生きづらい私。

私の両親を知ってる人は皆、口を揃えて〝すごく溺愛されて育ったね〟と感想を持つほど、私は愛情たっぷりに育てられた。そして、過保護と捉えられても仕方のないくらい、私の両親、特にパパは私に甘い。

だけど私は、人生とても生きづらい。


いつも申し訳なく思う。
こんなにも愛情いっぱいに育ててもらったのに、どうしては私は、そんな自分を肯定できないのだろうかと。

両親の愛情を、疎ましく思ったことはない。
むしろ、こんなにも無償の愛を与えてくれて、心の底から感謝している。それくらい、愛されている実感があったし、私はそんな家族のことが大好きだ。

生きづらい原因が、決して過保護なわけではない。

ある程度自主性は重んじてくれて、過干渉になることはない。適度に放任主義で、困ったときに手を差し伸べてくれて、ルールやマナーを大事にし、ちゃんと叱ってくれた。
適当な距離感でいてくれる両親だと思う。


愛情たっぷりで育てられた子特有の、眩しいキラキラさをたくさん見てきた。
友達との会話で、家族の話題になるとき〝あぁ、この子はとても愛されて育ったんだなぁ〟と感じることがよくある。

それは私にもあるようで、雰囲気や家族の話から「そんなかんじするよ」と周りに言われてきた。


〝もっと自分に自信持って良いはず〟〝もっと自分のことを認めてあげても良いはず〟

偏見しかないが、
親の愛情と自身の肯定感は比例すると思ってた。
成長するにつれ、それがパワーとなり、エネルギーとなり、大きな自信につながると。

私には、両親の偉大な愛情が、自信につながらなかった。

いつも心のどこかで、負の感情が私を支配する。1日の終わりには、その日の出来事を反省する。時に、不甲斐ない自分を責める。

…挙げたらキリがないくらい、苦しくて悲しい思いを、大袈裟なほど感じてしまう。


家族だけじゃない。
友人も皆、私を肯定してくれて、長所を教えてくれて、たくさんの楽しいを共有してくれる。
本当に、良い友情を育めていると心の底から思う。私と仲良くしてくれてありがとうと、いつも感謝している。

大きな愛情をたくさんもらってるのに、なかなか私の中で、ポジティブなパワーやエネルギーにはつながらない。
私はどれだけ与えられているだろうか、と不安になる。



私はある日知った。自分が『HSP』だと。

ネットの簡単なセルフチェックは、ほぼ全て該当した。のめり込むように、調べられる限りそれについての情報を収集した。

ずっと、ずっと自分が抱えてきたこと、悩んできたことは、私の気質であり、性質だった。

両親に対し罪悪感を覚えていた私が、心が軽くなれるのではないかと思えた、目から鱗な情報と現実だった。

親の愛は、確かに受け取っている。溢れんばかりの愛情を、しっかりキャッチできている。
自己肯定感を高めることは、私には難しいことかもしれないけど、愛情を受け取れている事実を、まずは自分自身で認めてあげよう。愛情と自己肯定が比例するなんて、そんな考え一旦やめてしまおう。


ただ、自分がHSPだと気づいてから、それを両親に伝えることを戸惑っている自分がいる。

自分のことを伝える必要があるかどうか。

病気ではないことは重々分かってはいるが、客観的にネガティブに捉えられやすい側面も持ち合わせているような気がしてしまう。
同情してほしいわけではないし、気を遣ってほしいわけでもない。

まずは、私自身が自分としっかり向き合わなくてはならない。自分を認めてあげないと。
そこから始めないと、私はずっと、親に申し訳ないという気持ちのまま生きてしまう。


漠然とした生きづらさを原因に、もやもやとした感情に支配され、どうせ自分なんか…と人生投げやりにはなりたくない。
時間はかかるかもしれないが、自分はこういう人間だと、しっかり自分自身が理解できるようならないといけないと思った。

親に伝えるのはきっと、それがある程度できてからになるだろう。


大丈夫。私はたくさん、愛されて育ってきた。


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