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学校の勉強に意味があるのか

僕は大学生だ。それに今年で大学1年生なので、去年までは高校生だったわけだ。当然、部活にいそしみ、その傍らで受験をしてきたわけなのだが、学校の勉強に意味なんてあるのか?と問いたくなるのもわかる。実際、僕も勉強を頑張ったのは受験だけである。(しかも高3から始めているので遅すぎるのだが)そして勉強に意味なんてないとも思っていた。だが今は違う、少なくとも学校の勉強に意味はあるのだ。

なんで学校の勉強に意味があるのか。そう疑問を持つのかはよくわかる。だって社会にでて、三平方がどうのとか、マルクスアウレリウスアントニヌスが何をしたとか、エーミールがどうのとか使わないだろう。それはまさしくその通り、それを使う仕事につかなければそんなもの使うはずない。では学校で学ぶことには本当に意味がないのだろうか。。。。

ここで僕が言いたいのは、学校で学ぶことは直接は意味がないが、間接的に意味があるということだ。つまりその考え方に意味があるのだ。またはそれを応用することにおいて意味を成すのだ。

では一つ一つの教科において何が大事なのか、これは個人的に大事と思うものだが見ていきたい。

国語

国語と言えば現代文古典に分けられる。まずは現代文は何が大事なのか。現代文において重要なのは読解力の向上である。当然、日本語の扱い方を学ぶというのは大前提として大事と言える。事実、うまく日本語を使えない日本人も多いのではないだろうか。ただそれと同じくらい読解力は大事なのだ。

ではそもそも読解力とは何か、それは文章を正しく読む力である。これは案外多くの人が身につけられていないのではないか。SNSでの問題の多くはこういった読解力の欠如により起こっていると思えてならない。また東ロボプロジェクトを運営している、新井紀子先生はAIには読解力がないといっており、今後上がる見込みも少ないといわれている。つまり人間がAIに勝っているものの一つとして読解力があるのだが、近年人間の読解力も減少しているという、つまりこれからの時代”読解力”というのはキーワードとなるのだ。

そして古典において大事になるのが、漢文においては思想を学ぶということで、古文においては自分の国の歴史を学ぶということだ。

漢文の思想というのは、東洋哲学の考え方、特に中国の思想家たちの考え方を学べるというものだ。現在、この東洋哲学というのは評価されているといいてもいい。特に中国の哲学は多くの企業で参考にされており、人生における教訓などを学べるいい機会といえる。正直その辺の自己啓発を読むより参考になるのかもしれない。古典では日本の歴史を学べるといったが、これは日本史などのようなものではない当時の生活風景、常識、何に興味があったかなどは古典のほうがよくわかる。また社会にでた上で、教養として自分の国の代表的な文学作品を知るということは大切だといえる。

数学

数学は僕も苦手で一番嫌いだった科目だ。でも数学は本当に役に立つ。これだけは言える。そもそも数学を使う仕事は多い、これからもっと増えるだろう。建築、プログラミングなどはその代表例だ。確かに使わない人もいるかもしれない。しかし数学的な思考ができなければ、そもそも論理的になることができず、また数字に強くなれない。ここで覚えておいてほしいのは、メディアでも、詐欺師でも、だましてくるやつは巧みに数字を操る。だまされないためには数字に強くなる必要がある。また数学的な考え方は人生を豊かにする。例えば何人とお見合いしたら結婚までたどり着くのか、先延ばししない方法、理想の部屋を探す方法など、こんなことまで数学を使えば解決に導くことができるのだ。数学を使うことで世の中の見方を変えられるのだ。

それに社会にでて必要となるのは、相手を納得させること、本質を突くことだ。これは数学的な考え方ができるとより説得力は増すだろう。また数学というのは簡略化というのが一つのキーワードとなり、物事の本質を突くことができるようになる。

英語

まぁこれは言うまでもないだろう。今はグローバル化の進行とともに英語は必要になってきているし。。。ただ勘違いしてはいけないのは学校で学んだから英語でコミュニケーションできるわけではないのだ。実際に東大生だけど英語で外国人としゃべれない人はいる。つまりここでいっておきたい。これはほかの教科にもいえるのだが、学校はすべてではない、学校で学び、派生できるかが本当に大事なのだ。

社会

社会と言えば、歴史、公民、地理、倫理に分けられるだろう。

歴史はなぜ大事なのか。これは一重に歴史というのは人生であり、世界なのだ。意味が分からないと思うので解説する。まず歴史というのは国、文化の興亡を見ていくのだ、なぜこの国は滅んだのか、どうやって国は興ったのか、これらは自分の人生に変換できる。どうゆうことをしたため、滅亡したのかはそのままどうゆうことをすると自分は失敗するのかと置き換えられる。なので歴史は人生なのだ、愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶだ。

そして現在日本、世界で起きている問題は過去の遺産と言ってもいい。つまり現在の問題を語るうえで、歴史というのは重要なのだ。そしてこれに付随して地学というのは歴史を語るうえで重要なのだ。それはその土地柄などを知ることはなぜ歴史的な問題が起きたかがより明確になる。そして地学的要素を知らなければやはり現在の問題の解決は困難なのだ。あと地学を知ってると旅行が楽しくなる。

公民では、日本そして国際社会の仕組みについて知ることができる。これらは、国際社会、日本に生きる者にとって非常に重要だ。これを知らなければ賢く生きることなど無理と言ってもいい。ただ、高校レベルまではあくまで基礎なのでそこから自力で学ぶ必要がある。倫理というのは、自分の学校ではなかったような気がするので詳しくは知らないが、哲学のようなものだ。
これは、常識を疑うことが大事であり、論理性を見極めなければいけない。それこそが情報過多のこの時代、大切なのだ。

理科

理科と言えば物理に地学、化学に生物だ。「こんなもん実生活では使わんわ」なんて声が聞こえてきそうだが、いやいやそんなことはない。これらは人生を豊かにしてくれる。

これはひとまとめにして考えていく。言いたいことは同じだから以下同文となってしまわぬように。。。

まず一つ目に、いろんな情報の理解が深まるのだ、”りか”だけに。。。
よくニュースなどで、○○の発見が、とか危険性がとか言っているが、果たして、その本当の意味を知っているのだろうか?今回のコロナでは高校の基礎科目でやるようなウイルスと細菌の違いもわからないで、頓珍漢なことをいう人もちらほらいたり...。原発の何が危険かしっかりと言うことがあなたはできる?これらは高校までの知識でも実は言える。(簡単にはね)
それにお医者さんが言うことだって、この知識があれば完璧とまではいかなくてもしっかり理解することができる。

つまり理科の知識があれば、情報を曖昧なまま鵜呑みにすることなくより正確に得ることができるのだ。

そしてほかにもメリットとして、世界の見え方が変わる。
世の中の事象はほとんど理科の範囲内だ。そうはいっても案外どうゆうことかわからないだろうから、僕の尊敬する人物でもある、ヨビノリ先生の記事を掲載しておく、そうすると理科を知ることで見える世界を知れる。
正直、とてもおもしろい。


ここまで長々と書いてきたが、勉強をやる意味が分かっていただけただろうか。確かに学校の授業はつまらないかもしれないし、直接役に立つかは分からない。しかし意味がないことはない。前の記事にも書いたが意味のない事こそ意味があるのだ。

それに、学校の勉強は思ってるよりも、本当は面白い。僕もこのことを最近になって気づいた。もっと昔から知れていれば、受験成功していたのか。。。とも思うが、今は後悔はしてないし、今になってこれを知れたのはうれしいことでもある。

最後に

この記事は「絶対に勉強しろ」と言いたいわけではない。
ただ、「勉強は面白いし、意味があることなんだ」といいたいのだ。
もしやりたいことが他にあるならそっちを優先してもいい、ただ勉強はそのやりたいことの可能性すらも広げられるということは覚えていてほしい。

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