覆われた世界の中で。
出逢いは2020年の夏。
わたしと彼は、当時中3だった娘を通して出逢うことになります。
わたしは既婚・2人娘の母であり、今後出逢うことになる彼も既婚、そして小さなお子さんがいるという境遇。
その頃の私と娘は、2人して泥の中で溺れるような感覚の中、必死にもがきながら生きていました。
いわゆる第一波コロナ自粛の年。
ありとあらゆるものに制限がしかれ、今までの当たり前が全て覆されていきましたよね。
土の時代最後の年であり、風の時代へと移行したタイミングでもありました。
私達大人はもちろん、子ども達の学校行事やクラブ活動も突然、しかも一気に取り上げられたような日々。
その頃の私は自分など捨て、ただただ1人必死にたたかっていました。
男性性のみで生き、苦しくてたまらないのに頼れない、甘えられるはずなどない。
そう自分で制限をかけて。
結婚して16年。数年前からジェットコースターのように頻発して起きる事柄に疲弊し続け、私がパートナーシップにおいて一番大切にしている信頼はなくなっていきました。
そんな精神状態の中思いやりなどもてるはずもなく。既に幾度も離婚というワードは出ながらも、娘たちの為。それだけ…ではなく、娘たちが大きくなるまで離婚は避けなければはらない。
そんな私という母立場の面子の元、どんどん自分で自分を苦しめていきました。(後にインナーチャイルドが原因とわかります)
もちろん夫婦間の溝はどんどん開き、会話すら成り立たず、娘たちの事、何を話し合うも交差する事などありはしませんでした。
全てを諦め父親役含め全てをこなし、息をすることすら忘れて生きた日々でした。(書きながらその頃の自分をよしよし、しています苦笑)
娘は娘で、容姿とギャップのある中身
(弱そうなのに芯が強く何をされても動じない)が発端となり、女子特有の僻みや嫌がらせ行為などを小学高学年から受け続けているような子でした。(ここにも絡み合った要因が鏡のように反映されていたわけですが、わかるはずもありませんでした)
コロナで全てに制限がかかり、自宅待機を余儀なくされた中3学年最初の2ヶ月弱。むしろそれは問題ではなく、母の私からすればある種のギフトのようにも思えたけれど。
当の娘は、友達や先生に何をされ言われたとして、常にどんな状況であろうと休む事なく学校へ行くような子でした。
なぜなら彼女にとってどんな学校生活であれ、
クラブ活動の場、楽器を吹いている時だけが自分を保てる場所だったからです。(なぜそこまでして行くのか、当時の私は気づいてやれなかった)
そしてそんな娘のただただ純粋な好きという気持ち、想いの強さと行動が
ツインレイという世界など知らないわたし、
そして魂の彼とを引き合わせる流れに導いていくことになります。
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