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休職日記 #18 場所を変える

先日、心療内科を受診し、休職の延長が決まった。とりあえず、また1ヶ月。2週間後の診察で改善があれば、休職を切り上げる可能性も排除しない。ただ、少なくとも2週間はまた何もない時間ができた。これを利用して、休職以前から決まっていた実家への帰省(家業が農家なのだが、その手伝い)と合わせて旅行をすることにした。トータルで一週間近く東京を離れる。

先ほど、東京に戻ってきたのだが結果、だいぶスッキリした。幸か不幸か、東京を離れている間は仕事のことを考えず、違うことに没頭できたことが良かったのだろうと思う。旅行については別に語るとして、改めて場所の重要性を感じたので、そのことを書こうと思う。

休職になってから1ヶ月は休職の手続きやら病院の受診、そしてそもそもどこかへ出かけるだけのエネルギーがなかったため、一人暮らしをしている東京の六畳間で時間を過ごしていた。そこは仕事のための補給基地であり、テレワークゆえ同時に仕事場でもあり、そして、何より適応障害の発作が起こったその現場でもある。そこで何もせずに時間を過ごせば否が応でも仕事のこと、今後のことを考えずにはいられない。「なぜ、こんなことになったのか」「今後、仕事は続けられるのか」「転職するなら、どこへ行くのか」…答えの出ない問いが頭の中を駆け巡る。もちろん、これらの問いは、当面の解を出さねばならない問いではあるのだが、いかんせん症状の改善には一ミリも資さないばかりか、むしろ良くならないものである。
気晴らしに散歩に出かけても、そこはあくまで東京である。東京で味わった酸いも甘いも反芻してしまう。

再び診断書が出され、それを会社に提出したその週末、以前から実家の農業の手伝いをするために帰省することが決まっていたので、その少し前から実家に戻ることにした。両親には「休みが取れた」としか伝えなかった。少なくとも嘘はついていない。

正月ぶりの実家は別に懐かしさがあるわけではないが、東京にあった薄暗いジメジメとしたものはなかった。
朝から農作業に精を出す。デスクワークばかりの東京とは異なり、全身を使い、汗を流し、日と風に当たり、腰が痛くなる。親と他愛もない話をする。話をしないときは、とりあえず流しているラジオのローカル番組に耳を傾ける。巣作りに来たツバメを眺め、お茶を飲み、休憩する。今の仕事のことを考える隙なんてものはない。

相変わらず朝は早く目が覚めるが、その日を有効活用できるような気がして、あまり悪い気はしなかった。東京とは、違う時間を過ごした。いや、東京ではありえない時間の使い方だった。

しなくてはならない農作業が終わり、実家を離れた。もちろん、実家に居続けても、こちらにはなんの問題もないのだが、親へ説明はしたくなかった。結局、休職の話はせぬまま実家を離れた。せめてもの罪滅ぼしに、外に食べに行った時に自分が会計した。思えば、社会人になってからコロナ禍でそういう場面がなく、初めてそういうことをした。総じてあまり孝行息子ではない。

駅まで送ってもらい、東京とは真逆の方向の列車に乗る。行かたかった場所を巡った。温泉でのんびりもした。とにかく歩いたり、地元の人と少し話したり、やはり東京ではしないこと、できないことをした。ずっとこうしていられるほどの蓄えはないので、しばらくして東京行きの列車に乗った。あまり、嫌な感じはしなかった。ウォークマンで音楽を聞きながら流れ行く車窓を眺めて、飽きたら本を読む。ただ、それだけだった。

東京へ戻ってきても、やはりあまり嫌な感じはしなかった。旅先でもらったパンフレット類を整理して、思ったことを記していく。今日はずっと天気が悪い。それでも、気持ちは落ち込まなかった。この状態は別にいつまでも続くものではないのだろうが、久しくこんな落ち着いた気持ちになっていなかった。刹那的であったとしても、こういう精神状態になれるという価値は今の自分にとって、とても大きい。

少しの間だけでも環境を変える、苦しかった場所を離れるのは存外良いものなのだろう。

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