「人として」の成長ってなんだ
さて、一体全体これってなんなんでしょう。
こんばんは、うにもちです。
今回は僕の個人的人生のテーマの一つである「人」についての話です。
唐突ですが年功序列にあなたは反対ですか?
僕の答えは「賛成でも反対でもない」です。
ちょっと話から逸れてしまうのであまり言及しませんが、何事も条件反射的にNOと突きつけるのはあまりいいことではないと思います。
因みに年功序列については後日また別のノートに書きたいと思います。
多分長くなるので。
(ずるいなって思ったあなた、ごめんなさい)
では次に定期昇給に関してはどうですか?
その逆に実力主義は――?
さて、なんでこんなことを書いたか察しのいい人は気付いたかもしれませんが、少なくとも僕は「年齢を重ねること」が「人として」の成長につながるとは考えていません。
それは多分このノートに興味を持ってくださるような方の多くも同様だと思います。
ではまずなぜ年齢を重ねるだけで成長につながらないのか、という話をしたいと思います――が、一行で終わります。
僕の考えとしましては、
「人間は学ぼうと思わないと吸収することができないから」
です(好きなことについてはある種例外です)。
ただ何となく時間が過ぎて年齢だけを重ねてしまった人は、「ただ年を取っただけの人」です。
僕からしたら赤ん坊と何も変わりません。
……あ、今後の可能性があることと可愛い分赤ん坊の方が上かもしれませんね。
いや、今回はこんな皮肉を言いたいわけではないんですよ。
実際問題上に記したような「ただ年を取っただけの人」という人は現代の日本におそらく存在しないと思いますし(思いたいだけかもしれませんが……)。
人間だれしも他人と関われば少なからず影響を受けて、良くも悪くも成長をします(この「良くも悪くも」というのがかなりの曲者であることは皆さん承知の上かと思いますが……まぁこればっかりは仕方ないですよね)。
現在は戸籍制度もかなりしっかりしているので、よっぽどの閉鎖地域に住んでいるか、言葉通りの箱入り娘(息子)でもない限り、そういったことはありえないわけです(つまりこのノートを読んでいる人の中には存在しない)。
さて、そうなると「成長していない人」というものは相対的なものになってきますが、一体どういう人を指すのか。
これは「自分以外の存在を認識できない人」ということなんじゃないかと考えます。
あくまで僕の場合は、ですが。
ではこの「自分以外の存在を認識できない人」とはどういう人なのでしょうか。
これは勿論他人という存在自体を認識できないという話ではなくて、「どうやら自分とは違う考えを持った人間がこの世界には存在するらしいぞ」ということを認識できていない人です。
この辺りは前回のノート「わからないものはわからない」に詳しく書いてありますが、多くの方が読んでいないと思うので概要を説明しますと
1. あること(A)ができる人にとってAは自然にできてしまう。
2. Aができない人にとっては、どうやってもAはできない。
3. 1の人は2の人がなぜその程度ができないのかが一切わからない。
4. 2の人は1の人がなぜその程度ができないのかわからない
こんな感じです。
まぁ、タイトルの通りわからないものはわからない」と言うことを長々と書いたわけですが、これを認識できているかどうかと言うことが一つの指標になるのかなーと思ったりします。
とはいえ別に言葉にできるかどうかは勿論求めてはいないです。
自分が絶対に、どの場面においても正しいなんて考えを、成長過程でちゃんとおいてきている人とでも言えばいいでしょうか。
そんなものは不可能ですよね。
少なくとも国王が存在しない日本において、自分が絶対に正しいなんていうことは特に不可能です(例え王が存在したとして、民衆があまりに不満を持つと崩れるのでそれも考慮する必要もないかと)。
しかし現状そういった考えの人は存在します。
果たしてこの考えを捨てずに歳だけひたすら食ってる人って、一体今までの人生で何を学んで来たんでしょうか。
一切壁にぶつからず、かつ甘やかされ続けた結果体だけ大人になってしまうとこうなるのかなぁなんて思いますけど、結局想像の域を出ません。
この考え自体も、それを持ち続けている人も、僕にとっては「わからないもの」なので。
こういう人にとって他人っていうのは存在しなくて、世界にいる人間は自分とNPC(non player character=人ではなくコンピュータのこと。要するに人ではない存在のことです)だけっていう様に認識しているのかなぁなんて思います(他人、つまりほかの思考が存在しない世界なんて、そんな都合のいい世界があるとしたらそれこそまさにゲームの中だけですけど)。
さて、上記のことを踏まえた上で未だに「自分は正しい」と思い続けられる方とは是非とも一度話してみたいのですが……結局何言ってんだこいつってなって終わるのが目に見えているのでやっぱりやめておきます。
わからないものはわからないんですから。
ここまで考えると所謂「大人になること」がいかに難しいことなのか、ということはご理解いただけたかと思います。
気づいたら高校を卒業して20歳を超えていた自分には(22年からは18歳の様ですね)、まだまだ超えられない壁が沢山あります。
おそらく本当の大人になる日は、人生最後の日まで来ないんじゃないかなぁとすら思います(こんな偉そうなことを書いてますけど僕は結構自分勝手なので)。
ただ、重要なことはなれるかどうかよりなろうとするかどうかだと思うので、日々歩みを止めずに、日進月歩で成長していければと思っております。
高校から大学に上がる際に様々な人と出会って、物や人に対する考え方が大きく変わりました。
そして大学を卒業して社会人になった今、すでに色んな壁にぶつかって日々迷いながら生活をしています。
今後もそうして色んなことにぶち当たって、悩んで、時には寝込むくらい気が滅入ったりして……。
でもそれでいいんだと思います。
人間はどうしても間違うものですから。
そこに気付ければそれでいいんだと、僕は思います。
頑張る必要もないですが、無気力自堕落も、それはそれであとに響いてきたりします。
何事もほどほどにしましょう。
……残業もそれなりに。
それでは、また。
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