"とかすごく言われてて、なんでもかんでも効率性を求めているし、そういう効率を求めてる人からすると、今の私の生き方ってすごい無駄な期間だなって思われるだろうなと思ってはいるんだけど。
でも、私からすると全然そんなことなくて。余白の期間をあえて自分で作ったことによって、自分の知らないものを知っていく楽しさに気づいたり、自分は本当はどうしていきたいのっていうのを毎日のようにずっと問いかけ続けた。余白の期間を割と楽しめたかなと思う。
だから「余白を楽しむ1年間」ってタイトルをつけたのかも。

toki:この休学期間は、人生における余白として捉えているんだね。

誰絵:そう。例えば私は、就活しながら自己分析をするみたいなことが不器用だから全然できなくて。
一旦1年間まっさらにした状態で、壮大にはなってしまうけど、自分がどうありたいかっていうのを、ひたすら突き詰めていけたような気はするかな。

toki:どういう人でありたいかみたいな、理想の人物像って、今の時点ではどう考えてる?

誰絵:いい意味で時代に取り残されたいというか。いい意味で落ちこぼれたいというか。
もう良し悪しとかを誰かにつけられて、ジャッジされるんじゃなくて、自分は風のように生きていきたいっていう感じかな。
あとは、今だとすごく効率性効率性って言われて、多分私みたいに苦しい人もいるんだろうなと思っていて。その人たちに対して、ゆっくり考える時間があっても良いもんだよっていうのを、自分の体を以ってして伝えてみたいかな。

toki:今言っていた「いい意味で取り残されたい」とか、これまでのお話を聞いていて、誰絵さんって、周りに合わせるとかじゃなくて、すごく自分の気持ちや考えに忠実に生きていらっしゃるなって印象を受けたのだけど。
自分がそうなったのって、どうしてだと思う?

誰絵:それに気づかされたのが、ちょうど1年前の休学する直前のめちゃくちゃ悩んでたときで。自分の心が殺されるぐらいだったら、社会からどう思われたとしても、自分の心が生きていればそれでいいや、みたいなのが1年間少しずつ熟成され続けていったかな。

toki:じゃあ、自分に忠実に生きているってことに気がついたのは1年前とか?

誰絵:でも結構最近なのかも知れない。
それこそ休学し始めた4,5,6月って、やっぱり"就活脳“が全然抜けていなかったから、働かなきゃ働かなきゃって思っていたんだけど、実際1年間ゆっくり考えてみて、やっぱり自分の心だなっていう。心が死んだら全部終わっちゃうなっていうのが気づかされたかなっていうのが多分最近かもね。
1年間かけてやっとしっくりくるようになってきた気がする。

toki:うんうん、ありがとうございます。
あとこれ、ずっと気になってたんだけど、「一休誰絵」っていうお名前って何か由来はあるの?

誰絵:自分の本名と「一休誰絵」って、なんとなくリズムが似ているなってがあるし、「一休」は普通に、1回休んでるからで、「誰」はネット上の誰か知らない人、で「絵」は自分の名前の最後の文字から来てる。
大した意味はない。その場の二、三秒で思いついた名前がこれです。

toki:そうだったのか、謎が解けました(笑)。

誰絵:大して壮大な意味を込めてはいないから(笑)。

toki:誰絵さんは、自分のことをどういう人だと思う?

誰絵:広い意味で"大馬鹿者"かも知れない。
元からすごい不器用な人だなって思っているけれど、自分の心を優先して今までやってきてはいた。
浪人とか休学とかもそうだし、やってることは多分、傍から見たら「なに不器用なことばっかりやってるんだ」みたいに思われているけど、私はその不器用なところを、自分の中の愛嬌だと思っている。最近になって、やっと自分の不器用さを何とか好きになれるようになった。
時々自分でも、すごい余計なことばっかり考えてるなとか、不器用だなと思うけど、それも自分だしなっていう。

toki:そういうふうに、自分の中の不器用さを受け入れられるようになったのはどうしてなんだろう。

誰絵:きっかけみたいなのは特にないんだけど、元々の自分の性質とかって、一生かけても変えられないものだなって思ってはいて。
だったらもう、一旦その不器用なところも、与えられたものだと思って受け入れていった方が、気持ち的に楽になった感じがあったかな。

あとは、合理的に生きられない。合理的に生きてるような人たちを見ると、とてもじゃないけど自分はそう生きられないなって思うところからも来ているかもしれないね。

toki:なるほど、ありがとう。
毎回、皆さんにもしもの未来について質問しているんだけど、まず、もし休学することを周りから止められていたらどうしてたと思う?

誰絵:どうしていたんだろうな。多分、何で止めるのっていう理由を聞いて、納得いっていたらとりあえず休学はやめとくかってなってるかも。
けど、やっぱ自分が納得いかなかったら、もう無理やりにでも休学してたかもしれない。

toki:もう一つ。もしも、3年経ったら何でも自分の好きなようにしていいから、とりあえず3年間は会社に入って、そこでちゃんと働いてくださいっていうふうになったとしたら、3年間はどうやって過ごす?

誰絵:耐える。そこの仕事とかがどんなものかにもよるのかもしれないけど、その3年の間にいろいろ温めておくのも悪くはないから耐える。
でも耐えると言いつつ、無理やりにでも時間作って、私だったら本読んだりとかブログとか、ああいうのを書いたりとかしてるような気がする。

toki:ちなみに出版やメディアの業界を目指しているってお話があったけれど、もし全く違う分野で輝いている自分が未来にいるとしたら、その自分って何をやってると思う?

誰絵:考えたことなかった。何だろう。
多分、やってる仕事に対して少しでもやりがいを見いだせているのかもしれない。輝いているんだったら、多分心は死んでないと思うから、何とか自分のできるものだったりとかを探して探して探して。で、やっと見つけて頑張っているんだろうなっていう。
もしかしたら仕事じゃなくて、どっか趣味のところでやりたいことはやっているから、そのために仕事頑張るかみたいな感じにはなっているのかもしれない。
でも全然想像できないですね。

toki:ほうほう、ありがとう。
そろそろインタビューも終盤になりますが、最後に言い残したことはありますか?

誰絵:これを見てる方に何か伝えたいものがあるかって言われたら、「たまにはゆっくり休んでもいいんじゃない」ってことかな。
最近、すごく休むことを悪としてるようなところが、多分社会的にまだ残ってはいるし、休むことに対する罪悪感があると思うけれど、絶対その休んでいる期間の中で、何か一つでも見つけられるものはあるはずだから。
誰が何と言おうと、心が休みたいと言ったら絶対に休めっていうことですかね。

toki:素敵なメッセージをありがとうございます。

あとがき

私事で恐縮ですが、実は私も誰絵さんと同じく大学4年生。
就活をしていく中で、やりたいことがわからない不安と、自分の心が再起不能になってしまうのではないかという危機感を感じ、一度就活をやめて休学を経験した身でした。

休学して留学に行くだとか、長期インターンで猛烈に働くだとか、確固とした目的や、大きな目標があったわけでもなく、誰絵さんの言葉を借りるとするならば「残りの0.3%のモヤっとしてる人たち」でした。
お話を聞く中で、自分の経験や考えと重なり合う部分も多く、なにかのご縁を感じるようなインタビューだったなあ、と振り返ってみて感じます。

「『本当はやりたいけど向いてないから文系に進んじゃおう』って思っていたら、多分、自分の一生の負債になっただろうなって」。

インタビューの中で、心に強く刺さった言葉です。

できるできない、ではなくて、やりたいやりたくないで物事を選択すること。
小さい頃はそれが当たり前のことだったはずなのに。
自分ができることとできないこと、得意なことと苦手なことが、うっすら分かってきてしまうにつれて、「やりたいかやりたくないか」という選択軸は、心の中で少しずつ霞んでいってしまうように思います。

その中でも、自分を自分の中心に据え続け、心の声に耳を傾けることを忘れないことって、きっと誰にでも成せる業ではないです。

社会では、できるできないを顧みずに、「やりたい」にこだわることは
「子ども」だとか、
「わがまま」だとか、
「現実をみていない」だとか、
もしかしたら言われるのかもしれません。

でも、もし自分の気持ちに忠実に、素直に生きていくことが、そういうふうに言われるのであれば、現実をみていない、わがままな子どものままでもいいやと、誰絵さんのお話を聞いて思わされました。
私も「大馬鹿者」でありたいし、「大馬鹿者」な人生を歩んでいきたいです。

最後に、誰絵さんが後日送ってくださったメールにあった文章を引用して、あとがきを終わりたいと思います。

インタビューのあと、特に将来(5年後、10年後の目標とか)について考えました。
あのときは「南極にいきたい」「ヨガ留学にいきたい」と子供っぽいことを答えましたが、
要は、「心の中の『一休誰絵ジュニア』が持つ欲望・好奇心に対して、忠実に叶えてあげたら、それでいい」
ということなのかもな…と思っています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回の無名人インタビューも、どうぞお楽しみに!

【インタビュー・編集・あとがき:toki】

【文字起こし:komina】

#無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #大学生 #休学

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