日々の大切な習慣:家計簿をつけること
今日はお題に乗っかって、少し思い出に耽りながら、今を見つめ直してみたいと思います。
ʕ ·ᴥ·ʔ 18歳から19年続く習慣
家計簿を始めたのは、18歳の春。高校卒業後に初めて日雇バイトで得た収入を手元金に、ギターを購入するにあたり、簡単な収支をエクセルでつけたことがきっかけでした。
その後も所謂お小遣い帳感覚で何となくつけ続け、次第にアルバイトでの収入も増え、自由に使えるお金が増えていくのが楽しく、習慣化していきました。
当時は、とにかく空いた時間はアルバイトに費やし、ひたすら貯金して、海外旅行と趣味だったカメラにお金を散財していくことに喜びを感じていました。
「お金はまた稼げるけど、こんなに時間があるのは今しかない」と思い、とにかくお金と時間の余裕ができれば海外旅行に行って、世界遺産を写真に収めることを繰り返していたあの頃。
あれから19年が経ちますが、良い判断で良い経験をしたなとつくづく思います。
ʕ ·ᴥ·ʔ 社会人になっても
その後、就職して、一人暮らしをしても、この習慣だけはなぜか続いていました。日記や雑記ブログなんかも手を出した時がありましたが、どれも投げ出してしまう中、家計簿だけは1日も欠かすことなく。
多分、私の性分にあっているのだと思います。
今でこそ電子マネーで管理もだいぶ楽になりましたが、ちょっと前までは、レジで必ずレシートをもらい、寝る前にはPCに向かい、オリジナルにカスタマイズの進んだエクセル帳簿に簡単に科目を分けた上で転記していく。最後は財布の中の実残金と帳簿の数値の一致を確かめて、やっと床に着く。基本ルーチンは今も変わりません。
最後ピタッと合う、はたまた、合わない時はその日1日を遡って、原因を突き詰め、合わせる。
ここまでくると変わり者という言葉を自ら甘んじて受け入れますが、きっちり、しっかり揃っていることが好きな私には、これが何とも心地良いのです。1日の最後のピースがはまって、やっと「1日」になる感じが、そこはかとなく。
どんなに酔っていようと、眠かろうと、体調が悪かろうと、出先だろうと、本当にこれだけは、1日も滞ったことのない、歯磨きよりも完璧な、唯一の習慣です。
ʕ ·ᴥ·ʔ エクセルの中に残る変わらない「自分」
エクセル帳簿は定期的に更新・アップデートを重ね、今となっては銀行残高をはじめ、すべての預金が管理できるように進化を遂げ、無駄にダッシュボード化が施されたりして、全資産を1つのファイルで把握できるものになっています。
しかし、基本原型は19年の歳月を経ても大きくは変わらず、生活環境が変わるごとに変化する家計簿の中に、変わらない「自分」を見ることができます。一時期は手軽さを求めて携帯アプリなども試したことがありましたが、科目の分け方や、収支比較の切り口などが自分好みでなく、結局柔軟性のあるエクセル管理に戻っていきました。
ʕ ·ᴥ·ʔ 家計簿の意義
「辛くないの?」「何が楽しいの?」とか、あるいは節約好きの「守銭奴」なんて揶揄されることもありますが、続けられている理由は、上記の通り「性分に合っているから」以外、何とも言いがたく。
でも、18歳の頃から、家計簿の習慣に対して考えが変わったところもあります。
家計簿と聞くと、真っ先に「節約」というキーワードが思い浮かぶかもしれません。確かに、始めたきっかけはそこにあったと思います。
しかしながら、家計簿を長らくつけている人ならば共感いただけるかもしれませんが、明確に「節約」を目的とするならば、むしろ逆効果な時もあります。
家計簿をつけていると、削れるところは、間違いなく見えてきます。が、同時にちょこちょこ削ったところで、帳簿を通して見てみると、実は大した数値ではないことも。むしろ、「節約」という気持ちで「我慢」している分、「結構削れたんじゃないかな」なんて思ってしまうと、冷静に数値という事実を目の当たりにした時に「えっ、これだけ?」となることもしばしば。
長くつければつけるほど、自身の家計簿の算出する「平均値」も確度があがっていきます。なにしろ、意識・無意識含めて自分の行動履歴がすべて積み上がっていますので。
なので、まとまったお金を貯めたいのであれば、「節約」ではなく、家計簿の中で未来の予測線を引き、それを元に逆算して「目標」を設定していく方が、達成すべき行動が見えやすくなって、結果がついてきやすくなります。
とは言え、ここでの予測線は、どれだけ日々の家計簿の数値が正確で、平均値に信用をおけるか…にもよるところなので、一概にお勧めできないのが、家計簿の意義としては難しいところなのですが。
ʕ ·ᴥ·ʔ 実際仕事にも活きている?
実は、こうしたことを意識するようになったのは、20代後半で、営業職についてから。当時の社長が「数字を上げたければ、まず自分の数値に徹底的に向き合え。数字は嘘をつかない。常に数字を気にする者にしか、数字はやってこない。」とやたらに言うのを、営業活動大嫌いな私は辟易として聞いていました。精神論。嫌いです。
しかし、営業経験が長くなってきて、徐々に自分なりに意味が分かるようになってきました。
要は家計簿と一緒だったのです。
家計簿は、自分がどれだけ収入を得て、何にどれだけ支出したかを日々把握する行為です。次第に、意識しなくても何となく「あ、今月使いすぎているな」「今月は余裕あるな」という「感覚」が身につきます。
「感覚」とはいうものの、年月を重ねると、実はきちんとしたデータに基づいた蓄積と分析の集大成であり、その精度はなかなかなものになっています。
「数字は嘘をつかない。数字を気にする者にしか、数字はやってこない」
これはまさにそういうことなんだな、と。相変わらず営業活動は嫌いなままでしたが、それとなく感覚が身についてからは、目標の立て方や、その達成に向けた攻め方の重要性も実感するようになり、確かに自然と成績はついてくるようになっていました。
ʕ ·ᴥ·ʔ 折角だから、これからも
今は営業を離れて、事業戦略や設計を担う仕事に従事していますが、そこでも「フレームワークに則った事業戦略策定において、kGI・KPIを設定し、なんだかんだのアクションプランで云々」と小難しく言っているだけで、やっていることは「家計簿」です。
規模と予算は天と地ほどの差はあれど、あれから年を取り、すっかり家庭を背負うようになった私の19年来の「家計簿」も、負けてはいません。
家族を守る人生を賭けたプロジェクトの柱を担う、重役ですから。
ふとしたことから始め、不思議と性格にはまって継続している、私の日々の大切な習慣。
更新履歴を重ねど、その中に生きる18歳の私の思考の嗜好。大した意義なんてもっていなかったけど、社会人経験を通して、実はすごい修練を積んでいたのだと気づき、そこから生まれた、大切な意義。
折角なので、私はこれからも続けていきます。
また意義が変わるかもしれない。でも、変わらないでずっと残っているものもあるのだろう。
家計簿、なんて地味でちょっと変わったものですが、続けてみると存外、これ以上なく私の過去・今・未来を描いてくれる、重要な習慣です。
ついつい思い入れがあり、長々と失礼しました。
ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます!
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それでは、また次回!
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