カザフスタンにある世界で唯一民間人が入れる核実験場跡に行き水爆で出来た人造湖で泳いできた話
世界で唯一民間人が入れる核実験場跡、旧ソビエト連邦の秘密研究都市、いずれもセミパラチンスク核実験場跡を形容する言葉である。なんと甘美な響きであろうか。
この地にチャガン湖という円形の湖がある。なぜ丸いかと言うとこの湖は水爆によって出来たクレーターに水が溜まって出来た物だからである。衛星画像で見てみると本当に丸いのがわかる。
この湖は1965年、旧ソビエトによる「国民経済のための核爆発」計画の一環として行われた地下核実験によって誕生した。
チャガン川の川底地下178mに設置された140ktの核爆発により幅400m、深さ100m、高さ20~38mのクレーターができ、穴に溜まった水により人口湖「原子の湖」が爆誕した。
この場所を知った瞬間、「あ、これは僕が行かねばならぬ場所だな」との使命感に駆られた。
僕は核武装論者で核兵器を作りたいが為に大学で物理工学を専攻したぐらいには核兵器が大好きである。ソ連の秘密軍事研究都市、核実験場跡、水爆で出来た人造湖。行かない選択肢などない、そう思った。
当地を含め、カザフスタンへの渡航計画自体は何度か立てていたがコロナの規制やらその後のカザフ騒擾が勃発し一時は計画自体が途絶するかと思った。
特にカザフ騒乱には困った。カザフ・ソビエト社会主義共和国時代から30余年余り同国のトップとして君臨し続けた独裁者のナザルバエフ大統領が燃料価格の暴騰に端を発する民衆デモで失脚したからである。
民衆デモ隊は旧大統領府に押しかけ放火したりしてあっという間に暴動は拡大し一時は政府その物が消えてなくなるかと思った。
その後現大統領であるトカエフがインターネット遮断からのCSTO同盟国への派兵要請、市内で出歩いている市民は問答無用で射殺するという強硬手段を講じデモを鎮静化させ、その隙に権力奪取まで果たしてしまったのは衆目の一致するところである。
この政権交代劇には流石に度肝を抜かれた。動乱前後での在カザフ日本人のSNSやYoutubeを見ていると政府と同じ型通りの言い分を述べるだけで露骨な独裁国家感を醸し出していた。
騒擾から数ヶ月が経ちトルクメニスタン以外の中央アジア諸国の国境が解放され念願の地へ踏み入れる時が来た。カザフスタンがどのように変貌したのかも面白いがこれについてはまたの機会に述べるとしよう。
旅の始まり
キルギスから中央アジア入りし、天山山脈にあるアラコル湖一帯を1.5日で64km歩き4000m弱の山を登ったり片道1250 kmの限界バスに乗ったりして中央アジアを旅行していた。
さてそろそろ本題に入るとしよう。まず初めに問題となったのはセミパラチンスク核実験場へどの様にして辿りつくかである。
この核実験場とチャガン湖は1番近くにあり拠点となるセメイから南西方向に110km離れた場所にある。
道は一本道で分かりやすいが広大なカザフステップ地帯にポツリポツリと村が点在しているだけで途中寄れそうな場所も公共交通機関も存在していない
元々一定数パッケージツアーらしきものは存在していたらしいがコロナでどうやら潰れてたっぽい。
そもそも北朝鮮やシリアのようにツアーでしか入れないどうしようもない国以外でツアーを使うのは自分の旅人としてのポリシーに反するので特に何も思わなかった。
そんな訳で何とか自力でルート開拓するしかないなとの見立てをした。こんな時最後に使うのがヒッチハイクである。
限界旅行にはレベルがあると思っていて
レベル1 飛行機・高速鉄道が存在する
レベル2 鉄道が存在する
レベル3 バス路線が存在する
レベル4 ミニバス・乗り合いバンが走ってる
レベル5 シェアタクシーしかない
レベル6 プライベートタクシーじゃないといけない
レベル7 4WDじゃないと踏破出来ない
レベル8 犬ぞり、特殊装甲車等に乗らないと到達出来ない
今回の旅は区分としては途中までレベル7、そこからステップ草原地帯に入るので8である。ただ普通にプライベートタクシー使うのは味気ないのでヒッチハイクをする事にした。
ヒッチハイク経験自体はイラクのクルディスタン自治共和国で1回だけあった。南西部の町スレイマニヤからフセイン政権時代にクルド人虐殺を起こしたハラブジャを経由してイラン国境の山岳地帯に行く時である。
ハラブジャまではスレイマニヤから乗合バンがあり、普通に行くだけであったがそこから先の交通手段がなくヒッチハイクを乗り継いで到達した。
途中イラン経由で逃れてきたアフガンの難民密入国者を支援するおじさんや4WDを持ってる軍人のおじさん達の助けを借り山頂まで辿り着くことが出来た。
この時はいろいろお世話になってる右翼の友人や乗合バンの中で出会った俺と同じようにスーダンやらソマリランド行ったりした事のあるチェコ人の限界旅行者がおり比較的精神的に楽だった。
今回の旅行先であるセミパラチンスク核実験場跡を見に行こうとした時、複数の言語で調べても交通手段がなく最初は途方に暮れた。だがクルディスタンでの経験を思い出し「それならヒッチハイクすれば良くね?」と思い付いた次第である。
さて手段を思い付いたら如何に成功させるか作戦を詰める段階である。問題はいくつかあった。
1.僕はロシア語が喋れない事
2.目的地まで最寄りの最大都市セメイから110km離れている事
3.カザフスタンの領土は広大であり郊外にちょっと出たら2G回線しか飛んでおらず実質ネットが使えない事
4.村は点在してるがどれも離れており食糧や飲料などの補給地点が存在してない事
あ、これ俺ロシア語話せないとダメな奴じゃん。
限界旅行あるある、言語の壁の登場である。バベルの民が天高く塔を建て神の怒りを買い言葉が通じなくなってしまったあの感じである。
これがアラビア語とかペルシア語だったら俺まだ全然話せたんだけどな……
一応ロシア語読む事は出来ていた、半年前にウクライナ国境周辺にロシア軍が集結し開戦する確度が非常に高いと言われた時のことである。国際情勢の観察者としては迅速且つ精緻に情勢分析するにはロシア語出来ないとあかんと思って突貫工事で1週間で文法書を1冊勉強していたからである。
ただその時覚えたのはあくまでニュースやツイートを読む為のものであり語彙も戦争情勢に偏っておりスピーキングやリスニング能力が必要な日常会話はてんでダメであった。
ただここで諦めたら辿り着けない、僕には言語オタクとしての自負があった。イラクではネットがどこでも繋がっていたが文章が読めない文盲がいてイラク方言混じりのアラビア語エジプト方言で乗り切ったり、イタリアの田舎で電車の遅延で乗り換え失敗しスペイン語で筆談して意思疎通したり、言語的に意思疎通が難しい状況でのゴリ押しに関して場慣れはしていた。
目的の為なら言語一個新たに喋れるようにするのが多言語オタクとしてのプライドである。
さてこう言った短期で言語を喋らなければいけないと言う場合個人的に戦略があった。
今回の1番の目的は目標地点に到達する事である。決してロシア語を完璧に喋るのが主目的ではないのだ。ここが凄い重要で、つまりは目的地のチャガン湖に辿り着けるなら何もかも完璧である必要はないのだ。
ここまで来れば後は簡単な話である。ヒッチハイクする時に乗せていって目的地まで送ってもらえるだけのロシア語が喋れればいいだけだ。要は
・どこ方面に行きたいか
・ヒッチハイクしてもいいと思ってもらえるような自己紹介
・移動車両中で聞かれそうな質問
をあらかじめ想定しておいてそのパターンを頭に叩き込むだけである。
言語の中だとロシア語はかなり不得手な方だが上記のように要点を絞って勉強した。
ロシア語学習はやれる事はやったので後は当日のための準備である。ヒッチハイク片道110kmにそこから片道11km歩かなければならないのだ。暑くて食欲なくなる事が予想されたので飯はそこそこに血糖値上げられるコーラを水と一緒に買った。
後は放射能汚染を消毒するためのウォッカである、荷物を軽くしたいから小瓶を探した。
決行日
当日は最寄りの大きな都市であるセメイから110km道路をヒッチハイクし、更にそこからステップ草原地帯を片道11km程度歩かなければならないので目覚ましを朝3時設定で4時までには部屋を出られるようにした。
無事絶起する事なく3時10分頃には起き朝ご飯を食べたりシャワーを浴びたり身支度を整え、3時40分頃には部屋を後にした。
セメイの街を出たら目的地までは一本道である。そこまでいけばヒッチハイクする車の目的地が違う方向になる事はなかろう。という訳でその一本道の付け根までウォーミングアップがてら歩いた。
幹線道路の根元付近にたどり着いてみたが後にも先にも車が一台も見えない。さっきから歩いてるけど この方面向かって走る車に一台も追い抜かされてなくないか……?
いきなり作戦が崩壊しかけてしまった。しかしまだ朝の4時をちょっと過ぎた所である。普通にみんなこんな時間起きてないよな。。。
朝早過ぎるからやなと思い直し一本道を歩いてるとあっという間に住宅は消え視界に入るのは穀物用サイロやら農業用倉庫みたいなものだけになった。
結局、4時半まで待ったが通過したのは車一台だった。それも高速でぶっ飛ばしており乗せてくれる気配はなさそうであった。
まぁでも一台は通った訳である。もう少し待てば行けそうな気がしていた。ただ見通しなく110kmの道歩き続けるのも辛いので5時までに1台もヒッチハイク出来なかったら作戦を練り直す事にした。
しばらく歩いていくとお墓があった。イスラム教徒のお墓である。
ここがかなり大きかった。しばらく道路沿いに歩き続けたがいつまで経っても端が見える気配がない。
見晴らしのいい地点に来て見渡してみるとかなり大規模な墓地だった。Googleマップを見る限り2km四方はあろうか?この大きさの墓を見たのは久しぶりだった。
他のイスラム圏の墓だと厳格なワッハーブ派のサウジアラビアを除いて故人の顔写真が墓にデカデカと載っているのが大多数だったがカザフスタンの墓はかなり控えめで遠くから見ると判別できないほどであった。
この墓の端まで着く頃には5時過ぎてるしこのまま行くと計画が崩壊してしまうな…..と思いながらしばらくお墓に見入っていたら遠くからライトがチラチラ見えた。
この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかねぇ!!!必死でアピールすると僕の存在に気づき車を止めてくれた。
カタコトのロシア語でセミパラチンスク核実験場跡のチャガン湖方面に乗せていって欲しいこと。自分は日本人旅行者で色々見て回りたいことなど必死に伝えた。
ドライバーのおじさんはどうやらこの先に住んでいるカザフ人の現地人らしい。「チャガン湖はここから100km以上あるしかなり遠いぞww」と笑いながら面白がってくれて乗せてくれた。
よしきたこれ!!!時間は午前5時6分。出発してから1時間半ほど経過していたが諦めずに待った甲斐があった。
車ってはええ、今までえっちらほっちら墓以外何もない地帯を歩いていたとは大違いである。それにしてもこの見渡す限り寂寞たるやいかに。猛スピードで駆け抜けているはずなのに一向に景色が変わらない。これ車じゃないとマジできついわ。
朝焼けを背景に乗せていただいた車はぐんぐんと前に進む。50kmほど快走しおっちゃんの自宅がある村に着いた。乗せてくれたお礼をいい別れを告げると「この道真っ直ぐやぞ、頑張れ!」と激励してくれた。
さて2台目のヒッチハイク行くか!と意気揚々と歩き出す。同じ村からチャガン湖方面に向かう車が見えたが手を振ろうと思う前に爆速で出発してしまった。
1回目うまくいったし気を取り直して頑張ればすぐ次の車捕まるやろと思っていた。
実際はそこからさらに7~8kmほどは歩いた。1時間以上全然捕まらなかった。というかそもそも車の通行量が少なすぎてヒッチハイク以前の問題であった。5~6時台だと早起き勢がいるだろうという見通しが甘かった。農作業トラクターは観測したが一本道を走ろうとする車がいない。
この1~1.5時間の大変さと虚無を記述しようにも本当にステップ草原地帯って何もない、絶景でもないし人も動物もいないから音すらない。いやはやロシア語単語の暗記が非常に捗った。
砂漠とかステップ草原地帯って大変な割にずっと同じような光景、音のない世界で虚無、ひたすら文句を垂れるが反響すらほぼしない世界なので若干恐怖すら覚える。
暇すぎてひますぎたのでこういう時は禅宗の瞑想みたいなことするかと公安問答する始末である(片手で拍手するにはどうするのかみたいなことをうんたら考えることで雑念を取り払い悟りを開く)
1時間が経過したところようやくヒッチハイクに成功する。ここまでくると必死である。あっさりOKがでて乗せてもらった。しかしこの車は次の村で止まった、移動距離たった2km、7~8km歩いてヒッチハイクで2kmは効率悪すぎだろ、、、、絶望しながら足を進める。
乗せてもらってるから有難いことこの上ないがいかんせん効率が悪すぎた。そんな感じで次に捕まえた車もすぐ近くの村までとのことで3kmほどで終わってしまった。
これ無事着けるかなと計画自体の雲行きが怪しくなってきていた。この時点で朝の7時50分、流石に現地人も動き始める時間帯なはずなのである。時間帯による交通量の変化だけではなくセメイから離れれば離れるほど村の数が減少し交通量も減っていく事実が想像以上にきつかった。
と計画途絶の考えが頭に浮かびかけていたその時後ろから轟音が響く。大型のトラックである。これは確実に長距離移動だとの確信。なんとしてでもヒッチハイクしてやるぞと思い手を大きく降ってアピールした。
自分を少し追い越しながらゆっくりとして停止。疲労困憊なので渾身の大演説。トラックの運ちゃん達は笑って乗せてくれた。
話を聞いていると僕が目指しているところまで行くようである。やった〜〜!!思わず万歳してしまう。一気に30kmを一発で移動できるわけである。さっきまでの苦労もここにくると笑い話で済む。
これで計画断念せずに済むんだとおもいながら乗せてくれた恩人達と雑談しているとタバコをくれる。運ちゃんあるあるのタバコミニケーション。基本普段自分から紙タバコを吸うことはないがこういった時のタバコは格別である。
窓を開け肺に煙を叩き込み限界ステップ草原に向けて吐き出す。最高であった。おじちゃん達も極東出身の謎の旅人と話ながらニコニコ笑っている。そうこうしている間にあっという間に第一目標である地点に着いた。
石炭運びのおっちゃんたちに礼をいい次なる関門である限界ステップ地帯を歩くことになった。ここからの道のりは地図上での直線距離は11kmとなっている。僕の身長から余弦定理を用いると水平線は約4.6km先なので3回ほど水平線にたどり着かなければならない。
ワンチャン現地人が湖で魚釣りしているらしいという話を耳にしていたので石炭運びのおっちゃんが教えてくれた近くの村に向かって2kmほど歩く。
無事村に着いて村人を観測したが期待は外れ都市に向かうとのこと。あいさつをすませ湖の方角と距離を教えてくれた。やはり湖までは11~13kmほどあるらしい。まぁ、ここからは想定内であったのでてくてく歩き始める。
それにしても暑いし乾燥している。中央アジアも日本と気温は同じようなものだが暑さの質が違う。ステップ地帯も砂漠地帯も歩いてきたが湿度がものすごく低いところである。
暑さで汗がでるのは一緒だが一瞬で蒸発し唇や喉の乾燥が激しい。リップクリームがないと唇がカッサカッサのバッキバキになるのである。歩きながらリップクリームを塗り持参したコーラを流し込む。後は一心不乱に足を進めるだけだ。
ダウンロードしておいたGoogleマップをオフラインモードで位置情報を確認しながら進んでいくと、進行方向は目的地であるチャガン湖からだいぶずれている。しかし目の前にある轍は別の方角に向かって伸びている。
このまま行くとかなり遠回りになりそうである。ここが見知った場所であったらさして問題はない。しかし暑く周りに何もない場所での余計な労力は命に関わる無視できないリスクである。
幸い山や積雪地帯と違ってここで道に迷って遭難する可能性はゼロに近い。できる限り最短ルートで行ける道なき道を選択した。
当然轍の上を歩くのと違って悪路である。しかし傾斜のないトレッキングルートと思えば大したことはない。中央アジア一帯は天敵になり得る大型遠敷類はいないと調査済みであったので仮に人と遭遇しない場所を歩いていても毒牙にかかるリスクは無視できた。一番の敵は太陽と乾燥である。
暑過ぎて食欲は消失している。血糖値が下がり過ぎてハンガーノックになったら洒落にならないのでコーラを流し込む。筋トレ時に敵視していた炭水化物の塊のありがたみを知った。
地図上でのGPSの位置が爆心地から8km、5km、3kmと徐々に近づいてくる。長い道のりもようやく終わりに近づきつつ、ここらへんはかなり残留放射線量高いんだろうなと1人でゲラゲラ笑っていた。
放射能の灰を吸い込むリスクを考えていたが周りの土壌はカチコチに固まっており風で舞う気配は全く感じられない。これなら外部被曝だけに抑えられそうだなと少し安心できた。
いざ核兵器でできた人造湖へ
爆心地から1~2km地点までくるとまた轍が見えてきた。さっき避けた遠回りルートもこの爆心地に向かって曲がってきたようである。道なりに再び歩き始めた。
とうとう目的地である水爆でできた人造湖にたどり着いた。ホテルを後にしてから8時間が経過していた。正直なところ想定以上に時間がかかっていた。限界ステップ地帯は半分以上走って多少の遅れは取り戻していたが110kmヒッチハイクは予想をはるかに上回る大変さであり今後の参考になった。
軽く反省しつつもまずは目的地に無事辿り着いたことを素直に喜んだ。たまに周辺の湖で現地住民が魚釣りをしているらしいと聞いていたが結局15kmほど歩いていたが誰とも遭遇しなかった。
まぁ誰もいないなら気兼ねなく湖でやりたいことできるな。そう思い直し履いていた物を脱いで湖に足を入れる。ヌメっとした感触、汚ねえなこの湖。当初の目的を忘れるレベルである。とりあえず濡れない程度に浸かりめいいっぱい被曝する。
しばし逡巡し一旦水から上がり湖のほとりで準備しておいたウォッカを取り出し駆けつけ一杯。
ん〜〜ウォッカは放射能を打ち消す。
30km炎天下歩いた後のアルコールは本当に身体に染み渡る。うま過ぎて何回もショットを胃に叩き込む。外の暑さに負けず劣らず、かぁ〜〜と胃が暑くなる。
コーラもまだ半分以上残っていたので簡易カクテルとして混ぜた。名前はロシアンカクテルだしこの場にピッタシである。コップを持っていなかったからどうしたものかと思ったが双方ラッパ飲みして口の中でカクテルを生成すれば良い。他人の目もないのでお行儀を気にする必要もない。
結局コップ1杯弱のウォッカを飲み上機嫌になる。あれさっき何で俺はこの湖で泳ぐのを躊躇したんだ??そもそも高濃度の放射能汚染されてるこの湖でちょっと汚れるぐらい誤差の範疇である。
今日110kmヒッチハイクし、30km炎天下の中歩いてきたのは何のためだったんだ?水爆でできた人造湖で泳ぐためだろう!!一瞬でも気の迷いを見せた自分を大いに恥じた。
こうなったら、あとは早い。周りに人がいないのを確認しスッポンポンになる。(一応イスラーム圏ではあるので配慮はする。)
また湖に足を入れる。さっきまで嫌だった感触はなくなり寧ろ水温の低さが気持ち良く感じる次第である。ただ酔っ払ってるので足が安定して底につかない場所まで行くと本当のロシア人みたいになってしまうので気をつけながら泳いだ。
民間人が核実験場跡に入れるのも、高濃度に汚染された湖で泳げるのここしかない。その事実を噛み締めながら泳ぐのは格別であった。
こうして僕は脱北者であり被曝1世になった。
感傷に浸りながら今までと同じ道のりを帰らなければならないという現実を思い出した。あれだけ苦労した道である。本来午後3時半頃にアルマトイ行きの寝台列車のチケットを手に入れていたがこの時点で残り4時間ほどしかなく行きの大変さを考慮したら無理だろうなとほぼ諦めていた。
他にもするべき事があった。食事である。あまりの暑さにコーラぐらいしか栄養を摂取していない。相当な距離歩いていたので持ってきたピラフをゴソゴソ取り出して無理やり胃に叩き込む。こう言う時の食事はもはやトレーニングである。
一通り胃に内容物を放り込み再び歩き出した。往路と同じような苦労をしながら幹線道路にたどり着く。ここまではよかったがここからが大変であった。そもそも車が全然捕まらないのである。行きたい都市とは反対方向へ走る車はあったが。
どうやら午前中に都市に用事ある人たちが向かった車が午後に帰ってきてはいるものの午後に都市方面に向かう車はいないらしい。途方に暮れもう電車逃してもいいから帰りの車見つからないかなと諦めながらひたすら足を動かした。
1時間以上炎天下のアスファルトの上を意識朦朧となりながら歩いていると奇跡が起こった。午前中、最後に乗せてくれた石炭運びのおっちゃんたちが石炭を積載してから帰ってきたのである。
歩行距離を見ると48.9kmであった。よく歩いたな。これでようやくぶっ倒れずに済むんだと思うと気が楽になった。
トラックの荷台に乗るとおっちゃんたちはニコニコ笑顔で迎えてくれてうまくいった今日の成果を報告するとハイタッチした。
「今日は上手くいったのか?」「ちゃんと目的地のチャガン湖で泳げたよ!」
そうしておっちゃん達は「暑かっただろ、これ飲みな」と水を渡してくれた。乾き切った喉を一瞬で潤す。
未舗装地帯を砂煙を上げながら走っていく。行きと比べて明らかな悪路で後ろには日本で言ったら過積載と言える量の石炭が積まれており速度があまり出ない。
そして気のせいだかなんかトラック傾いてる気がするなぁと思っていたら突如運転手はブレーキをかけ車を降り始めた。トイレかタバコ休憩かなと思って一緒に降りると車体周りを見回り始めた。するともう1人のおっちゃんがタイヤを指差している。
近寄って見てみるとシューという音がする。どう見てもパンクの穴である。
道理で右側に車体が傾いていたわけである。本当に大型トラックでもパンクってするんだ。
ロードバイクだと明らかにタイヤが細いし段差飛び越えたり釘踏んだらパンクすることは普通だが、自動車の場合、車検時に早めに交換されるからその時にパンクは気付かれて修理されるものだと思っていた。実際に路上でこんなパンクすることあるんだな。
再び運転席に2人とも乗り込んだのでこのまま都市まで100km程度だしこのまま低速走行で突っ走るのかと思ったら、30kmほどいったところでサービスエリアみたいな待避地に入った。
再度彼らは降りると椅子の後ろをゴソゴソと探りながら工具を持ち出しスペアタイアを外し始めた。あ、これまじで自分たちで修理するやつだ。時計を見たら電車の出発の時間である。ここまでのアクシデントなら全てが許せるのでゲラゲラ笑いながらタイヤ交換風景を眺めていた。
さすが石炭運ぶ用の大型トレーラーだけあって一個一個のタイヤは大きくて太い。パンクしてずっと音が鳴っているがタイヤもかなり使い込んだように見えるのでバーストしたら。。。と思い万が一のことを考え直撃しないような位置どりして眺めていた。
結局、彼らは過積載の傾いたトラックの下に潜り込んで小さな油圧でジャッキアップしたり、タイヤのパンク箇所にマイナスドライバーやらナイフ突き立て穴ほじくろうとしたり数々の現場猫案件を見せてくれた。
安全管理からするとアウトな事例のオンパレードであるがこういう現地人のたくましさは個人的に大好物である。
無事タイヤ交換を終え、車に乗り込み走り出す。そこからは順調に進み水平線にセメイの街が見え始めようやくネットが繋がった。
当初は計画途絶の可能性あったし炎天下ぶっ倒れそうだったし、よく頑張ったな俺!と自分を褒めようとした矢先、対向車線を走っていたパトカーに停められる。
カザフスタンで検問なんかあったっけ?と思っていると同乗していたおっちゃんが「携帯隠して警察の方見ないようにしろ」と言うので大人しく従う。何が起こるか眺めているとドライバーのおっちゃんが金を取り出し車を降りる。どうやら過積載の石炭車両を賄賂で見逃してもらってるらしい。
カザフスタンでもまだ賄賂文化消滅してないんだ。。。。
中央アジアの雄と評され治安も発展度も都市部はかなり高かったがまだ中央アジア特有の悪しき風習は消えてないらしい。
水爆でで出来た湖に行って泳ぎウォッカで放射能を打ち消すだけだったのに、最後の最後に意図せずしてこの国の実情まで垣間見えてしまった。
多量の放射線と共にリアルな現地情勢を浴びることのできた旅であった。
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