見出し画像

アンナチュラルで描かれた女性差別について

年末年始の一挙放送ではじめて拝見した、ドラマ『アンナチュラル』。

今さら私が言うまでもないが、一応ストーリーは以下の通り。
石原さとみ演じる三澄ミコトが法医学を通して、死者からの最後のメッセージを受け取り、死因究明をするミステリードラマ。

各話のクオリティが全て高く、1話の中で展開が二転三転するたのしさがある。なおかつミコトを含む同僚たちの抱える問題がドラマを通じて明かされていくハラハラといったら、エンターテイメントとして一級品である。

『アンナチュラル』がいま2018年ないし2019年の日本でこれだけ評価されているのには、こうしたストーリー性に加えて、現代の社会に対する鋭い批判が含まれているということが多分に関係しているだろう。

第3話では主に女性差別が克明に描かれた。
法廷で弁護側の証人として証言した三澄ミコトは、検察から「女性だから」という差別発言を執拗に受ける。

責任転嫁は女性の特徴です。自分の確認不足を棚に上げて、すべて人のせいにして、相手を感情的に攻める。彼氏が相手ならけっこうですが、ここは法廷です。

今書いていても、私自身対処できない怒りが湧いてくる。
そして挙句の果てには、被告人までも自分の人生を女にあずけることはできないと、証言を拒否する。

こうしてドラマで客観的に「女性は」「女性だから」と繰り返し発言しているのをみると、なんの根拠もない差別発言であることは明白だ。
けれど、これはフィクションでもなければ、オーバーな表現でもない。

あまりにも自然に刷り込まれた「女性像」は誰しもが抱えている。
それは女性自身も持っているものだと思う。
人は「わからない」もの、自分とは「異なる」ものにたいして、恐怖心をもつ。だから、カテゴライズすることで千差万別のはずの個人を、わかった気になりたがる。

女性差別の現状やフェミニズムについて話すことは、正直はばかられる。
今回ドラマでは、「女性だから」という差別の意図が明確であり自覚的に発言されたものであった。
けれど、現実では、女性差別はもっと日常的に、当然のことのように、そして差別という認識なしに無意識的におこなわれている。

それに気づいてもらう段階からはじめるのは、本当にしんどい。
逐一指摘すれば「はいはいジェンダー(笑)」という扱いを受ける。

「セクハラ」という言葉も、冗談のように使用されることがあるけれど、冗談なんかじゃない。彼氏いないの?と聞いただけでセクハラなんて、と思う人もいるかもしれない。受け取る側がそうだと感じたら、それはセクハラなんていったら、何でもありじゃないかと思うかもしれない。

だけど、小さなことから釘を刺していかなければならないほど、デリカシーに欠けた発言が日常的にあふれており、「女性」が消費されているというのが現状なのだ。

第6話で、こんなシーンがある。
三澄ミコトの同僚である東海林が婚活パーティーで、酒に睡眠薬をいれられ、ホテルに連れ込まれる。
翌朝、男は遺体となってベッドに横たわっており、記憶のない東海林はミコトに助けを求める。「知り合いだと被害を訴えにくいことを逆手に取られた」とミコトは男の犯行を示唆する。警察にも連絡を入れ、連れ込まれたホテルはあらかじめ予約済みだったことから、男が確信犯だったことも明確になる。性犯罪未遂であることがわかったうえでの刑事と東海林の会話が以下の通り。

「でもよく知らない男と酒飲んで酔っ払う方にも問題ありますよ。」
「知り合いなんです。同じジムの。」
「じゃあ、お互い承知の上で?」
「承知していません。」
「…背中バックリ開いちゃってますしね。」
「どんな服を着ようと私の自由です。」


この刑事の発言に違和感を感じられた人が、どれくらいいたのだろうか。
ドラマの中で、刑事はいつもお世話になっている顔なじみの人だ。
悪役どころか、いつも協力してくれている人でさえも、自然とこういう発言をしてしまう。

「女性がどんな服を着ていようが、お酒を飲んで酔っ払っていようが、好きにしていい理由にはなりません。合意のない性行為は犯罪です」

ミコトがはっきりと明言してくれて、心底ほっとした。
刑事の発言が聞き流されなくてよかった。