考えてみる

ここ数年で、仕事柄、論文などを読むようになった。論文と聞くと難しい、絶対。と思うかもしれないが意外にも読みやすいものもたくさんある。中には専門用語に見たことのない数式に目が読み解くことを放棄するようなものもあるが。自分の興味があるもの、気になること、探せば本当にたくさんヒットする。大学の先生などは講義で慣れているからかとてもわかりやすかったりもする。実際、検索エンジンが論文だけでなく、雑誌の記事なども出てくるとまたおもしろい発見がたくさんある。

最近は、SDGsについて実はよくわかっていないし、Google検索では情報が多すぎて余計にわからない。用語の意味も説明しろと言われると一体どれくらいの人が答えられるだろう。

検索していく中でとてもおもしろい論文を見つけた。論文というより会議録のような、講演を文章にしたものだった。調べると大学のリポジトリの論文の為、図書館に行かなければ見れないようだ。それは現段階の地球の温暖化の影響についてわかりやすく書かれていて沢山の衝撃を受けた。実際、今の日本では言葉自体は浸透し、考えなくては、な段階まで社会の認識が来たと思っていたけども、ことはそんな生易しいものではないという内容だった。グレタさんが日本は1番SDGsには程遠いというようなコメントをどこかで言っていた気がするが、本当に世界の他の国ではもっとみんなが意識して国自体が動いているという印象だった。実際、専門家の間では数十年前から警告を出していたのだろうが、すでに地球の資源枯渇や温暖化の状況はもうあとには引けない、数十年後に迫っていた。確実に自分が生きている間に起こる様々な危機が予測されている。海面温度の上昇により、(おそらく日本は特に)毎年大きくなっていく台風に悩まされるだろう。地震も関係しているかもしれない。赤道付近では大規模な山火事が至るところで発生し、北極の氷はほぼ確実になくなる。自然界でこのようなことが起こるともちろん生態系は崩れる。多くの動植物が絶滅し、二度と会うことができなくなる。こんな危機がすぐそこまで迫っている。それもほぼ人間の活動によってこれらは引き起こっている。地球の表面は人間が支配している。では私達人間に一体何ができるだろう。人間はこの問題を後回しにしすぎたのだ。産業革命によってこの100年で人間はとても素晴らしい文明を築いた。でもそこでは地球を犠牲にしてきたことを忘れてはならない。

この数年で自分の感覚が大きく変わった。今まではファストファッションの服を大量に買い、SNSで見つけたものはチェックしては買うを繰り返していた。便利だ、オススメだ、実際に使うことなく捨ててしまったものもたくさんある。引っ越しをする際にモノについてたくさん考え直すことができた。持っているもので実際に使っているものというとほんのごく僅かだった。これほどもったいないことはない。モノを作るのにも相当なエネルギーが消費されている。処分するのにも、だ。改めて考え直すと日本という国は環境、地球について考えるにはとても難しいそんな国だと悲しくなった。数歩歩けばコンビニからドラックストア、スーパーなどが並んでいる。買えばいいか、こんな思考になるのは当たり前である。自分は地方出身の身なので、そんなに便利な所ではなかった。それでも車を使えばなんでも買える環境だった。話は戻るがその論文の中では地方の自治体こそ、カーボンニュートラルを環境緊急事態対策を率先して遂行していけると強く提唱していた。日本の経済的には物を買いまくってほしいわけだからSDGsとは言っても、とやはりまだまだ認知は薄いので、社会全体でゴールを目指すのはまだまだ難しいのだろうか。まずこういった問題をしっかりと認識している人はどれくらいいるのだろう。そのためにできることといえば、ゴミを減らす、ものを買わない、公共交通機関を使う、小さなことかもしれないが一人ひとりが気をつければ大きな力になる。多くの人が意識を向ければ社会は動く。メディアのあり方も変わってきた今、どうやって社会に問題提起をするか、考え直す必要がありそうだ。と、こんな悠長なことを言っている時間もないのかもしれない。どうすることもできないのかと諦めるよりもわからないなりにとりあえず何かしてみようと脳みそが冴えきっている今、打ち込んでみた次第だ。

まずこの危機感を社会全体に広げ、少しでも多くの人の意識が変わっていくことを願っている。

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