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Vol.24 藤本悠平「諦めずにやってみる。その先に大事なものが見えてくる。」

「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。

編集チームが独断と偏見で選んだ面白大学生の人生をお届けします。今回は第24回目。ゲストは北海道教育大学岩見沢校美術文化専攻の藤本悠平さんです。
↓が藤本さんのTwitterです。

友達を作る目的で始まった岩見沢ねぶたプロジェクトが今年で4回目を迎えようとしています。今では「岩見沢の大学生といえば藤本さん」というような声も上がるような有名人ですが、そうなるまでは沢山怒られたり、失敗もあったそうです。

藤本さんがどんなチャレンジをして、そこにどう向き合ってきたのかを深堀していきます。

岩見沢ねぶたプロジェクトのInstagramはこちら!↓

文化祭を通して企画の楽しさに触れる

ゆーへいくん高校-2

ーこんにちは!では早速、藤本さんの自己紹介と今の活動について教えてください。
「北海道教育大学岩見沢校美術文化専攻4年生の藤本悠平です。大学では障がい者のアート作品のプロジェクトや地域を題材にしたアート作品の運営やマネジメント活動に取り組んでいます。大学外の活動としては岩見沢ねぶたプロジェクトをメインにやっています。」

ーありがとうございます。では藤本さんの小学生の時について教えてください。
「どちらかといえば外で遊びたくない小学生でした。学校では図書委員として、本を読んでもらうためのPOPを作ったり、読み聞かせをしたりしてました。

クラスの係活動でも、たとえどの係になっても絶対に面白いことをやってやるという想いをもって、活動してました。例えば生き物係になったときは、新しく飼い始めた生き物の名前決めコンテストを開きました。」

ー外で元気に遊ぶのではなく、学校内で色んなことにチャレンジしていたんですね。
「外で遊びたくないというか、競うことが嫌いだったんですよね。自分が活躍しないとチームが勝てなかったり、チームに負の影響をもたらしてしまうことが嫌でした。だから、鬼ごっことかはいいんです。」

ー確かにスポーツに比べると小学校の係や、委員会活動は周りに対してのプレッシャーは少ないかもしれないですね。中学校に入ってからは何をしましたか?
「中学生の時はソフトテニスに入りました。団体競技は嫌だったんですけど、ソフトテニスならせいぜい2人だからいいかと思って入りました(笑)。部活をめちゃくちゃ頑張った傍ら、文化祭も3年間頑張りました。

クラスごとにベニヤ板サイズ(910mm×1820mm)の壁新聞を作りました。白黒でどうにか立体感を出そうと頑張ってたこと、3年生で金賞を取ったことはよく覚えてますね。

他にも運動会の時に使う学級の旗を作ったり、アート的なものに触れてる機会が多かったです。」

ー文化的な中学生だったんですね。
「そうですね。部活をサボって文化祭を優先したりしていたので(笑)。この頃からものづくりが好きだったんです。」

ー高校ではどんなことがありましたか?
「高校に入ったら中学校よりも大きい文化祭ができるようになるじゃないですか?それが楽しかったので、やっぱり部活(硬式テニス部)をサボって文化祭の準備をしてました。

1年生の時にオブジェを作ることになって、僕らは担任のねぶたを作ったんです。青森の高校だったので。そして僕達のねぶたは最優秀賞を頂き、さらに地域のかかしを展示するイベントにも展示してもらうことになりました。

これがきっかけで、毎年僕たちの高校がかかしのイベントに出ることになったんです。それがすごく嬉しくて。この出来事から、”何かを企画する
こと” にのめり込んでいった気がします。 」

ーやっぱり文化祭なんですね!
「2年生の時も3年生の時も本当に楽しみました。文化祭を楽しむことによって学級のみんなも喜ぶし、来てくれたお客さんも喜んでくれる。企画をすることによって、何かを生み出して、誰かが喜んでくれるのがうれしかったです。」

ー自分だけが楽しいのではなく、みんなで楽しむことを大切にされているんですね。この頃、大学入試の準備は順調でしたか?
「3年生の春くらいから勉強ガチ勢になってましたね。朝早くに学校に行って、帰るのは一番最後。そんな生活を続けていました。でも、行きたかった北海道教育大函館校の推薦入試に落ちてしまいました。

これが誤算でしたね。ここで決める予定だったのに落ちてしまったんです。結局センター試験も大失敗してしまったので函館は諦めて、地域のことを学べて、さらに受かりそうだった教育大岩見沢校を受験しました。

この時、”岩見沢”という名前は聞いたこともありませんでした(笑)。結局受かることができたので、岩見沢にやってくることになりました。本当に偶然です。」

ねぶたを通して喜ぶ顔が波紋のように広がる

ゆーへいくん大1

ー岩見沢ではどんな大学生活を送ろうと考えていましたか?
「全然イメージできませんでした。そもそも全然知らない場所だし、知ってる人も誰一人いない。しかも、僕が入ったのは美術系の専攻だったので、美術について学んだこともない自分はついていけるんだろうかと不安でした。

今やってるみたいにねぶたをやったり、地域に関わってることなんて全く想像していませんでした。」

ー不安ですよね......。実際に入学してからはどうでしたか?
「僕の専攻は男子が少ない専攻でした。60人のうち10人しか男子がいなかったので、まずはその10人全員と仲良くなろうと思って、『みんなで大きな作品使ってみませんか?』と声をかけてみました。

最初にみんなで自己紹介をしてみたら青森出身は僕だけでした。ねぶたの話をしたら皆が興味を持ってくれて、『じゃあねぶた作ろっか』と始まったのが今年4年目になる岩見沢ねぶたプロジェクトです。」

ー同じ専攻の男子が仲良くなるために始まったものが、そんなに歴史あるプロジェクトになるなんて......!何があるかわかりませんね。
「企画内容が決まってから、廊下を歩いていたらたまたま『大学が学生の活動を支援します』と書いてあるチラシを見つけました。

僕たちは1年生でもちろんお金がなかったので、そのプロジェクトとして応募することにしました。プロジェクトの目的が”僕たちが仲良くなるため”だったら採択されるはずがないので、ちょっと噓をつきつつ、『地域の人たちのねぶたを公開制作で作ります。』と書いて応募したところ見事採択されました。」

藤本さんが応募したプロジェクトはこちら!↓

ーすごい!予想していなかった道に大きく一歩踏み出したんですね!
「はい。そして2018年の8月に岩見沢駅の中でねぶたを作りました。その時には、同じ専攻の学生38人を巻き込むことができました。でも当時のことを思い返すと、相当クオリティが低かったです。

マネジメントができなかったことが大きな理由です。何もわからない状態のチャレンジだったので、とりあえず目の前のものをやってみるという日々でした。

そんな状態だったので、駅のブレーカーを落としてめちゃくちゃ怒られたこともありました(笑)。38人いたメンバーも最終的には3人になってしまいましたしね。」

ーそれでも無事に終えることができたのは大成功だと思います。終えた後は何か変化はありましたか?
「ねぶたが終わってから1年生の残りの時間はごく普通の大学生活を送りました。疲れたし、新聞には載ったけど自分のやったことで地域に効果があったのかが分からなかったからです。」

ーそんな充電期間を経て2年生の藤本さんがどうなったのか気になります!
「2年生になり、また大学の廊下でhue学生プロジェクトの貼り紙を発見しました。今年も応募するかどうかを1年生の時のねぶたプロジェクトに最後まで残った3人で話し合った結果、応募することを決断しました。

決断できたのは2018年の公開制作に来てくれた子どもたちが毎日来て楽しんでくれたり、地域の人もアイスやジュースを持ってきてくれたりして、”人と関わることは楽しい”という記憶があったからです。

ねぶたが完成したときにみんなが喜んでいたあの顔を思い出したら

『2019年も応募しなければならない』『1年で終わらせてはいけない』

そう思って応募を決めました。」

ー1年目のときとは大きく成長されたんですね。
「2回目ということもあったので色んなことができるようになっていました。1回目の実績のおかげで場所も借りやすいし、全体スケジュールも立てれるようになったし、マネジメントもできるようになっていました。

そして、広報活動にも力を入れたことによって常連の子どもたちとおばさん以外の人もたくさん来てくださいました。ここで出会った方たちとは今でもつながりがあります。」

ー2回目も大成功の形で終えることができたんですね。
「はい。そして、ねぶたが終わり、冬ごろにヒトツナギという学生団体を始めました。ねぶたが終わって暇だったということもありましたが、自分のできることを活かしたいという気持ちが強かったことが大きな理由です。

この頃は家でゴロゴロしてるのは嫌だと思っていたので1年前とは大きな変化ですよね。」

(Vol.16でインタビューさせていただいた)遠田さんと藤本さんが所属するヒトツナギ
→人と人を繋ぎたいという想いからできた北海道教育大学岩見沢校の学生による学生団体。
Facebookはこちら!↓

ーどうして、そんなにも活動したいという欲が出たんですか?
「ねぶたを通して人と話したり繋がったり広がるのが楽しいことを知ったからです。喜ぶ顔が波紋みたいにどんどん広がっていく感じが楽しくて、人と関わり続けたいなと感じたんです。

高校の時は団体競技が嫌いとか言ってたはずなんですけどね(笑)。2019年の年末にクラウドファンディングをしたことが、僕に活動することの楽しさをより一層教えてくれましたね。」

20年前のねぶた祭を復活させたい!

クラファン

ークラウドファンディングもされていたんですね!
「話はちょっと戻るんですけど、2回目のねぶたの公開制作をやったときに、あるおじさんがこんなことを話してくれたんです。『20年前まで岩見沢にはねぶた祭があったんだよ。』そんなことは全く知りませんでした。

そのおじさんは当時のことを本当に楽しそうに語ってくれました。そして僕にもある想いが芽生えました。

”20年前の岩見沢ねぶた祭(当時はあやめまつり)を復活させよう”

実現させるためにクラウドファンディングを活用しました。」

藤本さん中心に取り組んだクラウドファンディングはこちら!↓(しっかりサクセスしていて素晴らしい......!)

ー市民の方々のために立ち上がったんですね。
「2019年はクラウドファンディングがやっと文化になりつつあったくらいの時期なので、150万円を全部集めるのは正直無理だろうと思っていました。とりあえず来年の資金が集まればいいな、と(笑)。

でも僕は、このクラウドファンディングを通して色んな人とコミュニケーションをとることの楽しさを知りました。今まではねぶたの公開制作に来てくれた人たちとのコミュニケーションでしたが、自分から積極的に人に会いに行くようになりました。

時には岩見沢も飛び出しました。受け身じゃなくなったんですよね。そのおかげで応援してくれる人がどんどん広がっていきました。」

ー結局153万5,000円が集まった決め手は何だったんでしょうか?
「テレビ(HTB)に出たことで勢いが増しましたね。実はテレビに出る前に青森の新聞社さんに僕たちの活動を取り上げてもらいました。その記事を読んでくれたのがHTBの記者の方でした。

たまたま奥様の実家のある青森に北海道から帰省中だったらしいんですよ。すごい偶然じゃないですか?(笑)それがきっかけでHTBに出演することができました。僕の人生は偶然ばかりなんです。」

ー藤本さんはきっと運を引き寄せているんですね。
「実際のお祭りの日程も発表して、無事目標金額を集めることが出来たのにも関わらず、やってきたのがコロナウイルスでした。」

ーそうですよね......。
「祭りの延期を決定してからは、社会人の方と一緒に祭りのロゴを作ったり、小学校に授業しに行ったりしました。僕は小さい頃に青森で、自分たちの作ったねぶたが実際の祭りに出るという貴重な体験をしました。

この体験が今の自分を作っているので、僕も同じことを岩見沢の子どもたちに提供したいなと思って始めたのがこの出前授業です。ただのコンクールにするのではなく、みんなで岩見沢の歴史や特徴について学ぶことから始めました。いわゆるふるさと教育です。」

ーコロナに負けず精力的に活動されていたんですね!
「その後、実際に小学生の子が書いてくれた絵をねぶたにして展示会をおこなうことができました。」

ねぶた、岩見沢への想い

えんたくんとゆーへいくん

ー沢山テレビにも出てらっしゃいましたよね?
「そうですね。でも一つ感じていたのは、

”僕たち(岩見沢ねぶたプロジェクトのメンバー)”を扱ってくれているというよりも”僕(藤本悠平)”の番組になってしまっていたことです。

何十人も一緒にやっている人がいるのに”僕”の功績みたいになっているのがすごく嫌なんですよね。それを変えていくためにも2020年からは僕以外のメンバーが取材に応じたり、記者さんとのやり取りも広報の別のメンバーに任せました。」

ー”1人”のねぶたではなくて、”みんなの”ねぶたですもんね。素敵です。
「今まで3年間ねぶたをやってきて、周りに色んな人が集まってくれました。応援してくれる人、一緒にやってくれる人、テレビやSNSで見てくれてる人。だからこそこの祭りを終わらせたくありません。

この街の文化として残したいと思っています。そのために、学生と街の人が一緒にこの祭りを動かしていけるような基礎を作るのが今年の目標です。」

ー岩見沢への想いが強いんですね!
「僕のことを ”ただねぶた祭がやりたい男” って思ってる方も中にはいらっしゃると思うんですけど、本当はそうじゃないんです。すごーーーく岩見沢のことが大好きなんです!出身じゃないのに(笑)。

ねぶたは僕含め、岩見沢に関わったみんなが岩見沢のことを好きでいられるためのツールなんです。みんなで作ることができる岩見沢ねぶた祭にしたいなあと思って準備しています。」

今後の展望とメッセージ

最近

ー藤本さんの今後の展望を教えてください。
「岩見沢がモデルになって、地域活性化に悩んでいる人たちの助けになりたいと思っています。そしてそこに僕がいなくても、それが実現できるようになっていることが必要だと思っているので、今は後輩や街の人たちに自分が得てきた知識・能力を伝えています。

僕は卒業後、就職します。元々子どもたちと関わりたくて教師を目指していたんですが、祭りをやって子どもたちとたくさん関わったことで『教師じゃなくてもいいじゃん』って思ったんです。

だから、僕は民間企業に就職します。数年東京にいて、その後は北海道に戻ります。これだけお世話になった北海道には帰ってくるしかありません(笑)。」

ーでは最後に、想いはあるけど動きだせない大学生に対してのメッセージをください。
「諦めないことだと思います。あと少しで届きそうな目標があったとして、そこで諦めたら今までやってきたことがもったいなくないですか?

僕のクラウドファンディングも正直無理っぽかったんですけど諦めなかったら目標達成できました。ねぶた祭も2回延期になって正直諦めかけましたけど最後までやりました。

諦める選択は別に悪くないです。でも1回諦めずに最後までやってみたら、たとえ失敗に終わったとしても何か見えてくるものがあると思います。

最後にこの記事を読んでくださった方にメッセージです。
10月16日(土)に岩見沢に来てください。僕と会いましょう!!!」


以上でインタビューは終了です。岩見沢への想いを熱く語ってくださっている姿がとても印象的でした。インタビュー中に何度も言ってらっしゃいましたが、藤本さんも何回も失敗を経験したそうです。

それでも諦めずに4年間続けているというのがすごいですよね。でも、ここで面白いのは藤本さんの場合、ねぶたは最初からやりたいことだったわけではないことです。

これを考えると「これは本当にやりたいことなのか?」と考える時間よりもとりあえずやってみるために一歩踏み出してみることの方が大事な気がします。

藤本さんの人生を書いたこの文章から何かのきっかけを得てもらえたら嬉しいです。最後まで読んでいただきありがとうございました!

取材・文:金子(Twitter

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