れくらん
れくらん。
大抵の人はこれを”れんらく”の間違いのように感じる気がする。
この世にあるらしい”れくらん”を何だか知らないからか
“れんらく”という言葉が日々溢れているからなのか
理由は分からない
私たちは、しばしば言葉を間違える
でも、分かってしまう。
間違えたって、よく聞こえなくたって、
言葉の意味を知らなくても、
言語の壁があっても、
相手が何を言いたいのか分かる時がある。
それは言葉の枠をえいと超えた
見えない会話なのだ
そこには感情や表情、意図、背景、その日の気温から環境、
性格やお腹の空き具合なんかまでの
多くの要素が複雑に積み上げられ
一生で一度の、
その人と私とで成す会話の中で、
クリエイトする全ての要素が私を分からせてしまう
と、いうことは
相手の言いたいことが
どうにもこうにも分からない時、
それは”全ての会話が見えている”ということになる
(こいつ、何言ってんだ?)
と思う場合、そいつは何も言っていないのだ。
そいつが放った言葉のままで、
それ以上は何も無い
言葉だけがその意味を持ち
“言葉の内側”だけで会話をしている。
そんな会話に意味があるだろうか
その意味を知りたいとも思わぬ会話に
一体なんの意味があるだろう
私たちは他人の言葉に傷つけられる事など
決してないのだ
私たちの会話は
目に見えぬ たから箱の交換なのだ
子供の頃から集めてた
“なんだか大事にしたいもの”
を こうかんこ している
その中にちゃんと私たちが居る
私の一番大切なものを
あなたに渡してる
お母ちゃん「はあ?全然意味分かんない」
記事をお読みいただき、ありがとうございます。うれしいです。