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”多様性”って結局なんなんだろう、と思いながら、私は私を生きている。

多様性”という言葉が飛び交う世の中になった。
「LGBTQだとか、発達障害グレーゾーンだとか、MBTIだとか、自分の性格や性別、特性を特定のキーワードで表してそれを認め合おうよ」という世の中に、私はなんだか取り残されたというか、その世の中に入って生きたくないというか。

私は女だ。でも女友達は少ないし、同性より異性と話しているときの方が気が楽だ。恋愛対象は男性だと思っているが、これまでの人生で何回か女性に対して恋愛感情に似たものを抱いたことがある。
MBTI診断をするとINFPらしい。
心理検査はしていないが自分が自閉症スペクトラム障害のグレーゾーンにいるかもしれないと思ったことは何回もある。

20代・バイセクシャル・INFP・発達グレーゾーン」とでも、プロフィールに書けば、この”多様性”という世の中に適合できるのだろうか。
自己紹介でこれらのことを伝えて「ありのままの私を受け入れてください」と言えば受け入れてくれるのが”多様性”を大事にする世の中なのだろうか。
髪の毛を赤やピンクに染めて「これが私らしさなので」と言えば、”多様性”を大事にする世の中は私を教採で落とさないのだろうか。

多様性”と言う言葉の意味が私はよくわからない。”多様性を認める”もよくわからない。
生徒が「多様性を認めてください」と言って、身体の性別と違うトイレに入っていったら、どうやって対応したらいいのだろうと思う。勤務校に多目的トイレはない。否定的な指導をしてマスコミ等に訴えられたら批判を喰らうかもしれない。肯定的な指導をすることで他の保護者等から批判されるかもしれない。

多様性を認める”とき、同時にそれが”特定の社会集団の中の規律を著しく乱さない”ことが必要だ。
特定の社会集団の中の規律を著しく乱す”とき、”多様性は認められない”。
では、”規律を著しく乱す”の基準は?”特定の社会集団”の範囲は?
誰もが複数の社会集団に所属しているのに、”多様性”をどうやって認めたらいいのだろう。
そもそも”多様性”とはなんなのだろう。

私は、私自身を表す言葉として、「20代・バイセクシャル・INFP・発達グレーゾーン」を使うことを望まない。
所属する社会集団ごとに違う表情を見せている自覚があり、その社会集団の中で見せる””を受け取ってほしい。
そこに特定の言葉はいらないし、それこそが”多様性”だと思う。



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