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【カナダ】死ぬまでに自分の絵を形にしたいなって思う人

私、無名人インタビューを私が死ぬまでに形にして、私が死んでも永続してインタビューというものが世界中で行われる状況、環境、文化を作りたい。
はやりものとか、私とその周辺とかだけじゃなくて。
なんでかって、これは、人が人とふれあうためのコミュニケーションの一つの方法だから。刹那的なイベントとか、そういうんじゃなくて。人の話を聞きたいという知的欲求と社会的欲求と動物的欲求を満たす、満たしてくれる、幅の厚いもんだから。
だから形にして、私の死後も動いていくものにしたい。
こういう目標というか、目的というか、これは40過ぎてからで、その前は小説を書くことだった。今は、その小説とこのインタビューは重なりあうことができていて。物語を作っているし、さらにその物語というものに、強制的に二人が参加することになる。
インタビュアーと、インタビュー参加者が、強制的に参加することになる。話し手、聞き手ってことだ。これは、なんというか、参加型の物語で。本を読むのが苦手とか、そういうものとは関係がなくなってくる。
自分を人生の主人公に、することができる。この仕組みは。ただ、60分インタビューすることでね。この仕組みを、命と引き換えに、どうにか残したいなと思っている。私は
と思う2024年4月29日23時1分に書く無名人インタビュー743回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは めぐみ さんです!

年齢:50代前半
性別:女性か男性かどうでもいいかなぁ
職業:発達男子と地球遊園地満喫中
instagaram:https://www.instagram.com/junmitaly_fu


現在:なので、本当は自分はこうしたかったっていうのが、いろんな情報を削ぎ落とすことで、わかってきたって思いました。

さあや:
めぐみさんは今何をしている人ですか。

めぐみ:
主人の仕事の関係でカナダに来て、カナダにいて今4年目なんですけど。何やってる人…そっかあ。結局、子供がスペシャルニーズな子供なので、彼の身の回りのことをやってるというか、カナダでもそういったスペシャルニーズの子でも、しっかり学校に通えて、みんなと一緒に勉強できて友達との関係も築けて。っていうことをしっかりできるようにサポートしているって感じですかね。それが結構メインでやってますね。
あと、週一回ボランティアにも行ってます。

さあや:
カナダはどうですか。4年目。

めぐみ:
最高です!カナダの…トロントより、車で2時間ぐらい西にある街に住んでます。
ストラトフォードっていう街です。
ホント、最高です!!

さあや:
どういうときに最高だなって思われますか。

めぐみ:
とにかく人が優しい
人が優しいっていうのも、日本の優しさ…日本人の優しさ…日本で教わってた思いやりとか、日本でやってるおもてなしとか、日本の学校で教わってた道徳的なことが、日本では体感、実感出来なかったんです。当たり前というか、こうしなきゃ失礼にあたるって感じで。でも、ここに来て本来の「それ」を知ったというか。優しさ、思いやり、おもてなしっていう。あと人を助ける、手助けするっていうことをカナダでその本質を知りました。

さあや:
そうなんですね。

めぐみ:
とにかくカナダ人は優しいんです。ここにいる人たちも優しい。子供はちょっとね、日本だと変わった子って括られちゃうけど、ココだと他の子と違いがなく、彼は彼っていう括りで。クラスメイトも先生も、街の人もしっかりサポートしてくれるし助けてくれる。それが当たり前だよっていうことを、こちらで教わったっていう感覚です。息子が普通に過ごせてるっていうか。本当に素晴らしいです。

さあや:
助けてもらったエピソードとか聞いてもいいですか。

めぐみ:
助けてもらったというか、助けてる意識がカナダ人にない。ここの人にはそういった意識がない。当たり前。それが日常なんです。困ってる人がいるから、助ける。ただ、それだけなんです。
こっちに来たのはコロナ禍のときで、最初2週間ぐらい隔離の期間があって、家から出れなくて。そんなとき、近くに高校があるんですけど、家の窓から外を見たときに、カナダすごいなって思ったエピソードがあります。
朝の通学時間にカーテンを開けて外を見てたんですね。そしたら近所に、たぶん小児麻痺の高校生の男の子が一般の友達、同級生の子と本当に普通に歩いて通学してて。めっちゃくちゃ笑顔で。その光景が眩しかったのが今でも忘れられなくて。
あと休日?夏休みだったかなぁ? 外眺めてると、自転車で何人かの高校生男子が二、三人、走ってきて、道の路肩で誰か待ってるんです。なんだろう?誰まってるんだろう?てしばらく見てたら、後ろから車いすの同級生が来るのを待ってて。その彼にとっては車椅子は自転車で。仲間とちょっとチャリで遊んで来るわぁ的な感じ。
だから、何だろう。そういう、一緒にいるのが当たり前。というか、小児麻痺とか車椅子とかの生徒じゃなくて、それが彼らの日常で。特別感がなくて、その空気感がもうすごい感動、ああ泣けちゃう。

すごく子供を学校に通わせるのが心配だったんですけど、それ見たら楽しみに変わって。でも、やっぱりコロナ禍だったんで、しばらく1年ぐらいオンラインで授業だったんですよね。1年近く。。。オンラインの授業が毎日毎日あった状態だった、本当に。

さあや:
そうなんですね。

めぐみ:
2020年にきて、10月に。11月は1ヶ月間、ちがう、12月。11月から12月はまだ学校に通えたんですけど、2021年の年明けからロックダウンになっちゃって。もうそこからずっとオンライン授業。でも、そのオンライン授業でも、英語が話せない息子のために先生方も工夫してくれたり、クラスの子も率先して息子に話かけてくれたりして。
息子に一生懸命「どんなことがあった?」とか、絵を描くのが好きな息子に「何描いた?」ってコミュニケーションの時間を設けてくれて。とにかく積極的で。相手が話せなくてもお構いなしで。それに息子もなんとか英語で答えてるのにはびっくりしましたけど。

あと一番印象に残ってるのは、6年生のときだったんですけど、そのときはまだパンデミック?コロナを警戒してる状況で。クラスごとに外で活動できる範囲が決まってたんです。
遊べる場所が曜日で決まってて、息子のクラスが月曜日にある場所を使ったら、火曜日は別のところ…みたいな感じで。他のクラスの子とは関われないようになってて、感染の恐れもあって。でも、うちの息子はどうしても別の遊び場に行ってあの遊具を使いたい!あそこに乗りたい!っていうシチュエーションがあって。そのとき、クラスのある男の子が「あそこに今行っちゃいけないから駄目だよ!」っていうので、でもどうしても行きたいっていう息子の想いが強まっちゃって、その友達の腕を噛んじゃったんですね。で、噛んじゃったんですけど、すごい大ごとなことかなって思ったんだけど、すぐ先生は報告してこなくて。のちのち聞いた話だったんですけど、別にトラブルにもならなかった。うちの子も、噛んだ友達に謝った。
そのときに、その噛まれたクラスメイトの彼の言葉が、すごく印象に残ってて、「もっと僕が彼にわかるように言ってあげたらよかったから、僕もいけないんだ。」って言ってくれて。その何だろう、噛んだ向こうが悪いって言うんじゃなくて、もっと彼にうまく僕が伝えられたんじゃないかっていう思いやり?その彼だけじゃなくて、みんなにあるんですよ。それがもう本当にここ、素晴らしいなと思って。ある日先生とのミーティングで、私がやっぱり日本だと迷惑かけてすいませんとか授業の邪魔しちゃってごめんなさいってことが多かったんですね、日本にいた頃。特別支援級と通常級に行ったり来たりした感じだったので、多動気味でもあったし。それが、こっちだと、日本だとなんか、申し訳ない、すいませんみたいな感じでいたのが、こちらに来たらそのメンタリティだと駄目っていうか、逆から「先生が謝らなくてもいい。謝ることじゃない。」って。「彼がいるからみんなが学ぶことができているの。彼もみんなの役に立っているの。」って言ってくれて。

だから子供たちも、息子がクラスメイトの名前が覚えられないって言ったら、彼らが率先して、「じゃあ彼が僕らの名前を覚えられるように何をしてあげたらいい?」っていうのを自分たちで自主的に話し合ってくれたりとか。
息子がポケモンが好きだったんで、みんなをポケモンキャラにしてカードにして、名前と好きなことと趣味、プロフィールをポケモンカード風に作ってくれて、それが本当に何よりも嬉しくって。息子も「なんだか嬉しい。」って、感情を出せるようになって。あぁぁ、わかってるんだなぁって。
そういうことを子供たちが自分たちで自主的にやってくれる。それがすごい全然日本と違うなって。
先生や誰かにやらされてることじゃない、皆んなの気持ちがこの子に届いてるんやなぁって。
日本だと先生に言われてやるとか、お世話係って言われた子がやるとかっていう感じだけど、こちらではみんながどうしたらいいかと考えてくれているていうのがもう本当に身についてて、それがすごく驚いたし、素晴らしいなって本当思いました。もうベースが違うなって。私もここで普通の親でいられるんです。普通の子供の親で、普通の親でいれるっていうか過ごしやすいし生きやすいですね。だから素晴らしい。

さあや:
はい。

めぐみ:
あとなんだろうな。たぶん日本だと普通級とか特別支援学級、特別支援校っていろいろあるんですけど、こちらはなくてインクルーシブ教育っていうベースがあって、車椅子の子もストレッチャーに乗ってる子も、もちろんうちの子のようなスペシャルニーズの子も一つのクラスでみんなで勉強してて。みんな違うことが当たり前なことが、もう小さいときからなんですね。幼稚園の頃から。学ぶことは子供の権利だし、それをサポートするのは大人の役目っていうのがベースにあって、皆んな、同じクラスで学んでて。それが当たり前で。
だから、子供達もそういった手助けが必要な子をサポートするのは当たり前っていうのがあるから、どんなふうに対応すればっていうのが、もうわかってるんですね。日本だと幼稚園や1年生の頃から分断されてて、子供たちはそれを学んでないので、いざ社会にでたときに自分たちと同じ場所を共有してない存在に、対応の仕方がわかってないんですよ。それは私も含めてですけど。
もし隣に障害のある子が来たらどうやって対応したらいいか、もし車椅子の人がここで困ったらどうしてあげたらいいかっていうのも、日本だと戸惑うし、わからないし、下手したら無視して通り過ぎることだってある。
でもここの子供たちは、助けるのが当たり前、困ってるんだったらやるよって声かけてくれる。それが大人でも子供でも。人のために何かする。出来ることをやる。日本で「人に優しくしましょう。」って小学校の道徳で教わってきたけど、できてない。私もできてなかった。でもこちらは生活の一部で、
どう声掛けすればいいかわかってるし、どうやってサポートお願いできるかっていうのもわかるし、すごく呼吸がしやすいというか、遠慮しなくていいというか。やってもらったらやってあげたい。

日本だと申し訳ないから、お返しするみたいな部分もありますけど、こちらはやってもらったからやってあげたいって心から感謝するっていうか、感謝できるっていうのかな。それはすごく生活してて感じますね。私自身も助けてもらってることが多いんで、本当の愛情っていうかなんていうのかな、うまく言えないけど。本当は日本人ももっとやりたいんじゃないかな、こういうことって思います。照れくさくてできないのかなって。そう感じるんですけど、そんな感じですね。

さあや:
今は息子さんの身の回りのことされてるっておっしゃってたんですけど、どういう1日の過ごされ方をしてるんですか。

めぐみ:
息子はすっかりこちらに慣れたので、サポートというサポートも必要なくて。きっと最初から必要なかったと思いますけど。息子は8時半にスクールバスに乗るので、それを見送って。そのあと私、英語が全然できないんで、オンラインで勉強したり、もちろん曜日によっては、トロントに住んでるHaru先生にも英語を教わったり、地元のカナダ人の英語の先生のところに行ってますね。
あと週に1回ボランティアに行って。

さあや:
何のボランティアですか。

めぐみ:
フード。要は調理のボランティアです。

さあや:
調理。

めぐみ:
食べ物を提供するセンターがあって、そこに食事が取れない人だったり無料で配布してるところなんですけど、そこで週末にファーマーズマーケットをするから、例えばそこで出すジャムを作るために、材料を切ること。ジャガイモだったり玉ねぎだったり、大量のものを切ったり。キッズクッキングもあるので、その下ごしらえでピザにトマトソース塗るまでの工程をやったりっていう感じですね。それを何人かのボランティアのメンバーでやってます。
それも地元のカナダ人に紹介してもらって今年から行き始めました。もっと早く行っとけば良かったって思ってますけど。

さあや:
めぐみさんは、人からは性格についてなんて言われますか。

めぐみ:
どうかな。私そう思ってなかったんですけど、私とてもいい加減だし適当中途半端だなってすごく思ってるんですけど、こないだ3月に一時帰国でちょっと日本に帰って、そのときに30年ぶりに会った中学の友人が、とにかく私は真面目だったっていうのを言ってて。
確かに周りに真面目だっていう事はよく言われるなとは。言われてたんですけど、頭に全然なくって私自身は全く。すごくいい加減だし中途半端だし一つのことを突き詰められないし。カナダにきてそれをすごく思うんですよね。本当に一つのことを突き詰めてやれない、ずっと継続できない人間なのか。全然情けないと自分では思うんですけど、すごく思うんですよね。

さあや:
どういう場面で、突き詰めてやれないっていう感覚があるんですか。

めぐみ:
本当に簡単に言ったら、飽き性って言われちゃうのかなって思うんですけど、何かあれもこれも手を出すタイプというか、興味があることにはちょっとやってみないと気が済まない。でも、やってみるけどそれをずっと続けるかって言ったら続けない。
それを言ったら息子のことはずっとやってるので、それが継続してるとは思うんですけど。長く続けてきたものって言ったら、そうだなソフトボールをやってたのでずっと中学から社会人までやってたので、それは長く続いたことだったけど。
それと絵を描くことかな。元々すごく絵を描くのが大好きだったんですけど、ずっとずっとそれをやっていけたらいいなって思ってたんですけど、それが成長する過程で続けられないんだなって、じゃあ、今できることって何だろうっていうので、ソフトボールを続けてきたって感じだったんです。そのときはそれが好きだったし、でもやっぱりずっと、どこかで絵を描きたいなって思いがありました。

カナダに来てやっぱりここの環境がすごくいいので、ここの街が。夏が、すごく素晴らしいんですよ。冬は本当に過酷なんですけど、雪はすごいし天気も悪いし、空はグレーだし。でも、もう今ぐらい(4月)からすごく天気良くなってきて、寒いんですけど晴れた日はすごく素晴らしい。夏なんてどの家の庭先もすごく綺麗だし、街が綺麗なんですよね。もうみんな街に繰り出すから、冬こもってた分、夏に繰り出すんで。ここはすごくいいところで、アーティストの人もすごく多いし、隣のおばさんも絵を描く人で。川沿いのアートパークって、みんな地元のアーティストさんが自分の作品を出展(販売)しに来るんですよね。そういうのが始まったり、シェイクスピア。演劇の街でもあるので、5月から10月終わりくらいまで、半年ぐらい演劇が、12演目ぐらい4つ?3つ?の会場であるんですよ。ストラトフォードフェスティバルって言うんですけど、もう本当に芸術と触れるシーンがすごくあるんですよ、このストラトフォードっていう街は。ここに来たときに、やっぱり絵が描きたいっていうのは、すごく思いましたね。それをやっぱり続けたい!て今後もあります。すごく。少し描き始めたんですけど。

さあや:
どういう絵ですか。油絵とか水彩画とか、そういうジャンルでいうと。

めぐみ:
全く画材とか揃えてなくて。とにかく人物描くのが好きなので、人を描くのが好きだから。でもずいぶん描いてきてなくて、描きたい絵をぽつぽつと。ぽつぽつ描き始めて、全然描けなくなってるのを味わいながら、悔しいなぁって今描いてるって感じです。今は色鉛筆で。
でも、いつか油絵だったりアクリルだったりで、キャンパスに描きたいなって。すぐにでもできるのに、なかなかそれを今までやってなかったからなぁ。

そうだ!そう!
本当にここに来て本当にやりたいことがわかりました。自分がやりたいことが、何なのかっていうのは今すごくわかったかな、わかりましたかね。

さあや:
そのわかったっていうのは、どういうシチュエーションで気づきがあるものなんですか。

めぐみ:
人との出会いも大きかったです。それもあったし、人は環境の生き物だと思うので、ここでいろいろと気付かされました。
たまたまここに来たけど。
たまたまここに来て、たまたまここがそういった土地柄だったっていうのもあるけど、この環境も私に教えてくれたっていうか。
日本だといろんなこと考えなきゃいけなくて、たくさんの情報もあるし、人間関係だったり、親との関係性だったり、息子の学校のことだったり、将来のことだったりっていうことが、いろいろ考えなきゃいけないし、いろいろ入ってくる情報量がすごすぎて、好きなこと、やりたいことを考える余地がなかった。足を止めて考えることができなかった。
でも、ここにきて、英語もわからないし、無駄に話さなくなって。人付き合いも近所の人とそんなにしなくていいし、こっちの人は干渉してこないし、自分は自分、人は人だからいいんだよみたいなスタンス。日本人だからって別に嫌な思いしたことなくて。本当に1人で考える時間が多くて時間もたくさんあるし。だから、そんな中で、こちらでその時その時に、出逢うべく人に出逢えて私に必要なことを、その人たちが..すいません、泣いちゃう。

さあや:
大丈夫ですよ。

めぐみ:
その人たちが教えてくれたっていうか、今こうしたいんじゃないの、ああしたいんじゃないのっていうことを、出会った人と話すことでわかってきたっていうか。なので、本当は自分はこうしたかったっていうのが、いろんな情報を削ぎ落とすことで、わかってきたって思いました。
子供の将来もあって、それで一生懸命だったけど、じゃあその前に、自分は本当は何がしたかったのっていうことをすごくわからせてくれたっていうか。
ずっとその気持ちを無視してきちゃったので、それを教えてくれたのは、そのトロントのharu先生だったり、息子を通して出会った人だったり、ここの現地で知り合った友達だったりですね。カナダの人たちだったり。とにかくここにいる人が、心から好きなことやってるんですよ。シニアになればなるほど。行動力もあるし、その人たちにも教わったなって思いますね。

さあや:
めぐみさんにとって、やりたいっていう気づきがあった絵を描くっていうのは、どんな存在なんですか。

めぐみ:
どういう存在だろう。何かな。小さいときからずっと絵を描いてて、とにかく絵を描くことが好きだったっていう印象が、印象というかずっとそれしか思い出がないんですけど、何か嫌なことがあっても良いことがあっても、ずっと絵を描いてたなって。その思い出があって、結構。こんなこと話していいですか。
父はあまり仕事で家にいない人で、父は。要は本家があっておじいちゃんとおばあちゃんと住んでて、私達家族も一緒に同居してたんですけど。やっぱりそういった家庭内の人間関係、小さいときにはヘビーすぎて。母は母で問題を抱えてるし、私は長女だし、自分の想いを全部ぶつけるわけにはいかないから、知らないうちに絵を描くことにこもってたっていうか、それをずっと自分はやってきて、いつの間にか絵が。

なんかでも、こうやって話してみると、気づけば、絵を描くことが生きる糧だったかもしれない。小さいとき。塗り絵を塗ったりとか、それに没頭することでいろんなことを忘れてたのかなとか、あとこうなりたいなっていうことを絵にぶつけてたっていうか、絵だと実現できるので、今はできないけど、絵を描くことでそれが仮想だけどできる。絵の中だと。そういうふうだったのかな。うまく言語化できない。それが、そうだったな。

それがいつの間にか絵で賞をもらって褒められるから嬉しくなって。絵を描くことが目標になってたけど、いろんな事情でできなくなって、そのとき、たまたまスタートしたソフトボールにシフトチェンジして、でもやっぱり何かしらの形で描いてて。求められるから描いたこともあったし。でもいつの間にかそれに蓋をしてたんですよね。蓋しちゃってたなあ。


過去:やっと、自分主人公で考えていいんだっていうか、わがままとか勝手とかじゃなくて、自分を主語にして考えないと、幸せになれないなっていう。なれないっていうのに気づきましたカナダに来て。

さあや:
子供のときは、どんな子供でしたか。小学校中学校とか、振り返っていただいて。

めぐみ:
活発なほうではあったと思うんですけど、あんまり学校には行きたくなくて。小学校のときもあんまり学校好きじゃなくて、仮病を使ってよく休んでたんですけど、でも不登校とかではなくて学校には行く。運動会にも出る。ちゃんとやる。一番になったりとか活発ではあったと思います。活発だったと思うんだけどな。
で、絵を描くのも好きだったし、友達とも遊んでたし。本当に。ただちょっと大人の言ってることはしっかりわかるというか、父の、要は叔母たちが母のことを悪口言ってるのも知ってるし、このおじさんとおばさんは仲悪いなとかそういう大人の人間関係は全てわかっていたと思います。小学校は途中から転校しちゃったので、そこから生き方、人生観が変わっちゃったなって感覚はあるんですけど。

さあや:
そうなんですね。

めぐみ:
そこから変わったな。

さあや:
転校してめぐみさんがどういうふうに変わったんですか。

めぐみ:
最初はもう馴染めなかった。親の勝手な理由で引っ越しちゃったので、それが許せなくて、今までの友達と別れなきゃいけない。でもどこかちょっと変化求めてたのかなと思うんですけど、それが許せなくて。しばらく1ヶ月2ヶ月近く、不登校、登校拒否をして、小さな抵抗をしてたんですけど、でも学校行き始めたら、しんどかったけど、そこからかな。それから結構、自分、運動ができるんだっていうことがわかって、中学入る頃には運動に目覚めたっていうか、スポーツに目覚めたっていうか。そこからソフトボールでまた変わりましたね、性格がもっと活発になったと思います。もっと内向的...そっか、転校してから、5年生6年生の頃ははすごく内向的だったと思う。

さあや:
はい。はい。

めぐみ:
スーパーのレジ、スーパーに1人で行けなかったし、買い物も行けなかったし。でも、中学校に入って、スポーツするようになってからだったと思うんですよね。どんどん変わっていって。その都度。でもどうかな。小学校のときに出会った先生がいて。その先生の言葉を、今でも覚えてますね。「目の前にある問題に今逃げてもその問題はカタチを変えてまた目の前に現れるから、今やっといたほうがいいぞ」っていう。担任ではない先生だったんですけど、その先生に言われた言葉がずっと衝撃的であって、私、結構逃げてたなっていう。その先生に言われてからぼちぼち変わっていったのかな。じゃあ目の前にあることちゃんとやろうっていう感じ。

さあや:
そのとき、目の前にあったものっていうのはどういうものなんですか。

めぐみ:
たぶん学校だったと思うんですけど、学校に行くことだったり、友達関係。小学校6年生ぐらいだったけど、学校の人間関係?そういうことだったり、目の前の自分が問題って思うこと。小さいなりに人間関係を新しく作っていかなきゃいけない。嫌だなって思ってたんだけど、それをクリアしていかないと、その先生曰くもっと大きな問題になって後から待ってるからって言ってたから、これ大きくなるの嫌だなっていうのをクリアしていって、そこからですかね。自分の性格が変わっていったなって思います。
もちろんいじめられたりもしたけど、あるじゃないすか?そのときの年代のいじめ方ってあるんですけど、すごく無視をされるとか、仲間外れにされるっていうのはあったけども、それを嫌がってたら、ちょっと後々大変だよなと思って、気にしないようにするとか術を見つけていったというか。それで中学入ったらクラブ活動しなきゃいけないってなって、自分にできることなんだろう。ってソフトボールに入って、やったことないけど入部したって感じですかね。

さあや:
そうなんですね。

めぐみ:
それで自分の性格が表向きになっていって、高校にあがる頃には全然とっても自立した人間? 自立はしなかったけど(笑)、よく言われた時期もありましたね。あんなに大人しかったのにって。

さあや:
そうなんですね。

めぐみ:
絵ばっかり描いてて、人と会っても何にも喋らんし、おとなしかったらしいです。活発だと思ってたんですけど、何かそういう時期もあったみたいで。おとなしい時期がありましたね。

さあや:
へえ。

めぐみ:
今全然本当によく喋る。内容はないけど。

さあや:
絵を描くのはいつまでやってたっていう感覚があるんですか。

めぐみ:
絵を描くのは、好きではあったので何かしらの形で描いてたんですけど、しっかりやってたのは中学まででしたね。高校でもコースで選択してたんですけど、やっぱりメインは部活やってたので。ソフトボール中心になってたので生活が。だから、本当に美術の時間が大好きだったけど、もう自分の頭の中がソフトボールだったので、やってたのは中学まで。作品展にだして賞をもらうとか、そういうことで頑張ってたんですけど、でもソフトボール始めてからは、そちらに。
どっかで思ってたんですよね。これで生きていけたらなって。でも田舎だし美大とかって行きたかったけど、絵を描きたいなと思ってたけど、うちの家では無理なんだろうなっていうのは、もういつのまにか諦めていて。その中で、あんまりわがまま言う子じゃなかったんで。だから、今一生懸命やれることって言ったら、スポーツでソフトボールだったんで、仲間もいたし、そこでやってたって感じですよね。

社会人になって、いつのまにか。そうかな。入社して、先輩たちの似顔絵を描いてるような感じで。退職される人の似顔絵を描いて色紙に描いて渡す役割じゃないけど、そういうのさせてもらって、社内のイラスト描くとかっていうのもちょっとだけ。ちょっとだけさせてもらったっていうのもあったんですけど、広報というかその頃まだ手書きでいけた時代だったんで、社内コンプライアンスじゃないな、何かの人事系か、人事か何かの冊子に作るのに資料を作るのにイラスト描いてって。描いたことありましたけど。求められたら描いてたっていう。自分からは描くってことはなくなって。結婚したら、似顔絵描くくらいって感じ。だから絵を仕事にできる人が本当に羨ましい。今も。

こちらにきて在住のお友達が絵がすごく上手くて。彼女も絵がすごく好き方で、それで彼女と話ができて、また熱が再熱したというか。彼女のおかげもあって気持ちが入りました。

ただ、息子が生まれてからずっと彼に集中してたので、やっぱりそちらのスイッチがメイン入って。いつも、自分のことを後回しにしてたので、こんなに時間が経っちゃった感じですね。ほんとゆっくり絵を描くことだけやりたいとすごく思います。こちらのインタビュー記事を少し読ませていただいて、絵をお仕事にされてる方もいて、ここまで振り切れたらよかったなって思いながら、記事を読みました。

さあや:
振り切れなかったのは、どうしてですか。

めぐみ:
本当は…泣けちゃう。本当は、ちょうどソフトボール引退した年に、東京にある、今なくなっちゃったんですけど、セツ・モードセミナーっていうところの願書取り寄せてて、そこに入学しようって思ってたんですけど、やっぱりそのときの生活とか経済状態を変えれなかった自分がいて。そういうのを全部捨てて、そこに飛び込めなかった自分がいて。
今でもずっと願書を大切に取ってるんですけど、学校がなくなっちゃって。結構それが今思うと絵を学べるチャンスだったみたいな、今でもそれをすごく思ってます。

さあや:
もう1回、学校の名前を聞いてもいいですか。

めぐみ:
セツ・モードセミナー。学校、東京にあったと思うんですけど。

さあや:
そうなんですね。

めぐみ:
建物の老朽化もあって取り壊されることになったって。今もあるのかな。わかんない調べてないんですけど、そこの卒業生の方も有名な方が多いので、たぶん有名な。探せば。

さあや:
変えられなかった。

めぐみ:
そこが情けないなと。そこまでの情熱が自分にはなかったんだなと思って。今でもすごく感じるんですけど、学生の頃に遡っちゃうと本当に親も説得できたんじゃないかとか思いますね。自分に情熱があったのかって、すごく思うこともあるんですけど。

さあや:
人生を、今までの人生を三つの章に分けるとしたら、どこに区切りがきますか。

めぐみ:
ええ。区切り?

さあや:
はい。

めぐみ:
どこかで区切り。三つ。今ですか。

さあや:
そうですね、今までの人生の中で三つ章をわけると、二つ区切りがあるかなと思うんですけど。

めぐみ:
まだ3章に行っていない。

さあや:
まだ3章に行ってない。

めぐみ:
まだ3章にも行ってないって思うんです。なんていうのかな。

さあや:
今、今どこですか。

めぐみ
今まだ2章。まだっていうか2章。

さあや:
2章。

めぐみ:
どうしても家族が、息子が産まれて。いろいろスペシャルを持ってる息子なので、目標が彼を一丁前の大人にして、自分でお金稼げて自立した大人にするっていうことが目標で、それが結構第一に考えちゃってるから、子育ての章はまだまだなんですけど。自分の人生って考えると、第2章終盤、終わりのほう。やっと、やっと自分のやりたいことがわかった。やりたいこと、やるべき目標というか、子供の将来のためとか、自分がなんだろう…社会に役に立ちたいっていう目標も変にあるし、絵を描きたいっていう自分の目標もあって。描きたいじゃなくて描けばいいじゃんって話なんですけど、描き続けたい。描き続けたいし何かカタチにしたいっていう思いがあって、それは本当に今始まった3章で見つけた、もうすぐ3章入れるっていう感じなんですけど。。

さあや:
1章はどこまでだったんですか。

めぐみ:
1章はソフトボール引退するぐらいまで。

さあや:
引退が高校ですか。

めぐみ:
社会人です。22歳まで。3章で終わります?これ。3章で片付く?

さあや:
終わりそうですか。

めぐみ:
もう細かく言っちゃうと、でもざっくり言うとそうですね。そこから、ソフトボール人生だけじゃないんだって気づいて、ちゃんとした大人になるためのスタートが始まったというか22歳から。

さあや:
はい、はい。

めぐみ:
本当、何も知らなかったので、

さあや:
そうなんですね。

めぐみ:
なんか礼儀も知らなかったし、礼儀っていうか一般常識というのを知らなかったし、それがわかりだしたというか人間関係とか社会の仕組みとか、そういうことを理解するようになって。本当3章で終わります?って思いながら今話してる(笑)

子供が生まれてからかな。4章くらいになりません?子供が生まれて2章で、そこからがまた3章目で今4章目ぐらいかな。4章目にに入ってます。

さあや:
4章目。

めぐみ:
やっと、自分主人公で考えていいんだっていうか、わがままとか勝手とかじゃなくて、自分を主語にして考えないと、幸せになれないなっていう。なれないっていうのに気づきましたカナダに来て。
みんなが主人公だもん。本当にカナダ人みんなが。カナダに来て勝手とかわがままじゃなくて、だから人に優しくできるんだろうなと。自分を大切にするから。みんな自己愛じゃないけど、自分を大切にする愛があるから、人にもあんなに愛を持ってギブできる。それは本当に無償なんですよ。他人に対して無償。誰にも止められないし、やってあげたんだからっていうのは全然ないんです。だから、自分を主人公にしたら、人にもこんなに優しくなれるんだって思ったんですよね。それを教わった。

そして第4章スタートみたいな。このまま6月下旬。7月には日本に帰ることになったので。

さあや:
そうなんですね。

めぐみ:
なので新しくスタートできるっていうか。本当はこちらに残りたかったんですよ。息子もこっちが好きだし、私も生きやすいし。それなりに準備はしてたんですけど、3月帰国するまでは、気持ち固めてビザの更新できてるしって気持ちあったんですけど、息子が日本に帰った飛行機の中で、お母さん僕すごく迷うって。
「カナダの友達も大好きだし、カナダの学校も大好き。でも僕は全部はわからない、全部を理解してるわけじゃない。みんなが言ってることを全部理解してるわけじゃない。授業も全てわかるわけじゃない。僕は父ちゃんと日本に帰ったほうがいいんだよね?」って言ったことがちょっと衝撃的で。そこまで考えてたんだなと思って。そう。それ聞いて「そっか」って思って、「わかった。君に合う学校を日本に帰ったら母ちゃんが探すから、自分のやりたいことをこれからやっていったらいい!」
私のように、自分がやりたいことを蓋するっていうのはさせたくないし、優しい子やから、なんとなくわかってるんですね。親はこういうふうに困ってそうだなとか、だから優しさで言ったのかもしれないし、本心かもしれない。私がこの子を困らせてたんじゃないかって思って。帰ることに決めました。なので、新しく家族としてもリスタートします。みたいな。
これからの生き方がまた一つ変わっていくかなと思うし、私ももっと動かないと。私たち家族も何かしら行動を起こさなきゃいけないし、そんな決意を持ちながら、帰国することに決めました。

さあや:
はい。

めぐみ:
帰りたくないけど、本当は。本当にここにいるみんなと離れるのがすごく嫌で。もちろん、カナダに来たから、日本の友達の大切さが痛いほどわかって、本当に私には宝物やったんやって。すごく日本の友達大切なんですけど、でも、こちらの人たちといろいろ話していくと、応援していきたいっていうのが、何も隠さずに出せるっていうか、否定されないっていうか。それを本当に応援してくれるので、人ってこんなに応援されると力が出るんだっていうのをこちらに来て実感したので。面白い人のことを応援したいなってこれから思う。大切な人の思いを応援したいなって思います。応援するってこういうことなんだなっていうか、本当の応援ってこんなんだろうっていう、こちらに来てわかりました。

未来:二科展とかああいうところに出さないと死ねない(笑)

さあや:
5年後とか10年後、あるいは死ぬときまで想像していただいて、未来についてどういったイメージをお持ちですか。

めぐみ:
死ぬまでに何かこう、自分の作品、絵をカタチにしたいなって思いますし、それプラス、ずっとずっと子供が生まれてから、いろいろ就学する、進級するっていうときにいつも思ってたんですけど、彼がスペシャルニーズ、発達障害があることで、雇用先っていうのがないんじゃないかって。彼らが自立するための雇用場所。ちゃんと生活できるだけのお給料がもらえるっていう雇用される場所だったり、学校だったり、そういう場所がないので、それを何か自分で形にできないかなってっていう思いはずっとあります。彼らの特性を生かした働ける場所でちゃんとお給料がもらえるところ。
もちろん今の日本でもたくさんあるんだろうし、いろいろな情報ありますし、もう始まってるんだなっていうのがあって、すごく未来は明るいなって思うんですけど、それがずっときっと、自分のやりたいことプラスアルファでテーマになっていくんだなっていうのは、形にしたいなって思うので。どうしていけばいいのかな。どうすればいいですかね?
こうしていけばいいのかっていうのはあるんですけど、私の中でそれが二つなのかも。きっとそれで、私たち家族も回っていくんだろうなって思います。

さあや:
もしもの未来の質問なんですけど、もしも小学校のときに目の前にある問題から逃げないっていう選択をしなかったら、どういう人生になっていたと思いますか。

めぐみ:
たぶんソフトボールもしなかっただろうし、学校に行きたくないということをずっとしてたんだろうな。本当に今みたいになってなかったと思う。いつも親の後ろに隠れてただろうし、ずっと絵は描いていたかもしれないけど、それを言ったら絵が上達してたかも。そうかもしれないなと思って。ただ、いつのまにかそうですね、きっとそうなってたんじゃないのかな。絵がうまくなってたかもしれない。すっごくプラスですけど。

でもどちら選択してもきっと正解だったのかな。もしかしたら。今逃げずに、目の前のことに、もちろんしんどくて逃げることもありますし、規模がどんどんどんどん大きくなってきて逃げることもあって、逃げるのも正解だなって思うけど、そのときに逃げなくて、だから今の自分、そのとき目の前のことトライすることをやめてたら、でもやめてもきっと何かトライしてたんでしょうね。絵の問題に、またチャレンジしなかったり、逃げるかもしれないけど、きっと別の道を選んだら、選ばざるを得ない問題が目の前に来て、それにはトライしてると思う。だから何を選んでもきっとトライしてたと思う。それを乗り越えようってきっとしてるんだと思う。先生の言葉があったから、ヒントなくても自分で気づいてやってたんじゃないかな。たぶんそうじゃないのかな。

さあや:
はい。

めぐみ:
それですね。

さあや:
これをするまで死ねないみたいなものってありますか。

めぐみ:
これをするまで死ねない。絵をちゃんと方向性を。方向性いらないか。大きな絵描くまで死ねない(笑)大きな作品をここで、そうだ!二科展とかああいうところに出さないと死ねない(笑) きっと出したい。

さあや:
はい。

めぐみ:
そんなところに出したいです。それやらないとたぶん死ねない。あと子供の将来がどうなるのかわからないと死ねない。よし大丈夫っ!って思わないと死ねない。この二つです。

さあや:
最後に読者向けでも、自分に対する独り言とか感想でもいいんですが、最後にいい残したことはありますか。

めぐみ:
残したこと。若いうちに日本から飛び出したほうがいい。

さあや:
はい。

めぐみ:
もっともっと。私、カナダに来たのが40後半なので、もっと早くきたかった。体力がまずなくなってくるんで。気力はある。でも体力が。。体力も気力もある10代、20代に、いやいくつになっても本当に思ったときに、日本から一度飛び出したほうが、それはどの国でも、日本がすごい素敵だっていうのわかる。生きづらいこともあるけど、日本って本当にすごいところなんだっていうのがわかる。あるし、大変さもわかるし、自分の国を外から見てほしい。
ちょっと偉そう?偉そうな言い方ぁ。本当に本当に日本ってすごいなと思いました。
きっと日本人、もっともっと弾けたいんだろうなって。いや、もっと日本から出ることで、自分も、もっとこういうことをしたかったんだーっていうのが気づけるっていうか。
日本は、日本人は、やること多すぎて。常に期限があって。3年で高校でなきゃとか、4年で大学卒業。新卒でないと採用難しいとか。子供のころから期限があって。自分のこと置き去りみたいなところがあって。やりたいこと、やりたかったことにゆっくり向き合える時間もない。期限を守ることを求められてて。
自由ではないと思いますけど、でも、1回、その環境から出たほうがいい。実家から出る、実家から出て社会に出る、社会に出るというか、実家から出て、社会に出て、日本から出るっていう。きっと日本がよくなってく?んじゃないですか。何その規模(笑)なんかそんな気がするっていうか、そうだと思う。

さあや:
はい。わかりました。ありがとうございます。

めぐみ:
日本の国っていうのは素晴らしい国やと思います。特殊だと思う。

さあや:
特殊。

めぐみ:
特殊です。日本は本当に特殊な国だと思います。お金を払わずにあのサービスがもらえるとか、言葉にならないけど特殊な国だし、日本人は特殊。特殊っていうか変な意味じゃなくて、すごい人種というか、すごい民族だと思いました。

さあや:
はい。

めぐみ:
なんて言えばいいんだろう。なんかそんな感じです。とにかく日本を外から見てほしい。
自分がどれだけ恵まれていたか実感できる。
まだ諦めたらダメだって思える。
笑顔は世界の共通言語なんやってわかる!

今回のインタビューは、カナダで留学コーディネーターをしているharuさんにご協力いただきました。

haruさんありがとうございます!!!!!
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haruさんの無名人インタビューはこちら!
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あとがき

長編小説を読んだあとの余韻がけっこう好きです。他人の人生を疑似体験して、数日間経ったような読了感を得られると嬉しくなります。たった数時間の読書で数日間も人生が延長された感覚があるなんで、お得だなと思うのです。
最近は読書をほぼしていなかったんです。2か月で読み終わったのは1冊だけ。
人の人生や経験してきたこと、判断したことを聞きながら、久しぶりに読了感を得ることができました。めぐみさん、有難うございました。

【インタビュー・あとがき:さあや】

【編集:さりあ】

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