男しかいない国〜アトス自治修道士共和国〜(前編)
もし男(女)だけの世界があったら……?そんな仮定をした事はないだろうか?Twitterの男女論でも異性嫌いの主義者達がたまに主張する世界線である。
今回は男しか入れない国に行ってみた。それがアトス自治修道士共和国。その名の通り修道士たちが強大な自治権を持った事実上の国家だ。
この国の住人は全員オス。外部から入れる性別もオスのみ、修道院で飼っている家畜も全部オスである。道ですれ違うのは全員おじさん、修道士はもちろん男性。僕も男性。犬も馬も全部ブツをぶら下げていた。
繁殖行為ができないので人間も動物も外部から供給されることで成立し、ここでの居を構えた者は生涯この地に住まい、それ以降死ぬまで女を見ることなくここで祈りを捧げ続ける。
そんな宗教自治国家であるこの国に入るのには巡礼ビザを取得しなければならず、異教徒で巡礼が許可されるのは1日にたったの10人までとなっている。普通は数ヶ月前に予約をしないと許可が下りず入れないので長期旅行者やスケジュールの融通がきく自営業の人、定年退職した人ぐらいしか行けなかった。
私もそのぐらいの待ち時間は覚悟して巡礼事務所に問い合わせメールを送ってみた。そしたら簡潔に「いつ?」とだけ返ってきた。あれ、空いている日提示されてこっちが合わせるわけじゃないのか?
いくつかやり取りしてみると、どうやらコロナで巡礼者が激減しているらしくかなり融通が効くようになっているようである。それなら後回しでいいやと思い先にアフガニスタンやシリア、アルツァフ共和国チャレンジを優先することにした。
チャレンジが2勝1敗で終わり、予定の調整も落ち着いたので同じように打診してみたら同じような回答であった。ここまで来たら最短で何日でいけるのか聞いてみたら次の週には巡礼ビザ発行可能とのこと。コロナ万々歳である。
突発的はあるが、これぞ旅の醍醐味である。その日で申請を出し了承を得たのでこちらも急いで準備し始めた。
ここで一つ問題が生じた。アトス自治修道士共和国に入るにはギリシャの国境を越えなければいけない。1年ほど前私はトルコの傀儡国家である北キプロストルコ共和国へ入国しており、パスポートにあるスタンプが入国審査官に見られると入国拒否される恐れがあった。
リスクを減らすためにはギリシャがシェンゲン協定国なのを利用して一回どっかの国を経由するかトルコ以外の第三国から入国しなければならない。そんなわけでとりあえずアルメニアからジョージア、トルコ、ブルガリアを経由した陸路3200km2泊5日移動を決行した。
ギリシャのテッサロニキに着いた。11月の末であったが地中海性気候とあってとてもいい天気・気候であった。
巡礼ビザ自体はアトス半島の付け根にあるウラノポリと言う街で発行されるのは聞いていたがそれ以外どうにも勝手が分からない。テッサロニキに巡礼者オフィスがあるらしいので色々確認してみることにした。
巡礼者事務所はテッサロニキの中心部にある大通りに面していた。地図で示されている場所に向かってみると本屋である。中はキリスト教関連の本で埋められていた。土産物屋にしてはでかいなと思ったが肝心のオフィスの位置がよく分からない。
店員に聞いてみたらどうやら店とオフィスが兼任しているようである。曰く、当日身分証のパスポートさえあればウラノポリにあるオフィスにいけば諸々手続きが完結するとのこと。ただ昨今の事情により抗原検査する必要があるらしい。
とりあえず必要最低限あれば特に問題なさそうであった。あとは食料問題である。アトスでは修道院では寝る場所から食事、なんならワインまで提供されるが1日二食でどう考えても僕の消費カロリーからすると足りない。
そこでテッサロニキ市内にて袋麺を大量に買い込んでおいた。袋麺なら最悪水さえ確保できれば30分浸しておけば柔らかくなって食えるからである。災害時にも使える限界旅行ライフハックである。嵩張るがパンよりは確実に日持ちする。
準備を整えたところであとは当日早起きするだけである。アトスにいくフェリーは1日2便あるが朝9時の便を逃すと昼過ぎまでない。そしてテッサロニキからフェリーの発着場のウラノポリまでは100km以上離れている。朝早く起きてバスに乗らないと辿り着けないようになっている。朝弱い勢は弾かれる仕組みである。結局中に入ったあとで早起きするはめになるのでこれぐらいできないと厳しいが。
とりあえず最低限の荷物にし、残りの荷物はホテルに預けることにした。当日朝起きるだけである。
当日早く起きることに無事成功しバスを探す。ウラノポリ行きのバス停まで行く市内バスにまず乗らねばならない。だが事前の下調べした時刻表は当てにならなかったので普通にUber を使った。そういやここ普通に西側資本主義国家だったわ。
無事バス停に辿り着くともう雰囲気が違う。巡礼衣装をきたおじさんが数多くいる。その中には髭を結えた修道士と思しきひとも見受けられた。皆男である。すげえ。
バスのチケットを買う。ここまでは地元住民もいるのか普通の手続きであった。しばらく待っていると玄関口ウラノポリ行きのバスが来た。
アトス巡礼ビザ取得
アトスへの玄関口であるウラノポリに到着した。バスが止まった真横でなにやら皆が待機し始めた。気になって聞いてみるとここで簡易抗原検査をするらしい。コロナ期の限定イベントのようだ。番号札をもらって順番に検査していき15分ほどで陰性結果をもらった。無料だった。
ギリシア語で多分陰性と殴り書きされたメモ用紙を受け取り指さす方に向かえと身振り手振りで示された。ここからは事前の下調べ通りの手順で進んでいくようである。
皆が歩いていく後ろをついていくとこじんまりとした建物があった。海外でよくみかける両替商のような間仕切りのある1フロアほどのオフィスである。数人ほどの列に並び、見よう見まねでパスポートを見せ50ユーロを渡した。すると「日本人じゃないか!!!!!!ドイツぶちのめしてくれてありがとう!!!!」と絶叫し、他の職員にも触れ回り始めた。ワールドカップで日本がドイツに逆転勝利した数日後であった。
やっぱサッカーってすげえな。5日間移動に費やしていたのでダイジェスト版しか見ていなかったが浅野、堂安のお陰で大歓迎だった、ありがとう。にしても流石ギリシャ危機の時にドイツにいじめられただけあってドイツに対する恨みは深い。この後も日本人と自己紹介すると幾度か感謝されることがあった。
盛り上がっている間にあっさりとアトス自治修道士共和国の入境許可証が発行された。
これでアトスでの3泊4日滞在する権利を得たわけである。コロナ前ならこのビザを手に入れるのに半年かかるのがあっさり手に入った。各国の入出国要件の度重なる変更に苦しめられていたが今回はコロナ様様である。
首都カリエスへ
あとはフェリーで向かうだけである。チケット売り場が波止場近くにあると言われたので行ってみたが想像よりだいぶ離れた位置にあり少し歩かされた。ただ時間的余裕は少々あったのでなんとかなった。
チケット売り場ではどこ行きかを聞かれた。首都カリエスに向かうものだと思っていたが沿岸部沿いの修道院ごとに港がありそこに接岸しながら運行しているようであった。僕は首府カリエスに行ってビザ延長手続きがしたかったので最寄りの港であるダフニ行きのチケットを買った。
ウラノポリの街では女性が普通に働いていた。ここからしばらく女を見ることがなくなるのかと思うとなかなか面白い。イスラーム国家でも女と話す機会自体は少なくても見かけない訳ではない。
朝ごはん代わりに土産物屋でモンスターとパンを買い再度船着場へと向かうと巡礼の正装をした正教徒が大勢いた。その後ろには車も列をなしていた。車両も持ち込みできるらしい。
10分ほど待っていると汽笛とともにフェリーがやってきた。
フェリーに乗るときに船員が巡礼者ビザを確認していく。流れは海上入国するのに近い。
ダフニ港につくとぞろぞろと人が降りた。流石にメインの港である。土産物屋がありそこに吸い込まれていく人が多かったが、帰りで良くねと思いバスも小さかったので小走りで乗り込んだ。
目論見通りバスは早々と埋まり、すぐに出発した。土産を見ていたひとは次のバスが帰ってくるまで待たねばなるまい。バス内で添乗員が歩き回ってチケットを買った。カリエスまで5ユーロだった。1日2回しか寄港しない港と首都結ぶ路線がこの値段で経費賄えるのか心配になってしまった。
アトス半島は東西4km南北に40kmほどの細長い半島であるが中心部に尾根がありその南端がアトス山となっている。バスは海抜0mから尾根に向かって600mほど登ったところにある首都カリエスへと向かう。坂はかなりきつく未舗装地帯が多かった。しかし並行する道路が舗装中で文明化しかけていた。ギリギリのタイミングできたらしい。
途中、巡礼者がえっちらほっちら歩いていた。あれ、歩いて島内移動できるのか。それなら次からは歩こう。1日に50~70kmの山道走って喜んでる僕である。お金を払ってでも山道は走りたいぐらいである。
首府カリエスに到着するとあるものはそのまま街の中心部へ、またあるものは別の乗合バンにのり皆散り散りになった。軽バンでここから各方面の修道院へと向かうらしい。
僕は別の用事があったのでそのまま政庁が置かれている宮殿へと向かった。途中郵便局や、聖遺物を模した絵画や十字架などを売っている土産物屋などがあった。しかも個人経営のスーパーもあった。あらこれお腹空いたら物買えるじゃん。
と散歩していたら役所に到着した。あくまで人口2000人程度しかいないので規模としてはそこまで大きくない。
他にも人が来るのかと思っていたが全く見かけない。合っているかわからなかったがとりあえず入ってみた。
建物の中には奥に人が一人だけいただけであった。Ελληνικά、English?と聞かれた。古典ギリシア語やっていたお陰でところどころわかるがここは無難に英語を選択した。ビザの延長手続きをしにきました。
少し前に発行したアトスの巡礼ビザを見せると係の人は笑った「3泊終わってもっと滞在したいから延長しにきたのじゃなくて最初から延長しにきたのかwwww」どう考えても3泊じゃ半島内の20個の修道院を周りきるのは不可能である。戦略的に最初から延長する気満々であった。
一応お上の裁決要るから椅子に座って待っていてねと言われて待っていると別の人が出てきてウゾーとルクミを出してくれた。おぉ〜〜、政庁でもこれもらえるのか。ここで言うウゾーはギリシアやキプロス島で作られる蒸留酒で、ルクミは砂糖水にコーンスターチを溶いて固めた甘いお菓子である。
さっそくウゾーを流し込む。ほぼ空きっ腹だったのでカッと喉と胃が熱くなる。キリスト教圏って酒が飲めるのは本当にいいよな。政庁職員と雑談していたらまたしてもワールドカップの話になりドイツを倒してくれてありがとうとお礼を言われた。どこの人間もザ・ギリシア人って反応して面白かった。
記念に写真撮影していたら許可が降りたようでビザが延長されていた。次に乗る航空券に合わせて申請した通り追加で3日泊まれるようになっていてありがたかった。
イヴィロン修道院
さてようやく準備が済んだので目的としていたイヴィロン修道院へとむかうこととする。なぜならここには日本人修道士がいるとの情報を聞いていたためである。日本でキリスト教徒といえばカトリックかプロテスタントである。正教会教徒になる日本人とはいかほどか是非ともお会いしてみたい限りである。
街を歩いていくと修道院関連の建物の他に普通の住宅がちょこちょこあった。これがいわゆる修道小屋のケリと呼ばれるものか。わりかし普通の田舎って感じだな。女が全く存在しないことを除けば。
首都の街を抜けていくと細かな道が現れ始めた。Stravaの地図情報を見てみると細かな道が半島内にびっしりと確認できた。元々巡礼者たちは歩いて移動したのであろう。各修道院間やらこの首都カリエスを結ぶ方向やその他別院を結ぶようにびっしりと張り巡らされていた。
これは登りがいのあるところだな、可能な限り舗装路は避けてこの山道を歩こう。そうやって歩いてみたがイヴィロン修道院はアトス内でも4本の指に入る大修道院である。道は踏み固められていてとても歩きやすかった。
少しばかり歩いていると聖地アトス山が見えた。標高は2033mあり遠くからでもしっかりと見えた。
そのまま歩き続けるとどデカい修道院が見えてきた。手前にはこれまた大きな畑や果樹園がある。修道士が自給自足と言うのは本当なのか!
門のところに休憩したおじさん達が何人か座っており話しかけてきた。どうやら彼らは(まぁこの国は男しかいないので人称を絞らなくても性別がわかる)修道院周りの木々を剪定している人たちで修道士ではなかった。
自己紹介をすると今日何度目かわからなくなった日本礼賛とドイツへの罵倒を聞いた。ドイツ嫌いすぎだろ。
雑談を終えると中へと案内された。そこらを歩いている修道士に今日泊まる旨を伝えれば誘導してくれるらしい。
日本人修道士との邂逅
修道院内に入って受付方向に歩いていると中を歩いていた修道士が話しかけてきた。今日ここイヴィロン修道院に宿泊したいと伝えると勿論いいともと快諾してくれた。予約なしの素泊まりだったので失敗したらまた別の修道院にアタックせねばならないので一安心である。
その修道士はオーストラリア人であった。めちゃくちゃ気さくで日本から来たことを伝えると「お〜ここの修道院日本人の修道士いるよ!!」と。噂には聞いていたが本当にこの修道士自治国家で修道士として祈りを捧げている日本人がいるようである。「お、ほらそこにいるよ」彼は手を振って呼び寄せた。
「あ、どうも、日本から来ました」「うっわ、久しぶりに日本人見た」どうやら日本人は珍しいようである。コロナの影響かと思ったがそもそもこの宗教国家に来る日本人自体が数少ないらしい。「ちょっとまだお祈りやら仕事で手が離せないからひと段落したら話しましょう」となり一旦分かれた。
最初にあったオーストラリア修道士とまた二人になり宿泊手続きの手伝いをしてもらいながら、ここに来た経緯とかを話していたら非常に盛り上がった。普通に資本主義社会だけ見ていても飽きるからイスラム教の宗教国家めぐってきたしアトスもかなり特殊な性質を持った国なので興味を持ち巡礼してみたという話をした後に、「This place is not capitalized,yet!!(ここはまだ資本主義化されてない)」といったら爆笑していた。
この修道院では巡礼者に個室で泊まらせてくれるらしい。鍵をもらうと3階の奥の部屋をあてがって頂いた。
部屋は普通にちゃんとした部屋だった。これで宿泊料金取らないのか。今インフレやばいのに大丈夫なのか??もっと大人数部屋に泊まって修行するのかと覚悟していただけに快適な空間で驚きである。
色々手続きが終わる頃に夕方の礼拝時間も終わるようであった。ここからは夕食の時間である。一人の修道士が食堂のある建物前に来るとシマンドロと呼ばれる木の板を木槌のようなもので叩き始めた。食事の合図らしい。すると修道院に散らばっていた修道士や巡礼者がほうぼうからゾロゾロと集まってきた。
扉が開くと中はハリーポッターの食堂みたいなところであった。入って左2列が修道士の席、右2列が巡礼者の席であった。流れに沿って奥から順に詰めて座っていく。
皆配置に着くとお祈りが始まる。そこからは修道士が聖書を読み上げている間にご飯を食べ切らなければならない。皆黙々とご飯を食べていく。トマトベースの豆が入ったスープにキャベツのおひたしにリンゴだったかな。それとワイン、パン。粗食、菜食主義とは言え一応PFCバランス揃ってるんだな。
後から聞くところによると曜日ごとにご飯は変わるらしい。脳筋プロテイン教信者の私にはいささか粗食はきつかったがまぁワイン飲めるのは素晴らしい。
粗食なので早食いを抑えてゆっくり噛んだつもりだったがあっさり終わった。これ毎日食べるのは流石だな。酒飲めない豚肉食べれないだけのイスラム教の方が戒律ゆるい気がしてきた。ラマダーンにしたって量はすごい食べるしな。
そんな感じで考え事をしていると朗読する声が止まった。食事の時間は終わりらしい。食べるの遅い人は結構大変かもしれない。同じようにして順番に外に出た。すると日本人修道士からお声がけをいただきこの後雑務を終えた後修道院内の案内とお話をしていただけることとなった。
早朝と夕方の礼拝以外は修道士たちは各自振られた仕事をしたりしているらしい。仕事の中には修道院のイコンや聖書のオンライン販売の管理運営といった現代的な仕事も存在しているらしい。
約束の時間になると修道士がいる巡礼者とは別の建物の部屋に連れて行かれた。修道士達はそこで居住してるらしい。ついていくと談話室兼キッチンであった。
なぜここに来たのか、アトスをどういう経緯で知ったのか聞かれた。個人的には未承認国家が好きでその中で辺境先輩から強くおすすめされており、数日前に巡礼ビザの申請をしたところコロナの影響かあっさり許可が降りたので来てみましたと答えた。すると日本人はここ数年見たことなかった。久しぶりの日本人に出会えてびっくりしたとのこと。
色々個人的に気になっていたことを質問していったら面白かった。
アトスの女人禁制自体はどの程度これから続いていくのか、EUから批判されているがどう対応しているかが個人的には1番気になっていたのでまず初めに聞いてみた。ある意味この制度はこの修道士自治国家の一番の特色に側から見ている分には感じたので。
女人禁制に関してはこれからも厳格に運用していてその要求を受け入れるつもりはないとのこと。これは男女差別という問題ではなく私たちは男だけでやっていくし、女性どうこう言うなら男子禁制の修道女だけの地を別に作ればいいじゃないかと。無論そこに我々が足を踏み入れるつもりは毛頭ないからほかっといてくれと。
いやはや確かにいい案だと思う。女しかいない国があったらそれはそれで面白い。辺境国家オタクとしては入りたくなってしまうが。
兎にも角にも当面はこの修道士国家は同じように続くようである。多様性を認めようといってありとあらゆる場所をごっちゃにするとどこ行っても同じように見えて面白くないのでこの施策には賛成である。どの場所も多様性を謳った均質化って個性がなくなるってことだし、そんな場所を見ていても全然面白くないんですよねと旅人としての感想を述べたら大いに賛同してもらえた。
ここで自分の宗教的価値観とか今まで旅行してきたからこそ思うところについて話していた。個人的に科学的合理主義者でありながら宗教としての価値も否定するつもりはなく、それに至った経緯が中高生の時に親戚が相次いで亡くなったことや大学受験に失敗したことに起因するみたいな話をしていた。すると大学どこなのと聞かれ「横国です」と答えたら「お、同じやん」
「え!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!??????????????????????????」
まさかの大学の先輩であった。こんなところに横国の先輩いたのか。流石にびっくりした。まさかの共通点にそこから大盛り上がりで色々学生生活の話やここにたどり着いた経緯などお互いに大いに話が盛り上がった。
アトス自治修道士共和国でOB訪問するとは思わなんだ。
コロナ禍のアトス
色々雑談しながらコロナの時のアトスについての話になった。中国発の感染症がイタリアをはじめとするヨーロッパでも猛威を振い始め各国が入国制限やロックダウンをするようになりアトスでもどう対応するか全修道院が話し合ったらしい。
ここで修道院によって土地面積などが大きく違い大修道院は問題ないが、巡礼者の落とすお金が運営費に占める割合が大きい修道院は渡航制限は困ると主張したらしい。アトスへの交通を担っているフェリー会社も同様の主張をしたが最終的には渡航制限をするという形になったらしい。
朝の礼拝も早いので21時頃には切り上げ、続きは明日の礼拝後から朝食までの空き時間ということになった。
修道院内も外はネット回線飛んでいたがベッドのある部屋は窓際でようやくたまに2G回線を拾う程度で持っていた本を読むか撮影したデータの整理ぐらいしかやることがなくなった。早朝から礼拝の時間があると聞いていたので早めに寝た。
アトス2日目
早朝の礼拝の時間
礼拝が開始するのは早朝3時であった。外からは礼拝堂の鐘が鳴っている、まどマギBGMの短調パートみたいな旋律である。うげ、本当にこんな時間から起きてるのか。僕も旅行している時や登山している時は朝2~3時に起床しているが祈りの為に毎日この生活を送っているのは素直にすごいとしか言いようがない。
前日フェリーに乗る為に早起きで疲れていたのかまだ疲れが取れてない。ちゃんと寝れば朝強いタイプなので明日からは慣れるだろうから問題なかったが夜型の修道士ってどうするんだこれ?と心配になる程度には朝が早かった。
異教徒なので礼拝中は外からしか見れないと聞いていたので適宜身支度をして階下へと下りた。
礼拝堂は部屋が二つに分かれておりさらに手前の廊下から見るとかなり暗い。深夜だし中を照らしているのは蝋燭の火だけである。夜盲症だと厳しそうだが栄養バランスは取れてそうなので大丈夫そうだ。
日本人修道士とすれ違い、入ってもいいんだけど敬虔な正教徒だと嫌がることあるからまぁここの外側から覗いてるぐらいがいいよとの事。そこは理解しているので大人しく眺めていた。
ここから朝の6時までお祈りが続くらしい。これを早朝と夕方に2回。3時スタートってことは2時台に起きるのかこの人たち。巡礼者は来ても来なくても最悪どっちでも何とかなるが修道士はこれを年中やってる訳である。自分も信仰心は篤い方だと思っているがここまでは出来ないなぁ。
外から薄暗いお祈りを見ていたがあまりよく見えなかった。その後早朝6時頃日本人修道士が修道院周辺や中を案内していただけることになったのでありがたく申し出を受け入れた。取り敢えずまだ眠かったからある程度観察した上で二度寝することにした。巡礼者も最初から最後までいる訳では無いからこれぐらいは構わないだろう。
二度寝から目を覚まし、礼拝堂まえで待ち合わせをすると日本人修道士はイカつい望遠レンズ付き一眼レフを構えて歩いてきた。めちゃめちゃカメコやん。修道士曰く中世から手付かずの自然が残っているので動植物の植生が豊かで撮りがいがあるらしい。確かに伝統的な生活が続いているからこそ、そういうことが起こりうるのか。
修道院を出てまず裏手にある畑を見に行った。ここで修道院で食べる野菜を育てているらしい。修道士はそこで育てている木の実や柿の木などを啄みにくる野鳥を撮影していたりしていた。
畑にはリンゴや柿からギリシャ名物のオリーブまで色々植えてあった。農業担当の修道士はまさしく晴耕雨読のような生活だろうなこれ。
山側には伐採した後の木が積み上げてあった。修道院が所有する土地区画ないの間伐材だけで修道院の燃料は賄えているし余った分は輸出に回して利益も出ているらしい。修道院はセントラルヒーティングになっておりその燃料もその間伐材だけで間に合っているらしい。
修道院によってはギリシャ国内にも荘園という形で土地所有しているところがあり、そういった資産を持っている修道院は地代収入が見込めるらしい。
修道院が僕含めた修道院からお金を取らずに運営していけるのかというと、一部の金持ちがたまにきて一人で1億だとか十億単位で寄付していくからそれだけで十分間に合ってしまうらしい。これは他の宗派も同じとのこと。
そんなこんなで話していたら修道院を一周していた。そこから朝食まで修道院の案内をして頂くことになった。昨日と同じように修道士が住んでいる方の階段を登っていくと最上階まで入らせてもらった。そこには壁側の席だけで何十人と座れるような広さであった。
ギリシャ正教の年中行事によっては他につながりのある教会の有力者や修道院の持つ敷地の中に個人で住んでいる修道士が集まってここで一堂に会するらしい。ここにもイコンなどが置かれていた。
その後早朝中に入れなかった礼拝堂の中も見せて頂いた。各イコンには過去の奇跡を起こした修道士達のイコンやら持ち物が大量にあった。中には聖書も何冊も置いてあり年季が入っている。
典礼言語はギリシア語であった。この修道院はジョージア正教会系統とWikiで書かれていたので一部ジョージア語で書かれていたのかと思ったがそもそもだいぶ前からギリシア化しているので今はギリシア正教会系列である。修道院内で話される言語も現代ギリシア語らしい。
中にある聖遺物にあたるものが細かくて全部はわからなかったがここにある物は中世キリスト教の史跡としてまだあまり研究されておらず研究者がたまに来るとのこと。
ローマ・カトリックみたいなド派手な教会や礼拝堂ではないが非常に歴史を感じられるし今まで死ぬほど見てきた教会施設とは全く違った雰囲気を醸し出しており非常に面白かった。ヨーロッパ旅行で同じような建物や美術品に飽きてしまった人でも新鮮な感情を抱ける場所であった。
(滞在24時間で1万字超えるのなんなんだ…….)
中編へ続く
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