他人との暮らしで見えた「責任」
他人と暮らしていると困ることがある。
それは各々の所有物が共有スペースを侵食してくること。それは時にケンカの火種にもなる。
彼女と暮らし始めて3年目に入った。
僕はミニマリストとは言えないが持ち物が少ないので、収まるべき場所に物は収まっている(と思っている)。どちらかというと彼女の方が所有物は多い。そして、片付けが苦手。
そうして、彼女の物がリビングの目につく場所に置かれるようになっていく。改善される傾向もなく、リモートワークで家にいる時間が多くなっていた僕はそれが段々と気になり始めた。
この前、痺れを切らして「リビングに物を置き過ぎているのでは」と言及した。すると、彼女とちょっとした口論になった。
個人の部屋がある一軒家に住めば、「家にスペースが足りない問題」はすぐ解決するだろう。だが、残念なことに現在は財布に余裕がなく、個人部屋がない1LDKに住んでいる。
僕は共有スペース(リビングとか)に自分の物を過剰に置くのは、持ち主の責任だと思っていた。
例えば、冷蔵庫に食材が溢れていたら、それは主に庫内のほとんどを占める食材を格納している彼女が片付けるべきだと。
ただ、彼女との話し合いを通じて、「一緒に使う場所には2人の責任がある」ということを学んだ。正確にいうと、彼女はそう考えていることを知った。ここで初めて認識のズレが分かり、問題を問題として認識することができた。
人によって片付けの得意不得意はある。だけれども、スペースがないことはお互いに共通している。いかに暮らしやすい居住空間を作り上げるか。それは住んでいる人のアイデア次第だ。
僕は、与えられたルールの中での最適解を見つけ出すのが得意な方だ。
典型的な例はテレビゲーム。効率的に主人公のレベルを上げたり、最短ルートで強い武器を手に入れたりして、軽快に攻略することを好む。
家の中でもそのルールでやりくりをしていた。つまり、与えられたスペースや家具の配置はそのままで整理・整頓を行っていたのだ。
さっきの彼女の言葉で、自分がこれまで思考停止していたことに気がついた。
家の中を整えることは「与えられたゲーム」ではなく「作り出すゲーム」なのだ。決められたルートをたどるRPGではなく、自分の街を作る上げるマインクラフト的な世界観に近い。
単純な物の移動だけでなく、ルール作りを含めた仕組みを改善していけばいいんだ。それを知った僕は、さっそく具体的な行動に移すことにした。
洗面所に溢れていたタオルの置き場所を変えてみる。使用頻度の高い靴を取りやすい位置に、使わない靴は押し入れへ。ベッド下のスペースを収納ボックスの導入で有効活用する。回収に出すまで邪魔になっていた粗大ゴミは、ノコギリを買ってカットして通常の収集日に出す。
どれも小さな工夫に見えるかもしれないが、僕にとっては大きな変化だ。物の移動ではなく、新たなアイテムを導入する発想の転換がこれまではできなかった。表面的な解決ではなく根本的な原因を取り除く意識をするようになった。
過去の自分から「片付け」のグレードが1ランク上がったことに歓喜し満足している。家の中が快適になることは住む人を豊かにする。そして、自分自身の満足度も上がる。難しく考えずにゲーム感覚で愉しめばいいんだと気づいた。
家の中には住んでいる人の「生活」が詰まっている。何を大切にしているか、何を考えて生きているか。その生活をアップデートすることは、住む人にとっての責任でもあるように思う。創意工夫を持ってお互いの生活と向き合い、話し合うことが大切だなと実感した。
・彼女との同棲の暮らしはこのマガジンにまとめています。
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