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【小説】弥勒奇譚 第四話

翌朝、夜も明けやらぬうちに家を出た。寒風が松飾りを揺らしている。
寒さが身に応える。
大和街道に出て冬枯れの木津川を左に見ながら真っ直ぐ南に向かう。
川幅に似合わぬ広々とした河原を埋めた薄の穂は北風に揺れ荒涼とした光景を見せていた。
風もいくらか治まり普賢寺大御堂には昼頃到着した。
いくつもの堂宇が立ち並ぶ大伽藍である。
境内に足を踏み入れると出迎えてくれるように参道の両脇で椿の花が咲き始めていた。
普賢寺大御堂の本尊十一面観音菩薩立像は以前から是非拝観したいと思っていたが、街道から少し逸れるので京に近いものの今まで訪れる機会が無かった。
京の仏師であることを伝えて許しを請うと直ぐ大御堂の本尊前に案内された。
ひとしきり読経を終え薄暗い内陣に目をこらすと、
いくらか目も慣れてきて灯明の中にお姿が浮かび上がってきた。
広い堂内に似合わぬ小さな円筒状の厨子に奉られた菩薩は、優しく微笑みかけているように見えた。
「噂には聞いていたがなんと美しい仏様だろう」百年以上経ているとは思えない活き活きとした体躯と、疑うことを知らぬ少年のように明るく朗らかな表情は弥勒に取っては衝撃だった。「やはり天平仏はすばらしい。この柔らかさは漆を大量に使わないとなかなか出せないだろう」天平時代の高価な漆を使った仏像に代わり、造仏の数が飛躍的に増えたこの頃は木彫が主流となっていた。
しかしこの十一面観音の曇りのない美しさは弥勒にとっては眩しすぎた。
「わたしにはとても真似できないかもしれないな」
丁寧にお礼をして大御堂を出ると元来た道を戻り加波多寺に向かう。

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